上陸③
ほぼ初めての空襲警報に広島の町は騒然とした。
現れるのは爆撃機ではない。
飛竜騎士だ。
初めての戦場に、隼人は恐怖した。
是非ご覧ください。
「警報だ!」
誰かの声にはっとした。
このサイレンは空襲警報、敵からの攻撃が予測された時に鳴らされるものだ。すぐさま手近の防空壕へ避難しなければならない。知識としては誰もが知っていた。そう、知識でしかないのだ。
大東亜戦争は本土への空襲が激化する前に休戦している。そのため、多くの広島市民にとって、これはほとんど初めての空襲警報であったのだ。
「こ、これ訓練じゃないよな?」
客の一人がうわついた声をあげる。露見しているか否かなだけで、現状誰もがパニックを辛うじて堪えているだけだ。
「避難って……どこへ逃げればいいんだ?この辺に防空壕なんてあったか?」
出先での空襲警報は、最寄りの公設壕へ逃げ込むようにとされている。しかし、多くの日本人が休戦により本土攻撃はなくなったと思い込んでいた今、そんなものを把握している人間がどれほどいるのか。
忘れていたのではない。新聞もラジオも常日頃戦況を伝えていたのだから。皆が等しく目を背けていたのだ。戦場が迫って来るという恐怖から。
逃げねばならない。しかし、どこへ?隼人は手足がさあっと冷たくなって、耳の奥で鼓動が高まるのが判った。
「ぃやあ、みなさん、一旦落ち着いて。慌てることはありません」
のんびりした声の主は沼田であった。どこにでもいる小太りの中年であるが、なんでもないと言いたげなその表情は、周囲の人間を少しだけ安心させる。
「空襲警報だからといって、今すぐ頭の上に爆弾が落ちて来たり、飛竜がカッ飛んで来るわけじゃない。
落ち着いて逃げるのが一番だ。ワシも防空壕は分かりませんが、この通りの裏手には学校があるはずです。校舎はコンクリート製だから、そこそこ安全でしょう。一旦そこに避難しましょう」
彼らはその言葉に頷き、足早に小学校を目指すこととした。散髪を途中で切り上げられてしまった沼田だけは気の毒であったが、命には変えられないと苦笑いだ。
闇市の裏手の小学校に駆け込むと、そこには周辺住民の姿もあった。
「沼田さん、よく思いつきましたね」
「ハハハ、闇市散策が好きでね、近くをふらふらしてるのさ」
校舎に駆け込むと、少なくとも真上から爆弾や飛竜騎士が降って来る可能性は低くなる。それがどれだけの生存性を高めるかはわからないが、少しでも心が落ち着くなら儲けものではないか。もっとも、そこで出来ることは少ない。皆で固まって頭を抱え、息を殺してしゃがむ姿は、冬を越すてんとう虫のようであった。
どこか遠くで響く遠雷は、吼える高射砲に違いない。広島は陸軍師団が駐屯しているため、完全に無防備というわけではないのだ。しかし、その防空網も基地優先、広い市街地を守り切れるほどの力は期待できない。生きた心地がしないまま、隼人は伏せる。戦場というものは、片隅の片隅でもこんなにも恐ろしく、どうしようもない無力感の塊が押し寄せるのだ。想像だにしていなかった。
「でも……空襲警報ってどういうことだよ、アメリカがまた攻めてきたのか?」
「まさか、呉の軍港にはアメリカの軍艦が友軍として来てるらしいじゃないか」
誰かがぼそぼそと会話するのが聞こえた。何を馬鹿なことを、今戦っているのはバクダではないか、つまり、空襲とはーー。
「あっ!」
誰かが声をあげ、窓から見える空を指差した。遥か遠く雲の切れ間に、黒い影が列を成しているのが見えた。
「……竜だ、本物だ」
新聞で見た時はバカでかいコウモリの化け物に見えた。
映像で見た時は羽の生えたトカゲの化け物に見えた。
しかし実際に目にすると全く違う。真っ先に思い出したのは、小さい頃買い与えてもらった科学雑誌、その挿絵にあった恐竜であった。全長は一〇メートルを超えるだろうか。肉食恐竜然とした体は、思っていたよりずっとしなやかで洗練された姿であり、見るからに力強いものだ。背中では翼竜に似た翼が羽ばたいている。あれだけの、しかも甲冑を着込んだ巨体を浮かべるのを考えれば小さく見えたが、実際に飛んでいるのだからケチをつけたところで意味がない。
更にその背中には、確かに人が跨っている。日本のものとも西洋の者とも異なる、どこか異形めいた鎧で全身を包んでいるため人相はわからないが、大きさはこちらと大差なく見えた。
「あれが……飛竜騎士」
恐ろしいのは、あれが単純な化け物ではなく、訓練された軍隊なのだと思わせる統率の取れた動きをしていることだ。気付けば無数の飛竜騎士が上空を飛び回っていた。
サイレンを引き裂くのは高射砲、駐屯地からの対空砲火である。しかし、機動力の高い飛竜騎士には掠める様子もない。お返しとばかりに飛竜騎士が手にした武器を掲げると、青い雷光が迸った。かなりの広範囲をまとめて焼き払ったのか、高射砲が途切れた。
「信じられん、あんな簡単に?!」
「まずいぞ……高射砲がやられたら、次は街の番だ」
そうこうしている間に、飛竜騎士は用心深く高度を下げつつある。降りてくるのだ。
あの雷光を校舎が耐えられるだろうか?
あの速度を駈足で逃げられるだろうか?
あの様子で逃げればかえって危険だろうか?
戸惑っている耳に聞こえてきたのは、ブォォォォ……と不気味に響くエンジン音。これはレシプロ機のものだ。
「戦闘機だ!」
「陸……いや、あれは海軍か?」
「空母が近くまで来てるんだ!助かるぞ!」
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隼人は英雄ではありません。ちょっと動ける若者でしかないのです。
だからこそ恐怖し、理由がなければ戦えないのです。
その理由は……そのうち出てくるはずです。
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