5.落ち込み
食事に出る面々に遅れ、のろのろと廊下を歩きながら、おれは落ち込んでいた。
さっきの場面の稽古は、結局おれが演技から外れた行動をとったために台無しにしてしまった。それというのも、役者でありながら共演者の演技に飲まれたからだ。こんなことで、役者と言えるのか。
今まで、親にどんなに反対されても、オーディションで落ちまくっても、演劇雑誌で出演作について酷評されても(端役のおれが名指しでこき下ろされたわけではないが)、落ち込むどころか、見返してやる、とさらに闘志が沸いてきた今までの自分がうそのようだ。
そんなおれの後ろから、軽い足音が近づいてきた。これだけのろのろ歩かれていては邪魔だろう。慌てて廊下の端によけたおれの横に、その人物が並んだ。
(なんだ?)
自分で言うのもなんだが、結構社交的、悪く言えばお調子者のおれは、読み合わせのときから年が近い順にスタッフ、役者に関わりなくどんどん声をかけまくり、交友範囲を広げていた。そのため、現場で親しくなった友人は何人もいたけれど、今は誰とも話したくなかった。
おれは仕方なく、隣に並んでわざわざおれと同じ歩調に合わせて歩く人物に目を向けた。それは、現場で最近親しくなった友人の誰でもなく、意外な人物だった。
「西崎恵?」
驚きのあまり、おれは思わずフルネームで呼びきってしまっていた。同じ年とはいえ、演技経験上は先輩に当たる人物に対してこれではあまりにも失礼だ。せめて、さん、と付けるべきだった。そう思ってもすでに後のまつり。
西崎はというと、全くの無表情で、
「フルネームで呼ばれると違和感があるな。上か下かどっちかにして欲しいけど……まあ、いいか」
ぶつぶつ言って、一人で会話を完結している。
考えてみれば、彼は稽古が始まってからあまりほかの役者と交流を持とうとしていなかった。もともとクールだと定評がある彼は、演出家や割と経験のある俳優と演劇関係の話を長々としていることはあるけれど、おれのように同年代とバカ話に興じる姿は一度も見かけなかった。
話しかけられれば受け答えはするが、あまり話を広げようと努力するタイプではないようで、社交的な方だと自負するおれも、まだ彼とはあいさつ程度の会話しかしたことがなかった。
その、彼が無名の役者のおれなんかにいったい何の用だろう。ひょっとして、さっきのことか? あれほど真に迫った演技をしていたのに、おれが早とちりしたせいで稽古を止めてしまったから怒ってるのか?
「どこに向かってる?」
隣でぶっきらぼうな声がした。おれは驚いて西崎の方に顔を向けた。
おれに、聞いている……んだよな。そう一瞬迷ってしまうくらい、彼の口調はそっけなく、視線さえもこちらに向けようとしない。
でもここには二人しかいないのだから、質問口調である以上おれへの問いだと見て間違いはないはず。そう判断したおれは、昼食を食べに向かう予定の店名を告げた。
近場の食堂のうち、あまりこの現場の役者たちが利用していないその店は、特別な売りはないが静かで、あまり誰とも顔を合わせたくない今のおれの精神状態にはちょうどよさそうに思えた。
「ふうん」
大して気もなさそうに一応相槌を打って、それきり西崎は黙った。
なぜか成り行きで西崎恵と二人して並んで歩いている。
さっき同じ場面の稽古に参加していたのだから、今彼も昼休憩であることは間違いない。しかも、おれの方はぐずぐずして出るのが遅くなったため、もう今から出て間に合う店は限られている。
彼はなぜこんなに遅くに出ているのか知らないが、食事がまだなのだったら一緒にどうかと誘うべきだろうか。でも、いつもの愛想のなさを考えると、にべもなく断られるような気もする。それはいやだ。いやだけど……
「あの、食事まだだったら、一緒に行きますか?」
一応礼儀としてたずねてみたものの、おれは全く承諾の返事を期待していなかった。だから、
「いいよ」
と、唐突に返されたとき、仰天した。
しばしのタイムログの後、自分でない誰かのもののような、間抜けな声が出る。
「は? なにが?」
我ながら、誘っておいて失礼な応答をしたものだ、と後で思った。




