修学旅行④
「……なぁ、克人。起きてるか」
「寝てるよ」
昨日と同じく布団にもぐってなお話しかけてくる真。どうやら昨日の続きを聴きたいらしい。
「それで、緑川先生の弱みってなんだ」
「言ったら俺が殺される」
「そんなこと言うなよ」
「うるさいな。お前だって今日、美樹と仲良くなったじゃないか」
「「「おい、どういうことだ」」」
他の男子陣三名の声が、真の方を向いた。よし、ラッキー。俺は寝ようと思う。
不思議な夢を見た。修学旅行という、特別な環境が俺にこんな夢を見せるのか。普段ならば、絶対に見ない夢。四人の男が俺のすぐ近くで、もみくちゃになっている。「ずるいぞ」という怒号が飛び交っていた。妙にリアルだ。
「おい、貴様ら。昨日に続いてか良い度胸だな」
聞きなれた女声が俺の耳をなでる。こそばゆいような、耳が取れそうな、そんな声だ。そのまま、その声は俺の耳元、いや眼前に迫る。きらりと光る瞳は決して潤んでいる訳ではなく、どちらかというとぎらぎらとした光を携えていた。次の瞬間には、側頭部に鋭い痛みが響く。世界が揺れ、俺の意識は暗い闇の中に落ちて行った。
これは夢だ。そうに違いない。
「志島君、今日もまた一段とクマがすごいですね」
電車に揺られること十数分。観光地から徐々に外れていっているこの車内の人影はまばらで、美樹は俺からちゃっかりと一つ分の席を離して座っている。特別、田舎に向かっている訳でもなく、車窓を眺める面白みはまるでない。流れる住宅街は睡眠欲を誘い出すには十分だった。
「昨日は結構長く寝たつもりなんだがな。見た夢がほの暗くて、疲れたのかもしれないな」
「うつらうつらするのは構いませんが、こちらには倒れてこないでくださいね」
美樹はそういって俺から席をもう一つ離した。もう少し混雑していれば、迷惑だと説教するところなのだが、こうもガラガラだと文句も言えない。
いつもから表情の薄い美樹だが、今日は一段と感情がうかがい知れない。
「もう少しで着きますから」
隣に……隣の隣の隣に座りながら、美樹は投げ捨てるように言う。だが、新幹線の中で見せたような悲壮感はない。というよりも、諦観が勝っているといった様子か。
美樹に言われた通り、大きくも小さくもない普通の駅で降りる。駅の周りにはパッと見たところ商業施設もなさそうだ。
そして、美樹は驚くべきことに、ロータリーのタクシー乗り場へと迷わずに向かった。
「美樹さんや。まさかこれに乗るんすか」
「タクシー乗り場まで来て、乗らないという選択肢があるとでも?」
「そういうことが言いたいんじゃなくてだな。タクシーだぞ? 言ったところまで連れて行ってくれるんだぞ? 高いんだぞ?」
「今更、タクシーの概説を聞くことになるとは思いませんでした」
眉間を親指と人差し指で摘まんだ美樹は、やれやれと首を横に振った。
俺たちが乗り場でそんなやり取りをしていると、それを気づいたタクシーが目の前にやってきた。白いタクシーの後部座席のドアが勝手に開く。初めてこんな近くで見た。
「恥ずかしいのでいちいち反応しないでください」
美樹がすんなりと乗り込んだのを確認し、恐る恐る俺も後部座席に乗る。
「すみません、ここまでお願いします」
美樹はポケットから出したメモをタクシーの運転手さんに渡した。きっと住所でも書いてあるのだろう。白髪をオールバックにまとめた運転手は、メモを見て一瞬顔をしかめ、その後すぐにこちらへ振り返った。
「すみませんね。今日が私のタクシー運転手としての初仕事なんです。このカーナビとやらも、使い方が難しくてねぇ……。大体どの辺ですかい? この街には長いこと住んでますんで、多分わかると思うのですが」
老紳士然たる男性は、人の好さそうな顔を申し訳なさそうにゆがめている。
「そうですか……。青山さんのお宅の場所はご存じですか?」
「ほうほう、そこなら知っておりますぞ。この町に住んでいる人ならほぼ皆が知ってるんじゃないですかな?」
「お前んちすごいのな」
「黙っていてください」
運転手に聞かれ無いよう小声で俺が言うと、美樹は同じ音量で発言を制止させる。
道順を脳内で理解した運転手はゆっくりとタクシーを発進させた。揺れる車内で隣に座る美樹の表情はやはりいつもより固く見える。
そこからまた十数分車内で睡魔と戦っていると、タクシーが静かに止まった。自動で開く扉にぶつからないように注意しながら、車を降りる。十数分で着くなら、歩ける距離だったのでは? と思うのは俺が貧乏人だからだろうか。いや、高校生のくせにタクシーに乗りなれているこいつの方がおかしいのだ。そうだ。絶対に。
美樹は腹が立つほどにスマートに料金を支払うと、優雅にタクシーを降りる。おっかなびっくりだった俺に見せつけるかのごときどや顔付きで。帰ってやろうか。
「ここが私の実家です」
美樹はそう言って、目の前の家……屋敷を手で指した。テーマパークの中にあってもおかしくなさそうなその洋風のお屋敷は敷地に入るためにも立派な門をくぐる必要があるらしく、銀色の扉が目の前に立ちふさがっている。
格子状となっている門越しに見える敷地内には、噴水があり、色とりどりの花が百花繚乱に咲き誇っていた。
美樹は躊躇うことなく、門の横のスイッチを押した。インターホンなのか、くぐごもった声がそこから聞こえてくる。だが、聞こえてきたのは「少々お待ちください」の一言のみで、誰何は行われなかった。カメラか何かで、こちらを見ているのだろう。よく見ると、敷地を取り囲む塀のそこかしこに防犯カメラが取付られていた。
「それで、俺はここで何をさせられるんだ?」
「詳しい話は中でしますから」
これまで何度聞いても、同じ回答が返ってきただけだ。行ってから説明する、と。要は逃げられないような状況にしたいのだろう。
「そろそろ開きます」
美樹が言った瞬間、目の前の門は誰の手を借りくことなく、ゴゴゴゴと音を立てて開いた。タクシーやら門やら、なぜ自動で開く必要があるのだろう。
「着いてきてください」
美樹は俺の方を振り返ることなく、着いてきてと言った割には俺に歩調を合わせようという気はないようだ。
大きな石畳の道を歩くと、左右に同じ景色が入り込んできた。いわゆるシンメトリーという奴なのだろうが、咲いている花々までもが左右同時に目に飛び込んでくる。庭のちょうど中央当たりに設置されている噴水の目の前で、一人佇む老紳士が俺たちを待っていた。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
「出迎えをありがとうございます」
全身をタキシードが包み、手には白い手袋。ファンタジー世界でしか見たことのないような執事が、美樹に恭しく一礼した。老紳士はそう言って美樹の荷物を持つ。細身の身体からは想像できないパワーが秘められているようで、軽々と持ち上げると俺たちを先導した。
俺の荷物にも目を向けていたようだが、俺がそれを目で制すとすんなりと引き下がってくれた。俺の思いをはっきりとくみ取ってくれたようだ。
正面に見えている建物は太陽光を反射する白い外壁に、気品を感じさせる薄紫の屋根。二階のバルコニーにもプランターに植えられたカラフルな花。もうこれ以上見るのも億劫なお屋敷が、目の前に立ちふさがっている。
当たり前だが、臆することなく突き進む執事と美樹は家屋とは思えない建物の扉の前で止まった。流石にここは自動で開かないようで、執事が片腕で扉を押す。
重たそうにずずずと音を立てて開いた扉。だから、どこにそんな力が蓄えられているんだ。
「「お帰りなさいませ、お嬢様」」
扉を開けてもなお、そこは左右対称の世界だ。端に金の刺繍が施された赤いじゅうたんがすらっと伸び、その先に大きな階段があった。その途中で二つに分岐し、二階へとつながっている。
天井からは大きなシャンデリアがつり下がり、白く、そして温かみのある光が頭上から降り注いでいた。そのじゅうたんを挟むように二人のいわゆるメイド服に身を包まれた二人の女性が立っている。艶のある黒髪と茶髪を静かに揺らしながらお辞儀をし、美樹の声を待っているようだ。
「お父様はどちらに」
「応接室にてお待ちです。お荷物はお部屋に運んでおきます」
美樹は俺に一度、目配せをしてからそそくさと歩き出した。荷物を茶髪のメイドさんに預けて、俺もそれに続く。メイドさんは俺の荷物を軽々と持ち上げる。だからなぜその細腕にそんな力が秘められているんだ。
「こちらはゲストルームに運んでおきますので」
肩ほどまで伸ばされた茶髪はギャルっ気のあるものではなく、こちらに明るい印象を与えた。少し垂れ目がちな目は優しそうなお姉さんといったところか。せっちゃんと同じくらいの年齢だとは思うが、何をどうすればこんなにも人間性に差が出るのだろう。
「ありがとうございます」
俺の礼に対し、メイドさんはちろっと舌を出して美樹を追うように手で示した。茶目っ気があるところも俺としては非常に好ポイントだ。




