体育祭⑥
「志島君、すみません」
「良いよ。とりあえずは寝とけ」
俺はベッドの上で上半身を起こしている美樹に保健室の冷蔵庫にあったペットボトルのスポーツドリンクを差し出した。中身をゆっくりと半分くらい飲んだ美樹はペットボトルを俺に返す。
ベッドに横になろうとする美樹の首元に、冷凍庫の中に入っていた氷枕を敷いてやると、見た目だけは儚げな少女は木も落ちよさそうに目を閉じた。
「少しはしゃぎすぎてしまったようです」
「そうだな」
「本当にすいません」
「そんなにお菓子が欲しかったのか?」
「いえ、少し憧れてたんですよ。何かをみんなで成し遂げるということに」
美樹はベッドに横たわったまま話を続けている。
「勿論、お菓子も魅力的でしたけど。それでも、悠陽さんとせっちゃん先生とあなたで何かの形で残ることがしたかったんです」
「なら、そのお菓子は食べるなよ。形なくなるから」
「そういうことではなくて!」
「ほら、興奮すんな。寝てろ」
美樹は言いたいことを言い終えたのか、その後は静かにベッドで眠っていた。
流石に、無防備な女の子のすぐ近くにいるというのも気が引けてくるな。テントにいる悠陽とそれこそバトンタッチをしよう。
「……ん」
「どうしたんだ美樹」
意識的か、それとも無意識か。保健室を出ようと席を立ちかけた俺の手首を美樹は静かに掴んだ。
「おーい、美樹さんや。離してくれませんかー?」
俺の呼びかけにも、美樹は反応を見せなかった。
「……ん、んぁー」
「やっとお目覚めですか」
オレンジ色の光が保健室の中に入り始めたこの時刻。少し前に、体育祭終了のアナウンスが鳴り響いていた。
「……志島、くん?」
「それ以外の誰に見えるのかな?」
「すみません、大きなゴキブリが喋っているのかと」
「どっちだ。熱中症で頭がおかしくなったのか、それとも元気が有り余っているのか」
「もう大丈夫です。それよりも、無防備な女の子にずっと付き従うというのは少し、デリカシーが欠如しているのではないですか?」
「そうか、俺に文句が言いたいなら自分の左手を見てみろ」
俺の言葉通り、美樹は自分の左手を見る。そして、そこに捕らえらえられている手、そしてそこからつながる俺の顔まで舐めるようにして眺めたのち、ぼんっといったような音を上げて美樹の顔がみるみるうちに赤くなった。
「……すいません」
「別にいいけど」
「いくら意識がもうろうとしていたからって、こんな……」
「寝言もすごかったぞ」
「本当ですか?」
「お腹空いた、お腹いっぱい、の二言しか言ってなかった」
「そうですか、まぁでも二回くらいなら仕方ない……」
「あ、違う違う。言ってた種類はその二つだが、回数はもっと言ってたぞ? 一〇を過ぎたあたりで数えるのが面倒になった」
「……そうですか」
「そんなことより、そろそろ腕を解いていただいてもよろしいですか?」
「あ、はい! すいません……」
珍しく大きな声を上げた美樹は、ぶん投げるようにして俺の手を離した。とても、申し訳ないと思っているとは思えない態度だが、それとは裏腹に美樹の顔は赤く染まっている。
「まだ、調子悪いんんじゃないか?」
俺が美樹の額に手を伸ばすと、背後から元気な声が聞こえてきた。
「いやー、疲れたっす……て、ちょっとぉぉ! 克人さん、病人相手に何してんすか!」
「何って、熱を測ろうかと。お前こそ、病人の前でそんな大声出すなよ」
「申し訳ないっす」
悠陽はぺこりと頭を下げると、俺の隣にパイプ椅子をもってきて座った。
「それで、美樹さんの具合はどうなんすか?」
「まぁ、さっきに比べれば顔色も良くなったかな」
「本当っすか? さっきと変わらないくらいに顔が真っ赤な気がするっすけど」
「そんなことないだろう」
俺がもう一度、美樹の顔を覗き込むと、いつも間にか目を閉じていた。いや、悠陽が話すたびに瞼がぴくぴくと動いている。狸寝入りを決め込むようだ。
「まぁ、美樹さんが元気になったようで何よりっす。あ、ちなみに白組が勝ちました」
「そうか」
「いまさらっすけど、学校行事の中での人気ランキング一位、二位競う体育祭なのにそのテンションってどうなんすか」
「本当に今更だな」
悠陽がいつになく冷静に指摘してくる。俺だって確かにそう思う。高校生なんだから、もっとはっちゃけるのが正解なのではないだろうか、と。しかし、今回ばかりは美樹が体調不良になってしまったのだ。そんな状態でテンションを上げろという方が酷な話だろう。
俺が自分自身を正当化していると、美樹が眠たそうに目を擦りながら上半身を起こした。健気に「はぁーあ」と欠伸をしている。いや、俺は起きてたの知ってんだから、こっち向いてわざわざ欠伸をする必要はないだろうに。
「美樹さん、もう起きて平気なんすか?」
「えぇ、心配をかけてしまったようですね。すみませんでした」
「良いっすよ。美樹さんがあんなに楽しそうに何かをするのは久しぶりに見たっすから」
「柄にもなく楽しんでしまいました」
そういって、恥ずかしそうに微笑む美樹。背後の窓から夕陽が程よく差し込んでおり、どこか儚げな印象をこちらに抱かせる。
この表情で直視されては流石の俺も変な気を起こしてしまいそうになる。慌ててそらした視線の先には、保健室の窓。外には、体育祭の片づけを始めている生徒たちの姿があった。
片付けさえも楽しそうに行う生徒たちを眺めていると、悠陽が俺に向かって呆れたような視線を向けてくる。
「美樹さんまでこんなに楽しんでるのに、克人さんは本当につまんなそうっすよね」
「だって、暑いし」
「そりゃそうっすけど。何というか、もっと青春を謳歌した方がいいっすよ!」
「そうですよ、志島君。高校生は青春をすべきです」
「美樹がそんなことを言うのは珍しいな」
「みんなで協力して何かを成し遂げるって素晴らしいじゃありませんか!」
美樹は今日こればっかり言っている気がする。悠陽もそうっす、そうっすと首肯しているし。
仮に悠陽が青春というワードを出すのであれば分かる。だが、美樹がなぜ……?
「美樹、ちなみになんだが昨日何していた?」
「昨日ですか? 今日は授業もありませんし、ゆっくりしていられるかなと思ったので久しぶりに漫画を読んでみました」
「どんな内容だった?」
「野球の漫画でしたね。弱小校だったチームで部員の心も離れ離れだったんですが、主人公が輪に加わることでどんどん仲良くなっていき、甲子園の出場を果たすというストーリーでした」
「何時くらいまで読んでた?」
「この漫画が案外面白くてですね、気づいたら三時まで読み耽ってしまいました」
「何時に起きた」
「五時ですが……志島くん、どうしたのですか? 質問のトーンが徐々に落ちてきているような気がしますが……」
「つまり、お前は昨夜遅くまで漫画を読み漁った結果、睡眠不足となり、友情ストーリーに触発されてリレーで張り切った結果、熱中症でぶっ倒れたと?」
「……はい」
「うっわ、克人さんが真面目にキレてる時のトーンっすよこれ。気を付けてくださいっす」
俺に怒られ慣れている悠陽が、美樹に向かっていらぬアドバイスを施した。
「あ、そうだ。あたしはせっちゃんに片づけを手伝うように言われてたっす! 遅れたら怒られるので、先行くっすね! それでは、お二人はごゆっくりーっす!」
「悠陽さん! 悠陽さん!? なぜ、そんな全速力で走っていくの!?」
リレーで走った時よりも速いのではないかというスピードで悠陽が保健室を出て行ったことにより、またも俺と美樹の二人だけの空間が構築された。




