修学旅行①
「いや、そこまでしなくていいから」
目の前で畳の床に膝、手、額をつけている男子生徒に促すと、少年はゆっくりと頭を上げた。和室は和室だが普段俺たちのいる部室とは違い、全面がしっかりと畳張りの部屋。そこに、俺、美樹、そして依頼人がいる。
修学旅行の一日目が終わり、旅館で休んでいると、せっちゃんが部屋に怒鳴りこんできた。同じ部屋のクラスメイト達に羨ましがられながら言われた通りこの部屋に来ると、せっちゃんの姿はすでになく、美樹が一人で部屋にいる。旅館にいるというのに制服姿なのが気になるが、そこはやはり流石というべきだろう。
彩華学園の修学旅行の行先は、なぜか京都である。数年前までは海外へ行っていたらしいのだが、学園長だか誰だかが「あ、京都に行こう」と決めたらしい。
二泊三日というのは高校の修学旅行としては味気ない。しかも、一日目はほぼ移動に当てられ、三日目の昼には現地解散という何ともやる気のない日程だ。だが、学生にとってはこの現地解散が非常にありがたかったりする。そこから、大阪に行ったり、奈良に行ったり、帰路についたりと、各々が勝手に行動できるという非常にありがたいシステムだ。俺はすぐに帰ろうと思う。勿論、普通列車でな。
そんなことを考えていると、部屋の扉がノックされ、今しがた土下座を解いた少年が入ってきて、この状態な訳である。
「それで、依頼内容はなんでしょうか」
俺の隣に正座をしている青髪美少女、美樹はいつも通り面倒くさそうな表情を浮かべながら少年を見下していた。彼は本気で申し訳ないと思っているらしく再度頭を下げる。
「友達に、知ったかぶりをしてしまったんです……。京都なんて一回も来たことないのに、ついつい勢いで言ってしまって。だから、京都の観光地について教えてください!」
依頼内容を聞いた美樹は、相手に見せつけるかのようにため息をついた。見慣れている俺からすればいつもの光景と片付けられるのだが、いくら同学年とは言え高みの人の不機嫌な態度は、この少年のHPを削るには十分だったらしい。心を折られた少年は言い訳をするように言葉を繰り出してきた。
「ごめん! 青山さんたちの大切な修学旅行を僕みたいなののために使わせるなんて。やっぱり自分で何とかするよ」
少年は静かに立ち上がり、再度一礼をしてから背を向けた。それに対して、美樹は声をかけることなく相手に気取られないようにラッキーといった顔を浮かべている。
「ちょっとまて、誰も協力しないとは言ってないだろ。こいつが不機嫌なのはいつものことだから気にすんな」
立ち上がって少年の肩に手をかけると、なぜかものすごい形相でこちらを睨みつけてくる。俺が奨学生部に入部してからの数か月間、幾度となく浴びせかけられた視線だ。直接的な行動をとってくる奴がいないのが意外にも不幸なことで、誰の鬱憤も解消されないままに今日を迎えてしまっている。ただの友人だから、マジで。
「そうなんですか?」
少年は俺に向かって希望と怨色を混ぜた表情を浮かべていた。そして、隣を見るとこちらはただただ怨嗟を顔に浮かべている。
だが、世間的には人当たりの良い可憐な女の子である美樹はさっと表情を変えて、対面する少年へと声をかけた。
「そうですね。誰しもが見栄やプライドで嘘をついてしまうことはありますから。喜んで協力させていただきましょう」
彼女は真意とは真逆のセリフで少年の顔をぱっと輝かせる。それと相反するように美樹の顔はどんどん引きつっていた。どうやら二人の感情は反比例するらしい。
「それでは、具体的な方策を決めていきましょうか」
美樹は嘆息交じりに言い、鞄からノートとペンを取り出した。まるで、さっさと終わらせようとしているかの如く。
あそこが良い、ここが良いと繰り広げられる議論から一人取り残された俺は、先ほどまで乗っていた新幹線での出来事を思い出した。
「今からでも遅くないと思うんですよ。帰っていいですか?」
美樹は新幹線の三列席の真ん中でため息をついた。持っているパンフレットをしわしわになるまで握りしめている。
「いい加減諦めたらどうだ。うじうじしていても状況は好転しないぞ」
廊下側に座っているせっちゃんがなんかよさげなセリフを言っている。満足そうにニヤッと笑った後、鞄からガサゴソとアイマスクを取りだし、睡眠状態へと陥った。生徒たちの見回りにやってきた教師陣が二度、三度とその姿を見ていくのだが誰も声をかけることはない。
「それで、どうしてそんなに気乗りしてないんだ? 修学旅行といえば学校行事のトップな気がするんだが」
俺は窓の外を見るのにも飽きてきたので、隣に座る美樹に話を振ってみることにした。
「今まで全く触れてこなかったのに、暇になると話しかけてくるんですね。まぁ、話しますけど」
丁重に扱われていないことに不服を申し立てようとする美樹だが、話は聞いて欲しかったらしく素直に話し始めた。
「実家があるんです」
たった一言だけ。
「うん」
「何か言ってくれないんですか」
「そっかー」
「志島君?」
「だよねだよね。分かる分かる」
「女子との会話をそれだけでやり過ごせると思ったら大間違いですよ。女子力が聞いてあきれますね」
美樹はこちらを馬鹿にするように見てくる。腹立たしいが、言っていることは図星に他ならないので、黙りこけるしかない。
「それで、修学旅行先に実家があるとなんでそんなに困るんだ?」
諦めてじっくりと話しを聞いてやろう。というか、事の発端は美樹の言葉足らずにあるのに。なぜ俺が怒られなければならんのだ。まぁ、今更か。
「京都には以前住んでいたので。知り合いに会うかもしれません。少し前に今の学校の近くに引っ越してきたのですが、言っても数年前のことですし」
さっきの八文字でここまでの情報を伝えようとしていたのか。要するに、知り合いに会いたくないということか。
「昔住んでたんなら、友達にも会えて楽しみなものなんじゃないか?」
「……ふっ」
「なぜ鼻で笑う」
「私に友達なんていいる訳がないじゃないですか!」
その場に立って、胸を張った美樹にとなりのせっちゃんがびくっと震える。アイマスクを軽く上げて、わざわざ眼鏡をかけてからなぜか俺を睨んだ。
「今のが俺の声じゃないことくらい分かりますよね」
俺の抗議は聞こえていないらしい。
「美樹。……どんまい」
「別に同情して欲しい訳ではありません」
口ではそういいつつもどこか悲し気な表情を浮かべた美樹は、静かに席へと座った。
「それに、京都の寺社仏閣にはもう嫌というほどに行きました。今更見る場所なんて何もありませんから」
「それで、行きたくないと?」
駄々をこねはしないものの、口を尖らせて腕を組む。ふてぶてしい態度をとる美樹の口元に、持ってきていたスナック菓子を差し込むと、意外と素直に食べ始めた。
「ほんと、なんで京都なんかに……、もぐもぐ」
ぽきっ、ぽきっと小気味よい音を立てながら咀嚼する美樹は少しだけ表情をほころばせる。俺の手から袋ごと持っていきやがった。最近気づいたんだが、こいつは意外と食いしん坊だ。
そして、現在。俺たち彩華学園二年生全員が泊る旅館の一室で、俺、美樹に加えて一人の男子生徒——名前を森下 龍というらしい、が色々と策を弄している。
まず行くべきはあそこだとか、あの場所にはこういううんちくがあるだとか。
本人にとっては不本意極まりないのだろうが、この場所の知識には長けている美樹に俺と森下の視線は自然と集まってしまう。
「……このくらいですかね」
班行動が行われるのは明日だけなので、行ける場所はおのずと限られてくる。
美樹が提示したのは、東寺、伏見稲荷、銀閣、金閣の四か所を回るコース。よく見る観光マップの四つ角を取ったなんとも美樹らしいチョイスである。
「京都市内の道はとても混みますし、バスも使わない方が良いでしょう。自転車を借りて回るのがおすすめです」
美樹は森下に向かって笑顔を向ける。怖い。
確かに提示した四か所は見る価値の十分にある場所ばかりだ。意外と傾斜のあるコースを自転車で移動し、観光するだけの元気があればの話だが。
森下の手足は細く、一緒に行動する友達たちも同じような体躯なのだとしたら、不可能ではないにしろ、酷な話となるはずだ。
「さて、それでは明日は私の言ったとおりにしてくださいね」
美樹は話をそこで切り、森下に退室を促した。
せっちゃんに聞いて依頼人はここに来たはずなのだが、ここに連れてきた本人は既にどこかに行ってしまっているという状況も美樹の怒りの炎に油を注いでいるのだろう。
「おい、いくら何でもめんどくさがりすぎだろ」
「……はぁ」
森下の気配が遠く離れてから声をかけると、美樹は畳にうつぶせに寝っ転がっていた。
「いくらなんでも、キャラが違いすぎないですかね。青山さんや」
「……ひっかにいかなひゃならなひゅなりまひた」
「起きて話せ。何言ってっかわからん」
畳に向かって話す美樹は、そのままくるりと半回転して天井を見上げた。その表情は明らかに修学旅行とは相反するものである。
「……実家に行かなきゃならなくなりました」
「そりゃ、大変そうだ。ご愁傷様。じゃ、俺はこの辺で自分の部屋に戻るわ」
入口に行こうと踵を返す俺の足を、寝たままの美樹がつかむ。ゾンビのように俺の足首をつかみ、そのままひじを曲げて一気に引いたようだ。
一瞬の浮遊感の後、ずどんという音を立てて、俺の身体が畳に打ち付けられる。鼻っ面を打ち付ければ畳を地で汚しかねないと必死に腰をそらして耐えたのだが、やりすぎたようで腰が痛い。それでもまだ俺の足首には何かに掴まれている感触が残っている。
「ワタシヲヒトリニシナイデ……!」
「そういうセリフは普段の生活の中にしてくれ。今言われてもただのホラー映画だから」
感動ゾンビ映画——そんなジャンルが存在するのか知らないが、ならば、私に構わず逃げて、もしくは私を殺して、が正解なのだがこのお嬢様はどうやら生に固執しすぎているらしい。
美樹はそのまま俺の右足の膝裏の上に俺の左足首を置く。そのまま俺の腰の上に座って、右足を自分自身の身体へとぐっと引き寄せた。細い美樹の身体、腕のため重くもないし、痛くもない。ただ先ほど痛めた腰の鈍痛が響く。
「それで、俺にどうしろと」
「一緒に来てください」
「それは、お願い? 脅迫?」
「お願いに決まっているじゃないですか」
「うん。なら、じりじりと力を込めるのやめようか」
流石に無理やり身体を返して美樹を吹き飛ばすわけにもいかない。どうするか決めあぐねていると、ふっと美樹の力が弱められて俺の足が解放された。美樹が俺の腰から降りたのを確認し、反対方向に身体を回転させて距離を取る。立膝の状態で美樹の動きを伺っていると、美樹は正座をしてお茶をすすっていた。
「自由すぎるだろ」
「それで、私に付き合ってくれるんですか」
「分かった分かった。断ったら後が怖そうだしな」
美樹は微かに口角を上げた。湯呑で見えづらいが見間違いということはないだろう。
「それじゃ、修学旅行が終わっても帰らないでくださいね」
逃げたいのはやまやまなのだが、本気で後が怖そうなのでやめておく。美樹は満足そうに頷くといつものように鞄からノートと参考書を取り出した。
……え、こいつ一人部屋なの? 俺は自分の部屋に戻ればクラスメイトの真たちがいる。修学旅行の楽しみの一つは学友と過ごす夜のひとときだと思うのだが、美樹にはその権利さえないらしい。とはいえ、部屋に戻れば部員について根掘り葉掘り聞かれるのが容易に想像できるので、この待遇をうらやましいと思わないわけにはいかなかった。




