第406話 誰かの幸せは誰かの不幸せ
よく、戦いに『~だったら』、『~していれば』なんてものは存在しないと言われる。
それは所謂たらればというやつで、口にしようものなら言い訳なんて必要ないと返されること請け合いだ。
だが、人間だれしも起こらなかったもう1つの未来というものを考えることがある。
こんな男がいた。
男は刀を手に取り、毎日のように命懸けの戦いに明け暮れた。
始めは良かった、上級冒険者で貴族の子女2名にキャリーされての冒険だったから。
次は酷かった、身の丈に合わない戦いに放り込まれ、毎日のように死線を潜り抜けてきた。
それでも、その次に経験する場所よりかは大分マシだったと男は回顧する。
次は人員も予算も切り詰めて、それでいて戦いの激しさは前の職場と負けず劣らず、男は部隊の先頭に立って戦い続けた。
そして今、男は正真正銘本物の戦場に立っている。
アラタはその剣林弾雨の中を生き延びた。
苛烈で激烈で壮烈な闘いの日々を生き延びて、こうして今も戦いを続けている。
あの時ほんの少し手元が狂っていたら。
あの時仲間が1人少なかったら。
そんなたらればの中で、数少ない当たりを自分の力で手繰り寄せてここまで生き残っていた。
当人がどう考えているのかはさておき、周囲はそろそろ認めてもいいのではないだろうか。
アラタという男は本物だと。
刀を、武器を握ってからの年月は浅くとも、戦士としてこれ以上ない実力を持った凄まじい男なのだと。
アラタの刀が、森林の闇に同化する。
戦いはあっという間に終わった。
奥の手があると息巻いていたシリウスとサイロスの2人は、自爆覚悟の攻撃もしっかりアラタに抑え込まれてコテンパンに叩きのめされた。
一息に殺さなかったのは情や趣味ではなく、情報源として聞くべきことがあるため。
アラタは自害できないように右腕を飛ばし、左腕を折り、口の中に土と布束を押し込んだ。
それらすべてを戦闘中にやってのけたというのだから、アーキムは不謹慎ながら笑うことしか出来なかったという。
人数差もあって、ハルツ殺しの少年と行動を共にしていた少年兵たちはほとんどを取り逃がしたが、アラタはその件について何も言及しなかった。
怒られなくて良かったと胸を撫でおろすエルモ。
いつもながらその様子を見ていたアーキムは、アラタに代わって彼にお説教だ。
口内に仕込んだ自決用の毒も、自決するために自らに突き立てるはずの己の刃も、完璧に封じられてしまった。
もう彼らの打てる手は何もなく、アラタたち第1192小隊の完全勝利が決定した。
「逃がすな、殺すな、自由にさせるな」
「安心してください。万全を期して万難を排していますから」
「おい、不安になってくるからやめてくれ」
自信満々過ぎて怖いカロンの宣言をすかさず止めに入ったのはアーキムだ。
アラタやキィほどではないが、カロンも少しズレたところのある青年で、こうしてツッコみ役がいないと隊が回らない。
中間管理職アーキム・ラトレイアの苦難は続きそうだ。
元来た道を引き返し、別働隊の敵を叩いていた第206中隊本隊と合流する。
彼らの他にも2個中隊が出撃しており、総勢300名の兵士によって1192小隊の戦いが守られていたことになる。
一体どれだけの成果を得ることが出来たのか、隊を率いるルークたちの興味はそこに尽きている。
「捕虜は?」
「うちの隊から裏切り者が2名。サイロスとシリウス、一番砦に連行します」
「……そうか、分かった。苦労を掛けてすまねえ」
「いえ、自分の部下が本当にすいませんでした」
そう深々と頭を下げるアラタを見て、リャンやアーキムら1192小隊の隊員が頭を下げる。
「やめろよ。やめてくれよ。そういうのはあんましするもんじゃねえぜ」
「はぁ」
「とにかく、結果が出たらまた教えてくれよアラタ!」
「分かりました」
隊の規模の違いから帰り道が違う両隊は、再び分裂して一番砦を目指す。
そんな中、中隊長アラタに代わって臨時で206中隊を率いるルークは寒さに震えていた。
物理的にも少し肌寒くなってきた季節だが、そうではない。
「なんつー冷たい眼を……戦争怖すぎだろ」
アラタやその部下の眼を至近距離で見てしまったルークは、ヘドロで出来た氷のような、そんな薄暗い冷たさを彼らから感じずにはいられない。
こうして裏切り者は捕縛、膿を出し切ったことにより、一連の戦闘に終止符が打たれた。
アラタはまたも、生き残ることになった。
※※※※※※※※※※※※※※※
「誰の指示で行動した」
黙秘。
「帝国軍の連絡窓口はどこにある」
黙秘。
「いつから帝国についていた」
これも黙秘。
裏切り者の2人は、捕まって尚一貫して敵対姿勢を崩さずにいた。
アラタは別に、日本国内のように被疑者の権利を尊重して黙秘を認めているわけではない。
いちいち痛めつけていては手間がかかるので、まとめてチャンスをくれてやり、その手を払いのけるようなら後でしっかり尋問、拷問させてもらう。
アラタが行っているのは拷問開始までのカウントダウンとも言える。
そのことを十二分に理解した上で、サイロスとシリウスは黙秘を貫いた。
第1師団に自白系のスキルホルダーがいなかったというのが痛恨事だったが、無いものは無い、在るものの中でやりくりしていくしかない。
「サイロス、シリウスはさっき口を割ったぞ」
アラタが嘘をつく。
「騙されるわけが無いだろう。見え見えの嘘をつくのはやめた方が良い」
すぐにばれた。
それだけ2人の結束と信頼感は強いという事だ。
アラタは確かめるように、最後のチャンスを与えるように、静かに語り掛けた。
「お前らを唆した黒幕は誰だ」
またしても答えない。
アラタは口の端で、ほんの少しだけ残念そうな顔をすると、扉の方に歩きながらこう言った。
「じゃあな、元戦友」
こうして、人権という概念の無い世界での拷問が開始された。
【痛覚軽減】のスキルを易々と貫通してくるような激痛の数々。
人間の尊厳を破壊し、精神を攻撃し、肉体的に追い詰めるそれは、たとえ裏切り者に対する処罰や情報収集目的の戦闘行為だとしても、2人に課せられた拷問の数々は常軌を逸していた。
アラタはそれを、扉の外側からだがずっと聞いていた。
人間が狂う様を、時間経過で傾聴していた。
布をかぶせられ、その上から水をありったけ掛けられて溺死体験する様子も。
隊長を失った206の兵士のサンドバックになるところも。
失った右腕を目の前で切り刻まれて燃やされる様子も。
傷口に香辛料を塗り込まれる様も。
最後は人間だったとは思えないほどボロボロになり、所々に毛の生えた肉塊になってしまった2人の死体を確認したところで、アラタの仕事は終了した。
この世にあらん限りの苦痛を与え、背後にいる帝国の意図を看破する。
その目的はついぞ達成されることは無かった。
あれだけの施術を受けて、シリウスとサイロスの2人は頑として口を割らなかったのだ。
流石のアラタでも、あれほどのリンチを受けて何も話さない自信はない。
口から出てくる単語が嘘か本当かはそこまで重要ではなく、拷問する側の人間が納得しそうな情報を漏らしてしまうという確信が彼の中にはあった。
だって痛いから。
苦しいから。
つらいから。
悲しいから。
情報を話している間だけは痛めつけられないと分かっているから。
そういう点では、公国の敵である2人は厄介だった。
やれイデオロギーだ正義だ悪だ、口が付いている限り糞にも劣る言葉を並べてまくしたてる。
情報漏洩目的で拷問している側面の強い今回のやり取りの中で、口は一番最後に手を付けるべき場所だっただけに中々うるさかった。
最終的に歯を折り、抜き、釘を口に含ませて思い切り殴ったが、それでも口を割ることは無かった。
それどころか頬から錆びた釘が飛び出た状態で、サイロスはこう言うのだ。
『公国人に、そこまでして救う価値はない』
彼が過去に何に絶望したのか、アラタはそれすら分からなかった。
裏切りがいつから始まったものだったのか、どのように2人は裏切りの道を歩んだのか、他にも裏切り者はいるのか、アラタたちが喉から出が出るほど欲しかった情報は、ついぞ一欠片も彼らの懐に入ることは無かった。
アラタは拷問部屋を後にして、司令部に報告を行った。
裏切りのメカニズムは不明のまま、有益な情報を得ることが出来ぬまま捕虜を殺してしまったと。
「……そうか。ご苦労だった」
アダム・クラーク中将はそれだけ言うと、司令部の奥にある自分の部屋へと引っ込んでしまった。
アラタは司令部付きの人間たちと少し情報交換をした後、自分たち第206中隊の持ち場へ戻ろうと建物から出てきた。
そこで彼を待っていたのは、ハルツのパーティーメンバーのタリアだった。
「お疲れ様です」
「お疲れ。どうだった?」
茶髪の治癒魔術師は、事の顛末を知りたがる。
特に隠すような相手でもないので、アラタは司令部に報告したままの内容をタリアにも伝えた。
捕虜は死亡し、有益な情報も得られなかったと。
「……そう。分かった」
タリアの表情から、明らかに落胆した様子がうかがえる。
アラタは少し間をおいて、話題を変えようとした。
「あの、この前——」
戦場には不似合いな甘い匂いが、ふわりとアラタの鼻に届いた。
女性のつける香水特有の、人によっては少しくどさを覚えてしまうあれだ。
「タリアさん、公衆の面前なのですが」
同じ兵士とは言え、女性から抱き着かれている様子は司令部近辺の視線を一箇所に集めてしまう。
しかも女性の方が泣いているとあればなおさらだ。
アラタ中隊長が女を泣かしたと、そんな噂が流れることは決定だ。
「ありがと…………仇を討ってくれて、ぐすっ、ありがとう」
「……どういたしまして?」
疑問形で返しながら、アラタは手を回すか逡巡する。
どうにも手放しで喜んでいいケースなのか、判断に迷ったから。
「タリアさん」
「……遅い」
「え?」
「スンッ、ぐすっ、こういう時は、そっと抱き締めるものなの」
「勉強になります」
「実践しなさいよ」
「……はい」
こうすることで少しでもタリアの気が紛れるならと、アラタは彼女の頭を背中を抱き寄せた。
その腕の中ですすり泣く彼女は、もう色々と限界だったのだろう。
同性が少なく、極限の緊張感の中で戦い、傷だらけになった仲間を癒す。
それがどれだけの重労働で、精神をすり減らす事か。
そんなタリアは、少なくとも今だけは幸せそうな顔をしていた。
——誰かの幸せは誰かの不幸せ。
タリアはハルツ殺害の下手人が死に、それを手引きしたと思われる裏切り者が処分されたことで多少気が晴れたらしい。
しかしアラタは真逆である。
自らの部下の管理不行き届きで世話になった上司を失い、部下がただならぬ思想を抱え込んでいたことに気付かなかった。
そして彼らが死ぬその時まで、彼らのことをまるで理解することが出来なかった。
シリウス、サイロスの死は、タリアにとっては歓迎すべきことなのだろう。
しかしアラタにとっては、自分の無能さを示す事象が確定してしまった忌まわしき事件そのものなのだ。
仲間内ですらこんな様子で分かり合えないのだから、敵同士が相互理解を深め休戦、停戦することなんて夢のまた夢だと、アラタは溜息をついた。




