第三話 建設会社社長 近藤拓也
※本作はフィクションです。実在の人物・団体・法制度・省庁等とは一切関係ありません。
本作は全五話のオムニバス(群像劇)形式の連続小説です。
各話ごとに異なる人物の視点から、一つの歪んだ未来の姿を切り取っていきます。
最後までお付き合いいただければ幸いです。
俺の名前は近藤拓也。佐藤や山本とは高校時代からの旧友だ。卒業後も、もう一人の悪友である高橋を交えた四人でよく飲みに行っていた。まあ、高橋は最近じゃ仕事が忙しいのかあまり顔を出さなくなったが。
俺は大学には進まず、卒業と同時に建設会社を興した。当初は小さな下請けだったが、優秀な男子を高卒で採用し、徹底的に育て上げてきた。資格取得を支援し、体力と技術を磨かせ、現場の結束を重視する。結果、会社は着実に規模を拡大し、今では中堅ゼネコンとしてそこそこの名を知られるようになった。
今年は、佐藤のところの卒業生である裕也も入社してきた。あの顔立ちと、芯の強そうな性格は、現場向きだとすぐに確信した。こいつなら、きっと伸びる——そう思っていた矢先だった。
問題が起きた。
国から正式な「指導」が入った。
「貴社には女子枠採用が無い。そのため補助金の大幅削減と公共事業への参加制限を検討する」という内容だ。要は、女子を一定数採用しない限り、仕事を取れなくしてやる、という脅しである。
俺は事務所のデスクで書類を睨みながら、苦いコーヒーを飲んだ。
山本から聞かされている現代の女子大生の生態を思うと、頭が痛くなる。あいつらが現場に来たらどうなる? サークル感覚で遊びに来て、危険な作業は男子に押しつけ、ちょっとしたことでパワハラ・セクハラと叫び、すぐに泣きつく。そんな連中を、命が懸かる建設現場に入れなければならないのか?
しかし、国に逆らえば会社は死ぬ。
公共事業は会社の売上の大きな割合を占める。補助金が止まれば、設備投資も新規採用もままならない。優秀な社員たちを路頭に迷わせることになる。
どうすればいい……。
ため息を吐き、窓の外を見た。作業服姿の若い社員たちが、汗を流して働いている。裕也もその中にいるはずだ。あいつは高校で散々苦しめられてきたというのに、ここに来てまた同じような圧力に晒されるのか。
佐藤や山本の顔が頭に浮かぶ。
高校も、大学も、もう腐りきっている。
そして今、この国は民間企業にまでその腐敗を広げようとしている。
拳を握りしめた。
このままでは、俺たちが守ってきた最後の砦まで、奪われる。
(裕也視点)
今日は社内研究発表会の日だった。
会議室は熱気に包まれていた。俺は後ろの席で、食い入るように先輩たちの発表を聞いていた。
最新工法の導入について。
安全性向上のための新しい足場組みとセンサー活用について。
長時間作業による身体負荷のかかり方と、その具体的な対策について。
どれも先輩たちが現場の合間を縫って、日夜研究し、試行錯誤を繰り返した成果だった。データは丁寧にまとめられ、グラフや実測値が並ぶ。発表する先輩の目は疲れていながらも、誇らしげに輝いていた。
すごい人たちだ……
俺は自然と拳を握っていた。大学なんて意味がないと言われて久しい。だけど、ここに本物の大学があるじゃないか。技術を磨けば認められ、研究成果を出せば評価される。本物の男の職場だと思った。
発表が終わり、拍手が沸き起こった。俺も全力で手を叩いた。
次の機会には、俺も一人前の発表をしよう。
心に強く誓った。現場の知識を増やして、独自の視点で研究して、いつかあんな壇上に立ちたい。
夜遅くまで事務所に残り、発表会の資料を読み返しながら調べ物をしていた。もう二十二時を回っていたが、帰る前に近藤社長に挨拶をしようと部屋を訪ねた。
ドアを軽くノックして中に入ると——
近藤社長は、机に突っ伏すようにして泣いていた。
肩が震え、大きな手で顔を覆っている。デスクの上には書類が散らばっていた。
「……社長?」
俺の声に、近藤社長はゆっくり顔を上げた。目が真っ赤だ。普段の頼もしい姿とは別人のように、老けて見えた。
嫌な予感が、背筋を這い上がってきた。
ここに来て初めて感じる、得体の知れない不安。
先ほどまでの高揚感が、一瞬で冷めていく。
近藤社長は掠れた声で、俺の名前を呼んだ。
「……裕也、悪いな」
その言葉だけで、俺は何か大きなものが、音を立てて崩れようとしているのを感じた。
数ヶ月後。
嫌な予感は、的中した。
全社員を集めた会議室で、近藤社長は重い口を開いた。
「率直に言う。女子枠をつくらないと公共事業から締め出される。……だから、女子枠をつくることにした。……みんな、すまない。」
最後の方は、ほとんど消え入るような声だった。
社長の大きな背中が、初めて小さく見えた。誰も何も言えなかった。重苦しい沈黙だけが会議室を支配した。
それから数日後。
スーツ姿の数人の女たちが、事務所内を歩き回っていた。役所の人間か、コンサルタントか。とにかく偉そうな態度で、あちこちをチェックしている。
「女子トイレが無いわね。男子トイレの倍のスペースを確保するように。もちろん更衣室もね」
「食堂がオシャレじゃないわ。もっときれいなカフェテリアを作りなさい。女子はそういう環境じゃないと来ないわよ」
「リラクゼーションルームも必要よ。マッサージチェアにアロマディフューザーくらいは最低限でしょ? こんなことで女子を迎え入れられるの?」
無茶苦茶な要求が、次々と飛び出す。
ヘルメットを泥まみれにし、プレハブの休憩所で冷水カセットを分け合う現場の先輩たちの顔が浮かんだ。
俺は思わず口を開きかけた。「ちょっと待ってください、そんなスペースどこに——」
その瞬間、近藤社長が俺の肩を強く掴んで静止させた。
社長は低く、抑揚のない声で答えた。
「……わかりました」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが音を立てて崩れた。
なんでだよ……。
社長の立場はわかる。会社を守るため、社員の生活を守るため、公共事業を失うわけにはいかない。頭では理解できる。
だけど、わかりたくねえよ。
こんなの。
先輩たちが血と汗で築いてきたこの場所が、ただ女子を迎え入れるための飾り物にされていく。
夜通し研究した資料、つくりあげてきた新工法、培ってきた男の誇り——全部が、踏みにじられていくような気がした。
俺は拳を握りしめたまま、唇を噛んだ。
ここは、もう俺たちの場所じゃなくなるのかもしれない。
(近藤視点に戻る)
半年後。
ついにその時が来た。
コンサルタントの強い推薦で、3人の女子大生が新卒入社した。
最初の一週間は、まだ我慢できた。
しかし一ヶ月も経つと、彼女たちの行動は予想通りのものになった。
勤務時間の半分以上を、リラクゼーションルームで無駄話に費やしている。コーヒーを飲みながらスマホをいじり、流行りのスイーツの話、ドラマの話、どのブランドのバッグが欲しいか——そんな会話が延々と続いている。
俺は見て見ぬふりをした。
ただの穀潰しなら、まだマシだと思ったからだ。給料を払って黙って座っていてもらうだけで済む。
だが、ある日、コンサルタントからクレームの電話が入った。
「彼女たちから『全然重要な仕事を任せてもらえない』という不満が出ています。もっと責任ある仕事を任せて、女性の活躍を推進するべきではないでしょうか?」
受話器を握る手に力が込もった。
……馬鹿が。
本気で重要な仕事を任されたいなんて、アイツら自身思っていないに決まっている。コンサルタントに聞かれたから「そうですね」と適当に答えただけだ。web会議か電話か知らないがそのくらい声のトーンでわからなかったのか?
ため息を飲み込み、俺は静かに答えた。
「……わかりました。検討します」
電話を切った後、椅子に深く腰を沈めた。
仕方ない。
SNS担当でも任せようか。
うちの業態的に、SNS担当など必要ない。現場の職人たちはそんなものを見ない。だが、彼女たちにしてみれば「重要なクリエイティブワーク」をやっている気になれるだろう。オフィスでスマホをいじりながらできるクリエイティブワークだ。
窓の外を見た。
作業着姿で汗を流す裕也や先輩たちの姿が目に入る。
彼らと命がけで築き上げてきたものが、ただ「ジェンダー平等」という看板のために、ゆっくりと蝕まれていく。
胸の奥が、重く痛んだ。
この会社は、まだ俺が守らなければならない。
だが、どこまで守れるのか——もう、わからなくなっていた。
数日後。
彼女たちはSNS担当になったことを意気に感じたのか、今日もリラクゼーションルームで熱心にフォロワーを増やす方法を議論していた。
ダンス動画で稼いだフォロワー数がどうこの会社の利益につながるのかは知らないが。
社長室に戻り、椅子に座ると、ドアがノックされた。
俺は深く息を吐いた。覚悟はできていた。
入ってきたのは裕也と、数名の若い社員たちだった。全員、真剣な顔をしている。裕也が代表して、一枚の紙を差し出した。
退職願だった。
「社長には本当に感謝しています。でも、この会社は……いや、この国は、もう自分の居場所じゃないと思いました。インドネシアで仕事が決まって、そこで働くことになりました。」
裕也の声は落ち着いていた。かつて教室で理不尽に耐え、ニヤつくことしかできなかったガキの面影はどこにもない。その目は、男としての芯の強さをまだ失っていなかった。この国を恨むでもなく、ただ「見限った」のだと、その静かな佇まいが物語っていた。
俺はゆっくりと頷いた。
「……そうか。そうだな……」
言葉がうまく出てこない。
結局、何も守れなかった。女子枠を押しつけられ、現場の空気を変えられ、男たちが誇りを持てる場所を維持できなかった。
「頑張れよ」
それだけを、精一杯の声で言った。
ごめんな……
お前らの居場所であり続けられなくて……
胸の内で、何度も謝った。裕也たちが出て行った後、椅子に深く沈み込んだ。
この会社は、長くは持たないだろう。
せめてそれまでに、残る男性社員たちの行くあてを探さないとな。海外のプロジェクト、地方の専門工事業社、個人で独立する道——できる限りのことをしなければ。
その夜、佐藤と山本を誘って、いつもの安い居酒屋で飲んだ。
三人とも、もう若くない。高校時代からの付き合いが、ただの思い出ではなくなっていた。
佐藤の無力感、山本の虚無、俺の後悔——すべてを、酒の勢いに任せて吐き出した。
話しているうちに、堰を切ったように感情が溢れた。
カウンターに突っ伏すようにして、大粒の涙を流した。
「……俺、頑張ったつもりだったんだけどな」
嗚咽を堪えながら絞り出すと、佐藤が肩に手を置き、山本が黙って酒を注いでくれた。
生徒を守れなかった教師。学生を調教するシステムに加担した職員。そして、優秀な部下を国外へ逃がすことしかできなかった経営者。
三人とも、もう何も言わなかった。
ただ、静かに酒を飲み続けた。
この国は、もう男の居場所を奪いつつある。
だが、せめて——
海の向こうで、裕也たちが生き延びてくれれば、それでいい。
ご一読いただきありがとうございました。
第四話は、制度側である文科省官僚の視点へと移ります。
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