第八章 交錯する願いと波乱
瑞樹はPCのモニターをじっと見つめていた。
「え……?
この犬なの……?」
モニターの中の、
かわいらしい二頭身キャラクターを指さす。
「──誰が犬じゃ」
即答だった。
「だって、どこから見ても犬ですが」
「どこ?…どこ……どこから来たの!」
瑞樹は自分の声が震えているのに気づいた。
──でも、言わずにいられなかった。
恐れ知らずに瑞樹は反射的に反論した。
「わしは“黄金色の骸”でもないぞ。
ましてや犬など論外である」
「……黄金色の骸?
なにその昭和特撮みたいな……」
瑞樹は震えながらもツッコミだけは忘れない。
『あれこれどこかで…』 微かな既視感を覚えていた
「これって…バグ? かな?それともスパム?」
マウスを操作しながら呟き始めた。
「…誰が獏じゃ」
「バクなんて言ってない バグっていったのよ」
「なんだ…それは食せるものなのか?」
「いいから黙って…て」
瑞樹はマウスを操作しながら
ウイルスアプリを起動してファイルチェックを行った。
「これで不要なファイルは削除したけど…」
バグでもウイルスでもない」
なんなのあなたは」
「我か 我は阿摩那なり」
「そういう名前のキャラなのね」
「で・・・どこから侵入したのよ」
言わないとDeleteするわよ」
阿摩那は、
まるで堰を切ったように語り始めた。
声は落ち着いているのに、
内容だけは果てしなく長い。
時代も場所も、常識も因果も、
すべてが瑞樹の理解を軽々と飛び越えていく。
瑞樹は途中で何度も
「ちょっと待って」「それ何の話?」
と口を挟もうとしたが、
阿摩那の語りは止まらなかった。
やがて──
ようやく一息ついた阿摩那を前に、
瑞樹は深く息を吐いた。
その一言一句を、
瑞樹は確かに受け止めた。
だが理解できたかどうかは別問題だった。
「……つまり、あなたは阿摩那で、
なんか色々あって、
ここにいる……ってことでいいのね?」
阿摩那は誇らしげにうなずいた。
「うむ。
そなた、飲み込みが早いの」
「いや全然よ。
九割わからなかったわよ」
瑞樹は額を押さえた。
「で……なんで…
先輩のPCに居るのよ」
阿摩那は視線をそらし、
どこか言いにくそうに呟いた。
「我にもわからぬ……
ただ、あの事故が全ての始まりと思う」
その声音には、
感慨と、どうしようもない口惜しさが滲んでいた。
瑞樹は短く息を吸い、
静かに言った。
「それ以上は聴かないことにするわ」
深入りすれば、
自分の“日常”が戻れなくなる気がした。
「……いろいろあったわけね」
それだけ告げて、
瑞樹はモニターの中の阿摩那を見据える。
「だけど、一つだけ約束してちょうだい」
阿摩那は姿勢を正す。
「……なんじゃ」
「先輩の前では、
くれぐれも悟られないように。わかった?」
阿摩那は胸を張り、妙に気取った声で言う。
「アイ……申し候」
瑞樹は思わず眉をひそめた。
「何それ? 歌舞伎じゃあるまいし」
阿摩那は肩を落とし、
どこかしょんぼりした声でつぶやく。
「……何とも逆らえぬ」
「本当に大丈夫?」
「心得た……おそらく」
「おそらく…って何よ……
わかったわ、『けどばれそう』。仕方ないか」
──その瞬間。
ピンポーン♪
玄関のチャイムが鳴った。
◆予期せぬ訪問者
ピンポーン♪
「あらやだ…もう先輩が帰ってきたかも」
瑞樹は阿摩那を睨みつけた。
「ほら、阿摩那。早く隠れて!」
阿摩那の思念が瑞樹の脳裏に響く。
『用心せよ瑞樹殿。ただならぬ気配がする』
「わかっているわよ……!」
反射的に返してしまい、
瑞樹は慌てて口を手で塞いだ。
(言っちゃった……!)
(先輩ならチャイム鳴らさず入って来る…
はすよね)
息を潜めて玄関へ近づいた
扉の小窓から外を覗く。
目を凝らしても人影がなかった。
再びチャイムが鳴った。
「……誰?」
瑞樹は意を決し、
ノブに手をかけそっと扉を開けた。
視界には人影がなく
視線の下から声がした。
「こんにちは。お隣の小池と申します」
小柄な女性が丁寧お辞儀をした。
「京一さんはおいでですか?」
「お、おりますが……」
「先週、お泊まりさせていただいたお礼に伺いました」
瑞樹の前に菓子折りを差し出してきた。
「お、お泊まり……?」
「はい。二週間ほど」
「に、二週間……!」
菓子折りを手にしたまま固まった。
「ええ。 とても優しくしていただいて……つい」
瑞樹の脳が真っ白になる。
(先輩……何やって…るんですか……)
阿摩那の思念が刺さる。
『だから言ったであろう。怪しいと』
阿摩那は得意げに念を送った
「妹さんでいらっしゃいますよね?」
「え?…いえ…その はあ〜」
「また何かの折には、
お泊まり願いにまいりますね」
「ま、また来る……?」
瑞樹の胸に、
言葉にならない嫉妬がじわりと広がった。
「二週間……あなたが……?」
小池は首を傾げた。
「わたくし? あらいやだ。
うちのカンナ──文鳥のお泊まりです」
「……文鳥」
「はい!」
瑞樹はその場で崩れ落ちそうになった。
会話を遮るように、
廊下の向こうから京一の姿が見えた。
「あ、 おはようございます」
京一は玄関に立つ女性へ軽く会釈した。
「おはようございます」
小池も声のする方へ向き直り、丁寧に会釈を返す。
「お出かけしていらっしゃったのですね」
「ええ、ちょっと」
京一は無意識に首の後ろを摩った。
「今ちょうど、妹さんとお話を……」
「妹?」
京一は怪訝そうに眉を寄せ、
女性の後ろにいる瑞樹へ視線を送った。
瑞樹は左右に手を振り、
何度も手を合わせて必死に場を繕った。
「そう、先日のお礼に来られたの……」
瑞樹は受け取った菓子折りを京一に見せた。
「それはどうもご丁寧に。
気を遣わせてすみません」
京一は軽く頭を下げた。
「立ち話もなんですから、どうぞ上がってください」
「いえ、今日はお礼に伺っただけですので。
お気持ちだけいただきます」
「そうですか……」
「では、失礼いたします」
小池は二人に丁寧に会釈し、
ゆっくりと自室へ戻っていった。
京一は女性を見送った後、
後ろ手に隠した小型のケージを、
瑞樹に前に差し出した。
「引き取ってきたよ」
「思ったほど手間取らなかった」
「そう!よかったじゃないですか」
瑞樹に促され、
京一はケージを持ったまま土間に上がった。
「で・・・なんで俺の妹…になった?」
「あ!・・・それね」
瑞樹は視線をそらし、
頬をかきながら言葉を探した。
「その何というか……成り行きで
いそびれたのよ…別にいいじゃない」
照れ隠しのように言いながら、
瑞樹は扉を閉めた。
「それとも何ですか?先輩!
恋人の方がよかったのかしら?」
「ん・なんで?」
(朴念仁!)
阿摩那の思念が瑞樹に飛び込んできた
(これは面白い! 興味が湧いてきた)
「余計なお世話よ」
心話に反応し、
またもや口走ってしまっていた。
「余計な…なんだって?」
「な・ん・でも・ない!」
(先輩のバカ)
二人は廊下をお歩きながら
痴話喧嘩とも取れない会話を交わし、
リビングの扉を開けた。
扉を前にして、
瑞樹はリビングに入るのを一瞬ためらった。
(阿摩那から直接、頭に響く思念って……
俗にいうテレパシーよね。
なんでこうなったのか分からないけど……
慣れないな。阿摩那より先に、
私のほうがボロを出しちゃいそう)
部屋に入るなり、
京一の視線が一点に注がれていた。
カウンターの上には、
UCC の業務用 500g モカ豆の大袋と、
コーヒーグラインダーが一台置かれていた。
「……こんなの、家にあったか?」
「買ってきたのか? 瑞樹」
遅れて瑞樹がリビングに入ってきた。
「まだ寝ぼけてますか?
先輩が買ったから、ここにある・ん・です」
「家のどこ?」
「キッチンの吊り戸棚。奥の奥です」
瑞樹は、途中だった珈琲の支度を思い出した。
「あっ……しまった。忘れてました」
「あ〜〜もう冷めちゃったかも。
温め直しますね」
(取り繕ってはいるけれど……ドキドキする。
阿摩那、出ちゃダメだからね)
(承知しておる。案ずるな、瑞樹殿)
京一は携えてきたケージを床に置いた。
「着いたぞ。出ていい」
扉を開け、犬が自分で出てくるのを待った。
犬は物おじする様子もなく周囲を見回し、
すぐに瑞樹を見つけると、まっすぐ足元へすり寄ってきた。
「ワンちゃん、ようこそ。
ミルク用意するから、おとなしくしててね」
犬は瑞樹の足元から離れ、
コトコトとリビングへ向かった。
ソファの近くに来ると、
ひょいと軽くジャンプして上がり、
匂いを確かめながら歩き回る。
落ち着く場所を決めると、そのまま伏せて寝そべった。
「気位が高そう……物怖じしない子ね」
瑞樹は手際よく、
コーヒーとミルクの支度を続けていた。
「ペットショップ、開いてなかったか?」
「ごめんなさい先輩。まだ早かったみたいで……
ペットフード、手に入らなかったの」
「仕方ない。
幸いミルクなら買い置きがあったから……
でも容器がな……」
「使ってないボウルがありましたよ。
コーヒーメーカー探したときに見つけました」
瑞樹は自慢げに、ステンレスのボウルを掲げて見せた。
「ケージは借りものだし……
いざ引き取ってみると、結構物入りだな」
「先輩、世話できるんですか?
自分のことですら面倒がってるのに」
「乗り掛かった舟だ。なんとかなるさ」
京一は安堵と落胆の入り混じった表情で、
机のほうへ向かった。
(あ……今、やばいかも)
京一は椅子に腰を下ろすと、
一度座り直し、背もたれに深く体を預けて大きくため息をついた。
「あ〜あ……ケージを返すついでに、
ペットフードやリード、
その他諸々買いに行くとするか」
「瑞樹も一緒に行くか?」
用意していた珈琲を京一に差し出した
「え……ええ、そうね。そうしようかしら」
(願わくば、それが“今”であってほしい……)
京一は背もたれに寄り掛かったまま、
頭の後ろで手を組み、宙をぼんやりと見つめていた。
「・・・・・・」
ふと体を起こし、椅子をテーブルへ引き寄せる。
徐にキーボードの Enter キーを叩いた。
所有権の認証画面が表示され、
京一はパスワードを入力して再び Enter を押す。
モニターは、
コマンド実行中の待機画面へと切り替わった。
数秒後──
認証プロトコルの完了を示す合図とともに、
“検索”の画面が表示されるはずだった。
しかし、そこに現れたのは
まったく見覚えのないものであった。
京一はそれを目で捉え、
瑞樹はコーヒーを置いた手を止めた。
「え・?」
「え・?」
二人同時奏でた見事なユニゾンが空間に響いた。
甲高い電子音が室内に響いた瞬間、
ソファで伏せていた犬の耳がピクリと動いた。
顔を起こし、あたりを見回す。
だが視線はまっすぐ──
PCモニターのほうを向いていた。
(あ……?
阿摩那様よ……情けなや)
◆空前絶後! 最狂AI登場?
京一と瑞樹はPCモニターの画面をハッと凝視した。
「………」
モニター内の阿摩那は
不意を突かれたのを繕うように、
行儀よくお座り状態で構えていた。
ご丁寧に、
額らしき部分から冷や汗まで浮かべているという、
小憎らしい演演出まで添えられていた。
(何やっているの!)
(姿を見せないで……って言ったわよね!!)
瑞樹は焦りを隠しきれないまま
阿摩那へ思念を飛ばした。
(不意を突かれてしも~たな)
阿摩那の思念は
もはや“念話”の域響いた。
(姿を現してはならぬのであるならば…
此処は潔く退散するとしよう…ぞよ)
阿摩那のキャラ体は,ヒョイとお尻を上げると、
トコトコ歩いて画面の隅に消えていった。
(あ~~~あ~~ 終わったわ)
“─全然誤魔化せてないじゃない─”
声には出なかったが、
瑞樹は愕然と肩を下ろし嘆いた。
「おい今の・・・」
「え?何のこと よく見えなかったな~~」
「モニタ-脇から見たって
よくわからないでしょ……で、何?}
「いや、犬が居たんだよ」
「犬なら、先輩が連れて帰ってきたじゃないですか」
瑞樹はわざと矛先を逸らし自身の狼狽を繕った。
「それじゃない! 此処だよ」
京一は瑞樹の方を見ながらディスプレイ画面を指さした。
「どこに? 見えないじゃないですか」
「さっきここに見えて 画面の中で歩いて…消えた」
(……お願いだから、それ以上言わないで……)
「瑞樹、ちょっといいか?
お前……ひょっとして PC 触って開いたか?」
(……あ~~藪蛇よ。私が餌食に……)
(……先輩って、こういうところ勘が鋭いよね~……)
瑞樹は一瞬だけ視線を泳がせ、
すぐに取り繕うように笑った。
「え、えぇ? 何の話ですか先輩。
私が触ったって……そんなわけ──」
京一はその言葉を遮るように、
ディスプレイを指さした。
「怒らないから、正直に言え──沙耶。」
(……マジで怒ってる。
こういう時って、名前呼び捨てなんだよね……)
(……あ~~藪蛇よ。完全に私が餌食……)
瑞樹の喉が、かすかに鳴った。
笑顔は貼り付いたままなのに、
目だけが逃げ場を探して揺れている
(……これ以上怒らせたら……)
(……もとはといえば私が原因……)
「ご、ごめんなさい。触っちゃいました。
朝のことが気になって……つい……本当にごめんなさい」
「……」
京一は腕を組んだまま、椅子の背もたれをわずかに揺らした。
視線は瑞樹を見ることなく、宙を泳いでいる。
「……隠し事あると、スカートの裾いじるだろ」
瑞樹はハッとして、裾から手を離した。
「ごめんなさい、先輩……」
だが次の瞬間、またスカートの裾をつまんでいた。
「だけど開くにしても、
管理者権限のパスワードがあっただろ」
「あ? あれ解除しちゃった……あはは」
「パスワード解いたってか……なんてやつだ」
「それがね……」
瑞樹は、パスワード解除までの経緯を
口早く、どこか得意げにまくし立てた。
「いやいや、恐れ入ったよ……」
思考を読み切られたことへの感嘆よりも、
自分の単純さに呆れ果てている京一。
「お前ごときに解除されるとは」
「失礼しちゃう。幼馴染の考えくらい……」
そう言いかけて、またスカートの裾をいじり始めた。
「幼馴染って……どれだけ離れてるんだよ!」
「12歳よ! たった一回り違うだけじゃないですか」
「……年の差は置いといて……」
京一は深く息を吐いた。
「他人の管理権限を解除するって、犯罪だよな」
「ええ、そうです」
「んで、お前の職業は?」
「巫女です」
「そもそも、神職に就く者としては?」
「申し訳ありませんでした……」
「……ん……分かればいいんだ。分かれば」
「……ふう~~」
瑞樹は湧き上がる罪悪感に押されつつも、
京一の叱責が収まったことに、ほっと胸を撫で下ろした。
その瞬間──
頭の奥に、あの声が割り込んできた。
(どうやら仲直りできたではないか)
(誰のせいよ……って)
(何気取って出てくる…のよ阿摩那!)
(ん? 何と…な? 全て露見したのではないのか)
まるで舞台のアンコールに応える役者のように、
阿摩那は堂々とディスプレイ正面に姿を現した。
お行儀よく座り、
視線は上目遣い、
鼻先をツンと上げ、
威風堂々──
“自分こそ主役”と言わんばかりだった。
(……もうやめて~~お願いだから!)
(……容易いことよ~。この際だから、何もかも
白日の下に晒せばよいではないか瑞樹殿)
(できないわよ~!
──先輩を怒らせたばかりなのに言える雰囲気じゃない──)
怒りと混乱が頂点に達したその瞬間、
瑞樹の瞳が、金色に輝いた。
(阿摩那よ、余さぬか!
この者を惑わすことは許さぬ)
(故あって、そちを庇おうておるのであろう。
察してやるがよい)
(恐れ多くも……
此処はありていにすべてを述べ伝え、
助力を請うのが賢明かと……)
(よく見よ。そなたから映る者は、
なにも聞こえぬ顔をしておる)
(心の声を聞き取れるのは、
この者しかおらぬではないか。
何か策があるのであろう。聞き分けよ)
(……承知仕りました)
阿摩那はすっと頭を垂れ、
その気配を一段、静かに落とした。
「瑞樹! この犬だよ! この犬!」
再び現れた“犬”に、
京一は背筋を震わせた。
動画のコマ割りが多いキャラのように、
阿摩那の動きは妙に滑らかで、
PC常駐キャラとしては不釣り合いすぎた。
「実は……先輩のPC触って、
管理者権限解除したときね……
私も見ちゃったのよ!」
瑞樹は、阿摩那に責任を押しつける勢いで
白々しく言い放った。
「……そんで、罰が悪くて言いそびれたと」
「だけどね、私も変だと思って……
スパムだったら怖いし……
でね、セキュリティスキャンを実行するとか、
スパム系の処理を実行てみたけれど……」
京一は深く息を吐いた。
「……このありさまか」
瑞樹は、胸の奥で小さく震えた。
(……阿摩那、お願いだから……
ここから先は絶対に余計なこと言わないで……)
阿摩那は、瑞樹の思念にだけ
静かに応えた。
「私に聞かれても……さあ……何だろうね」
瑞樹は、できるだけ自然な声を装った。
画面に現れた阿摩那は、
姿勢を崩さず、まるで肖像画のように座りポーズを決め込んでいた。
「いくらキャラが可愛くても……なあ~
気味悪いから手っ取り早く Delete したい……けど……」
「スキャンに引っかからないとなると……」
京一は思いつく限りの処理を次々と試したが、
堂々と居座る阿摩那を消し去ることはできなかった。
「PCメモリには常駐していないから、
余計に奇妙だ」
「HDD のタスクエラーもない」
「一時キャッシュも問題ない」
「何なんだよ! これ!」
“教えてくれ”と言わんばかりに、
京一は瑞樹の方へ視線を向けた。
瑞樹は小さく息を吸い、
スカートの裾をそっと握りしめた。
「……あのね、先輩」
声が震えないように、
必死に平静を装う。
「あ! どこかのサイトで見たことがある!」
「これって、キャラリナ系のアプリかも!」
「先輩! きっとそうなのよ!」
京一は眉をひそめた。
「キャラリナ……? ああいう常駐型のやつか……?」
瑞樹は勢いのまま畳みかける。
「そうそう! ほら、最近流行ってるじゃないですか。
AIキャラが画面に出てくるやつ!」
(……頼む……食いついて……!)
だが京一は腕を組み、阿摩那をじっと見つめた。
「……にしては動きが妙だよな。
キャラリナ系って、もっと“アプリっぽい”動きだろ」
瑞樹の背筋が冷たくなる。
(やば……!)
京一はさらに続けた。
「さっき言ったよな。メモリに常駐していないんだよ」
「おまけに、それらしいアプリファイルも見当たらない」
「ダウンロードの形跡もない」
「仮に消し忘れのアプリが残っていても、
Geek Uninstaller で完全削除してあるよ」
瑞樹は必死に食い下がる。
「でも先輩、ここは考えようじゃないですか?」
「メモリに常駐しない──つまりPC負担がかからない」
「そもそもファイルが存在しないなら、
プログラム領域も圧迫しませんよね?」
京一は目を細めた。
「でも分けわからん……なんだそのアプリっぽい“奴”」
(われを“奴”呼ばわりするか!)
(お黙り! 居候!)
瑞樹は心話で阿摩那を睨みつけた。
阿摩那は、しゅん……と肩を落としたように見えた。
「ほら、先輩あのキャラリナってソフトは、
キャラクターの決まった部分に、
カーソルを合わせるとセリフを返してくれますよね」
「そういえば、そうだったなあ~~」
「どこかマウスを合わせて、
試しにタップしてみればどうです?」
「得体も知れないのに気が進まないな」
「タップしたが最後
画面がフリーズして課金請求されたどうする」
「先輩! そんないやらしいサイト検索している…んですか?
やけにくわしいそうで・・・」
目を細めながら京一を冷ややかな目でにらんだ。
「べ・・別に見たわけじゃない せ、先輩がそのなんだ
いかがわしいサイトタブを追っている間に仕込まれたって」
「PCのIPアドレスが乗っ取られたって
泣きついたたことがあってだな…」
「ふ~~ん 先輩じゃなくてよかったじゃないですか」
それに懲りて自重してくださいね」
「だだから俺じゃない」
瑞樹はしてやったりと、
京一が抱いた不信感をすり替えていった。
「そんな怪しいキャラなら、
犬でない方が魅力的でしょ~~先輩」
「わかったよ」
瑞樹の甘言に誘導され、
京一はマウスを阿摩那の顔部分へ動かし──タップした。
(なんじゃ、くすぐったいの)
(何をくすぐるか、無礼者)
「ん? なんか顔をしかめてるような……
これは痛がってるのか?」
(くすぐるな!)
(阿摩那、聞こえてない)
心話、聞けるの……私だけ)
(そうなのか。あいや、やりようがないの)
(ネット……渡ったよね……チャット……ひらくのよ)
(キャット! わらは猫ではない)
(馬鹿! “お話の窓”を開くのよ!)
(奴と話すのか。お断りじゃ)
(怒るわよ)
阿摩那は、瑞樹の思念に叱られ、
しぶしぶと視線をそらした。
(瑞樹殿が言ったチャットとやらは、
モヤモヤした模様の囲みのことなのか?)
(そう、それで会話するのよ)
(先に話し……たら……ダメよ)
(解せぬ。会話なら我が先でもよかろう)
(後出しは好かぬ)
(好き嫌い……そんな……場合じゃ……ないのよ)
(しかしの~~)
(お黙り! 伏せ!)
瑞樹はとぎれとぎれながらも、
交わすたびに心話が滑らかになっていった。
その“叱責”が効いたのか──
阿摩那は京一の目の前で、
本当に伏せのポーズをとってしまった。
「な……なんだ! いきなり!」
「先輩、会話待ちの合図じゃないですか」
「どこかタップすればチャット欄が開くかも……」
京一は半信半疑でマウスを握り直し、
伏せた阿摩那の周囲をそっとカーソルでなぞった。
阿摩那は、伏せたまま小さく震えた。
(……くすぐるなと言うておろう……!)
(黙ってなさい!)
(しかしの~~瑞樹殿。
こうくすぐられては我とて叶わぬ)
(先輩に頭をタップするように言うから、
阿摩那はそれを合図にチャット欄を開くのよ)
(だったらくすぐったくないでしょ)
(しかしの~~瑞樹殿)
(四の五の…言わないの。犬でしょ)
(我は犬ではない、阿摩那じゃ)
(プライドだけは一人前? なんだから)
“──この場合、一匹前?
いや、一体前? なんか変ね──”
(先輩が頭をタップしたらチャットを開く。
先に会話させてから応える。いいわね)
(心話じゃダメか?)
(通じない相手に送ってどうするの?)
(それが瑞樹殿……姑奴、その力ありと見たぞ)
(うそ! ほんと!)
(だけど、先輩が怒ってる間は無理よ!
諦めなさい)
阿摩那は、瑞樹の“叱責”に観念したのか、
京一の前では伏せの姿勢をとったままだった。
「先輩、会話待ちの合図じゃないですか」
「どこかタップすればチャット欄が開くかも……」
京一は渋々犬キャラの頭にカーソルを置き
意を決しタップした。
──その瞬間。
伏せた犬の下にチャット欄が開いた。
「ほら!言った通り
チャット欄が開きましたよ」
「お前よくわかったな」
「だって、“会話”を連想したら、
顔・頭・口じゃないですか… 三択…勘ですよ」
「ごもっとも……どれどれ」
京一は文字入力を試みたが、
先ほどからの混乱で言葉が浮かばず、
いくつかキーを叩いて固まってしまった。
「どうしたんですか?先輩」
「いや、何から会話していいのか…」
「ごく普通に聞けばいいんじゃないですか?
なにものか? とか
どこから来たのか?…とか…」
「そうか! 【お前は何者だ】 っと」
《お前は誰だ?》
(質問を質問で返してどうするの 阿摩那!)
(瑞樹殿が会話するのだというから)
(質問で返したら会話にならないでしょ)
(ならば……どうすれば……)
(単純に名乗ればいいのよ)
(そうであった)
阿摩那は伏せた姿勢から、
突如として八双を踏み、見栄を切った。
《わらわは偉大なる者 ぞ!
その名を阿摩那と申す!》
(歌舞伎じゃない…ん…だから
いきなり顔変えて見栄切ってどうするの?)
阿摩那は誇らしげに鼻を鳴らした。
(名乗りとは、かくあるものぞ)
「……くく……っく……わはっ……はははは!」
「この犬、おもしれ~~!」
京一は腹を抱えて笑い出した。
(な・何ごとである! ん? ん?)
(瑞樹殿、どこがおかしいのであったか?)
瑞樹は必死に笑いをこらえながら、
心話で阿摩那にそっと囁いた。
(阿摩那……あなたの勝ちよ!)
阿摩那は一瞬きょとんとした後、
胸を張り、さらに鼻をツンと上げた。
(ふむ……当然のことよ。
わらわの名乗り、見事であったであろう)
瑞樹は思わず吹き出しそうになった。
(いや……見事というか……
八双踏んで見栄切る犬キャラなんて
初めて見たわよ……)
(犬ではない、阿摩那じゃ!)
(はいはい、偉大なる阿摩那様ね)
阿摩那は満足げに尻尾を一振りした。
伏せた姿勢のまま、
尻尾だけが誇らしげに揺れているのが、
余計におかしかった。
京一は涙目で笑いながら画面を指差した。
「……こいつ……ほんとに……なんなんだよ……!」
瑞樹は内心ヒヤヒヤしながらも、
表向きはにっこり微笑んだ。
「ね? 先輩。
キャラリナ系って、
こういう“クセ強い”の多いんですよ」
京一はまだ笑いながら頷いた。
「クセ強すぎだろ……!」
「まあ~~いいさ
で…【どこから来た?】っと」
《問いの意味がわからぬ》
「う~~ん じゃ【どうやって此処に入った】」
《我はここにおる》
「まいったな【居座られても困る】って…
さ~どう答える」
《我は厄介だと申すか》
【正体が見えないから怖い】
《然り、我とて厄介なら去るしかなかろう》
【去るって……どこへ?】
《そうであるな また光の綱…その流れに委ね》
【宛てなく彷徨う…のか】
《左様。 そうなるとしか言えぬ》
次の瞬間
伏せ寝を決め込んでいた VALL が
顔を上げるや否や──
京一の許へと走り寄った。
「うわっ──!どうしたいきなり」
京一の膝に飛び乗り、
前足を机に乗せた。
ディスプレイに向かって小さく吠えた。
(阿摩那様 ここにおられましたか)
(あれから光に綱に流され逆らえなかった)
(吽雲璃そなたは無事であったか 何よりだ)
(しかし なぜに犬なのか?)
(阿摩那様
それだけは触れないでくださいまし)
(あい判った それ以上は聴かぬ)
何はともあれここで出会えてうれしく思うぞ)
VALLは京一の方に向き、
前足をそろえて胸元に添え
一声、短く吠えた。
「どうした?気になるのか」
VALは小さく鼻を鳴らし、
何度も胸を叩き尻尾を振った。
「この犬の事か?」
VALLは二声吠えて京一に縋りついた。
「わかった、わかった
おとなしくろ ステイ!」
京一の毛に反応し足元で“待て”の姿勢を執った。
「先輩 VALLもなんだか知らないけど…
気に入ったみたいだし飼ってみれば?」
「飼うって言ってもな
育成ソフトさながら餌遣りしろと?」
「そうじゃないですよ、
多分アプリのようでアプリキャラでない…
つまりAI系?」
「AI ?」
「そうです AIです それも対話型の」
「でも対話型っていうのは、
会話そのものは自立型じゃないだろ」
「私も詳しくないですが、
自立思考型に重ねて自立行動型は、
まだ実用化以前の…」
「実験中のAIが光ケーブルを通じて移動した?」
「さっきの会話で“光に綱”といっていたから…
多分そうだろうな」
「それならアプリ常駐不干渉もあり得る話か…」
京一はふと陽瑠璃の事を思い出していた。
(彼女に逢えたら何かわかるかもしれない)
「先輩? 今誰かのこと思ってました?」
「いや別に…」
「ふ~ん そうですか そうですか」
瑞樹はちょっと剥れた顔つきでつぶやいた。
VALLは何事もなかったかのように
京一の足元で伏せ寝を始めていた。
「利口なのか騒がしいのかよくわからん」
「今日引き取ったばかりですよ!先輩」
「基本的なところは躾られているような」
「なんだか先が思いやられるな」
「心配いりませんよ」
「とにかく午後からペットショップに行って
必要なもの揃えに行きましょう」
私も付き添いますから……ね」
「それは助かるけど……いいのか?お前の方は」
瑞樹は少しだけ肩をすくめた。
「神職って、暇じゃないですからね。」
京一は「ああ……」と頷いた。
「許されて四〜五日程度でしょうから……
切りのいいところで、31日には帰ります」
京一は少しだけ視線をそらし、
気まずそうに言った。
「……巫女の役目も大事だぞ。
いいのか?」
瑞樹はふっと笑った。
「大丈夫ですよ。
今回は大婆様にお願いしています。
でも……長くは甘えられませんけどね」
京一は何か言いかけて、
結局言葉を飲み込んだ。
「はい。でも、
それまではちゃんとお手伝いしますから」
瑞樹はそう言って微笑んだ。
そして、31日が訪れるまでの数日間
不器用というか不精癖の出やすい京一を尻目に、
瑞樹は甲斐甲斐しくも
京一とVALLの世話を続けていた。
食器を片づけ、
VALLの水皿を替え、
散らかった書類をまとめ、
京一が「やるよ」と言う前に
すでに手が動いている。
その合間──
瑞樹は京一の目を盗みつつ、
阿摩那に心話で
“AIとしての振る舞い”を教えていた。
(いい? 阿摩那。
返答は三秒以内。
語尾は強すぎない。
あと、見栄は切らない)
(む……難儀な作法…よの……)
(AIとして振る舞いなんだから!我慢)
阿摩那は不満げに尻尾を揺らしたが、
瑞樹の言うことは素直に聞いていた。
そして──5月31日の朝
「先輩 落ち着いたらまた来ます
それまでお世話お願いしますね」
「落ち着いたらって
…簡単に足を運べない…だろう」
「わかっていますよ その時は…」
瑞樹は心から出したい言葉を飲み込んだ
「……なんでもないです」
「そうしょげるな 困ったら連絡するから」
「絶対ですよ。
この前みたいな危ないことはしない。
約束です。先輩」
「わかったよ」
「タクシー配車予約するから……」
「新神戸駅でいいか」
「ありがとうございます
では三ノ宮駅まで構いません」
「いいのか?」
「はい。
阪急で梅田まで行って
御堂筋線で難波まで……
あとは近鉄特急で伊勢までのルートです」
「そっか じゃあ待ってろ。手配するから」
「帰りのチケットは用意してますから」
「わかってるよ」
(これで一安心かな)
瑞樹は大きく息を吸った
玄関から見える青空を眺めていると、
瑞樹の意識が次第に遠ざかっていった。
瑞樹の瞳が、
金色の光を放ち始めた。
(名残惜しいが……長居はできぬな、
この者の反応も面白い)
(阿摩那そして吽雲璃──
この者を泣かさぬよう
あの者の力となるがよい)
(いや…いずれ時が来れば…息災であれ)
阿摩那と吽雲璃が同時に唱えた
(仰せのままに)
VALLは家を去る瑞樹に気が付いたのか
玄関座って尻尾を左右に振っていた。
「VAL…… またね」
瑞樹はそっと手を振り、
京一の家を後にした。
朝の光が差し込み、
瑞樹の背中を静かに照らしていた。
京一はしばらくその姿を見送っていたが、
やがて小さく息を吐いた。
部屋の中には、
VALLの小さな鼻息と、
どこか落ち着かない空気だけが残っていた。
瑞樹の残した温度が、
まだ部屋のどこかに漂っているようだった。
──その静けさの中で、
阿摩那と吽雲璃はただ黙していた。
(……瑞樹殿、息災であれ)
その心話だけが、
微かに空気を震わせた。
そして部屋は、
ゆっくりと日常の音を取り戻していった。




