体育祭➆
悠陽が部屋から出て行ったことで、部屋の中はまたしても静寂に包まれた。勿論、俺が意図して作り上げた状態ではあるのだが。
「志島君……? ちょっと、何か言ってくれませんか?」
「お前は馬鹿か」
「一応これでも……、すいませんでした」
何か反論を試みたようだが、俺が目を細めると諦めたようにして首を垂れた。俺も病人に向かって怒鳴り散らすような鬼畜ではない。そっと、氷枕を新しいものに代えてやった。
「志島くんは優しいですね」
「どうしたんだ、急に」
「いえ、なんでもないです」
「そうですか」
美樹は満足そうに頷くと、何かを欲しているように俺を見つめてきた。そして、視線を冷蔵庫の方に向ける。
「お腹が空きました」
「そんな晴れやかな笑顔で言わんでも」
俺は、美樹に促さるまま冷蔵庫に向かい、中を確認した。なんで、この冷蔵庫の中身はこんなに充実しているんだろう。リンゴにバナナにブドウ。色とりどりのフルーツがきれいに並べられている。って、ちょっとまて俺の見間違いでなければあれはビール……俺は黙って冷蔵庫の扉を閉めた。
「これでいいか?」
俺は冷蔵庫から取り出したリンゴを美樹に掲げる。嬉しそうに頷く美樹。弱ると幼児退行するタイプかこいつは。
流しの近くに置いてあったきれいな包丁を手に取って、俺はリンゴの皮をむき始めた。なんで保健室に包丁がちゃんと用意されているのだろう。しかも、律儀にまな板まで。
リンゴの皮に包丁を当てると最小限の抵抗だけですーっと包丁が通った。素晴らしい包丁だ。良い包丁を手にすると、なぜかその性能を思う存分に発揮してみたくなる。
俺は保健室の棚から、割り箸を一膳持ってくる。通いなれたこの部屋のどこに何があるかくらいは把握済みだ。ちなみに、この割りばしは久々井先生がお昼にカップ麺を食べる時用のもの。端の隣にあった紙皿も何枚か準備しておく。
まずはリンゴを半分にカット。片方に翼を造形していく。そして、もう半分のリンゴを薄く切り、首から先を作る。翼側にくぼみを作って首を差し込めば、りんごで作った白鳥の完成だ。
紙皿に移して、割り箸とともに美樹の方へと持っていく。時間もそんなにかかっていないし、結構な自信作だ。きっと、今の美樹なら喜んでくれるだろう。
「ウサギがいいです。あと、割り箸じゃなくて爪楊枝で食べたいです」
「……承知しました」
俺はもう一度冷蔵庫を漁って、りんごを拝借。ご要望の通り、ウサギの形に切って美樹に差し出した。勿論、その中の一つにちゃんと爪楊枝を刺してだ。
「ほら、美樹。剥いてやったぞ」
「……あーん」
「どうしたこっちに向かって口を開けやがって。歯科医ごっこなら今度な」
「本気で言っているんですか?」
「分かったよ。ほら、あーん」
甘えてくる割には時折、鋭い眼光をこちらへと飛ばしてくる。どうなりたいんだこいつは。俺がウサギを口元まで運んでやると、美樹は大きな口を開けてウサギを一匹丸ごと口に入れた。しゃこっという心地よい音が、保健室に響いた。
「痛いよぅ、痛いよぅ、ぎゃあ、背骨がぁぁぁぁああ」
「ひひまくんさすがにせいかくがゆがみひゅぎじゃないでひゅか」
せっかくウサギさんの気持ちを代弁してやったのに、美樹はどうやらご立腹なようだ。食べながら話すな。というか、口に含みすぎて、何言ってるのかほとんど分からない。だが、俺に文句があるということだけは伝わった。
「志島君、流石に性格が歪みすぎではないですか」
口の中のものをすべて胃に収めた美樹が改まって俺に抗議する。そんなにきりっと言われてもな。
「悪かったって。ほら、あーん」
俺は美樹を黙らせるようにもう一匹の生贄を差し出した。美樹は何か言いたげだったが、口いっぱいにリンゴを頬張ると、幸せそうな笑顔を浮かべた。
またも口の中のリンゴがなくなり、新たな一切れを口元に運んでやる。運べば運ぶだけ食べそうだ。
今度は食べ終わっても少しの時間放置してみる。すると、俺に向かって口をぱくぱくと動かし始めた。親から食べ物を貰う雛鳥のようだ。見ているだけでなぜか、かわいそうになってくるので俺は仕方なくもう一度リンゴを美樹の口元へ運んだ。
そんな時間がどのくらい流れただろうか。もう一度、保健室のドアが何者かによって開かれた。
「そろそろ、下校時間だから蹴る準備を……誰だリンゴで白鳥を作ったのは。って、志島しかいないか」
「せっちゃんお疲れ様、もしよかったら、その白鳥食べていいですよ」
「白鳥と称するな。なぜか食べづらくなる。青山には食べさせなくていいのか?」
「こいつはもう、丸々一個食べましたから。それに、その白鳥はお気に召さなかったらしく、ウサギが——ぐほっ! なんで、殴るんだよ」
「いえ、なんでもありません」
すました顔のまま、スポーツドリンクを飲む美樹。なぜ、殴る。
「まぁ、青山が良いなら頂くとしようか」
そういって、せっちゃんは割り箸で白鳥の羽を一枚取り、口の中へと運んだ。
「うわぁ、僕の羽がぁ、羽がぁ、痛いっ! 痛いよっ!」
「おい志島、余計なことを言うんじゃない」
般若も泣いて帰りそうな表情で睨まれてしまった。
ベッドに座っている美樹までもが俺をさげすむような表情で見つめてくる。調子が戻ったようで何よりだ。
俺と美樹は体育着から制服に着替え、せっちゃんに追い立てられるようにして校門の外まで出てきていた。
「大丈夫か? なんなら送っていくけど」
「タクシーを呼んでありますから、大丈夫です」
けっ! 金持ちめ。
俺が心の中で悪態をついたことなど知る由のない美樹は、俺に向かって今日何度目か分からない、屈託のない笑顔を向けてきた。その手には、お菓子の入った袋と、スポーツドリンクが入ったビニール袋が握られている。
「今日は本当にありがとうございました。それと、すいません。大切な体育祭を私のせいで参加できなくなってしまって」
「別にいいよ。午前中は参加して、もう俺の出る種目もなかったしな、それに最初から学校行事なんてあんまり乗り気じゃないし」
「そうですか、それなら良かったです」
「それに、奨学生部での思い出はできたしな」
「そうですね」
美樹は手にしていたお菓子の袋を大事そうに握りしめた。そして、その中身を一つ取り出して俺に差し出す。
「お礼……、いやそもそもこれは皆のものなんですけど」
「それはお前のものでいい。悠陽もせっちゃんも俺も、みんなお前のために走った訳だからな。美樹の笑顔が見れたら十分だ」
いかん。柄にもないセリフを言ってしまったか。この後飛んでくる言葉は容易に想像できる。「きもい」か「気持ち悪い」か「死んでください」のどれかだろう。俺は、何を言われても瞬時に対処できるように心構えを取る。
「そうですか、そう言われると気恥ずかしいですが。……これで良いですか?」
そう言って、美樹は俺に向かって優しく微笑みかけた。確かにこの表情は美樹が人為的に作ったもの。先ほどまで、いや今までも美樹が自然に笑った姿は何度も見てきたはずだ。
しかし、俺には今までの美樹にはなかったものを感じ取ってしまった。そして、俺は素直に美しい、かわいいと感想を抱いてしまう。これは当たり前のことかもしれない。彩華学園随一の美少女である美樹が俺にだけ笑顔を向けている。ならば、先の感想を抱くことにおかしな点はどこにもない。
「ちょっと、何か言ってくださいよ」
「うん、綺麗だと思う」
「……! からかわないでください!」
美樹が大きく声を張り上げ後ろを向くと、タイミングを見計らっていたようにタクシーが美樹の目の前にやってきた。
「今日は、ありがとうございました!」
どこか投げやりな風に言った美樹は、そそくさとタクシーに乗った。
とりあえず、俺は美樹の乗るタクシーが見えなくなるまで、小さく手を振り続けている。
美樹がそれに反応を示していたかは分からない。だが、今の俺は自然とそうしてしまっていた。




