4.……ではなくて、名演技
胸を押さえて痛みをやり過ごそうとしつつも、稽古の中止を意地でも言おうとしない西崎から、おれは目が離せない。何の持病があるのかは知らないが、これはもう、放っておいて収まるレベルではないのではないか?
なんか、自分の四つ目の台詞がそろそろあったような気がするけれど、それより、人命優先だ。
稽古のストップを演出家に頼もうと体を動かしたおれの横で、西崎の体からふっと力が抜けた。彼の近くにいながら動けないでいる役者を押しのけ、おれは彼の元に駆けつけた。
「おいっ。しっかりしろ! 薬は持ってるのか?」
ひざをついて西崎の体を支えながら、おれは彼の頬を軽く叩いて叫んだ。
そのとき。苦しそうに目を閉じていた西崎がぱちっと目を開けた。
「……そんな台詞、あったっけ?」
「…………えーと」
おれを含め、回りの役者が全員固まった。
がはははは、と豪快に笑う演出家をよそに、おれたち役者はとても笑う気にはなれない。
確かに、台本では西崎演じる主役の青年がその場に倒れるというシーンがあった。西崎がやったことはまさに、台本どおりの行動なのだ。それなのに、だまされたような気分が付きまとうのはなぜだろう……。
「ええと、木下だったっけか。君が一番、リアクションが大きかったな」
西崎の演技を本気にして役を忘れて駆け寄り、薬はどこだ、と叫んでしまったおれを見て、演出家はニヤニヤ笑う。
「しかも、あの恵くんの頬を張るとはね」
人聞きが悪い。おれは彼の意識を戻そうと、軽く叩いただけだ。……まあ、慌てていたからちょっと強すぎたかもしれないけどさ。
稽古の途中だったが、その場面で舞台上にいた役者たちは、演出家に言われ車座になった。
西崎恵もおれの隣に片ひざを立てて座り込む。
「さっきの西崎の演技、どう思った?」
演出家が順に聞いていく。
迫真の演技というのだろうか。西崎のアクションを本当に起こったこととして捉え、自分の演技を忘れて気をとられていた若い役者たちは決まり悪そうに、すごかった、だの、見習いたいと思っただのと答えていく。
「では、次、木下」
演出家に見つめられて、おれは、演出家ではなく隣の西崎を見て口を開いた。
「演技だと知った今は、すげーと思います。でも、あれって、本当に大丈夫だったのか。おれから見たら本当に痛みを感じているとしか思えなかったぜ」
だからこそ、おれも演技ではなく本当に心配になったわけだ。
おれだって伊達に五年間演劇に打ち込んできたわけじゃない。どんなに真に迫った演技でも、演技という前提で自分の芝居を続けられるつもりだ。でも、今日のは絶対違う。西崎本人が本当に痛みを感じていたとしか思えなかった。
君が聞かれているみたいだよ、と演出家が西崎に振った。彼はちらりとこっちを見て、面倒くさそうに言った。
「確かに、観客にリアルに演技を見せるために本当に痛みを感じているんだと思い込んでおれは演じているよ。さっきもそう。でも、本当に身体に異常があるわけじゃない。あくまで、そう思い込んでいるってだけ」
「冷や汗もいっぱいかいてたけど」
「あれくらいわけない。涙でも、汗でも、鼻水でも、舞台の上で必要なら何でも出すさ」
淡々と答える西崎に、なおも質問を続けようとしたおれは、演出家に遮られた。
「はい、そこまで。木下、しばらく一緒に稽古するんだから、聞きたいことは個人的に聞けばいいさ」
その声におれははっと我に帰った。つい力が入って前のめりになってしまったが、無名のおれみたいな役者が、同年齢とはいえ、ベテラン俳優にぶしつけな質問をして失礼だったかもしれない。そう気づくと、後から個人的に、なんて、聞けるはずない。
演出家は、さっさとおれから視線を戻し、車座になった面々を見渡して、真剣な表情で口を開いた。
「さて……そろそろ、こういう芝居をして欲しい。ただテクニックで流すだけではなく、リアルなやつを。観客が前にいて、目の前で今まさに起こっている出来事だと勘違いするような。そういう舞台にしたいんだ」
全員神妙に演出家の語りを聞いている。今の西崎の演技を見せられればどういうものを求められているのか自然と頭に入った。
「では諸君、次の場面の役者たちが戻ってきたから、交代して飯にしてくれ」
稽古場のドアを開けるにぎやかな一団の声が聞こえてきた。
演出家の言葉に、舞台に座っていた役者たちは魔法からさめたように日常の顔に戻り、今日どこに食いにいく、などと緊張感を脱ぎ捨てた会話を始めながらそれぞれ食事に出て行った。




