奨学生廃止?①
とある日の放課後。特に依頼が来ているわけでもないが、俺たち奨学生部の面々は部室に集まっていた。俺はコンロに乗ったやかんの水が温まるのを待っている。
どこから持ってきたのか分からないお手玉で華麗に遊んでいる悠陽を一瞥する美樹は、いつも通りちゃぶ台の上にノートと参考書を広げていた。せっちゃんは美樹の邪魔をしないようにちゃぶ台の少しを使って突っ伏している。
そんな普段となんら変わりない光景の中に、普段と少し変わった来客が。
「……失礼します」
控えめなノックの後に優しく扉を開けて入ってきたのは栗色のショートカットが特徴的な少しおどおどした様子の女子生徒であった。大きな目が愛嬌を醸し出しているのだが、自信がないのか謙虚なのか瞼が少し閉じられている。前髪が目元にかかっているのもその印象を強めていた。一枚の紙を握る手は緊張のせいか少し震えている。
「彩華学園三年。生徒会会長の日比 明日香と申します。本日は皆さまにお話があって参りました」
扉のすぐそばに立って、申し訳なさそうに口を開いた日比さんは、油の足りていない機械のようにぎこちなくこちらへと歩み寄ってくる。畳のすぐ手前まで来ると、握っていた紙を開き、音読を始めた。
「……えっと。この度、私たち生徒会で話し合った結果、奨学生制度の廃止を学校に訴えることになりました。先立ってにはなりますが、奨学生の皆様にご報告に参りました。それでは、把握をよろしくお願いいたします」
すらすらと読めたことがうれしかったのか、それともこの役目が終わったことによる安堵感なのか、目の前にいる女性徒は晴れやかな笑顔をしている。そんな表情を浮かべる日比先輩に対して、美樹は教科書からやっと目を離して引き留めた。
「ちょっと待ってくださいませんか。いきなりの話過ぎて理解が追いつかないのですが」
「ひゃいっ?」
突然声をかけられたことに驚いたのであろう先輩は素っ頓狂な声を上げる。こんなことを言えば声をかけられることくらい想像に難くないはずなのだが。
「とりあえず、座ります?」
俺は沸騰を知らせるやかんの音を契機とし、先輩に提案をした。居心地の悪そうな表情を隠せていない彼女を悠陽が無理やり座らせて、俺たちはちゃぶ台を囲んだ。
ちなみにせっちゃんは部外者が入ってきた途端に、メガネをかけ、教師然といった風体で部屋の隅で正座をしていた。
湯呑に熱い緑茶を入れて、来客の前に差し出す。招かねざる客であることは確実なのだが、むげに扱うと罪悪感を覚えそうで、誰も文句を言わなかった。
悠陽と同じ体躯であり、かつ悠陽ほどの快活さはない。自信なさげな雰囲気も相まって俺たちの本能に先輩でありながらも、保護対象であるということを植え付けてくる。
なんだかんだで悠陽のことをかわいがっている美樹も、彼女に触れたそうにそわそわしていた。
「それで、奨学生の廃止についてだけどそれはもう決定事項なのですか?」
俺は気まずそうに黙り込んでいる全員を代表して、声を上げた。俺が問いかけると先輩はびくんと体を震わせ、背筋を伸ばした。
「お母……志島君でしたよね。すみません。あの、私自身は廃止する必要があるとは思わないんですけど、えー、生徒会の役員会議は多数決の原理に乗っ取っているので、えーっと、生徒会の意思としては決定事項です」
そういえば俺は生徒たちからお母さんと呼ばれてるんだった。そんなことはさておき、先輩は途中途中で突っかかりながらも、一生懸命といった様子で答えてくれた。
「生徒会の意思として、ということはまだ本当の確定事項といった訳ではないということですね」
美樹は意識的に欲望を制御したのか、気持ちを切り替えて先輩に詰め寄った。校内ではクールビューティーで通っている美樹に睨まれた——勿論、本人にそんなつもりはないのだろうが、とあってはクールがコールドに変わるように感じるのだろう、目の前の少女は涙目になっている。
「そ、そうです……。せ、生徒会の権力はある程度強力なのものなんですが、流石に学校経営の範囲なので、私たちにはなんとも」
「それでは、なぜあなた方が私たちを落とすための決議をしているのかしら。権限がないなら、無意味ではないのですか?」
目を泳がせながらも答える日比さんに、美樹はさらに詰めよっていく。その言葉や視線には一切の遠慮はない。
「い、いえ。生徒会役員会議の決議結果は学校に訴えることができるんです。だから、無意味という訳では……」
「なるほど。つまり、これで学校側に訴え出る準備はできたと。確かに私たちの存在は学校全体から見て、異分子ですものね」
「わ、私はそんなこと思ってないですけど……」
「ではなぜ、そのような議決をすることになったのですか」
美樹は目の前の少女を保護対象から敵と認識したらしく、少しでも情報をつかみ取ろうと質問を繰り返す。その言葉とともに変化する表情の読み取りも忘れていない。
「わ、私以外にも生徒会役員はいるんですが、副会長がこの議案を持ってきまして。そのまま押し切られる形で決定しました」
先輩はただただ申し訳なさそうに目を伏せながら、俺たちに言う。議案が可決されたということは生徒会役員の過半数が意見に賛成したということだ。なぜこのような決議が可決されたのか、美樹、悠陽、せっちゃんの三人は不思議うな表情を浮かべていた。
先輩の表情を見るに、彼女の言葉に嘘はない。会長が抑え込めるとも思えない副会長以下の暴走に、自分での対処はできないと判断して俺たちのもとへとやってきたのだろう、とでも美樹は考えているのだろう。
美樹が話を進めていく中、悠陽は話の中身を理解できずにぼーっとしていた。せっちゃんが悠陽の傍まで行って身振り手振りを用いて説明をすると、悠陽は納得の表情を浮かべたのち、絶望に顔を染めた。それもそのはず、今回の件がもし現実となれば、一番被害を被るのは悠陽なのだから。
俺と美樹は単に学費を払わなければならないようになるだけ。おばさんに頭を下げて、かつバイトをすればどうとでもなる。美樹に関しても、学費における苦悩はないだろう。問題は悠陽だ。
奨学生という制度がなければ、悠陽の学力でこの学校にはいられなくなってしまう。この前、悠陽の家に行った限りですべてを判断することはできないが、とても私立高校の学費を払える経済状況だとは思えない。運動部に所属する悠陽はアルバイトをすることも難しいだろう。
絶望を浮かべる悠陽にこのことも加えて追い打ちをかけると、悠陽ははっとしたように声を上げた。
「困るっす!」
心から出た悲鳴であった。悠陽が大声を上げた刹那、生徒会の会長さんはひゃっと飛び上がり、立ち上がっている悠陽を見上げた。
「ご、ごめんさひゃい!」
この生徒会長は俺たちよりも一つ年上のはずなのだが、二つ下の後輩に向かって勢いよく頭を下げた。この素直で純真な人柄ゆえに生徒会長となったのだろうが、今回ばかりはそれが仇となっていると言いたげに美樹は大きなため息をついた。自分の部下たちの暴走を止められなかったが故に今日この場にやってきた会長は、本来の目的であったのだろう言葉を口にした。
「すみません。あなた方にこのようなことをお願いするのは筋違いなのは重々承知しています。ですが、私の力ではどうしても解決できそうにありません。なので、どうかご助力をいただけないでしょうか」
「つまり、それは私たち奨学生部への依頼ということでよろしいですか?」
「はい。申し訳ありませんが、その通りです」
後輩に対してもずっと腰の低い先輩は、再度深々と頭を下げた。
「そういうことでしたら、分かりました。私たちにできる限りのことはしましょう」
美樹はいたって冷静に、事務的に依頼を受けた。突っ撥ねられるとでも思っていたのだろう先輩は顔を輝かせながら美樹を見つめている。
「それで、私たちが依頼を請け負っているという情報は誰から得たのでしょうか」
「生徒会は奨学生部のことを前からずっと知っていますから。一般生徒には漏らさないようにしています」
「そうですか」
美樹は一瞬だけ表情を曇らせると、何かを考えこむように目を伏せた。
「決まりだな。それじゃあまずは敵情視察に行きますか」
俺が言うと、美樹はすっと立ち上がって靴を履く。せっちゃんは本来の役目である教師の仕事をするためと、職員室へと戻っていった。
悠陽はというと、今までにないくらいのやる気に満ち溢れ、目を爛々とさせていた。それはそうだろう、悠陽に限っては人生がかかっているのだからそれもそうか。
俺が消極的思考をしていたのを悠陽は見抜いたのだろう、俺の制服の裾をつかんだ。
「克人さん。あたしはここにしがみついていたいっす。ちょっとその副会長とやらを問い詰めに行くっすよ!」
悠陽は一目散に部室を飛び出し、生徒会室へと向かう。先輩が「生徒会室はそっちじゃないですぅー!」と叫ぶと、急反転し会長を背中に担いだ。
「……どっちっすか?」
俺と美樹は、知らずに飛び出たのか、というツッコミを飲み込んで悠陽の後に続くのであった。




