文化祭⑨
*
「——私を選んでくれて嬉しかったですよ」
意を決した私の言葉は、志島君を悪鬼の如く追いかける男子生徒たちの声によってかき消されてしまった。頬が火照っているような気がする。
聞かれなくて良かったと思う反面、タイミングが悪い、と神様を呪いたくなる感情も私の中には確かに存在していた。
「いやぁ、美樹さんも大胆っすねぇ」
「いえ、そういう訳では」
「克人さんを取られるとでも思っちゃったんすか? 今朝も人気でしたっすもんね、克人さん」
「……まさか、志島君がクラスでもあれほどまでに頼りにされている存在だとは思いもしませんでした」
最前列でステージを見上げていた悠陽さんが、軽く私のいるところまで駆け寄ってきて、私をからかうように言った。確かに悠陽さんのお言うとおりだ。人前に男性と手を繋いだ状態で出るなんて。
今朝、志島君のクラスメイトからクラスで彼の普段を色々と聞かせてもらった。まず驚いたのはその情報量。なぜか、あの場にいたほぼ全員が、志島君についての良い人エピソードを持っていた。
「……しかたないっすね。今回ので美樹さんには敵わないと分かったっすから」
「なにか、言いましたか?」
「応援するって言ったんっす」
悠陽さんはそう言って乾いた笑顔を浮かべた。考え事に夢中になりすぎてうまく聞き取れていなかったらしい。もう少し色々と言っていたような気がするのだが。
「克人さんも大変っすよね」
「えぇ、そうですね」
「じゃ、ちょっとあたしは行くところがあるんで先に部室に行っててくださいっす」
「え? でももうすぐに部室で打ち上げをやりますよ?」
「先に始めてていいっすよ」
そう言うと、悠陽さんは私に向かっていつも通りの笑顔を浮かべた。
「さっさと克人に首輪をしておかないと、誰かに取られちゃうかもしれないっすからね?」
「わ、分かっています!」
私が思っていたよりも、志島君は人気があった。クラスメイトもそうだし、学年問わず、志島君のことを知っている人は多い。そして、あの学級委員の子も含めて志島君にただならぬ感情を抱いている女の子もきっと多いのだろう。
私は元気よく走って行った悠陽さんの背中を眺めながら、この気持ちに決着をつけようと思うのであった。
*
克人さんはあたしじゃなく、美樹さんを選んだ。ならば、そう言うことなのだ。あたしではなく、美樹さん。もしかしたら、美樹さんよりも上に位置する人がいるのかもしれないが、とりあえずあたしの二位以下は確定だ。
美樹さんのもとから走り去ったあたしは学校の近くの公園のベンチで一人腰かけていた。これがあたしを主人公とした物語であったのならば、克人さんが必死になって私の元まで駆けつけてくれるだろう。
でも、現実は私を中心としたフィクションではない。克人さんは私を追うことなく、怒り狂った男たちに追われている身なのだ。
「ははっ! 克人さん……本当に人気者っすねぇ」
わざわざ声を出して笑ってみたのに、視界がぼやけてくるのはどうしてなのだろう。
今まで友達さえいなかったあたしにこんな感情が芽生えるなんて想像もしていなかった。クラスメイトからの孤立も解消された今だから、きっと欲が出てしまったのだ。
思えば、クラスで浮いていた私を溶け込ませてくれたのも克人さんだった。あれからテスト勉強はずっとクラスの友達に教わっている。
やはり、克人さんはすごい人だ。到底、あたしなんかとは釣り合わない。
頭の中では分かっている。なのに、どうしてこんなに胸が痛いのだろう。どうして、こんなにも涙が止まらないのだろう。
あたしは克人さんの中で二位以下。これが陸上だったらどれだけ楽なことか。二位だって、三位だって五位だって十位だって、陸上ならば練習して相手に勝てば良い。
でも、この感情に限っては、一位の分しか用意されていない表彰台を下から見上げていることしかできないのだ。
あたしは美樹さんも好きだ。大切な親友だと思っている。そんな彼女を蹴落としてまで、表彰台を独占したいのかと言われれば、それも違うような気がしてならなかった。
「あーあ。負けたっすか」
私は現実を受け入れるためにも、あえて口に出す。
「よっし!!」
いつまでもくよくよしてなどいられるか。そんなのあたしらしくない。
「どうせ、あの二人のことっすからなかなか進展しないに決まってるっす! あたしが何とかしてやるっすよぉぉぉ!!!」
そうだ。私は美樹さんも克人さんも好きなのだ。別に一位じゃなくても良い。私はこれから恋のキューピットとして、彼らと楽しく過ごせればそれだって良いじゃないか。いつか、その生活の終わりが来たとしても、それはその時考えるまでだ。
「悠陽!? どうしたの、こんなところで叫んで。今日は打ち上げしてくるから遅くなるって言ってなかったっけ?」
「あ、お母さん」
とんでもないところをお母さんに見られてしまった。これではきっと、頭のおかしい子だと思われてしまう。
すると、買い物袋を手に下げたお母さんはゆっくりと私の座るベンチまでやってきた。
「そう。克人君に振られちゃったのね」
「超能力者!?」
「大丈夫よ。お母さんもお父さんに逃げられている訳だから。悠陽とおんなじ」
「……いや、あたしは選ばれなかっただけで、逃げられた訳じゃないから。一緒にしないで」
「せ、せっかくお母さんが傷心の娘を慰めてあげようと思ったのに! まさかのカウンターを食らってしまったわ!」
元気の良いお母さんを見ていると、こっちまで元気になってくる。はぁ、悩んでいるのが馬鹿らしくなってきた。
「お母さん、今日の晩ご飯はなに?」
「そうね。肉じゃがの予定だけど。打ち上げには参加しないの?」
「参加するに決まってるよ」
「そう。分かったわ。色々食べてくるんでしょうけど、ご飯はたくさん残しておくから。帰りたくなったら、いつでも帰ってきなさい」
「帰りたくなる訳ないよ。もしかしたら、朝帰りするかもしれないから覚悟しておいてね!」
「あらあら。いつのまにか娘が不良になってしまったわ」
そう言いつつもお母さんはいつも通りの優しい笑顔を浮かべていた。お母さんは強い。あたしだってこの人の娘なんだ。こんなことで心が折れる訳がない。
隣でほほ笑むお母さんを見ていると元気が出てくる。失恋なんかでくよくよしていた自分が馬鹿らしくなってきた。
「じゃ、打ち上げ行ってくるね!」
「いってらっしゃい」
私は手を振るお母さんに別れを告げ、奨学生部の部室へと駆け出した。
*
校舎に置いた荷物をひったくるようにして取った俺は、誰にも会わないようにこそこそと学校を後にし、帰宅。
そして、次の日。何が起こるか分からないので、念のため誰もいないであろうまだ日が顔を出し始めた早朝に登校。部室に向かうと、そこにはなぜか大量のごみが散乱していた。
ペットボトルや、紙コップ、紙皿は分かる。きっと、あの三人があの後ここで打ち上げでもしたのだろう。しかし、何だこの無数の段ボール片は。打ち上げのさなか、紙吹雪ならぬ段ボール吹雪でもやったのか?
俺は「まぁいつものことか」と思考を投げ出し、せっせと掃除を始める。そして、ゴミの山の中から三枚の紙きれを見つけた。
サンタさんへ、と題された三枚の紙きれには、
きれいな字で、「おいしいご飯が食べたい」
大きな文字で「クリスマスっぽいことがしたい」
殴り書きで、「おいしく酒が飲みたい」
と書かれている。
きっと、打ち上げでテンションが上がったついでに書いたのだろう。七夕とごっちゃになっている気がするが、こういうものを見るとどういう訳か叶えてやらねばという気になってくる。
俺はゴミを片付けながら考えた。すべてを叶える妙案はすぐには浮かばなかったが、しかし時間には余裕がある。
換気をするために窓を開けると、肌に刺さるような冷気が一気に吹き込み、小さな段ボール片を宙に舞わせた。
クリスマスまであと一か月。自分が損する性格だとは知りつつも、俺は紙きれをしっかりとポケットにしまった。




