見劣り姫は騎士に餞別を贈りたい
翌朝、心配そうに私を起こしに来たヘラに、笑顔で挨拶をする。
泣いたのは少しだけだったから目元は無事だ。ヘラも安堵した様子だった。
昨日はあれからたくさん考えた。イライアスが私の護衛になるべく奮闘するなら、私も負けていられない。
本音を言えばイライアスがいない日々は寂しいけれど、その気持ちを振り払うつもりで頑張ろうと思う。だがその前に。
「今日は何も予定がなかったわね」
「授業の予定が入っておりましたが、別の日に変更となっております」
「なら今日は部屋でゆっくりと作業をしましょう。ヘラ、刺繍の準備をしてちょうだい」
「はい。この前の続きですね」
「あ、待って」
刺繍の用意を始めたヘラを呼び止める。今日刺すのは手慰みの刺繍ではない。
「贈答用の綺麗なハンカチを持ってきて。イライアスに餞別として渡すわ」
「ただいまお持ちいたします」
ヘラが向きを変え、無地のハンカチを持ってくる。絹でできた一級品だ。
ヘラからハンカチを受け取ると、さっと広げる。男性用なので少し大きい。刺繍部分と無地の比率も考えた方がよさそうだ。
「モチーフは何にしましょうか。レイリー公爵家の紋章……は重いわよね。婚約者でもないし」
公爵家の紋章はもしもの時の目印になるが、命取りになる場合もある。
まして紋章は、家族や婚約者が贈るもの。なんの関係もない私が贈るのは、ものすごく厚かましい。よって却下だ。
それ以外で何かいいモチーフはないか、うなりながら考える。
簡単なモチーフは嫌だし、かといって一週間以内に凝ったものを仕上げるのは無理。その条件に合うモチーフと言えばなんだろう……。
「姫様、一般的なものですが、お守りとして刺されるラクサの花はいかがでしょうか?」
ラクサは青い花を咲かせる植物だ。この国では、相手の無事を祈ると言われ、お守りの図柄として用いられている。
薔薇のように凝った模様ではないけれど、いくつか重ねれば複雑になる。構図も期間内に終わるように考えればいい。
「ラクサ……そうね。それがいいかも! どんなデザインにしようかしら」
ラクサは青い花なので、男性が使用しても問題ない色だ。
デザインに関しては、イライアスが使用しても浮かないよう、落ち着いたものがいい。
さっそくスケッチブックを広げて、あれこれラクサを描いてみる。
私は絵に対しても普通の評価だ。「芸術的ですね」と遠回しのお世辞を言われることもない。むしろ、それすら言われないくらい普通の絵を描くらしい。でも、絵が描ければそれで十分。
「うん。この図柄なら期間内に終わりそうね。次はハンカチに清書しましょう」
専用のペンシルを手に取り、布地を傷めないよう、優しく清書していく。
いつもならさっと終わらせるところだが、イライアスに贈るものなのでことさら丁寧に描いた。裕に一時間はかかって驚いた。
清書を終えて休憩を差し挟むと、今度はステッチ――針目を考える。
ステッチ一つで印象はがらりと変わるので、気が抜けない。
ステッチの角度も重要だ。試しに違う布にさまざまなステッチを刺してみる。
それが終わると、清書したハンカチとステッチを近づけて、スケッチブックにどのステッチにするか書き留めていく。
「できたわ。次は糸の色ね。花の色は落ち着いた青で、少しだけ紫がかっていたかしら……」
種類豊富な糸の中から、男性が持っていても違和感がない色をいくつか選ぶ。
さらに、イライアスに似合って、ラクサの色に近い青となると……。
「この色がよさそうね。葉の色は花を引き立てるように……ああ、いいわ。これにしましょう」
ようやく下準備が整い、針を刺す作業に入る。
習ったステッチは全部頭に叩き込んでいるものの、実践となるといささか不安だ。
先ほどの試し刺しは、あくまでも簡易的なもの。イライアスに贈るのであれば、一針一針丁寧に刺していきたい。
この短期間でどこまでできるかわからないけれど、私史上最高の出来で渡すつもりだ。美しい見栄えにならなければ、何度でもやり直す。
「ああ、だめだわ。うまくいかない……。数針分糸を解きましょう……」
私の刺繍の腕は人並みだ。一度で成功するわけがない。数針分糸を解いて、再び優しく針を刺していく。
難しいステッチも取り入れているので、その分時間がかかる。それを考慮して、期日までは極力用事を入れないようにした。
時間が許す限り針を刺し続ける。イライアスが出立する日に間に合うように、けれど急いで失敗をしないように丁寧に。
根を詰めすぎれば効率が悪くなるので、ヘラに声をかけてもらい休憩をとる。
「姫様、そろそろ休憩なさってはいかがですか?」
「あら、もうそんなに時間が経っていたのね。たったこれしか進んでいないのに……」
刺繍道具を脇に置き、ヘラが用意してくれたお茶を飲む。気分転換にはうってつけのお茶らしく、おかげで頭もすっきりだ。
「ふぅ。あと少しでイライアスが行ってしまうのね……。会えなくなるのはつらいわ」
「姫様……」
「でも、もう泣かないわ。女の涙は安くないの。すぐに泣くのは愚かなこと。ここぞという時に、“弱い自分を見せてもいい”と思えるたった一人の前でだけ、泣くものよ」
「……姫様? どこでそのようなことを覚えられたのですか?」
両端が下がっていたヘラの眉が一変し、眉間に皺が寄った状態になった。心なしか、目が据わっているような気がする。
いったいどうしたのだろう。首を傾げつつ彼女の問いに答える。
「今日、朝食の時に、辺境に行く兵士の話になってね。『家族や恋人はつらいわね。きっと今頃泣いているわ』という話になったの。その流れでエッタ姉様が、今の言葉を言ったのよ。なるほど、と思ったわ。さすがエッタ姉様よね!」
「ああ……第一王女殿下が姫様にとんでもないことを……!」
ヘラが両手で自身の頭を押さえ、うなり声を上げる。
そんなヘラを見ていたら、エッタ姉様のもう一つの言葉を思い出した。ついでだからとヘラに聞いてもらう。
「ああ、そうそう。エッタ姉様がね、『いい女の条件はね、泣き言を言わずに愛する人を笑顔で送り出すことよ。心配だからとついていったら、殿方のプライドを傷つけてしまうわ』とも言っていたわ」
「そのようなことも!? い、今すぐお忘れください!」
「ええ? 無理よ。いい言葉だと思ったもの。本当は私も一緒に行きたいけれど、自分が行っても戦力外ですものね。ためになったわ」
エッタ姉様の言葉で、うじうじするのはやめた。私はここで黙ってイライアスの帰りを待つつもりだ。
「姫様は、戦力外どころか、即戦力となります! そこのところをお間違えなきよう」
私の言葉に思うところがあったのか。ヘラがカッと目を見開き、ものすごい勢いで主張してきた。
珍しいヘラの態度に目を瞬かせる。
「あら、そう? そう言ってくれるのは嬉しいけれど、やっぱりここでおとなしくするわ」
イライアスの手助けをしたいとは思う。
だが、それを知った時のイライアスの気持ちを考えると、実行すべきではない。
それに今は、考えるよりも手を動かす方が先だ。
側に置いていた刺繍道具を手に取り、再び作業に戻る。
何度も糸を解きながらゆっくり丁寧に進めていった刺繍は、イライアスが出立する前夜、ようやく納得のいく出来栄えになったのだった。




