修学旅行②
「……なぁ、克人。起きてるか?」
自室に戻り布団に潜っていると、隣から悪友の声が聞こえてきた。既に時刻は十二時を回った頃だろうか。宿の外は完全に闇に包まれてる。部屋の電気も消しているので、声の主の表情をうかがい知ることは叶わない。
だが、その声に呼応するようにムクムクと他の布団からも気配が立ちあがった。
「青山さんのこと聞かせろ」
「赤坂さんの家に行ったってほんとか?」
「緑川先生の弱みを握ってるって聞いたぞ」
ほら見たことか。無遠慮に繰り出される奨学生部に関する質問を無視していると、先ほどまで消されていた電気がぱっと付けられ、俺の布団が剥ぎ取られた。
「おい克人。だんまりとはつれない奴だな。お前はこの学園で一番恵まれた男なんだから、少しは俺たちにもその恩恵を分けてくれ」
俺の回答を待つこともなく、真は俺の布団までやってきたようだ。唯一の砦だった掛け布団を失い、防御力が皆無になる。怒りとも悲しみとも取れる表情を浮かべているクラスメイト達が四人がかりで俺に飛び掛かってきた。
「一日に二度も食らってたまるか」
瞬時に身体を跳び起こして、敷布団のエリアから退避すると、ドカッとという音を立てて四人の男子が身体をぶつけた。恨めしそうな視線で俺を殺そうとする真は嫌に鋭い考察を立ててくる。
「一日に二度? 今日は移動中からお前のことをクラス全員で監視していたんだが」
「おい待て。何してんだ」
「うるせぇ、黙って聞いてろ。お前が観光客やら駅員からぼこぼこにされているのを見たやつはいなかった。唯一監視ができなかったのは、お前が緑川先生に呼ばれたとか言って女子部屋のある階層に行った時だけだ。……貴様、もしや緑川先生にぼこぼこにされた訳ではあるまいな!?」
ニアピンだが、大事なところを外している。そもそも真たちは、奨学生が依頼を受けていることは知らない。だから、依頼人にボコされたという可能性は排除されているのだろう。
「おい志島! 何とか言ったらどうだ」
「せっちゃんにはぼこぼこにされてない」
「は、ってことは青山さんか!」
「なんでそんなに勘が良いんだよ、お前は」
なおも俺に向かってくる男衆四人をいなしていると、部屋の扉がバンっと一回叩かれた。
「志島。騒ぐな」
ドスの効いた女声。誰のものかを今更確認するまでもなく部屋の内部にいた五人は身の毛がよだつような感覚に襲われる。きっと両隣の部屋も同じような状況だろう。
「とりあえず布団はいるか」
真の号令にそそくさと掛け布団の中に潜る男五人は廊下の気配に感覚を研ぎ澄ませる。せっちゃんの本当の恐怖を知らずとも、命の危険は察知できるらしい。
「それで、実際のところどうなんだよ」
先ほどよりも数段音量が下げられた真の声に、他の三人も耳を澄ませていた。
「まずは赤坂さんからだな。実家に行ったという噂は本当か」
「本当だ」
「確保ぉぉぉぉ!!!」
——ガチャ、バタン!!
「貴様らいい加減にしたらどうだ。そんなに元気が有り余っているんだったら、いっそ私が眠りにつけてやろうか。まぁ、一生起きれなくなるかもしれんがな」
どたどたと清楚さのかけらもない足取りで入ってきたせっちゃんは、そのまま馬乗りになって俺の身体をホールドする。両足に胴体と両手を抱え込まれているため、ガードをすることもかなわず、せっちゃんの顔がよく見えた。
「おい志島。騒ぐなと言っているのが分からんか? お前らが騒ぐと眼が冴えて寝れないんだ」
「せっちゃんが寝れないのは移動中に爆睡してたからでは」
だふっ、という鈍い音が俺の頬骨から響く。あ、折れたかも。普通ならここでほほを抑え恨めしそうな眼を向けるべきなのだろうが、あいにく抑える手はせっちゃんの足の内側だ。
俺に残されたのはただただ微笑みを浮かべることだけ。
——ぐふっ!
「笑顔が気持ちわるい」
んな、理不尽な。
——ばこっ!
「理不尽じゃない。正当な制裁だ」
せっちゃんはそこで満足そうに頷くと、俺の身体から降りた。もう、体罰とかいう次元でなく、もはやただの暴力な気がするが。おいそこ、うらやましそうにこっち見んな。
部屋を出ていくせっちゃんの背中を見送った後、真が再度声を出す。
「お前、いつもあんなご褒美貰ってんのか?」
「いつもじゃないし、ご褒美じゃない」
殴られた頬が陥没していないことを確認する。流石、傷害でなく暴行でとどめるスキルに関しては一流である。
「まぁ、いいや。それで、赤坂さんの家でなにしたんだよ」
「悠陽のお母さんにプロポーズされたな」
「しねぇぇぇぇえええ!!!」
「いい加減にしろよ?」
音もなく入ってきたせっちゃんは静かに俺の身体の上に乗る。今度はちゃんと腕を出して、顔をガードした。
今にも殴りかかってきそうなせっちゃんと俺の間に身体を滑り込ませる。一つの影があった。
「緑川先生。流石に克人にばかり手を出しすぎじゃありませんか」
そういえば、奨学生部でせっちゃんを止める人がいなかったから忘れてかけていたが、確かにこの状況はどうかしている。教師が生徒に、女性が男に。どちらをとっても許容し得るものではない。
「志島だけずるい!」
「「「そうだ!」」」
——どかっ!
「付き合う友達は選んだ方がいいぞ」
「ご忠告ありがとうございます。俺もそう思います」
殴られた腹をさすりながら、せっちゃんに答えるとやはり満足そうに部屋を出て行った。
「お前らマジで騒ぐな」
「……そうだな。俺にも順番が回ってくるかもと思って騒いでみたんだが、どうやらお前にご褒美を与え続けることになるそうだからやめとくわ」
「付き合う友達は選んだ方がよさそうだ」
「そんなこと言うなよ。まだまだ聞きたいことはあるんだからさ」
俺の修学旅行一日目の夜は悠陽の家に行った件について根掘り葉掘り聞かれて終わることとなった。せっちゃんが来ることはもうなかったが、ちゃんとした先生にこってりと怒られた。
「どうしたんですか。すごいくまですね。目からほほにかけて」
宿での昼食を食べ終え、外に出ると美樹が俺を待っていた。正確には“くま”ではなく“あざ”なのだが。
「お友達と観光しなくていいのか?」
「私にはお友達がいませんので」
まさかそんな重たい告白が帰ってくるとは思わなかった。そのまま一人で行こうとする美樹に俺は決死の覚悟を決める。
「じゃ、俺たちと一緒に来るか」
殺気のこもった目で見られることを覚悟していたのだが、予想外に美樹の表情がぱっと明るくなった。
「いいんですか?」
「別にいい、というかむしろ喜ぶと思うぞ?」
俺は遅れてやってきた真に声をかける。すると彼は、あたふたしたように前髪をいじり始めた。
「あ、青山さん!?」
「初めまして」
腰から深々と腰を折って閉じられたガラケーのようになった真は頭の上から聞こえてくるであろう声を待ち浴びている。だが、美樹は冷ややかな目を向けるだけで一向に声をかけようとしない。顔を上げるタイミングを失っているガラケーは恐る恐る美樹の方に視線を向けた。
「この人変態ですね。私のスカートの中を覗こうとしています」
「いや、違います」
やっと体を起こした真は、両手を身体の前でぶんぶん振って否認している。女の子がやればかわいくなりそうな行動なのだが、そこそこの背格好の男がやるとこうも気持ち悪くなるのか。
「ま、私は今ズボンをはいているんですがね」
しれっと白状する美樹に、真は心底安心したような表情を浮かべた。学園のアイドルに無礼を働いたとあらば、学園中の生徒を敵に回すことになるのだ。きっと土下座くらいはたやすくこなす覚悟だったのだろう。
美樹を直視できていなかった真はここでようやく、その全身を見た。普段の制服姿ではなく、今日は私服だ。ジーパンにTシャツというあまり色気のある格好ではない。しかし、制服以外を見たことがない真にとってそれは非常にレア度が高く、目に焼き付けておきたいのだろう。
「なんですか、この人。やっぱり変態ですね。志島君、付き合う友達は選んだ方がいいですよ」
「友達のいない奴に言われるとはな」
気づくと周りにいた同級生たちも、男女問わず美樹の方を見ている。その視線はあまりのダサさに嘲笑している訳ではなく、全員がどうにか話しかける口実はないかと探しているものだ。
悠陽の時もそうだったが、こいつらは人の好意に気づけない体質なのだろうか。鈍感系主人公よりも厄介だな。
ただ、その中にただ一つだけ美樹に対して特殊な感情を宿した視線があった。それを発しているのは昨日の依頼人、森下である。彼の近くにいるのは彼とは似てもに使わない屈強な男子生徒たち。マジか。想像していた友人たち達とはかけ離れすぎている。
彼らなら余裕で自転車をこぎ続けることだろう。がんばれ。
俺は彼から視線を外し、もう一度美樹と真の方を見る。美樹の足元を見る真と、そっぽを向いている美樹。誘ってみたはいいものの、三人で行動するのは少し無理があるのかもしれない。




