見劣り姫は一時の別れを惜しむ
刺繍が完成した翌朝早く。イライアスの出立時間に合わせて起きると、支度をして部屋を出る。
伴う者はいつもと同じくヘラとメイナードだ。
今日出立するのはイライアスを含めた兵士数名。
私は彼らにも餞別のお菓子を用意した。イライアスだけに渡すのは気が引けるからね。
「……受け取ってくれるかしら」
もちろんお菓子ではない。今手にしているハンカチのことだ。あれだけ頑張ったのに、嫌な顔をされたら立ち直れない。
「ハンカチなら邪魔になりませんから、喜んで受け取ってくださるかと」
「そうよね。私の最高傑作ですもの。受け取らないなんてありえないわよね」
ヘラに肯定され、気持ちを上向かせる。
悔しい思いをしても前を向いてきたのだ。怯むなんて私らしくもない。
それに、イライアスには餞別を渡すとしっかり告げている。彼の態度を思えば、私の不安など杞憂でしかない。
ならばさっそく、と兵士たちがいる場所まで行き、イライアスを探す。
見送りに来たのだろう兵士たちがいっぱいで、探すのに一苦労だ。
「いたわ。あそこね」
より人だかりができている辺りにイライアスの姿があった。
だが、いろいろな人に話しかけられているため、近づくことができない。これはしばらく待った方がよさそうだ。
先にほかの用事を済ませようと、イライアスと一緒に出立する兵士たちのもとに行く。
彼らも仲間に囲まれていたけれど、だいたいが辺境に行く兵士だったので、難なく声をかけることができた。
「ごきげんよう」
「で、殿下!? おはようございます!」
「みなさん、お勤めご苦労様。今日は料理長に頼んで、辺境に赴くみなさんのためにお菓子を作ってもらったの。道中お腹が空いた時にでも食べてちょうだい」
ヘラがさっとお菓子の入った籠をこちらに差し出してきた。一つずつお菓子の袋を取り出して、順番に兵士に渡していく。
「殿下からの餞別をいただけるとは……ありがとうございます!」
「辺境は遠いから、気をつけてね」
ちょっとした会話をしながら餞別を渡す。
私が作ったものではないので、激しく感動されると少し気まずい。でも、ほかの人から餞別をもらっている様子はないので、ないよりはあった方がいいものね、と笑顔で対応する。
そうして餞別をほぼ渡し終えた頃、後ろから声をかけられた。
「第三王女殿下」
振り返って見ると、すぐ側に騎士隊長が立っていた。
「あら、騎士隊長、ごきげんよう。先日は警備してくださってありがとう。心強かったわ」
「いえいえ、こちらこそ犯人逮捕にご協力いただきありがとうございました。まさか殿下があのような策を講じてくださるとは思わず……。今までの非礼、誠に申し訳ございませんでした」
騎士隊長が深く頭を下げ、謝罪の言葉を口にする。
その姿に軽く目を見開いた。
……うそ、私の能力を認めてもらえたわ。本当に? ああ、でも……。
先日のお茶会はどうやらやりすぎだったようで、騎士隊長に感づかれてしまった。
さて、どう対処すべきか、と考えたのは一瞬。すぐに持っていた扇子で口元を隠し、小首を傾げる。
「ごめんなさい、騎士隊長。わたくしには覚えがないわ。ただお茶会を開いただけですもの」
強引にごまかすと、騎士隊長が頭を上げた。
「あくまでお隠しなさるのですね。承知いたしました。ただ、私も副騎士隊長も、殿下がそれだけではないと存じております。何かお困りの際は、どうぞ我々をお使いください」
その言葉で確信した。騎士隊長は、私がウィップをかわしたことまで気づいている。
まあ、騎士隊長と言うくらいだから、武芸は相当秀でているはずだ。私の動きに気づいたとしても、おかしくはない。
とはいえ、心配は不要だろう。私の意思はすでに示しているのだから。
「よくわからないのだけれど、ありがとう?」
「隊長!」
話の途中で騎士隊長が呼ばれた。見れば、騎士隊長の奥の方で兵士が手を振っている。
「ふふ、人気ね。行ってあげて?」
「部下が失礼いたしました。それではこれで」
騎士隊長は謝罪をして去っていった。なんとも忙しい人だ。
「グロリアーナ様!」
ほっとしたのも束の間、またもや名を呼ばれた。
顔を向ければ、早足でこちらに来るイライアスの姿があった。
「まあ、イライアス、おはよう。……あら、あなた、誰かに何かを言われたの?」
「おはようございます、グロリアーナ様。いえ、特に何も言われておりませんが、なぜそのようにお思いになったのですか?」
イライアスが否定したので、逆に私が戸惑った。
「え? なぜって……」
一見すると普通の表情だから、私の気のせいかもしれないが、向けられた青緑の瞳はどこか不満げだ。閉じられた口元も、心なし口角が下がっているように見える。
こんなイライアスの表情は初めて見た。とても珍しい表情だが、本人に伝えてもよいものか、迷いが生じる。
だが、すぐに嫌な気持ちで旅立ってほしくないと思い直し、ゆっくりと首を振った。
「いいえ、気のせいだったわ。それよりイライアス。わたくし、約束を守ったわ。受け取ってくれる?」
言いながら、持っていたハンカチを差し出す。すると、イライアスの目が軽く見開かれた。
「よろしいのですか?」
「もちろんよ。逆に受け取ってもらえないと困るわ。あ、でも、みんなには内緒よ? イライアスの分しか用意していないから」
「ありがとうございます。大切にいたします。グロリアーナ様が刺繍してくださったのですか?」
不満げな顔から一転、イライアスがハンカチを受け取り、嬉しそうに見つめている。
そうかと思えば指で刺繍をなぞり、こちらを向いて尋ねてきた。隠す必要はないので、素直にうなずく。
「ええ。あなたの無事を祈る、ラクサの花にしたのよ」
「とても、嬉しいです」
はにかむようなイライアスの顔に、胸の鼓動が忙しなく存在を告げてくる。
こうしてときめくのは、いったい何年先になるか……。ちょっとだけ感傷的な気分になる。
そんな中、イライアスが口を開いた。
「グロリアーナ様。私も、あなた様にお渡ししたいものがあるのです。どうか、これを受け取っていただけないでしょうか」
急に真顔になったイライアスが、ポケットから木製の小箱を取り出し、こちらに差し出してきた。
イライアスの手にすっぽりと収まる小箱は、どの面も彫刻が施されている。植物をモチーフとした細かい彫刻で、うっとりするくらい美しい出来栄えだ。
「まあ、素敵……受け取ってもよろしいの?」
「もちろんです。グロリアーナ様のために作りましたから」
私のためとは嬉しすぎる。気を許せば王女らしからぬ顔になりそうで、慌てて表情を取り繕いながら小箱を受け取った。
間近で見るとさらに美しい細工だ。つい感嘆のため息が漏れてしまう。
「嬉しいわ。ありがとう、一生大切にするわね。……ああ、本当に綺麗だわ。先ほど自分で作ったと言っていたけれど、木材をカットするところから彫刻まで、全部あなたが?」
「はい。木工細工が趣味でして。ただ、その……デザインだけは大変不評で……。見かねた王太子殿下が第一王女殿下にお声をかけてくださり、王女殿下から頂戴したご意見をもとに仕上げました」
「そうだったの。最初に作ったものも見てみたいわ」
「申し訳ありません。王太子殿下が、『これは女性に渡してはならない』と真顔でおっしゃるので、早々に処分しました」
……何それ。ものすごく気になる。
ウィル兄様が本気で止めるレベルのデザインだ。イライアスのセンスは、かなり独創的なのかもしれない。
私としてはイライアスの意外な一面――この場合はデザインね――を見てみたいけれど、残念ながら時間だ。遠くから、出立する人たちに向けて声がかかった。
「いろいろと残念だわ。もう少しお話をしていたかったもの」
「そうおっしゃっていただけると、光栄です」
イライアスが眩しいものを見るような目で私を見てくる。やめて。その顔にも弱いの。ああ、もう! 好き!
熱を込めて見つめたくなるのを必死にこらえ、イライアスを見つめ返す。
「これ以上は無理のようですね。グロリアーナ様。私は必ずあなた様のもとに戻ってまいります。ですから、どうか……どうか、待っていてください」
「ええ、待っているわ。道中気をつけてね。わたくしの護衛になるのなら怪我をしてはだめよ? 無理も厳禁ですからね? ……いってらっしゃい、イライアス」
「はい。いってまいります」
イライアスは一歩後退すると、右手を左胸に添えて一礼をする。
それから、仲間たちと合流し、辺境へと旅立っていった。
「姫様……」
「大丈夫、大丈夫よ、ヘラ。今は悲しいけれど、彼が私の護衛になってくれると言ったのですもの。楽しみに待っているわ」
そっと側に寄ってきたヘラに、安心するよう告げる。
しばらくして、イライアスたちの姿が完全に見えなくなった。
見送りに来た人たちもいなくなり、静かに後ろを向く。
そして、まっすぐ前を見ると、一歩、また一歩と足を踏みしめて歩いたのだった。
これにて第一章完結です。
明日以降は、イライアスサイドの話(番外編)を追加したいと思います。




