修学旅行⑥
メイドさんの後ろについていくと、これまた重厚そうな扉が現れた。メイドさんはドアノブをひねって扉を開け、俺に笑顔で入室を促している。先ほど繰り広げられていた美樹との会話をしていた時と同じ笑顔だ。
「こちらがお客様のお部屋になります。本日はこちらでお休みになってください。……どうしたのですか? お入りになっていただいて大丈夫ですよ?」
「あ、なんか中に入った途端に食べられちゃいそうな気がして」
「何を仰っているんですか。荷物は中に入れてありますし、おくつろぎくださいませ」
「すいません、ありがとうございます」
案内された部屋をよく見ると、流石にシャンデリアはなかったが置かれている小物やライトが高級感を醸し出していた。俺が泊ったことのあるホテルと比較してもその豪華さには歴然とした差がある。俺が室内に入ったことを確認すると、メイドさんは後ろ手に扉を閉めた。
「なぜ、内側にいらっしゃるんですか」
「本日は私がお客様のお世話をさせていただきますので。いうなれば専属メイドですね。あ、いやらしいことでも想像しちゃいました?」
「してません」
「あら、そうですか」
俺は、この人の第一印象をさっそく撤回すべきのようだ。柔らかな表情ではあるものの、何かこちらを試すような意図がうかがえた。
「と、まぁこんなところで茶番は終わりにしましょうか」
目の前のメイドはおもむろにポケットから小さな箱を取り出すと、そこから一本の細い棒のようなものを出した。そして、反対側のポケットから取り出したものを俺に向かって投げてよこす。ずっしりとした感触が捕らえた俺の手にのしかかった。
「ほら、点けな」
そういって、棒を口にくわえたメイドさんはその棒の先を俺の方へと向けた。掌に握らされたライター。それも、その辺で売られているような安物ではなく、精巧な意匠が施された金属製のものだ。
「わ、分かりました」
「それ、大事なもんだから。壊すなよ?」
なら投げてよこすな、と言ってやりたいところだがなぜかその言葉は喉に引っかかって出てこない。先ほどまでは優しそうだった垂れ目も、今では細められて蛇のようである。
恐る恐る近づいてライターを口元に寄せてかしゅっ、という心地よい音とともに点火する。間違ってもメイドさんの口に火を当ててしまおうものなら、切腹どころの騒ぎではなさそうだ。市中引き回しの上、磔にされ、さらし首にされた挙句に豚の餌にでもされることだろう。
何とか震える手を精神力で押さえつけ、くわえられた煙草に火をつけた。
メイドさんは満足そうに右手の人差し指と中指で煙草を挟みながら深く吸い、満足そうに大きく息を吐いた。白い煙の向こう側に煌煌と輝く光が、いかに大きく煙草をふかしているのかをこちらに伝えている。
「いや、わりーな。流石に旦那様とお嬢様の前じゃこんな態度はとれねぇんだわ」
「お客の前でもとっちゃダメですけどね」
「いいんだよ。お前は客じゃなくてお嬢様の下僕だろ? いうならば私とお前で立場は同じだ」
「あなたにプライドはないんですか」
「自分で言う分にはいいんだよ。まわりがメイドと下僕を同視してやがったら殺すけどな。私らだって誇りはあるんだ」
「それで、一応聞いていいですか。この豹変ぶりについて」
「あ? あぁ。私はこっちが素面なんでな。仕事中は猫かぶってんだよ」
「猫? ライオンくらいかぶってないと説明ができないレベルだと思いますけど」
「話の腰を折るな。っと、灰が落ちそうだな。ほら、これ」
メイドさんはそういってポケットから取り出した携帯灰皿を俺に渡す。何をすればいいか分かってるな? と目が主張していた。素直に灰皿を差し出すと、メイドさんはぽんっと灰を落とした。
「それで、素面を俺に見せて何が目的なんですか」
「あ、あぁ。それはだな。お前にお願いがあるんだ」
「態度を変えない方が良かったんじゃないですか?」
「いや、それもそうなんだがよ、やっぱり人にものを頼むときはこっちに隠し事はしちゃねぇと思う訳よ」
「言っていることは間違ってませんが、状況からみるとなぜかぶん殴りたくなりますね」
「お、やるか? って、違う違う。私はマジで真剣なお願がしたいんだ」
メイドさんはそういうと、俺の目の前の床に正座をする。隅々まで清掃の行き届いた床は勿論汚れなどないのだが、普通は抵抗感のあるものだ。だが、目の前の女性はお淑やかさのかけらもない身のこなしではあったものの、その状態のまま俺に向かって頭を下げた。
煙草を口にくわえた状態のため、床が焦げないかという素っ頓狂な心配をしてしまう。それが、貧乏人の性なのだろう。そして、メイドさんはそのまま器用によどみのない声を出した。
「お嬢様を嫌いにならないでやってくれ」
なにか、重い決意を込めたような声が大きく部屋に響く。頭を下げたままのメイドさん、いや冥土さんはよほど真剣なようで、顔をなかなか上げてこない。何がこの人をここまで突き動かすのか。気になるところだが、俺もそこまでできた人間ではない。
「あなたのせいで嫌いなりそうですけどね」
「おいコラ。人がここまでしてんだから、もっと気の利いた言葉の一つでも掛けたらどうなんだ、あぁ!? それでもてめぇは男か!?」
決死の覚悟だったのだろうメイドさんは、俺の言葉に大声で反応する。ほら、その態度だよ。
「男とか女とかそんな次元の話じゃないでしょこれは。煙草はすったまま、火は俺につけさせ、灰皿は俺に持たせて、って喧嘩を売っているようにしか思えないんですが」
「いや! ほんとにそんなつもりはないんだ! ただ純粋に本当の私でお願いをしようと思ったら……間違えた」
「本気で言っているのであれば間違いすぎじゃありませんかね」
「ほんとにすまん。反省してる。実は私もやってる最中に気づいてたんだ。あ、これやりすぎてるわ、ってな」
「あれですか、あなたは馬鹿なんですか」
「ちょっ、おまっ! 誰が馬鹿だ、あぁ!? 殺す! 私は決めたぞ、お前を殺す!」
メイドさんはそう言うと座った状態から、俺の顎を砕こうと右手のこぶしを伴って一気に立ち上がる。ギリギリのところで後ろに飛ぶと、次は俺の腹部を狙って回された右足が到来した。
「いきなり殴りかかってこないでください!」
「分かった。やめてやる。お前を一発殴った後にな!!」
しゅっという空気を切る音を聞く間もなく、右手、左手、左足、と続けられる攻撃を一つずつ躱し、すきを見て声を上げるが、休戦協定を結ぶ気はないらしい。
反撃するか否かを躱しながら逡巡していると、部屋の扉をたたく音が突然響いた。
「志島君、入ってもいいですか」
「いいぞー」
美樹の声だ。突然の来訪者に俺よりもメイドさんの方が焦ったようで、せめてもの意趣返しにと、俺は美樹に入室を許可する。慌てたメイドさんは一瞬こちらを睨んだものの、すぐにそんなことをしている暇はないと気づいたようで、すぐに口にくわえている煙草を灰皿に押し付け、部屋の奥にある窓を開けた。
「失礼します……、志島君どうしたんですか。そんなに汗をかいて」
「シャドーボクシングが日課でな。人の家でやるのもどうかと思ったんだが、つい癖で」
「そうだったのですね。加藤さんは格闘技の経験者ですので、シャドーではなくいっそのことお相手をお願いしてみてはいかがですか?」
「そうなのか。全然そんな風には見えないのに。人は見かけには寄らないものだな。機会があればお願いするよ」
加藤さんと呼ばれたメイド——もう敬称をつける必要はないだろう、は俺に向かって一瞬頭を下げた。窓を開けたくらいで煙がすぐになくなるわけはないのだが、美樹は特に気づいた様子はない。
「夕食の時間なのに、姿が見当たらなかったので何かあったのだと思ったのですが、心配はいらなかったようですね」
時計を確認し、メイドがはっと何かに気づいたらしい。
「申し訳ございません!」
頭を下げたメイドを美樹は特に咎めることなく部屋を出て行く。頭を下げ続けるメイドを無視して、俺は美樹の後を追った。




