八 上陸
謹慎状態でふさぎ込む隼人。
そんな隼人連れていかれたのは……
それから数日、隼人は表向き怪我の療養という形で仕事を休んだ。実際のところは懲罰というか、出勤停止、あるいは謹慎に近い処遇なのは誰の目にも明らか。当然、隼人は腫れ物扱い扱いである。繊細なところのある隼人にとって、雑魚寝の寮でそれは針の筵であった。
「はぁ……」
別段懲罰房があるわけでもない。痛む体に布団を被せて、ただ一日が過ぎるのを待つのは決して楽しいものではなかった。
朝夕の飯は一応食えるが、最低限である。流石に働けない身分では昼飯に手は出せなかった。そうして寝ていた数日で、怪我は治ったようだ。明日には仕事に復帰出来るだろうが……なんとも気まずい。
自分の愚かさには本当にうんざりだ。あのとき殴り掛からなければ、あんな戯言は午後の仕事で忘れ去っていただろうに。大事になったせいで一生忘れられなくなってしまった。
ため息を吐くたびに後悔が時を遡っていく。
こんな思いをするなら、あいつを殴らなけりゃよかった。
こんな思いをするなら、日陰に留まらなけりゃよかった。
こんな思いをするなら、造船所に来なけりゃよかった。
こんな思いをするなら、広島に来なけりゃよかった。
こんな思いをするなら……日菜の手助けなんかするんじゃなかった。そこまで後悔の手が伸びたところで、隼人は頭を掻き毟った。
「いや……そんなはずはない。そんななずが、あってたまるか……ッ!」
日菜の戦いは日本人を……いや、多くの人間の命を救っている筈だ。
だがこれは、日菜の命を危険に晒したことによる引き換えなのだ。その事実もまた、隼人の胸にのしかかった。あのまま……あのまま自分も日菜と一緒に従軍すべきだったのだろうか?しかし、機操戦伎に乗れない自分になにができる?稲若丸ならともかく、八幡颯天の調整に自分が口出しする余地はない。
雑用か?一座にいたころのように付き人か?
「バカらしい……戦場で、そんなの要るもんか」
ならば一人でドヤ街に逃げ込んだのは正しかったのか?ここでこうして汗水たらして、暴力沙汰を起こして謹慎しているのが正しいと認めると?それもまた違う。こんなところで袋叩きにされるくらいなら、一座の皆に土下座して袋叩きにされる方がずっとマシだった。
「うう……ッ」
隼人は今にも潰れそうだった。他の連中には難なくできることが、自分には何一つできない。そのくせ周囲を乱して迷惑ばかりかける。それは鉛よりも重く、大気のように逃げようのない事実であった。
取り柄もなければ人畜無害になることも出来ない、役立たず以下の自分が恨めしい。何の価値もない自分が、果たしてどうすれば少しでもマシになるのかという、答えのない問いが頭の中で渦を巻く。
答えなどない。それがないから、こうなっているのだ。ただ、拭えない絶望と無力感に打ちのめされ、やがて思考が行き止まりに陥る。
「おい、聞こえてんのか?」
ぴしりと頭を爪で弾かれて、隼人は我に返った。枕元には小太りな男の姿がある。先日の暴力沙汰の聞き取りをした、監督の沼田である。
「あ……どうも」
「どうもじゃないだろ。なんだよ、この世の終わりみたいな顔して」
「いや……考え事を」
すると沼田は鼻息を吹いて苦笑いしてみせた。どういう人生か知る由もないが、若者の悩みなど、おっさんにとっては大概通過点なのだから。
「なにが考え事だ、どうせ自分が一番この世で不幸だとか無能だとか、そんなこと考えてるんだろ」
全てではないが、まるで見透かされたような物言いに、隼人はギョッとした。
「なんで……わかるんですか?」
「いいからいいから。ほれ、着替えて。これが私服か?なんだ、いいのあるじゃないか」
追い立てるように着替えさせられると、男は半ば強引に隼人を連れて外へ出た。油と鉄の匂いとリベット打ちの轟音から解放されると、今まで気づかなかった潮風の湿った涼しさや、青空から降り注ぐ日差しが隼人を包む。
あのだだっ広い造船所の外へ出るのは、銭湯へ行くのを除けば始めてだったかもしれない。
「ちょっ……どこ行くんですか?!」
「いいから、いいから。歩けないわけじゃないんだろう?ワシ今日休みだから、付き合ってくれよ」
「でも……俺謹慎じゃ……」
「ワシの管理下だから問題ないさ。そもそも謹慎だって厳密な制度があるわけでもない。怪我してあの仕事は、死人を出しかねない」
向かった先は商店街……から地続きになった闇市だ。その片隅、雑多で胡乱な露天が立ち並んだ端で、小汚く煤けたのれんをくぐった。
「あ……」
「おお、もうわかるか。やっぱり若いと鼻が効くね」
そこに立ち込めていたのは醤油と鰹節の匂いであった。配給の食料で作れるような、出汁風味のものとは違う。しっかりとしたツユの匂いに、唾液腺が揉まれるように溢れるのがわかった。
「おやじ、いつもの。こいつにも同じの」
「へい」
やがて湯気と共に現れたのはうどんであった。丼になみなみと満たされたそれには、こってりと煮つけたなにかの肉が乗せられている肉うどん。今の隼人にとっては夢のようなご馳走だ。
「うおっ……!」
「食え」
「え、でも……」
「ワシのおごりだ、気にせず食え」
「い、いただきます」
こわごわ丼を手に取り、掌に熱が染み込んでくるのを感じながら、立ち上る湯気を吸い込んだ。濃いダシと醤油の香りが、鼻孔を貫通して脳まで届く。ごくりとつばを飲み込むと、箸に手を伸ばすより早く汁を啜る。
ツユはまだ熱いが、もうそれが心地よい。ああ、とにかくダシが濃い、それが嬉しいのだ。ここ半年は一座でもありつけなかったレベルの濃さに、背筋が歓喜で震えた。二口目には肉から溶けだしたアブラが溶け込み、飲み下すだけで快感が弾ける。
気付けば箸を手にうどんを啜っていた。柔らかいがノビてはいない、絶妙にふわふわのそれは全くの未体験。むっちりとした歯ごたえに時たま挟まるネギの香りと食感が、咀嚼の度に味わいを変えていく。甘辛く煮つけたのは牛スジか、あるいはクジラ肉だろうか、噛めば噛むほど滲む旨味に、隼人はもう虜であった。
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隼人は広島で色々な事を知った。それは、落ちなければ見えなかった光景であった。
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