文化祭⑧
美樹と悠陽が想像以上に学校になじめるようになったのだと確認してから、俺はスープ作りへと戻った。子が親元を離れていく……やめよう。余計に老ける気がする。
乾燥昆布はもう十分なほど水でもどったとみて、コンロに火をつけた。これからはしっかりと鍋の前で見張っていなければならない。水の量が量なだけにすぐに沸騰することはないだろうが、沸騰する前で昆布を取り出さなくては、ぬめりが出てきてしまう。
女子たちのきゃぴきゃぴという声が調理室に響く中、俺はせっせと冷蔵庫から野菜を運び出した。俺の隣には唯一ちゃんと手伝ってくれている松原が。
「松原はなんだかんだでしっかりしてるよな」
「どうしたの急にそんなこと言い出して。褒めても何も出ないわよ?」
「ごめん、何というか見た目的にはほらあれじゃん」
「失礼な人だね。まぁ、否定はしないけど」
「ごめん、何というか俺の周りだと珍しくてさ。松原がどういう訳か女神に見える」
「あっれー、おかしいな。私には、松原が女神に見えるなんておかしい、何かの間違いだ! っていう風に聞こえるんだけど」
文句を言いながらも松原さんは楽しそうに野菜を運んでいる。派手な見た目からは想像できないが、意外と裏方仕事が好きらしい。
冷蔵庫から取り出した白菜、人参、ネギを並べ、順に切っていく。昨日もやっているので、指示を全く出さずとも、松原は完璧なサイズに野菜を切ってくれていた。
その作業をやっているうちに鍋の方から不穏な空気を感じる。見ると沸騰する寸前のような気配。すぐさま昆布を取り出す。俺が昆布を取り出した十数秒後、鍋の中身がぼこぼこと沸騰を始めた。
そして、今度は鰹節を鍋に入れる。量はざっくりと目で見て計る。いったん火を切って、今度は数分間このまま放置だ。
「昨日も思ったけど、志島君は本当に手際が良いね。女子力で奨学生になってる訳だから分かってたつもりなんだけど、実際に見るとやっぱりすごい。惚れちゃいそうだよ」
「松原さんだって料理上手だろ」
「志島君に言われると自信がつくね。志島君と張り合う気はないから、素直に喜ぶことにするよ」
鍋に鰹節が沈んでいるのを確認して、俺は手に持った小さなザルで出し殻をちまちまと取った。これはタッパで保管し、おかかに再生成しようと思う。量が量なので当分はおにぎりの具に困ることはなさそうだ。俺が作った出汁は黄金色に輝き、食欲を掻き立てる香りを放っている。
もう一度コンロに火を点け、今度は白菜などの野菜をすべてぶち込んだ。こういうのは勢いが一番大切だ……と俺は確信している。
白菜がくたくたになるまで煮込み、冷蔵庫から取り出した豚肉を入れ、醤油、みりん、酒で味付けをすれば完成だ。お椀に少しスープを入れ、味を見る。自分でいうのもなんだが、一発で完璧な味付けだ。
自分で作ったスープを出来を自画自賛していると、食欲魔人がふらふらと近づいてきた。
「味見する?」
「良いんですか!?」
そう言わせようと近づいてきたのだろうが、美樹はシラを切るつもりらしい。
「なくなっちゃうから少しだけな」
俺はお椀にスープを入れ、美樹に渡した。その顔は明らかに、具は!? と訴えかけてきている。文句があるなら俺が飲むとお椀を取り上げようとしたのだが、美樹はその寸前で中身を飲み干し、空いたお椀を俺に押し付けてきた。
「ごちそうさまでした」
美樹は味についての感想を口にしていないが、評価は彼女の表情がすべて物語っている。
何かを食べる美樹の姿は、周りの人間の食欲を掻き立てるようで、昨日も飲んだはずの女子たちも俺の方に棚から取り出したお椀を差し出してきた。
「自分でやれ」
俺はお玉を一人に手渡し、端っこの方の椅子に座った。
「お疲れ様。ありがとうね」
みんなから少し離れたところで休んでいると、松原がペットボトルを片手にこちらへとやってきた。そして、そのペットボトルを俺に投げて寄越す。
「せっかく志島君が作ってくれたし、今日もたくさん売るぞ! おー!」
松原が右手を突き上げると、鍋を囲んでいたクラスメイト達が呼応するように同じく
こぶしを突き上げた。
「そうだね! 志島うどん今日も元気よく営業しなきゃ!」
「ちょっと、待て。そんな店名だったのか!?」
「あれ、言ってなかったっけ? まぁ、間違ってはないでしょ」
「俺以外のクラスメイトもうどんをゆでたりとか、いろいろしてるんらから。せめて担任の名前にするとか……」
「緑川うどん? そんなうどん誰も食べたがらないでしょ。なんか毒とか入ってそうだし」
「なるほどな。貴様らはそういう風に思っていたのか」
元気よく言ってのけた松原は背後から感じる不穏な空気に背筋を伸ばした。俺からはすべてが見えているので、額から汗をかく松原に向けて優しい微笑みを浮かべてやる。
「せっかく、差し入れにと買ってきてやったのだがな。どうやら飲みたくないらしいな」
両手に大きなビニール袋を下げたせっちゃんはそれらを床にドンっとおく。二リットルのペットボトルがパンパンに入ったその袋を見て、やっぱりこの人はこういった気遣いと無縁な人物なのだなと悟るしかなかった。
「コップは? 紙コップとかは買ってきて……ないっすよね。どうせそんなんところだとは思いました。買ってきてください」
俺はせっちゃんを回れ右させた後、ペットボトルたちを冷蔵庫に移動させた。
「志島君って本当に何者なの? 緑川先生にあんな態度をとれるのは志島君だけだと思うんだけど……」
「あと二人は確実いる。あそこでうどんのスープをもくもくと飲んでいる二人も俺と同じような態度を……ってお前ら飲みすぎだ! 他の奴らも止めろよ!」
鍋のところにいる二人と二人にスープをよそい続ける俺のクラスメイト。全員揃って、はっと俺の方を向いた。
「ご、ごめんなさい。この二人があまりにもおいしそうに食べるから、ついね」
我を忘れていたのか恥ずかしそうに俯く美樹と悠陽。まぁ、クラスメイトの女子たちも特に気にしていないようなので俺が怒りすぎても空気を悪くしてしまうだろう。
「さて、それじゃあそろそろ私たちは自分のクラスに戻りますね」
「そろそろってお前ら何もしてねぇじゃねぇか」
「まぁまぁ、そんなに怒らないでくださいっす」
悠陽と美樹はそういうと、調理室を出て行った。その数分後に、紙コップを買って来たせっちゃん、クラスメイトの男子たちが徐々に入室してくる。
「志島、買って来たぞ……はぁ、はぁ、はぁ」
(((え、もしかして緑川先生をパシらせた? 志島って何者?)))
クラスメイト達の心の声が聞こえるようだ。まぁ、半分くらいは事実なので文句はない。
「それで、どちらと後夜祭に行くかは決まりましたか?」
悠陽がごねたことに加えて、美樹の「まぁ、別にいいでしょう」という言葉によって、俺たち奨学生部の相談所は午前中で閉店し、午後は自由時間となった。
美樹と悠陽は食べ歩きをすると言って部室を出ていき、俺はすることがなくなってクラスの方の手伝いに。
注文が入ったら冷凍のうどんをゆで、スープを麺にかける。大変な混雑ではあったのだが、いつだかの海の家と比較すればまだまだ生ぬるい。混雑具合というよりは戦力差が大きな要因なのであろうが、とにかく俺の負担はさして大きくはなかった。
そんな数時間を過ごして部室に戻ると、そこには二人の美少女がどこかそわそわとした雰囲気で座布団に正座していた。
「あたしか、美樹さん。克人さんが選んでくださいっす」
いつになく真剣な表情の悠陽。そして、その隣ですました顔をしている美樹。
「私たちはもう覚悟があります。志島君がどちらを選ぼうと、私たちはそれを受け入れる」
「そうっすね。あたしたちはもう恨みっこなしって決めてるんで」
そう言うと、二人は顔を見合わせて笑った。
俺も昨日から色々と考えた。いや、俺の気持ちは昨日この選択を迫られる以前から決まっている。どうやら、女子力というものに頼って生きてきた因果か、俺には男気がなかったらしい。
だが、本当に俺は今、選択をすべきなのだろうか。今、ここでどちらかの手を取れば今までの生活が変わってしまうのではないだろうか。
美樹と悠陽、そしてせっちゃん。ここで過ごした時間は確かに半年程度。しかし、俺の高校生活で、いや俺がここまで生きてきた十数年の中で、最も充実していた時間だった。
それを壊す可能性があるのならば、俺は何も決めるべきではないのではないのでは。昨日の夜からベッドの上で繰り返された思考をもう一度なぞる。昨日は結論が出なかったが、今なら決めることができそうだ。
「志島君……?」
「克人さん……?」
俺のことを見てくれている少女二人。ここで日和る訳にはいかない。女子力がなんだ。男気がなんだというのだ。俺は今、男として一人の女性を選ぶ。
「一緒に行こうか」
俺は一人の手を取って、スムーズに言葉を紡いだ。昨日からずっと口の中で準備し続けていた簡単な言葉を発すると、少女はおだやかな表情のまま小さく縦に頷いた。
そして、俺はなぜかグラウンドに建設された簡易ステージの袖で、マイクを持っていた。
「えっと、色々と聞いても良いですか?」
思わず敬語が口から流れ出てくる。そして、俺の問いに対して、隣にいる青髪の少女、青山美樹は楽しそうに口を開いた。
「どうしたんですか?」
「まず、俺は何をさせられるんでしょう」
「後夜祭の司会ですね」
「なぜ?」
「緑川先生に頼まれていたんですよ。奨学生部から後夜祭の司会を二人出すようにと」
「いや、でもなんと言うか。いや、ちょっと待ってくれ」
一旦、美樹から視線を切って俺は脳内に溜めてある記憶をフルスピードで検索した。俺は美樹と悠陽になんて言われていたのだろうか。そして、一秒もしないうちに美樹に言われた言葉を思い出した。
「後夜祭の時間は空けておいてください」
美樹に言われたのは、この言葉だ。そして、その後に俺は後夜祭がどのようなものだったのか思考を巡らせた。男女がどうなるだとかの伝説は俺が以前、どこかで聞いていただけで別に美樹や悠陽から聞いていたわけではない。…………やっちまったか?
「そろそろ、時間ですねって、どうしたんですか志島君。そんなに顔を赤くして。これから人前には出ますが、まさか志島君がそういったことを苦手にしているとは思ってもみませんでした」
「いや、違う。そうじゃない」
「あ、あれですか。後夜祭に一緒に行こうと言われ舞い上がり、一緒に行こうか、だなんてかっこつけて行ってしまったことが見悶えるほどに恥ずかしかったと」
どうやら俺は今回、美樹の掌の上で踊っていたらしい。隣に立つ美樹は、俺が恥ずかしがっているのがそんなに楽しいかというほどの笑顔だ。部室を出てからずっと。いや、俺がさっきのセリフを言いながら美樹の手を取った瞬間からだ。
「さて、そろそろ時間ですね」
美樹はそういうと、俺の手を取ったままの状態でステージに出た。ちょっと、待て。こんな状態で出たら————。
「いぇーい!! …………!? 志島を殺れぇぇぇぇえええ!!!」
「美樹、お前ふざけんなよ!?」
「何がでしょうか」
「とりあえず、俺は逃げるから!!」
「分かりました——」
美樹が素直に手を離したすきを狙って、俺はステージを飛び降り人がいない方、人がいない方へと逃げた。
学園のアイドルが後夜祭で司会という役職にはありながらも、男と手を繋いで入場。これが意味するものとは……。というか、もっと男女の組み合わせばっかりなのかとも思っていたのだが、案外男だけのグループも多く参加していた。その結果、俺は今絶賛逃走中なわけである。
俺が逃げる寸前、美樹が何かを口にしていたようだが、流石にそれを聞き取る余裕は俺になかった。
これは俺が後から聞いた話だが、この日の後夜祭は中止となったらしい。学校創設以来初めてだと理事長が大声で笑っていた。




