文化祭⑥
「……決まりました」
「あんだけお腹空いたって言ってたのによくもまぁこんなに悩めるっすね」
結局、美樹が注文の意思を固めるまでに十分少々の時間を要した。しかし、食に関して妥協することを知らない美樹にとっては必要最低限の時間だったのだろう。
「それじゃあ、店員さんを呼ぶっすよ」
悠陽はテーブルに備え付けられたボタンを押す。店内に響く、ぽーんという音に美樹が一瞬だけ背筋を伸ばした。しかし、悠陽がボタンを押したが故に鳴り響いた音である、ということには気づかない美樹はこちらにやってくる店員さんに目を丸くしている。
「まさか、こんなにもベストタイミングで来るなんて、ここの店員さんはやはり洗練されていますね」
「克人さん、もうあたしもめんどくさくなってきたっす」
「さっきまで張り切ってたんだから最後まで責任持てよ」
匙を投げだそうとする悠陽に釘を刺すと、悠陽は一瞬だけ嫌な顔をしたもののすぐに気持ちを切り替えて、店員さんに注文を始めた。
「あたしはこれでお願いしますっす」
「あ、俺も同じので」
俺の注文は悠陽の予想通りだったようで、ニヤニヤとした表情をこちらに向けてくる。店員さんは手にした機械でスムーズに俺たちの注文を入力していた。そして、問題の美樹はと言うと。
「私はこちらのハンバーグセットでお願いいたします」
「流石、お嬢様っす……あたしたちの注文と一〇〇〇円くらい差があるっすよ」
「そうだな。このドリアもおいしいんだけど」
「ご飯が無料で大盛に出来ますが、いかがいたしましょうか」
「それでは大盛でお願いいたします」
人の注文の金額をわざわざ確認するのはマナーとしていかがなものだろうかとも思う。しかし、知識として美樹の頼んだメニューは以前から食べたくともなかなか食べられないメニューとして頭に入っていた。
「ご一緒にドリンクバーはいかがですか?」
「あ、あたし無料券持ってるっす。これ、使えるっすか?」
「はい。かしこまりました。グラスはドリンクバーコーナーにございますので、そちらからご利用をお願いいたします」
店員さんが背を向けると、悠陽はばっと席を立った。
「美樹さん、飲み物取りに行くっすよー」
「え? あ、はい」
「克人さんは何がいいっすか?」
「なんでもいいからお茶で」
「了解っす」
状況があまり呑み込めていないようだが、悠陽に手を取られて美樹も席を立って行った。財布の中にファミレスで使えるクーポンを忍ばせているのは、流石お金のない学生とでも言ったところだろうか。
俺が何をする訳でもなくぼーっとしていると、少し時間がかかってから夕陽と美樹が帰ってきた。
「あそこにあるものすべて飲み放題なんですか!?」
「そうっすよ。何回でも飲みたいだけ飲んで大丈夫っす」
今度は美樹と食べ放題の店にも行ってみたい。きっと、目を輝かせて暴食の限りを尽くすことだろう。少し興味がある。
「克人さんにも持ってきたっす。あと、これおしぼりも持ってきたっすよー」
「ありがとう」
悠陽は俺の前に濃い茶色の入ったグラスを差し出した。
差し出されたグラスを傾け、口に流し込む。そういえば水分もまともに摂取していなかったことも思い出した。
乾いた喉を香ばしいお茶が通っていき、お茶とは思えないほど甘い後味が……? 香ばしいと思っていたのだが、もう一度液体を口に含み味を確認する。香ばしいと思っていたのだが、これは単なる苦みではないだろうか。そして、口内に神経を集中させると微かに何かが弾けるような気がしてきた。
「おい悠陽? 何入れた?」
「何入れたって、ウーロン茶っすよ……八割は」
「残りの二割は何を入れた」
「コーヒーとコーラっす」
「それが原因だな。おい、美樹。なんで止めなかった」
「え、私ですか? 止めるも何もドリンクバーとはそういうものだと、悠陽さんが言うので……」
「悠陽?」
「だって、お決まりじゃないっすか」
「お前は中学生か」
目を逸らす悠陽に対し、申し訳そうな顔をする美樹。意図的な場合ならば美樹も笑って俺を口撃してくるのだろうが自分の無知が招いたことでもあるので、あまり積極的な攻勢には出れないようだ。
しかし、貧乏性なのか目の前に置かれるとすべて飲まなくてはいけない気がしてくる。不思議な液体を一気に嚥下すると胃から何かが湧き上がってくるような感覚が襲ってくる。胃の中が空も同然で助かった。
そんな俺の苦悩など知る訳もなく、美樹は自分で持ってきたオレンジジュースを優雅に飲み始めていた。
「お待たせしましたー」
先ほどとは違う、今度は男性の店員さんが両手に料理を持ってやってきた。
「お熱いのでお気を付けください」
そう言って店員さんは、熱々のドリアを美樹と悠陽の目の前に置いた。悠陽があちゃーという顔を浮かべ、美樹は私じゃないとアピールをすればよいものの、どういえばいいものか迷っているらしく、あわあわと口を開け閉めしている。
そして、店員さんは一礼をしてから店の奥へと戻って行き、その店員さんと入れ替わるようにして、先ほどオーダーを取った店員さんがハンバーグ定食(ご飯大盛)を持ってやってきた。
「ハンバーグ定食のお客様……?」
先ほど美樹から聞いたがために美樹の前に置こうとしていたのだろうが、先客、もとい先料理がいるがために置くところを見つけられず、仕方なしといった様子で俺の目の前に置いた。
「……ごゆっくりどうぞ?」
注文を男女で入れ替えて頼むという不思議な遊びをしているとでも思われたのだろうか、頭の上にクエスチョンマークを浮かべながらも素直に伝票を置いて戻って行った。
「えっと、そっちを食べますか?」
「いや、美樹がこれ食べたいんだろ?」
大盛が男側に来るというのも良くあることらしいのであまり気にしなくていいのだろうが、美樹は「女性が大盛というのは珍しいのでしょうか」と少し、恥ずかしそうに顔を赤らめていた。
女性が男性よりも少食だなんて誰が決めたのか分からない。いや、今回の場合はハンバーグとドリアのどちらが女性に好かれているのかという今までの感覚的データに従って、店員さんは料理を置く場所を決めたのだろうから、別に責めることはできない。
素直に料理を美樹と交換してから、三人揃って黙々と食べ始める。空腹のピークは既に過ぎていたのだが、やはり腹は減っていたようでとてもリーズナブルなドリアなのだが、とてもおいしく感じられた。それは悠陽も同じようで熱さなど全く気にしないで食べている。
「おいひいです」
口にものを入れながらしゃべるな、と注視する気も失せるほどに美樹はおいしそうにハンバーグを食べ、笑顔を浮かべたまま白いご飯も口に運んでいた。
料理の量が美樹よりも少なかったこともあり、俺と悠陽は美樹よりも早く食べ終わったため、食事中の美樹の観察をする。女子の食事をまじまじと見つめるのは……まぁ、幸せそうに食事をする姿は見ていて癒される。あ、あれだ。ハムスターが食事をするのがかわいいのと同じだ。
「ごちそうさまでした。……どうしたんですか、二人そろって初孫を見るような顔をして」
「どんな顔かは想像できるけど、流石に十代にその優しい感じは表現できないだろ」
店員さんが空いた食器を片付け、それぞれで新たな飲み物を持ってきて落ち着いていた現在。美樹と悠陽の二人が真剣な表情で俺を見ていた。
「それで、私か悠陽さん。決まりましたか?」
「あ、行かない選択肢は既にないのな」
そういえば、さっきはぐらかせた後夜祭の件がまだ未解決だったということを思い出し、俺は必死になって退路を模索する。しかし、どうやら二人に俺を逃がす気はないらしい。
「その通りです。もしくは三人でも構いません。ですが、周りの視線はすさまじいものになるでしょう」
「流石に克人さんにはハーレムプレイを楽しむ度胸はないっすもんね」
「悠陽、俺はお前のこれからが心配だ」
「ふざけたあたしも悪いっすけど、話をそらさないでくださいっす」
話をうやむやにしたかったのだが、どうやら今回ばかりは悠陽もアホの子にはなってくれないらしい。
「というか、後夜祭って何するんだ?」
「志島君は知らないんですか?」
「克人さん、もう少し身の回りのことに興味を持った方が良いっすよ。後夜祭はバンドのライブが開催されたり、みんなで談笑したり、あとはビンゴ大会とかもあるっすよ。とにかくみんなでわちゃわちゃと盛り上がるイベントっす」
「なるほどな」
後夜祭という言葉は以前から知っていたし、この学園でも文化祭二日目の夜に後夜祭が行われている。グラウンドで火を焚いて、生徒たちがその周りを囲むというとても原始的なイベントであり、そこで未来を誓い合った男女はずっと一緒にいられるという伝説があるらしい。
そこに二人が俺を指そうということはどういうことなのか、馬鹿でもわかるだろう。そして、二人もそこを隠すつもりもないらしい。
明日までには決めておく。その一言が口から出そうになる。しかし、二人の真剣なまなざしを見ていると自分自身も誠実でなければないような気がしてくる。
——分かった。じゃあ……。
俺が決断を口にしようとした刹那、目の前にいる少女二人は二人そろって席を立った。
「明日の文化祭終了までに決めておいてください」
「まぁ、もう言わなくても分かってると思うっすけど、そういうことっすから。覚悟を決めておいてくださいっす」
二人は静かに、店を出ていく。三人で食事をしていた席には俺がただ一人取り残された。少し、俺の気持ちを整理しなくては。あまりにも突然突き付けられた二択だが、しかしこれは俺にとっても好機に他ならない。
真面目でいてどこか抜けている美樹。
抜けていて、それでも芯のある悠陽。
二人にはそれぞれの魅力があるだろうし、俺は二人に対して好意を抱いているのは今更否定のしようがない。そして、二人の中には俺が特別な感情を抱いている人がいる……と思う。こういう時にも自分の感情を客観的に見てしまうのは俺の悪癖なのだろう。
女の子が俺に対して、あんなにも言ってくれているのだ。確かに、始めは身近にいる男が俺だけしかいないということで、そういう風に見ているのだろうと思っていた。
しかし、最近になってクラスメイトや友人たちとも交流するようになり、言い方が正しいかは分からないが周りの男は増えてきているはずだ。それでもなお、俺にそう言った気持ちを抱いてくれているのは素直に嬉しい。
そして、こんなにも贅沢な二択に迫られている俺ではあるが、気持ちは既に決まっている。
本当ならば俺から気持ちを伝えるべきだったのだろう。いや、明日の選択が俺が気持ちを伝えるということになるのか。お膳立てをさせてしまったのは少し申し訳ないが、この機に乗じさせてもらうしかあるまい。
俺はそんな決意と共に席を立った。そして、一つの事実に気づく。
「あいつら、金払って無くないか?」
テーブルに残されている丸まった伝票を俺は拾い上げた。そして、財布の中身を確認。危ない、ぎりぎり足りる。……じゃない。あいつら、ふざけるな。
俺は軽い財布を手に持ってレジに向かった。
*
「少し語弊があったような気がするのですが」
「最初からそうするつもりだったっすから。ミスリードってやつっすよ」
悠陽さんはいつも通り、白い歯を私に向けてにひひと笑う。初めてのファミリーレストランからの帰り道、私は悠陽さんと二人、並んで歩いていた。
悠陽さんが最初にこの提案をしたとき、私は一瞬だけ胸を貫かれたような錯覚に陥った。それは、恋に落ちるといったような愛らしい痛みではく、背後から細剣で心臓を貫かれるの様な、そんな痛み。しかし、悠陽さんの話をよくよく聞いてみると、どうやら単なるいたずら心らしい。ほっと胸をなでおろしながら、私は悠陽さんの提案に頷いた。
でも、私にとってあわよくばという気持ちが無い訳ではない。しかし、きっと気持ちの強弱はどうであれ悠陽さんも私と同じ想いを胸に秘めているはず。だから、私が彼に想いを告げるのはどこか気が引けてしまう。悠陽さんが成長すれば……少し待とう。なぜ私が悠陽さんの成長を待たなければならないのだろうか。悠陽さんはいうなれば私の好敵手。
ならば悠陽さんがこの気持ちに確信を持ち、行動を起こす前に先手を打つべきだ。行動力のある悠陽さんならば気持ちに気づくや否や、私には追いつけないスピードで走り抜けるに違いない。
だからこそ、私は先手を打たなければならない。でも、それでは正々堂々と胸を張れる気にはなれず、結局こうして遠回りをしながらも志島君の気持ちを探っているのだ。そして、あわよくば彼に行動を起こさせる。
私はその隙を彼に見せるしかない。だからこそ、最近は彼の前では気張らなくなった。それが良いのか悪いのかは分からないが、私にできるのはこれくらい。
「あ、お金払うの忘れてたっす。克人さんに明日返さないとっすね」
「私もすっかり忘れていました。志島君に悪いことをしてしまいましたね」
悠陽さんに言われてやっと気づく。お金を払い忘れるとは、いくら初めて友人と外食をしたとはいえ普段の私ならばあり得ないミスだ。きっと、どこか舞い上がっているのだろう。
となりには笑顔の悠陽さん。やはり、悠陽さんは私のライバルであり最高の友人。隣を歩く悠陽さんは私の手を取った。
「美樹さん、明日は一緒に文化祭を回らないっすか?」
「良いですよ。ですが、相談室の方が……」
「あんなの、やらなきゃいけない訳じゃないんっすから、休みにしちゃえば良いっすよ」
「それもそうですね。……やはり最近、志島君の適当病が写ってしまったのかもしれません」
「そうっすよ。でも、あたしはそんな美樹さんも大好きっす」
この純朴な笑顔には敵いそうにない。私は明日、朝一番に今日の代金を志島君に返そうと決意して、悠陽さんの手を握り返した。
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