020 第一患者発見
「……おはようございます。どうですか?
ほんの少しの仮眠ですが、頭がすっきりしたでしょう?」
「はふっ!?ま、まあまあまあ、どうしましょう!
こんな往来の、外からよく見えるテラス席で寝込んじゃうなんて恥ずかしいわぁ。
……でも、すっごく気持ちよかったわ〜!」
ふかふかのクッションから飛び起きた羊タイプの獣人のマダムは、顔を赤らめながらも、大きな角を揺らして感嘆の声を上げた。
彼女はテラス席の居心地の良さと、ユーマが施したゆったりとした首筋の指圧に抗えず、15分ほど意識を飛ばしていたのだ。
マダムは立ち上がり、不思議そうに自分の腕や肩を回して戸惑いの表情を浮かべた。
「嫌だわ。本当に身体の節々が軽くなったみたい。
いつもなら、ちょっと椅子でウトウトしただけでも、身体がガチガチに固くなるのに」
確かな手ごたえに、ユーマは安堵しつつ解説する。
「それは、寝る前にマッサージで全身の余分な筋肉の緊張をほぐしたからですよ。
それに、先ほど飲んでいただいた薬草茶も、身体の芯を温めてから自然に熱を逃がす、リラックス効果の高いものを厳選してブレンドしましたから」
「まあ、本当に素敵。軽食のサンドイッチも美味しかったわ。
……先生、また来てもいいかしら?」
「ええ、もちろん。いつでもお気軽にどうぞ」
お礼を言って、軽やかな足取りで帰っていくマダムを見送り、ユーマは一つ息を吐いた。
「お疲れ様です、ユーマ先生。一旦お休みくださいね」
臨時店員を買って出てくれたマーウが、笑顔で淹れ立てのハーブティーをトレイに載せて持ってきてくれた。
彼女は、先日ユーマに迷惑をかけたことを気にしていた。
そのため、ユーマが一緒に働いてくれる従業員を募集していると聞いたとき、真っ先に手をあげてくれたのだ。
とはいえ、彼女はギルドで受付を既にしている。
なので、とりあえず人が集まるまでは協力したいとギルド長へ相談していたのだ。
ギルド長は、二つ返事で許可してくれ、現在に至る。
激昂する姿が印象的だった彼女に対して、ユーマは最初こそ不安な様子だったが、てきぱきと作業をこなし、お客さんへの愛想も良い彼女の様子に感心していた。
元々ギルドで受け付けをするくらいなのだから、コミュニケーション能力も良好であることは当然なのだが。
それでも臨時の店員であることが惜しいくらいだった。
「ありがとう、マーウさん。……お客様の入りはどうだい?」
「うーん、ぼちぼちですね〜。
見た目がオシャレなカフェっぽいから気軽に入ってくれる人もいますけど、やっぱり『お医者さん』って看板がついていると、まだ少し抵抗があるみたいですよー?」
(まぁ、そこは想定内か……)
悠馬はお茶を口に含みながら、静かに今日の売り上げを見つめた。
開店して5組。
全員ご挨拶した顔見知りだけとはいえ、上々の滑り出しだ。
この世界において、医者や薬師にかかるというのは一種の「贅沢」という意識が強いらしい。
特に獣人族は生まれつき頑丈な者が多いため、命に関わる大きな病気や大怪我でもしない限り、医者の出番はないと思われているそうだ。
だからこそ、心理的ハードルを下げるお膳立てとしてのカフェ併設だ。
初日の客足はあまり重要じゃない。
ここからの口コミが重要なんだ。
ユーマはゆっくりと薬草茶の香りを愉しみながら、これからを考える。
焦る必要はない。
気長にやろうという初志に変わりはない。
睡眠治療という本質の領域は、街の人々の抵抗感が薄れてから、少しずつ浸透させていけばいいのだから。
――ふと、通りからの微かな視線を感じて、ユーマは顔を上げた。
オープンテラスの生垣の隙間から、じっとこちらを覗き込んでいる小さな影があった。
ピコピコと動く小さな耳。
幼い猫っぽい少女だった。
誰かが物珍しそうに店を見ているだけなら、別に珍しくもない。
子供だし、新しいお店ができたから覗いているなんてよくあることだ。
だが、ユーマの目は少女の様子に釘付けになった。
その少女の見た目は、誰の目から見ても明らかに――痛々しいほどに『やつれて』いたのだ。
目の周りは黒く陰り、瞳は落ちくぼみ気味で血色も悪い。
放っておけば、今にもその場にバタンと倒れ込んでしまいそうなほどフラフラと足元を揺らしている。
「……寝不足の顔だ」
白衣のポケットに手を突っ込み、ユーマの目が、睡眠診療の専門医としての鋭さを帯びる。
のんびりとした昼寝カフェのテラス席に、今、この世界初めての『睡眠障害』を抱えた小さな最初の本格的な患者が迷い込もうとしていた――。




