第二話 大学学務課勤務 山本和樹
※本作はフィクションです。実在の人物・団体・法制度・省庁等とは一切関係ありません。
※作中、世界観の理不尽さやキャラクターの境遇を描写する演出として、一部セクシャルハラスメントや性的な表現(R15程度)が含まれます。苦手な方はご注意ください。
本作は全五話のオムニバス(群像劇)形式の連続小説です。
各話ごとに異なる人物の視点から、一つの歪んだ未来の姿を切り取っていきます。
最後までお付き合いいただければ幸いです。
大学の学務課の窓から見えるキャンパスは、今日も穏やかだった。
いや、穏やかすぎるというべきか。
俺(山本和樹)はデスクに肘をつき、ため息を吐いた。昨日、旧友の佐藤健一と久々に飲んだ。高校教師をしている佐藤の話は、聞いているだけで胃が重くなった。女子枠による教育現場の崩壊、男子生徒たちの追い詰められ方——高校はもう限界だと、佐藤は青い顔で語っていた。
しかし、俺は思っていた。
それはまだ序の口だと。
ここはかつて「名門」と呼ばれた私立大学だ。偏差値も高く、研究実績もそれなりにあった。だが今では、その面影は完全に消え失せていた。
教員の公募はほぼ女性限定。男性が採用されるケースは、よほど特殊な技能を持つか、女子教員の「補佐役」として雇われる場合だけだ。学生も同様。入試の半数以上が女子枠で埋められ、一般枠の男子は極めて狭き門となっている。
学務課の資料を眺めながら、苦笑した。
大学とは研究機関としての側面もある?
そんなものはとっくに過去の遺物だ。
教授たちの仕事は、研究とは名ばかりの「お気持ちエッセイ」を量産することに変わっていた。ジェンダー論、社会的公正、包摂性——そんな言葉を散りばめた、薄っぺらい論文を書き、学会誌に投稿する。大学だけじゃない、学会、ジャーナルもすべてが「そういうお作法」に塗り替えられてしまった。女子枠教員の投稿はほぼ無条件で採録され、互いに「素晴らしい洞察」「先駆的な視点」と褒め合う。査読など形骸化し、身内だけの引用の輪が優雅に閉じている。
「ミスターヤマモト。こんなんじゃ日本が世界から取り残されるって?」
先日、ある海外視察の際に話したアメリカ人研究者の言葉を思い出した。
「先進国はどこも大体同じさ。真剣に研究したいなら、どこか新興国に行くしかないよ」
大学はもはや女のネバーランドだった。本気で研究や技術開発を志す人間は、大学になど来ない。高卒の時点で民間企業に直行し、資格を取り、実務で腕を磨く時代になっていた。大学に残る男は、女子枠の隙間を縫うようにして辛うじて在籍しているか、女子学生、女性教員の「理解者」を演じることに慣れた者ばかりだ。
学務課の窓から、キャンパスを見下ろす。
昼下がりの芝生の上では、サークル活動に勤しむ女子学生たちの姿が目立つ。笑い声が響き、インスタ映えする写真を撮り合い、季節のイベントを計画している。…要は遊んでいるだけだ。就職も女子枠はコンサルタントの手厚いサポートでほぼ決まる。就職後すら嫌なことがあればコンサルタントを通じてクレームを入れられるらしい。勉強する必要などない。
俺はコーヒーが冷めるのも構わず、ぼんやりと外を眺めていた。
佐藤の話が頭をよぎる。
高校は崩壊した。
そして大学は——その崩壊を、優雅に受け入れ、美化している。
「山本さん、次の会議資料できましたよ」
後ろから若い女性スタッフが明るく声をかけてきた。俺は曖昧に頷きながら、心の中で呟いた。
ここは、もう教育の場ではない。
ただの、心地よい幻想の温室だ。
今日は15日だった。
この大学では、毎月15日が「生理痛疑似体験の日」と定められている。大学に所属する男全員——教員、職員、学生に至るまで——が生理痛疑似体験デバイスという名の拷問器具を装着させられる。腰と下腹部に巻き付けられたベルト型の装置は、一定間隔で強烈な電撃と圧迫を繰り返し、本物の生理痛の中でも最上級に重い状態を再現すると謳われていた。
俺は学務課のデスクに座ったまま、額に浮かぶ脂汗を拭うこともできずに歯を食いしばっていた。腹の奥が抉られるような痛みと、腰を締め上げる重苦しい痺れが、波のように襲ってくる。
「山本さん、大丈夫ですかー?」
同じ学務課の女性職員たちが、ニヤついた顔で声をかけてくる。心配しているふりをしながら、目は明らかに楽しんでいる。口元が緩み、女同士で何かアイコンタクトをしている。
「……ええ、何とか」
俺は掠れた声で答え、立ち上がった。歩くだけで吐き気がする。廊下に出ると、装置の振動がさらに強くなった気がした。
学内をゆっくりと歩いていると、教育学部の棟から出てきた数少ない男子学生とすれ違った。
——田中だ。佐藤が高校で「唯一の進学希望者」だと気に病んでいた、あの男の子だ。
まだ一年生の彼は、顔を歪め、目だけをぎらつかせて俺を見てきた。世の全てを恨み、呪い、殺意すら宿したような目。同じ装置を装着しているのだろう。痛みと屈辱に塗れたその視線が、俺の胸を抉った。
俺は思わず目を逸らしてしまった。
すまない……。
言葉には出せなかった。俺には何もできない。学務課の職員として、この制度の運用に関わっている自分が、誰かを守ることなどできるはずがない。田中の目が、背中に突き刺さるような気がした。
周囲を歩く女子学生たちは、楽しげに笑いながら通り過ぎていく。彼女たちにとって、今日も普通の日だ。男子が苦しむ姿など、日常の風景に過ぎない。
俺は壁に手をつき、浅い息を繰り返した。
この大学は、ただのネバーランドなどではなかった。男をいたぶる拷問ショーが定期開催され、女たちの加虐欲を存分に満たすことのできる、悪魔のテーマパークであった。
(田中視点)
幼い頃から、教師になるのが夢だった。
「先生みたいになりたい」——小学校の作文に何度も書いた。子どもたちに勉強を教え、困っている子を守る。そんな大人になりたかった。教師になるには大学に行って教員免許の取得資格を得なければならない。それだけを理由に、両親にも友人にも「考え直せ」と何度も止められながら、強引にこの大学に押し切って入学した。
だけど…。
もう、限界かもしれない。
今日、研究室に呼ばれた。
「校内痴漢対策のためのロールプレイ研究」だという。教育学部の女子院生たちが中心のプロジェクトらしい。俺は数少ない男子学生の一人として、被験者に選ばれた。
研究室に入ると、すでに五人の女子が待っていた。皆、好奇の目で俺を見ている。大学院生と称する女が笑顔で資料を渡してきた。
「今からロールプレイをするの。ここに実験参加に同意するサインをしてくれる?」
特に説明もなくサインをさせられた。
「じゃあ、田中くんから始めて。校内痴漢役のセリフを読んでね」
俺は淡々と、指定されたセリフを読み上げた。
「……スカートの中、触らせてよ……」
部屋に微かな笑いが漏れる。
少しすると、俺の声が棒読みすぎたのか、女子たちは退屈そうな顔になった。
すると、一人が突然スカートをたくし上げるそぶりを見せてきた。別の女子が後ろから近づき、耳元で甘く囁く。
「ほら、どんな風に触りたいの?」
……どっちが痴漢だよ。
俺は唇を噛んだ。セリフを読み続けるしかない。声が震えそうになるのを必死に抑える。
さらにエスカレートした。大学院生の一人が、俺のすぐ目の前まで寄ってきて、シャツの上から身体を指でゆっくりとさすってきた。柔らかい感触と、意図的な動きに、体が反応してしまう。
最悪だ。嫌悪感で反吐が出そうなのに、肉体だけが勝手に熱を帯びる。
「きゃっ! 見て見て、反応してる!」
「いいねー痴漢っぽくなってきた!」
女子たちが嬌声を上げて笑う。好奇と嘲りの入り混じった視線が、俺の体を舐め回すように注がれる。
高校時代、結衣はからかいながらもまだ俺を人間扱いしてたと思う。だけどコイツらは——。
俺はただ、床を見つめて耐えることしかできなかった。
父さん、母さん……ごめん。
頭の中で、何度も謝る。わがまま言って、ごめんなさい。二人が正しかったよ。大学に行って教員免許を取るなんて夢、最初から諦めるべきだった。
(山本視点に戻る)
数ヶ月後。
学務課のデスクに、ぶ厚い資料が届いた。教育学部の院生が執筆した論文が、査読付き論文誌に掲載されたという。プレスリリースを作成するよう、上から指示が出ていた。
資料をめくりながら、俺は眉を寄せた。
何だ…これは。
論文のタイトルは『校内痴漢防止のための意識改革プログラムに関する実証的研究』。内容は、男子学生を使ったロールプレイ実験の詳細だった。「被験者である男子学生に痴漢役をさせたところ、このような発言があり……」「事後インタビューでは男子学生は『まだまだ男性の意識改革が必要だ』と回答した……」と書かれている。
吐き気がした。
断じて、こんなものは研究でも論文でもない。
そもそも田中はそんなことを言っていない。話を聞いていたから知っている。というか言うはずが無いだろうそんなこと。
それなのに、論文には都合の良い「男性の意識改革」という結論が堂々と書かれている。大体ただ用意されたセリフを読ませただけのロールプレイの何が研究だというのか。…いや、よく読むと、聞いていた話と違う。セリフは男子学生が自分で考えて発したことになっている。…なんということを…。
だが、査読は通った。
掲載決定。
そして今、プレスリリースを出す。
俺はキーボードを叩きながら、胸の内で毒づいた。
これが今の日本の大学界だ。
さらに驚くべきことに、渡されたプレスリリースの初稿には、欧米の研究者からのコメントも複数引用されていた。
「これは素晴らしい研究です。ジェンダー平等に向けた重要な一歩と言えるでしょう。」
「意識改革の必要性を、身体的に実感させる手法は革新的だ。」
……どこがだよ。
画面を見つめたまま、呆然とした。やはり日本だけではない。先進国全体が、こうなっているらしい。研究という名を借りたイデオロギーの相互礼賛。真実など、どこにも必要とされていない。
現代において、大学とはこういうものなのか。
かつて学びの場であり、真理を探求する場所だったはずのこの空間は、もはや見る影も無かった。
そんな大学だが、皮肉なことに性欲だけは満たされる。
ここにいる女子学生のほとんどは、勉強や研究のためではなく、ただ遊びに来ている。講義と称したおしゃべり会に参加し、サークルで遊び、単位は女子枠プログラムで確保される。彼女たちにとって、学内にいる手頃な大人の男——特に俺のような直接関係のない学務課職員は、ちょうどいい遊び相手だった。
「山本さん、今日もいいでしょ?」
今日も、夜遅くまで残っていると、女子学生の一人が学務課室に押しかけてきた。言葉少なに、ドアをロックし、すぐに絡みついてくる。
そして今、俺は腰を振っている。
ひっきりなしにこんな誘いがある。断る理由など、最初からなかったのかもしれない。
明らかに堕落した場所にいながら、何もせず、ただ性欲を満たすだけの毎日。
自分の心が、確実に壊れていくのを感じていた。快楽の後にはいつも、虚無と自己嫌悪が残る。教師を目指していた田中の顔が、脳裏に浮かぶ。あの純粋だった少年も、もう似たようなものなのだろう。
先日、廊下で耳に入ってきた女子たちの会話。
「田中くん、意外とよかったよ~。最初はオドオドしてたけど、途中からすごくて〜」
「えー、次は私も混ぜてよ」
きゃっきゃと笑う声が、頭から離れない。
あのぎらついた目で俺を睨んでいた田中すら、もうこのネバーランドの毒に蝕まれたのだ。
ここはもうダメだ。
腰を動かしながら、虚ろに天井を見つめた。ここに男は来てはならない。研究も、教育も、未来も、何もない。ただの、甘く腐ったネバーランド。
終わった瞬間、快楽とともに、胸の奥で何かがパキッと折れる音がした。
佐藤……
お前はまだ、高校で耐えているのか。
俺はもう、折れた。
ご一読いただきありがとうございました。
第三話は、建設会社を経営する男の視点へと移ります。
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