見劣り姫は保管庫で騎士に遭遇する2
いなくなったと思ったイライアスが、建物の影から姿を現した。
彼は私の方を向くと、ものすごい速さで走ってくる。
これは非常によろしくない。すぐさま向きを変えて、脱兎の如く逃げだした。
どこかの国に『三十六計逃げるに如かず』なんて言葉があったが、まさにそれだ。戦略的撤退だと自分に言い聞かせて、捕まらないように懸命に走る。
ちらっと後ろを見れば、イライアスとの距離が縮まっていた。
……うそ!? 縮まっているわ! もっと速く!!
さらに速度を上げる。もはや死に物狂いの逃走だ。イライアスの表情も鬼……ものすごく怖いから、よけいに必死になる。
よく物語に『ほほほ、捕まえてごらんなさい』なんて場面があるけれど、そんな可愛いらしいものではなかった。捕まったら『死』だ。人生はもちろん、社会的に終わってしまう。あと、イライアスに嫌われたくない!
……ああ、もう、好きだけれど今は来ないでーー!!
頭の中がぐちゃぐちゃになりながら、イライアスの追跡を振りきろうとひた走る。
途中、『気配隠し』の存在を思い出し、角を曲がったのを機に使用した。今のイライアスに通用するかわからないけれど、ないよりはましだ。
だが、だめで元々だと使用した『気配隠し』は、意外にも効果があった。
角を曲がってきたイライアスが、はっとした表情であちこち見回している。
その姿に、『焦る姿もまたかっこいいわね。眼福だわ』と、崇めながらも、急いで王女宮に戻った。
王女宮には私の部屋があり、南の区画に位置している。
自室に戻るには正門を通るのが一番だが、今の私は暗部の姿で、普通に入るのは難しい。
正門には見張りがいて、扉は閉ざされているため、塀を越えて庭に回った。
二階にある自室の窓の下に行き、窓が割れないくらいの小さな石を拾って投げる。
少しして窓が開いたので、すぐさま錘つきのロープを部屋の中に投げ入れた。
そのまま待つこと数十秒、ロープがくいくいと誰かに引っ張られた。向こうの準備が整ったらしい。
極力人に見つからないように、『気配隠し』を使用したままロープを伝って壁を登る。これもちゃんと訓練していたから、あっさりと登れた。
「ふぅ。ただいま、みんな。異常はなかった?」
部屋の中に入り、仮面を外して側のヘラに尋ねる。ヘラは、私の差し出した仮面を受け取りながら答えた。
「おかえりなさいませ、エーレ様。今のところ何も異常はございません」
「そう。よかった。レミは戻ってきている?」
「……いえ。一緒ではなかったのですか?」
ヘラが目を細め、私を探るように見てくる。なかなかに鋭い。
「ええ。ちょっといろいろあって……」
「ただいま戻りました! いやあ、焦りました。エーレってば意外な行動に出るんですから。心臓がいくつあっても足りませんよ」
会話の途中でレミが戻ってきた。レミは部屋に入るなり、あっけらかんと言い放つ。
あっ! と思ってヘラを見た時には、すでに彼女の目がつり上がっていた。
「……どういうことか、お聞かせ願えますか?」
「ああああ、レミ、おかえりなさい! 大丈夫だった?」
ヘラが言い終えるよりも早く、レミに話しかける。このあとお父様か誰かの説教があるはずだから、ほかの人からはご遠慮願いたい。
レミは、私の問いかけに何の疑いもせずにうなずいた。
「はい。エーレが飛び出したのを見届けてから、『気配隠し』で普通に出てきました。それより、例の騎士様に会えてよかったですね」
「! そう! そうなの! 本当に素敵! かっこいいわ。いつまでも見ていたいくらい……」
叱られかけたことなど忘れそうな勢いで、レミの話に食いつく。
心なし声が大きくなるのも仕方がない。だって久しぶりに会えたイライアスは、本当にかっこよかった。普段はお目にかかれない表情が刺激的で……。今思い出してもどきどきしてしまう。
「そういえば、レミからもらった飴をあげてしまったわ。ごめんなさいね。彼は受け取ってくれたかしら?」
「あのあとちゃんと拾っていましたよ」
「本当!? なら嬉しい!!」
今の気持ちを全身で表現したいくらいだけれど、ヘラに怒られそうだからやめておく。代わりに頬に両手を添えて、この嬉しさを噛みしめる。
そんな中、部屋の扉がノックされた。とたんに夢から覚めて、ぴしっと背筋を正す。
直後、ヘラが扉を開けて、メイナードが廊下から顔を出した。
「姫様。お待ちかねの時間です。王太子殿下がこちらにいらっしゃいました」
「よ、よりにもよってウィル兄様……」
娘に甘いお父様ならそこまでひどい説教にならずに済んだと思う。けれど、優しくも厳しいウィル兄様は違う。叱る時はしっかりと叱ってくる。詰んだわ。
「わわ、私はいないと言ってくれるっ!? もしくは着替え中だからと……」
「残念ながら無理です。すでにそこにいらっしゃいますから。骨は拾いますね」
「では、私は仕事に戻りまーす!」
レミが笑顔で部屋を出ていく。う、裏切り者!!
すぐにレミを止めようとして、それより早く別の人物が姿を現した。
「やあ、リア、お帰り。ずいぶんとお転婆なことをしていたんだね」
声を聞いた瞬間、先ほどとは別の意味でドキッとした。寿命が縮まるとか、死刑宣告を受けたとか、そんな意味合いだ。
思わず体が縮こまりそうになる。けれどなんとか耐え、恐ろしく緩慢な動きで長兄に顔を向ける。
ウィル兄様はにこやかな笑顔で、けれどみじんも笑っていなかった。……泣きそう。
「ウィ、ウィル兄様。朝ぶりですわね。今は執務中だと思ったのですが、ご休憩ですか?」
「そうだね。どこかの誰かさんがよけいな手間をかけてくれたから、強引に休憩をもぎとってきたかな」
ひいっ! 仕事の邪魔をされて最高に怒っている!
「あ、あの、兄様! これにはいろいろと事情があって……」
「じゃあ、その事情を聴かせてもらおうかな。立ち話もなんだし、そこのソファーに座ろうか」
ウィル兄様が部屋のソファーを手で指し示す。まるで最初から自分の部屋だったと思うくらい堂々とした態度だ。
立場の弱い私には異論など認められていない。それはもう、売られていく子豚よろしくソファーに座った。
ローテーブルを挟んだ向かいには、ウィル兄様がいる。
「さて、リアはいったい何を企んでいるのかな? 洗いざらい話してもらうよ」
ウィル兄様は深々と腰を下ろし、じっくり聴く体勢だ。
これはごまかしきれない。元から覚悟していたが、その段階を引き上げた。諦めたとも言う。
一度ゆっくり深呼吸をすると、ウィル兄様の顔をまっすぐ見る。そして、私の立てた計画をすべて打ち明けた。
逃〇中……。




