夏休み④
「そういえば、こんなこともありましたわね」
せっちゃんが撃沈したのを確認して、金井さんは笑顔を浮かべながら続けた。
*
「節、そんなところにいないでさっさと行きますわよ」
涼子が声をかけると、節は首をブンブンと横に振って抗議する。それはもう、初めて幼稚園に通う子供がお母さんの袖を握って離さないように、全く体裁を気にしたものではない。
「あのですわね、もうすぐわたくしたちの出番ですの」
「出番……?」
「ほんっとうに何も知らないんですわね」
誰もいない教室で、節はいつも通り制服で佇んでいた。目の前にいる涼子が体操着を着ていることもお構いなしに、首をかしげて疑問符を頭の上に浮かべている。
「節、体育祭って知ってます?」
「(こくっ)」
「知ってはいるんですのね。それでは、なぜあなたは、今、ここで、何を、して、いるん、で、す、の?」
『次は二年生による、クラス対抗二人三脚リレーです。参加する二年生は、入場門付近へとお集まりください』
校庭のほうからスピーカーを通した声が二人のいる教室にこだまする。競技の合間であるはずなのに、喧騒が絶えることはない。
「ほらっ! もう時間ですの、さっさと着替えて! 校庭に行きますわよ!」
それでもなお拒否しようとしている節の鞄から、涼子は体育着を引っこ抜き、節のシャツのボタンに手をかけた
「ほらっ、さっさと着替える! 抵抗すんな、ですわ!」
焦った結果口調のおかしくなった涼子は、ボタンを一つ一つ外してシャツを脱がせる。意外と大きいですわね。彼女の口は確かにそう動いていた。
体操着を無理やり着させ、涼子がスカートにも手をかけようとしたとき、節は我に返ったような風体でぽつりと一言呟いた。
「流石に下は自分でやる。恥ずかしいから、教室の外で待ってて」
節は頬を赤らめながら、恥じらいを見せつつ涼子に退出を促した。自然にスカートへと手をかけようとした涼子も恥ずかしさを覚えたのであろう、顔を赤らめている。
「早くするんですのよ?」
涼子はは最後にもう一言釘を刺し、教室前方の扉から部屋を出て行った。。
ただ一人教室に残された節は、神妙な面持ちで体操着のズボンを机の上に置く。すでに着ている体操着の上からシャツを再度羽織り、涼子が出て行ったのとは別の教室後方の扉のすぐ内側で息を潜めた。
人から逃げることを得意としていた彼女は、廊下の気配を探ろうとゆっくり扉に耳をつけた。
「はぁ、もう本当に困ったものですわね。わたくしがいないと節は本当にだめなんですから」
涼子の声が反対方向に向けられていることを察知した節はゆっくりと引き戸を開け、ちらりと友人を待ちわびている少女のほうを見る。予想通り向こうを見ていることを確認すると、節はゆっくりと廊下へ這い出て、隣の教室へと身を潜めた。
「ちょっと、まだですの?」
数分経っても出てくる気配のない節を見かね、涼子は少し怒気を込めて教室へと問いかける。その声にも反応は見られず、痺れを切らした彼女はついに扉へと手をかけた。
「ちょっと、節? いい加減待ちくたびれましたわ。出てきなさいな」
涼子は左手を腰に当てつつ、教室を見渡す。先ほどまで節がいた席を見るとそこには紺色の半ズボンと鞄が置いてあるのみで、本人の姿は見当たらない。節のこもり役で苦労人の少女は一瞬目を見開いた。その表情は驚愕というよりも、「してやられた」という感情を如実なまでに表している。
「毎度毎度毎度毎度ぉぉおおお! あの女はいつになったら協調性を知りますの!?」
涼子の心の声が教室に響く頃、グラウンドのほうの盛り上がりは一層高まっていた。一際大きな歓声が上がると、次に聞こえてきたのは結果をアナウンスするスピーカー音。
『ただいまの二人三脚リレーの結果をお知らせします。一位から、二組、一組、三組、……。なお、払い戻しは——』
「「「うぉい!!」」」
アナウンスを遮るようにグラウンドにいる生徒、教師、保護者が声を合わせた。音が波となって校舎を揺らしている。
『おっと、これは学園長が極秘にやっている件でしたね』
「「「(じー)」」」
「勝手なことを言うんじゃない!」
『失礼しました。これは教頭の……』
「「「(ひそひそ。ひそひそ。じー)」」」
『嘘です』
学園長と教頭に何かしらの恨みがあるのであろう放送委員の女の子が、放送機材を使って両者を弄んでいる。
涼子はそんなやり取りに苦笑しつつも、自分たちのクラスが1位であったことに心の中でガッツポーズをした。
このスピーカーを通した音を聞いていた節は、時効が成立したととらえて、教室の扉をガラッと開いた。
「私のおかげで勝ちましたね!」
「出場しなかったおかげ、ですけどね」
珍しくきりっとした表情になった節は、胸を張って勝ち誇る。
それを見た涼子は、大げさにやれやれと手を額に当てるのであった。
*
「とまぁ、こんな感じですわね」
金井さんは嬉しそうにエピソードを語り、どうだと言わんばかりにこちらを見る。それを聞く悠陽と美樹はニヤニヤとせっちゃんのほうを見た。せっちゃんは金井さんの方をずっと睨んでいる。俺はどこを見るべきか。
「涼子ちゃん……やめてくださいよ……。まぁ、今言われなくともいつかは気づくことですけどね」
「高校時代の節はそれはそれは、寂しい生活をされていましたわね。友人と呼べるのも、わたくし一人しかいないのではありませんの?」
「友達……? そんなの一人もいたことない」
「わたくしは!?」
メガネをかけていようがいまいが、辛辣なことには変わらないせっちゃん。金井さんは相当な深手を負ったようで、隣に座る悠陽に背中をさすってもらっていた。




