修学旅行➆
「中学生になってからは父もうるさく言ってくることはなかったんですけどね。ただ、学校行事などのイベントごとは、関係が親密になる恐れが! と言って私を孤立させようとするのです」
美樹は一通りを話し終えると、座っている背もたれに体重を思いっきりかけた。
「そうか。そんなことがあったんだな」
「白々しい」
「何が」
「あなたのことですから、どうせ全部覚えているのでしょう? あなたが忘れたいと思っているのであれば、別に忘れて頂いて一向にかまいませんが」
「分かった分かった。分かったから、そんなに頬を膨らませるな」
「膨らませてませんよ」
いつまでも冷静でいる美樹は、今日何度目か分からないため息をついた。
「幸せが逃げるぞ」
「今まさに逃げている最中です」
美樹はもう一度、ため息をつく。通常呼吸がため息なのではと疑いたくなるが、身の危険を感じるのでこの辺りでやめておこう。
「はぁ。私の思い出はあなたにとって本当にどうでもよいものだったのですね」
「思い出といってもなぁ……。というか、なんでその思い出の登場人物が俺だと思ったんだ?」
「確信があった訳ではありません。ただ、あなたが最初に奨学生部に来た時、どことなく雰囲気が似てるなと思ったんです」
「でも、わざわざ俺にこんな話を聞かせたということはどこかでその疑念が確信に変わったからなんだろ」
「そうですね……。昨日、あのティッシュを見たときにもしやとは思いました。ですが、最後の最後まで確信とまではいきませんでしたよ。最後は半分かまをかけたようなものです。優しかったあの頃のあなたであれば、きっとこの話を聞いて自分だと言ってくれるだろうと。変わってしまった今のあなたはシラを切ろうとしたようですが、少し強引にいかせていただきました。話を聞いていた時の顔、何かを必死に考えこんでいるようでしたから」
美樹は話している最中も俺の様子をじっくり観察していたらしい。俺としてはそんな意識もなかったのだが、俺も心当たりがあっただけに無表情を貫くことができなかったようだ。
「とにかくお礼を言わせてください」
美樹は突然居住まいをただすと、こちらに身体を向けた。
「ありがとうございます」
「何のお礼なのかよくわからないな。鉛筆を借りたのは俺だし、むしろ俺の方が礼を言うべきだ」
「いえ。私には二つ、ちゃんとあなたに言わなければいけないお礼があるんです。まずは、テストのときに、手を抜いてくれてありがとうございました。思うところが無い訳ではないですが、あの時はあなたの気遣いで私の一位という順位は守られました。もう一度言いますね。思うところが無い訳ではありませんが」
「お礼を言うにしてはこちらを睨みすぎではないですかね美樹さんや」
「うるさいです。それと、もう一つ。って、ちょっと、真面目にお礼を言おうとしているんだからそんなにおびえないでくださいよ」
「それは無理だ。日頃の行いを省みてくれ」
美樹はもう一度大きくため息をつく。そのため息が人々を恐怖に陥れているということをもっと自覚してほしい。だが、美樹はそんなこと考えてもいないだろう、いたって真面目に、言葉を続けた。
「もう一つは、あなたのおかげで私は余裕を持つことができました。こんなにも、適当に、人生を楽観的に、適当に、投げやりに、適当に生きている人がいるのかと」
「おい、喧嘩売ってんのか」
「あなたを見て、肩に入っていた力が抜けた気がするんです。順位に縛られたり、親に縛られたり、私は色々と気負いすぎていたのだと」
「俺は別に成績が悪くても、怒られることはなかったからな」
「それではなぜ、あんなにも勉強ができるようになったのですか」
「俺には両親がいないから。本当なら自分で稼ぎたいところだが、子どもにはできない。それならできることはやってやろうってことで、色々なことに手を出したんだよ。勉強とかスポーツとかな。塾とかクラブチームには入れなかったから勉強は図書館で本を読んだり、学校の先生に聞いたり。スポーツは同級生や近くの上手い奴に聞いて回ったりして」
「そうなんですね。すいません、適当に生きているなんて連呼してしまって」
「別に気にしてない。適当に生きている件については否定できないしな」
「そうですか。それはよかったです」
美樹はやっと笑顔を浮かべる。満足そうに席を立つと、部屋の扉を開けながら最後にこちらを振り返った。
「もし、今でも私の言葉を気にしてテストのときに手を抜いているのであれば、もうやめてください。次のテストでは本気の勝負をしましょう」
宣戦布告を残した美樹は俺の返答を待つことなく部屋を後にした。
「もう今は絶対に敵わねぇって」
「へぇ、そんなに頭良かったんだな、お前。私のお嬢様と勉強で競い合えるなんて相当だ」
「聞いてたんですか」
バルコニーから美樹と入れ替わるように部屋に入ってきたメイドが聞き耳を立てていたことを隠そうともせずにやってきた。
「それに、お嬢様のあんな砕けた態度を見たのは久しぶりだ。これなら、うちがわざわざ願うまでもなさそうだな」
「まさか、俺に美樹と仲良くしてくれなんていういお願をしようとしていたわけじゃないですよね?」
「流石、とでもいうべきか。正解だ」
「大丈夫、あいつはあいつでうまくやってますから。クラスでは孤立してる風ですけど」
「それはうまくやってるとは形容できない状態だろ」
「大丈夫」
「何を根拠にそんなことを抜かしてやがる」
「あいつにはちゃんと友達がいますから」
「それはお前か?」
「俺は下僕らしいから除外するとしても、少なくとも美樹には二人の友達がいますよ」
「そうか、ならいいんだ」
「二人じゃ少なすぎるとでもいうのかと思っていたんですが。意外ですね」
「友人なんて二人で十分だ。希薄な多数の友人より、濃密な少数の親友と下僕の方がよっぽど価値は高いさ」
メイドは「いいこと言ったぞ?」と、こちらを挑発するように眺めてきた。どうにかこうにか一矢報いたいと画策を頭の中で練っていると、突然もう一度ドアが開いた。
「志島君。いえ、下僕。私の家のメイドを夜な夜な部屋に連れ込むとは良い度胸ではありませんか」
美樹は遠慮なくこちらにずけずけと寄ってくると、メイドの隣に立った。よく見ると、メイドは先ほどの格闘で衣服が少しはだけている。
「襲ったんですか?」
「襲われたんです」
「白々しい」
美樹はそういうと、俺の腕をとった。そのまま俺の肘をまっすぐになるまで伸ばし切り、倒れ込むようにして俺の身体に足をかける。俺が当事者でなければ、見事な腕ひしぎだと感嘆の声をあげていたことだろう。
美樹は、次いでメイドに視線で何かを訴えた。何をどうしたらそれが伝わるのかというくらいに鮮やかなスピードで、俺の足はメイドに取られ、相手の足とも絡んで四の字に固められた。
このご主人あって、このメイドか。いや、このメイドがご主人様をゆがめたのかもしれない。友人の少なかった美樹にとって、この人はその代わりだったのだろう。美樹もメイドもとても楽しそうな表情だ。なんとも、ほほえましい……となるほど俺の身体は頑丈ではない。
まず力任せに、上半身を起こし美樹を振り払う。きゃっという可愛らしい悲鳴が聞こえたような気がしないでもないが、きっと気のせいだ。いや、そうに違いない。
そして、主人の身を案じたのか一瞬、その拘束を緩めたメイドを足でけり飛ばし、難を逃れた。
「志島君。なかなかやりますね」
「もう終わりにしよう。俺が襲う訳ないだろ」
「そんなことは分かっています」
「なら、なぜ関節を極めた!?」
「……気分です」
「おいメイド。何が悲しくてこんな奴の友達をやらにゃならんのだ」
「あなたは友人でなく下僕のはずですから問題ないでしょう」
メイドと美樹は二人そろって不敵な笑みを浮かべる。友人の実家で、まさか二対一の状況で対峙することになろうとは。来なきゃよかった。
今更、後悔してもどうにもならないがその念を抱かずにはいられない。
「やめましょうか」
「お前が始めたんだぞ!?」
いたって冷静に言う美樹に、俺は心を乗せて叫ぶ。美樹は全く意に介さずに、メイドを引き連れて部屋をもう一度出て行った。
二人が出て行ってから数分が経った後、俺は扉を開けて廊下を確認する。
「寝るか」
今日はもう疲れた。廊下には姿がなかったが、まさかもう来ることはないだろう。
翌日。目覚めるや否や飛び込んできたメイドが少し笑っていたのは、きっと気のせいだ。そうに違いない。
「克人さん! どういうことっすか!」
修学旅行もとい美樹の実家訪問から帰った俺は、怒った悠陽の怒声を浴びていた。
授業が終わってすぐのこの時間はせっちゃんと美樹はまだ来ていない。
悠陽はちゃぶ台を思いっきり叩く。
「ちょっと! 何、美樹さんの実家まで行ってんすか! 私んちまで来て、せっちゃんのところも行って、美樹さんのところに行って。なんすか? スタンプラリーでもやってんすか!?」
「いや、そんなつもりは……」
「そんなことはどうでもいいっす!」
「お前が言い出したんだよね!?」
悠陽はその場で立ち上がって、詰め寄ってきた。
「お・み・や・げ・は?」
「忘れました」
「ちょっと、どういうことなんすか! 修学旅行に行って、部活の後輩にお土産を買ってこないなんてありますか!?」
「すまん、それどころじゃなかった」
「せっかく、部活の練習前に来たのに! はぁ、もういいっす。美樹さんかせっちゃんにたかるんで。もう克人さんなんて知らないっす」
何を話しかけても返さない悠陽との妙な時間を過ごした後、せっちゃんと美樹が同じタイミングで入ってきた。
「せっちゃん! 美樹さん! お土産欲しいっす!」
「「あ」」
「もう、奨学生部なんて知らないっす!」
悠陽は勢いよく部室を出て行った。
後から聞いた話だが、この日、悠陽は部活の練習でベストタイムを更新したらしい。
「あ、志島君。今度また付き合ってもらいますから」
「え」
「お父様の過保護を直すの、協力してくださいね」
「あ、あぁ」
「母音しか出せなくなったのですか?」
美樹はまたちゃぶ台に勉強道具を広げた。
「志島、どうしたんだ。そんな難しい顔して」
どうやら俺は、考え事をすると表情に出るらしい。せっちゃんは不審そうに俺を見た後、気を抜くようにメガネを取る。
難しい顔をして参考書を見る美樹の横顔は、なんだかいつもよりも楽しげに見えた。
窓の外を見ると、走り回っている悠陽の姿。
何より腹立つのは、美樹が俺を置いて新幹線で帰ったことだ。畜生。俺の分まで出してくれたって良いじゃないか。




