戦場へ②
軍から届いた封筒。
何とか受け取った日菜であるが、その手は震えていた。
その中身は、果たして……。
封筒の中身の察しはついた。だが、心がそれを受け入れるまで追いつかないのだ。
「ごめん隼人……読んで」
「わ、わかった」
震える手から封筒を受け取る。小さく呼吸を整えて中身を引き出すと、それは一枚の紙切れに取り急ぎ殴り書きされた短いものであった。
「葛城日菜殿。
父上、葛城慎一郎少尉相当官 榊浦剣楼戦伎太夫。本日、京城近海の戦場にて、戦死の報告あり。詳細は追って通知する。
呉鎮守府所 機操戦伎部隊長 宇津木玄蔵特務大佐」
この上なく端的な、事実のみの羅列は、声のふるえを露骨に反映した。鎮守府を通した戦場からの速報である。通常の戦死の報告は、戦場から軍部を通し、更に内務省や役場での戸籍との確認作業が挟まれるため、数週間のラグが発生する。これは本来通るべき手続きをすっ飛ばしての、特例に近い温情の速報である。
だが、それが喜べるかと言えば、また話は別である。日菜は壁にもたれかかるように座り込み、掌で顔の上半分を覆った。
「父さん……」
「日菜ちゃん、気をしっかり持って」
小松が寄り添うように優しく声をかける。アメリカとの戦争で既に父を失った彼女には、その気持ちが痛いほど判るのだろう。
「ありがとう……大丈夫。隼人、手ェ貸して」
「無理すんな、座ってる」
「いいから。立たなきゃならないんだ」
ともすれば怒鳴りそうな気配の日菜に手を伸ばす。握力はいつも通り無駄に強いが、その奥には隠しきれない震えがあった。
「母さんに……手紙出さなきゃ」
日菜の母は肺の病で関東の病院に入院している。頭が真っ白になったであろう彼女が、今唯一できる事であった。泣き崩れることも、放心することもなく平静を保つのは、見ていてこちらの胸が傷んだ。
「それは止めないけどさ……流石に顔色悪いぞ。夜公演無理じゃないか?」
日菜は片頬を吊り上げてみせた。目の光を失ったその顔は、笑いには程遠い強がりであったが、せめてもの意地であった。
「舞台に穴、開けらんないよ。
いや……黙ってるのもよくないか。隼人は兄さんにこのことを言っといて。皆にも言うか、アタシが舞台出れるかは……兄さんの判断に任せるよ……でも、出る気はあるよ」
力なくそう言うと、日菜は小松に支えられながら稽古場を後にした。
「……日菜」
隼人の母は既に亡くなっている。日菜の気持ちを推し測ることもできず、何も言葉をかけてやれなかった自分が恨めしい。
胸中のざわめきを、溜息と一緒に吐き出した。
「親父……あんたはどうしてるんだよ……」
日菜の父、剣楼がやられたのであれば、八幡颯天がやられたのだろう。八幡颯天は舞台にいたころと同じく剣楼と隼人の父砲園が乗り込んでいる筈だ。
報告がないということは一応生存しているのだろうか?一体、戦場でなにがあったのだろうか?どちらにしろ、打ちのめされている日菜の前で切り出せる話題ではなかった。
話を聞いた剣之丞と日菜の会話は短かった。それは、日菜の積み上げた努力を知っているからこそ、分厚い信用の現れである。隼人はそう確信した。
「お嬢……いけるか?」
「もちろん。兄さんの目をごまかせてるなら、お客にはバレませんよ」
「……よく言った、それでこそだ」
事実、日菜はその晩以降も完璧に舞台をやってのけた。一番の懸念であった呑竜大返しは寸分の狂いもなく決め、講演後の挨拶やロビーでの見送りにも、毛ほどの乱れを見せなかった。骨身に染みついた努力の積み重ねは、文字通り親が死んでも離れはしなかったのだ。
「やだやだ、親が死んでも腹は減るってヤツかね」
舞台の後、餅菓子を飲み込んだ日菜は自嘲気味に呟いた。
「……役者の鏡じやないか」
隼人はそれしか返せなかった。
「娘としちゃあ失格さ。涙も流さず、飯食いやがってさ。なんだっけな、歌舞伎にそんな話があったっけね。
小松っちゃんなんてさ、今でもアリューシャンの文字見るだけで過呼吸起こして一食喉通らなくなるんだぜ、可愛いじゃないか。あんまり多いと心配だけどさ」
「太夫はそんな日菜は見たくねえだろ……俺も遠慮したいね」
「嬉しいこと言うじゃん、隼人のくせに」
その晩から、日菜は劇場の敷地の片隅に線香を立て、北西の空へ向かって手を合わせるようになった。これは日菜と隼人だけの秘密であった。
日菜は涙を見せなかった。しかし、手を合わせているあいだだけは、肩を震わせていた。
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剣楼の死が、彼らの運命を大きく動かします。
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