朝議の場
翌日、夜が明けきらぬ前から皇帝に朝議の間へ召集された官僚たち。
翔貴は、玉座の間近に立ち、騒めく彼らを見詰めていた。
「昨夜、後宮で大規模な取り調べがあったとか?」
「なんでも、柴貴妃様がやらかしたらしい……」
「……しっ。憶測で物を言うな」
副宰相の隣に立っている飛栄の祖父、柴貴妃の父親、副宰相補佐の目が鋭く尖ったのが見えた。
柴一族の当主、副宰相、柴毅征は、老体であるにも関わらず、その姿勢は衰えを感じさせない。
その表情も普段の柔和な雰囲気と変わらず、周囲の雑音を聞き流しているようだった。
少しでも動揺を見せるなら、まだ可愛げがあっただろうに。
翔貴は、柴一族から視線を逸らし、官僚を見渡した。
「宰相閣下! 清燐殿の越権行為であろうっ。緑家の内部に問題でもあるのではないか!?」
「……今の問いが越権行為だと思わないのか?」
柴貴妃の父親が、苛立ちの滲む声で、対面に立っている緑玄照へと切り出し、ばっさりと切り捨てられた。
場が水を打ったように静まり返った。
翔貴を含めて全ての者の視線が宰相へと向けられた。
普段は何を言われても当たり障りのない返ししかしない宰相が、明確な意志を持った言葉を返したのだ。
柴毅征でさえ、柔和な目元をピクリと動かしたのが、翔貴には見えた。
毅征の隣で柴貴妃の父親が、玄照を指差し口を開閉させた時、皇帝が朝議の場に姿を現した。
翔貴は流れるような動きで跪拝した。
背後にいる官僚たちも一斉に姿勢を正したのが気配で分かる。
「面を上げよ」
声を張り上げている訳では無いのに、広間全体に皇帝の声は響き渡った。
顔を上げると、玉座に座った父と視線が交差した。
皇帝の無機質な目に、無意識に喉が鳴った。
「朝廷は機能しているというのに、それを壊そうとする者が居た。実に恐ろしい事だと思わないだろうか」
翔貴が官僚の方へと体ごと視線を巡らせると、彼らは一様に顔を見合せ、誰が口火を切るのか探り合っているようだった。
「それは、昨夜の出来事と関係があることなのですかな?」
毅征が柔和な表情を崩さず、皇帝へと確認する。
白々しいことだと、翔貴は副宰相を睨みそうになるのを堪えた。
「もちろんだ。皇太子が事を明らかにしてくれた訳だが、そうでなければこの国の秩序は崩壊していただろう」
皇帝が翔貴へと視線を向けたことで、官僚たちの視線も一身に降り注いできた。
その圧で、薄らと首筋に汗が浮く。
けれど翔貴は拳を握り、固く閉じていた口を開いた。
「柴貴妃が皇后陛下に薬湯と称して毒を盛っていた証拠が出たのです。これは明らかな国家反逆罪だと言わざるを得ません」
視線の圧を受け止めるように背筋を伸ばし、柴貴妃の父親を見据えた。
毅征とは対象的に緩んだ体の男は、視線を泳がせ、体をぶるぶると震わせ出す。
「証拠とは何だっ。証人を出せ! 皇太子ともあろうお方が、国家反逆罪などと言う、恐ろしい言葉を平然と……っ。よくも、我が娘を……貶めて!」
周りの官僚たちが、男の翔貴に対する態度に騒めくと、毅征が扇子を男の口許に突き付け、言葉を封じた。
「我が一族の者が、皇太子殿下にご無礼を。しかし殿下。この老骨も、確固たる証拠が知りたいですな。お教え頂けましょうかの」
毅征が扇子をゆっくりと懐に片付け、翔貴の顔を見詰めて目を細めてくる。
広間の明かりが反射しているのか、その目が鋭く光ったように見えた。
翔貴が答えようとした時、広間の扉が開き、待ち人が姿を現し、凛然とした足取りで皇帝の前まで歩き跪く。
「宰相府所属、宰相補佐、緑清燐。皇帝陛下へ拝謁致します」
清涼な声で紡がれた言葉。一縷の緊張も感じさせない声音に、翔貴は知らず握り締めていた拳を解いた。
皇帝が身振りで清燐の面を上げさせる。
彼は顔を上げると、周りには分からないほど微かに、翔貴へと目配せをしてきた。
「皇太子殿下の命を受け、この事件を調査させて頂きました。その結果、柴貴妃に命令されて犯行に及んだ者たちから、証言を得ることができました。調書をここに提示させて頂きます」
清燐が恭しく、筒状に丸められた書簡を皇帝へと、捧げ渡す。
「皇帝陛下、お待ち頂けますかの。証言が証拠、まあ、それはいいと致します。ですが、次期宰相殿に尋問されたのなら、弱者は嘘でも証言する他ないでしょうな。さて、本当にその証言は信用できるものなのか、この老骨では些か、理解に苦しみますなぁ」
毅征の言葉は、その場から動いていないのに、広間にずっしりと広がる重さがあった。
翔貴に直接向けられた言葉ではないが、間接的に否定され内心舌打ちする。
だが、夜通し対策に奔走した甲斐があった。
翔貴は挑むように毅征を見つめた。
「副宰相。証人の証言を聞いたのは私だ。それでも、まだ足りないと?」
「皇太子殿下は、清燐殿よりも強者でございましょう?」
清燐が皇帝に頭を垂れた後、余裕のある動作で姿勢を戻し、毅征へと体の向きを変えた。
「証拠はございますが、流石の私も、痛めつけられた宮女の体を、この場で晒すのは鬼畜の所業と愚考致しますので。代わりに、柴貴妃本人の自白などは……如何でございましょう」
彼の口から玲瓏と響く声は、毅征の圧を押し流し、広間に新鮮な空気を届けてくれるようだった。
「なっ……!?」
柴貴妃の父親が、叫び声を発する体勢になるが、毅征の眼光に封じられたのか口を閉ざす。
「……清燐殿の手腕。誠にお見事でございますな。貴妃自らの供述であれば、もう言うことはございますまい。あとは、皇帝陛下のご判断に委ねることと致しましょうぞ」
毅征は不気味なほど静かに引き下がった。
その表情には焦りの気配も感じられない。
長いこと宮廷の中枢に居座っている目前の老人の考えが読めず、翔貴の背筋は粟立つ。
この短い応答の中で、彼はどこまで切り捨てる判断をしたのだろうか。
飛栄まで見捨てたとは考えづらいが、もしそうであれば逆に好都合かもしれない。
飛栄を彼らの手から自由にすることができる。
皇帝が、書簡を開き読み進め、また元に戻して目を閉じた。
「龍の背で、梅の枝は伸びすぎた。毒の枝は、冷たい宮へ。異論はないな?」
皇帝が目を開けて、官僚たちへ確認の言葉を発するが、その実、視線は毅征だけに向けられているようだった。
「毒は絶たねばなりますまい。その枝が一本だけであれば、この老骨も安心でございますが、如何かの?」
「怪しい枝は数多あれど、この毒とは関係あるまい」
「陛下のお言葉、心に刻んでおきましょうぞ」
皇帝に恭しく頭を垂れる毅征の隣で、柴貴妃の父親ががくりと体勢を崩す。
「我が娘が……冷宮送り……」
ぼそりと呟かれた言葉は、鎮まり返った広間によく響いた。
そんな副宰相補佐の姿を隠すように毅征が体を移動させる。
「一時休廷とする。下がるといい」
皇帝が淡々と腕を振った。
張り詰めていた空気が弛緩する。
皇帝が立ち上がり広間から去ると、途端に周囲がひそひそとさざめき始めた。
翔貴は、皇帝の姿が見えなくなっても、しばらく後ろ姿を追う目線を逸らさず、立ち尽くしていた。
昨夜の様子で皇帝は、もっと切り込んだ処罰をするものだと思っていた。
飛栄が切り捨てられなかった安堵と同時に、父への疑念が一瞬頭をもたげかけた。
配慮か、弱さか……それとも、自身がまだ完全には父の信頼を得られていないのか。
勝ったはずなのに、柴一族の影が大きくて、翔貴は歯噛みした。




