第四話 文科省官僚 高橋和也
※本作はフィクションです。実在の人物・団体・法制度・省庁等とは一切関係ありません。
※作中、世界観の理不尽さやキャラクターの境遇を描写する演出として、一部セクシャルハラスメントや性的な表現(R15程度)が含まれます。苦手な方はご注意ください。
本作は全五話のオムニバス(群像劇)形式の連続小説です。
各話ごとに異なる人物の視点から、一つの歪んだ未来の姿を切り取っていきます。
最後までお付き合いいただければ幸いです。
俺は高橋和也。文科省の官僚だ。局舎内で机に向かっていると、スマホが震えた。
山本からのメールだった。
『最近、佐藤と近藤とよく飲んでるんだけど、お前もどうだ?』
思わず小さく笑った。高校時代からの旧友たちだ。懐かしい。いい奴らではある。ただ——あまり気が進まなかった。
最近、旧友たちと飲むと決まって同じ話題になるからだ。
それでも、久しぶりに顔を見たいという気持ちが勝り、俺は「行ってみるか」と返信した。
数日後、いつもの安い居酒屋で四人が揃った。
案の定、話はすぐに核心に突入した。
「女子枠がな……」
佐藤が重い口を開いた瞬間、俺は心の中で舌打ちした。
ほら来た。予想通り。
俺はいつものお役所回答を用意していた。
「あれは各大学の自主的判断によるもので、文科省が直接命令しているわけではない。……あくまで、ジェンダー平等の推進という観点から——」
そこまで言ったところで、佐藤が本気で語り始めた。
女子高生が男子生徒を性的に弄ぶ日常を、教師として毎日見ているという。耳元で囁き、太ももを触り、男子を反応させて笑う——そんな光景を。
……AVじゃねぇか!
俺は内心で叫んだ。
なんだその興奮シチュエーションは!
教壇という特等席から毎日そんなもん鑑賞できんのかよ!
次に山本が、虚ろな目で語り出した。
大学では女子学生にひっきりなしに誘われ、学務課室で腰を振っているという。性欲だけは満たされるが、心は壊れていくと。
完全にAVじゃねえか!
俺はまた心の中で突っ込んだ。
なんだその内容は。自慢か?辛そうに語ってる顔してるけど、自虐風自慢ってやつか?
そして近藤。
建設会社をやっている彼は、公共事業から締め出されそうになり、女子枠を押し付けられ、優秀な男子社員が海外に流出していると、暗い顔で話した。
まあ、それはかわいそうだな……。
これは素直に思った。
ただ、文科省の管轄外だ。建設業は厚労省や国交省の領域だ。俺に言われても困る。
四人で飲んでいるのに、俺だけがどこか浮いているような感覚だった。
内容的には約二名いまいち共感できないにせよ、旧友たちが皆本気で苦しんでいるということ、それは十分伝わった。
でも、俺は官僚だ。制度の番人として、表向きは「推進しなければならない」立場にある。
「まあ、世の中いろいろあるよな……」
俺は曖昧に笑って、ビールをあおった。
数日後。
文科省の廊下を歩いていると、会議室から漏れ聞こえる声が耳に入った。
足を止め、壁際に寄った。
「……各大学の自主的な判断により実施されている女子枠ですが……」
相変わらず面白いな。
小さく鼻で笑った。
録音でも警戒しているのだろうか?省内の会話なのにわざわざ建前をそのまま並べ立てて話す。
実際には、文科省が補助金や交付金を餌に、大学に強く「自主的判断」を促していることは、公然の事実だ。誰もが知っている。知らないふりをしているだけ。
会議室の中では、誰も彼も相変わらず本音を一切出さず、オブラートに包んで包んで、高度に相手の内心を読み合いながら仕事を進めようとする会話が続いていた。
声のトーンには一切の抑揚がなく、まるでプログラミングされたAI同士がバグを避けるために定型句を交換し合っているかのようだ。
おかしな奴らだ。
こないだの飲み会で聞いた話が、頭の中で反芻される。
山本のひっきりなしに女子大生に腰を振っているという話はまあ…どうかと思うが、大学が研究機関として完全に失墜しているという事実は、確かに深刻な問題だ。
でもな……。
下っ端の俺には、わからないことが多すぎる。
いったい誰の意向で、こんな馬鹿げた政策がここまで強引に推進されているのか。
政治家ではない。女子枠を明確に否定する政治家が大臣になった時でさえ、この流れは止まらなかった。むしろ加速した印象すらある。
官僚組織の深層、霞が関の暗黙の了解、与党内の重鎮、外部からの圧力——例えばフェミニスト団体や極左野党勢力?…それら全てかもしれない。でも濃淡はあるはずだ。何が決定打になっているのか。俺のポジションでは見えない部分が大きすぎる。
ため息を吐き、スマホを取り出した。
まあ、旧友のよしみだ。
少しだけ、調べてみるか。
山本、佐藤、近藤……
あいつらが本気で苦しんでいるのなら、せめて実態くらいは確認しておいた方がいい。
俺は会議室の前を離れ、自分のデスクへと足を向けた。
数日後、高等教育局大学入試課の近くを通りかかった。
廊下の角で足を止め、思わず息を潜めた。
会議室のドアが少し開いており、中から声が漏れ聞こえていた。
「各大学の自主的な判断により、今年もほとんどの大学で合格者の大半が女子とのことだな……これで……」
村田課長の声だった。満足げな響きが混じっている。
部下の男性職員が、すぐに返す。
「はい。あくまで各大学の自主的判断によるものではありますが……これで……」
…これで…?…これで…なんだ?
眉をひそめた瞬間、別の若い部下が慌てた様子で廊下を走ってきた。息を切らしながら会議室に滑り込む。
「村田課長! 国際評価機関から通知が来ました!我が国のジェンダー平等指数は、5ポイント上昇しています!」
一瞬の静寂の後、村田課長の声が小さく、しかしはっきり聞こえた。
「……よしっ」
俺は壁に背を預け、呆然と立ち尽くした。
何が決定打になっていたか、完全に理解できた。
なんて馬鹿馬鹿しい真相だ。
この省は、国内でどれだけの人間が苦しもうが、国際評価を絶対軸に動いている。
フェミニスト団体やマスコミ、大学内の推進派——表面的には様々な勢力が動いているように見えるが、実のところ彼らを突き動かしていた最大の要因は、国際評価機関の「ポイント」だった。
5ポイント上昇した。
5ポイント上昇したら誰が幸せになれるんだ?
そのために、佐藤が教室で毎日目を逸らし続け、山本が大学で心をすり減らし、近藤の会社が崩れた。
あまりにも、バカバカしい。
拳を強く握りしめた。
怒りより先に、虚しさと情けなさが胸を満たした。
だが、それが紛れもない事実だった。
切り替えろ。
俺はリアリストだ。
省内が国際評価機関のポイント至上主義で動いているのなら、仕方ない。
だったらそのポイントを稼ぎながらも男子たちに活路を与える施策を提案してやればいい。
俺は連日徹夜で国際評価機関のポイント算出方法を調べ上げた。か細くとも、たった一本でも道筋が見つかってくれと願いながら。だが——
それからしばらくして、国際評価機関のアナリストであるエリック・ヴァルデン氏を日本に招き、講演会が開かれた。
講演の内容は予想通りだった。
「日本の大学の女子率の高さは、実に素晴らしい成果です。しかし、経営者や上級管理職の分野では、まだまだ改善の余地があります」
エリック氏は穏やかな笑顔でそう語った。
質問の時間になり、俺はわざとバカなフリをして手を挙げた。
「でも、家庭内、子育てに関する女性の決定権は、欧米に比べて日本やアジア各国の方がはるかに強いという調査結果も出ていますよね? それもジェンダー平等の指標として考慮されないのでしょうか?」
瞬間、エリック氏の顔が真っ赤になった。
「そんな指標に意味はありません! 本質的なジェンダー平等とは、経済的・社会的地位における平等を指すのです!」
叱責するような強い口調だった。
……やっぱりな。
俺は内心で冷笑した。
こいつらは「欧米は先進的で、アジアは遅れている」という物語を、絶対に崩したくないのだ。
最初から結論が決まっていて、それに都合の良い指標だけを採用し、不都合なものは無視する。
アジアが勝るような指標は、決して使われない。
逆に欧米が優位になりそうなところに重いウェイトがかけられて換算されている。
講演が終わり、エリック氏が控室に戻るのを、俺は少し離れた位置から見ていた。
エリック氏はドアを閉めかけたところで、仲間に向かって、あの自分の両目の端を指でつり上げてみせる定番アジア人差別ポーズをし、小馬鹿にしたような薄汚い笑みを浮かべて仲間たちと小さく笑い合っていた。
心底呆れ果てた。
これが、我が省の上層部が「神のご託宣」のようにありがたがり、そのために国内の男たちをいくらでも生贄に捧げてきた国際評価機関様の、薄っぺらで醜悪なご正体だ。
もはや、他に手は無かった。
俺は文科省を辞めた。
退職から数ヶ月後、元官僚YouTuberとして活動を始めた。
最初の動画で、俺は淡々と、しかしはっきりと語った。
文科省が「国際評価」を絶対軸に政策を進めている愚かしさ。
その国際評価というものが、欧州中心の価値観で設計され、特にアジア各国が低く出るように作られている構造。
そして、切り札として、あの講演会で盗撮していた映像を公開した。
エリック氏が仲間に向かって行った、アジア人差別ポーズ。
映像は瞬く間に拡散した。
エリック氏は失脚したらしい。機関内でも問題になったと聞く。
だが、すぐに世の中全体が変わるわけではない。
世界はそんなに甘くない。
一本の動画と一人の元官僚が、何かを劇的に変えることなどあり得ない。
それでも――
俺はスーツのネクタイを少し緩め、カメラのレンズを、その向こうにいるであろう何万人もの虐げられた男たちをまっすぐに見据えた。そして、最後に静かに言った。
「どうか、いつか……いつか、この声が積み重なって、この国が正常な方向に戻るための、わずかな礎になってくれればと願う」
画面を切った後、俺は深く息を吐いた。
佐藤、山本、近藤。
あいつらもこの動画は見てくれるだろうか。
火は、小さく、しかし確かに灯った。
ご一読いただきありがとうございました。
次話、いよいよ最終話、裁判編となります。
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