修学旅行⑤
メイドさんから視線を外し急いで美樹を追うと、美樹はこちらに振り返って口を開いた。
「すみません。巻き込んでしまって」
「もう今更どうにもならないだろ。というか、むしろそれを狙われてた気がするんだが。それで、俺は何をすればいいんだ?」
「私に話を合わせてくれれば良いですから」
「分かった」
美樹は一つの扉の前で立ち止まり、大きく息を吸った。
「失礼します」
美樹は優しく扉をノックする。この姿を見るとたとえ普段がどのようでも、やはりこいつもお嬢様なんだなと痛感させられた。
「入りなさい」
扉の奥からは太い、それでいて優しさを感じさせる声が響いた。声を聴き、美樹は静かに扉を開く。
窓から差し込む光を背後に携えた男性が、正面の椅子に座っていた。その男性はデスクというには豪華すぎるそれに乗っているカップを手に取り、口に運んだ。
「良く帰ってきたね。それで、美樹が言っていたのはそこの彼のことかな。まぁ、座ってくれ。話はそこからだ」
大きな部屋の中心に存在していた、茶色いソファに美樹が座り、俺もそれに続いた。革張りなのだろう、柔らかすぎず固すぎない絶妙な座り心地だ。
「お久しぶりです。お父様」
「お父様……!?」
わき腹を肘で小突かれた。
俺を値踏みするような男性の視線に数分間耐えていると、先ほどの執事がトレーにポットとカップを乗せてやってきた。皿の上に乗ったカップを俺の目の前に差し出し、そこでポットから注いだ。渋さと甘みの混ざったような香りが目の前から立ち込めてくる。俺もこだわった茶葉を奨学生部に持ち込んでいるが、このお茶に敵う気はしない。この領域はすでに女子力の担当領域ではないのだ。
美樹はカップを上品に傾けている。ティースプーンはどうだとか、取っ手の向きを変えたりだとか。俺も真似てみたものの流石にすべてのマナーを覚えている訳ではないので、というか、使う機会が来るとは思っていなかったので覚える気もなかった。判断ミスだ。
俺の一挙手一投足を睨んでいる男性は目の前で同じく入れなおされた紅茶を飲んでいた。
「うん。君になら美樹を任せても大丈夫そうだ」
「任せる……?」
また小突かれた。俺に発言権は皆無か。
「えぇ、志島君は私の下僕としてよく働いてくれていますわ」
「えぇ?」
だから、小突くなって。
「美樹から聞いたときは反対しようかと思っていたのだがね。君がいるなら問題なさそうだ」
俺の何を見てそう判断してくださっているのかは分からないが、俺は何か認められたようだ。え、下僕として認められたの?
「いや、俺は下僕と……」
「志島君、約束」
美樹はニマぁっと笑ってこちらを見た。俺にしか聞こえない声で。確かに話を合わせるとは言ったけど。
「そうなんです。美樹様にはいつもお世話になりっぱなしで」
「そうかそうか。美樹をこちらに呼び戻そうとしようかと思っていたのだが、君がいるなら考え直しても問題なさそうだ」
「呼び戻そうと?」
「ん? 美樹から聞いていないのか?」
「あ、はい。聞いていませんが……」
「言う訳がないじゃないですか、お父様。これは私の下僕であって友人ではありませんから」
「それもそうだな。すまなかったね。そういえば自己紹介もまだだった。私は青山 茂。見ての通り、美樹の父親でね。美樹と家内とは今は離れて暮らしているんだ」
「あ、すみません。こちらこそご挨拶が遅れてしまいまして。志島克人と申します」
「なに、気にすることはない」
茂さんはそこでもう一度、カップに口をつけた。隣に座っている美樹が気持ちよさそうに、笑っていた。その口は「美樹様、美樹様? ほら、もっと呼びなさい」と動いている。殴っていいですか?
「それで、美樹様をこちらに呼び戻すというのは? 同級生がこういうのもおかしな話ですが、美樹が転校をする必要はないように思います。勉強もついて行けてますし、というか引っ張っているくらいだと思います」
「問題はそこじゃないんだ」
すると、茂さんは突然、神妙な面持ちになって身を乗り出した。その眼はぎらぎらと輝いており、隣にいる美樹は恥じらいに顔を染めているようだった。
「美樹に悪い虫がつかないか心配でね! 美樹に男が近づくのは言語道断。女生徒が近づいて、もし色恋に浮かれるような話が出てきたら、美樹も興味を持ってしまうかもしれない」
「ですが、美樹は学園でいつも独りぼっちですよ?」
言った途端に失言かとも思ったが、目の前の男性はまったく気にしていない、それどころかむしろその状況を好ましく感じているようだ。
「ははは。それもそうだね。でも、奨学生部に男が入ってきたという情報が入ってね。女生徒ならまだ小さな問題だったんだが、男が入ったというのは到底看過できるものではない。それで、うちに呼び戻そうと思っていたのだが、どうやら杞憂だったようだ」
隣にいる美樹もぼっち宣告に動揺した気配は見せなかった。
「君は美樹と色恋といったような、ふざけた関係性になることはなさそうだ。君の表情からは美樹への愛や恋慕の情は見受けられない。しかも、男を避けるための虫よけにもなりそうだ」
満足そうに茂さんは頷いている。その瞳の奥には何か濁っているものがうごめいて見えた。
「奨学生部に男が入り込んだと聞いて、本当に焦ったのだがね。君のような男色家でよかった。美樹に危害は及ばないだろうし、男避けにもなる最高の逸材だ」
待て。何か聞きずてならない、言葉が聞こえたような……?
「いやはや、美樹にはまだ男は早い。いや、男などというものとは一生関わらなくていいのだ。なんてったって、美樹は私のお嫁さんなのだからな!」
あ、この人はあれだ。関わっちゃいけないヤツだ。おい美樹、優雅に紅茶を飲むんじゃない。
「まぁ、ゆっくりしていってくれ。勿論、ないとは思うが美樹に手を出したら、分かっている、な?」
上品な微笑みを携えた茂ん。あれ、手元で何か光ったような。気にしない気にしない。
「それでは、私たちはこれで一旦失礼しますね」
美樹は紅茶を飲み終えたのか、すっと立った。俺も慌てて飲み終え、部屋を出ていく美樹に続く。扉の先でも美樹に続こうとしたのだが、廊下には俺の荷物を軽々と持ったメイドさんがいた。
「申し訳ございません。お嬢様はこれからご自分のお部屋に戻られます。旦那様から、お嬢様の部屋の近くには何があろうと男性を近づけるなと申しつけられておりますので、申し訳ありませんが私がゲストルームにご案内させていただきますね。あ、志島様はお嬢様の下僕でいらっしゃるんでした! 下僕なら男とか関係ないですよね! お嬢様のお部屋にお通ししても問題ありませんね!」
「加藤さん! 吉野さんに言いつけますわよ」
「おっと、失礼いたしました」
「もう、加藤さんはいつもそうやって私をからかうんですから……」
「たまの帰省なんですからいいではありませんか」
「まぁ、良いですけど。ともかく、友人の前ではやめてください」
「友人? 私は下僕と聞いていますけど」
「そ、そうです。下僕です」
「そうですか、下僕としてしっかりと調教されているのであれば、今更その前で私が何を言おうが問題ありませんよね? それとも、この方は下僕でなく、お友達、さらに言えばちょっと気になっている男性、でその前で恥をかかせて自分の株が下がるのを防ごうとしておられるのですか? まさか、そんなことはありませんよね?」
「……えぇ。大丈夫です」
「それでは、お嬢様のお部屋にあんなものやこんなものが大量に存在しているということを言っても問題ないわけですね」
「加藤さん。勘弁してください」
「あら、もう根を上げるのですか。仕方がありませんね。それでは私はお客様をお部屋の方へご案内します」
メイドさんは俺の方へ向かって一礼をすると、すたすたと歩いて行った。俺が美樹にかける言葉を思案していると、美樹は真っ赤に染めた顔でこちらを睨んだ。その眼は、「わ、忘れてくださいね!」とかわいく主張しているように見えた。そう信じたい。決して「忘れろ」と威圧されている訳ではないと。




