夏休み①
「「「海だぁぁぁ!!!」」」
海を目にして叫ぶというのはお決まりうというか、やりたくなるというか。
とはいえ、こう叫ぶ人は実際のところ非常に限られる。普通ならば他人の目が気になってこうはいかない。頭の沸いたリア充どもが叫んでいたのを目撃したことはあるが。
そして、プライベートビーチなどでは全くない場所で叫ぶ三人の女性を見やると、彼女らの表情は一様に死んでいるのが分かる。それもそのはず、俺たちはシーズン真っただ中の海の家で働いているのだから。
海に向かって横一列に並んで叫ぶわけでもなく、手にはそれぞれ焼きそば、フランクフルト、かき氷を持ち、テーブルへと運んでいる。俺はというと一人で厨房を担当している訳であるが、そんな時、先ほどの叫び声が聞こえてきた。どうやら、遊びたくなってきたようである。三人はそろってジーンズにTシャツという出で立ち。背中には丸の中に「緑」というロゴが描かれているのだが、もちろん美樹と悠陽のTシャツは青、赤である。
ちなみに俺は、下は半ズボンの水着に上はせっちゃんと同じ緑色のTシャツである。そこまで来るなら、他の二人も緑色でよかったのではと思うが、そこは信条を曲げたくないらしい。働く条件として、せっちゃんに作らせていた。俺も便乗してやろうかとも思ったが、そもそも俺にはテーマカラーのようなものはないし、プライドもないので辞退しておいた。
狂ったように突然叫んだ美人たちを見て、お客さんは一瞬戸惑ったような表情を浮かべる。しかし、すぐさまそのほほを緩めていた。美人とは非常に得をする生き物である。
そんな彼女たちを眺めようかと視線を向けそうになるのをぐっとこらえた。そんなことをしている余裕はない。
目の前の鉄板で切り分けられたキャベツ、人参、ピーマン、豚肉、麺を炒め、この店に伝わると言う秘伝のソースをそれらと絡ませる。
ソースの焼けるあまじょっぱい香りが鼻孔をくすぐるが俺の食欲はまるで掻き立てられない。しかし、砂浜で遊ぶ人々は俺と正反対の感情をお持ちのようで、匂いにつられてふらふらと店のテーブルへと着く。そして、注文を聞く美少女に目を奪われ、先ほどの叫び声に耳をやられていたわけである。彼らの多くは口以外の顔面器官を戦闘不能に陥らせていた。
俺は首にかけたタオルで顔の汗を拭い、なぜこんな状況に直面しているのか、夏休み始まってすぐの部活を思い出した。
「さて、今日から夏休みなわけだが、今回の依頼人は——私だ」
きりっとした表情で俺たちを見据えるせっちゃんは、ご自慢のポニーテールを揺らしている。
「顧問が部活を私有化するのはいかがなものかと」
普段はせっちゃんと組むことの多い美樹が今回ばかりはこちら側らしく、ジトっとした目を例の教師に向けている。あわや冷戦のごとき水面下での争いが勃発しようかというところであったが、せっちゃんも多少はモラルを持ち合わせていたようで、すまなそうに眼を伏せた。珍しいこともあったもんだ。
「いや、すまんな。依頼、という表現は訂正しよう。今日は私からのお願いがある」
そういってせっちゃんは珍しく俺たちに頭を下げた。大の大人が子供に、それも教師が生徒に首を垂れるという光景は珍しいというか、それもせっちゃんとあらばなおさらである。ただならぬ雰囲気に訳を聞こうと俺が口を開きかける直前、相も変らぬ涼やかな声が部室に響いた。
「お断りします」
「「え?」」
美樹の反応はいつも通り。目を丸くしたせっちゃんの声と俺の気の抜けた声がぴったりと重なった。
「いやいや、ここまでせっちゃんがしてるんだから、話くらいは聞いてやろうよ」
「志島君。あなたのことはある程度頭の良い人だと思っていましたが、その考えを撤回しなければいけませんね。この人が、下手に出るときはこちらに何かを押し付けてる時だけです」
美樹ははっきり言い切ると、いつも通り参考書へと目を落とす。
「否定はせんがもう少し、目上の者に対する敬意をもったらどうだ?」
せっちゃんは意図を見透かされたようではあるが全く悪びれる様子はない。むしろ、腹の探り合いをせずに済むといった表情で堂々としている。
「志島、バイト代は出す。来い」
「かしこまりました」
「志島君!?」
「赤坂、海のすぐ近くに泊まりに行こう」
「がってんっす」
「悠陽さん!?」
こんな短いやり取りの中で、二人が篭絡される。三対一の構図は美樹にとっても予想外だったらしく、これからの展開を予想したのであろう顔を青くしている。
「あ、三人揃わないとこの話は無しだからな」
「美樹、行くぞ」
「美樹さん行きましょう」
「こうなると思いました」
美樹は「げんなり」と口に出すのではあるまいかといったような表情で参考書を閉じる。こうして、美樹の抵抗むなしく——もはや抵抗と呼べる抵抗はしていなかったが、奨学生部の夏合宿の開催が決まった訳である。なんだかんだで優しい部長様だ。
ちなみにせっちゃんの依頼は、祖父母が毎年やっている海の家を手伝ってほしい、とのことである。なんでも、一週間くらい用事で店を開けられないらしく、その期間を俺たち奨学生部に任せようということらしい。せっちゃん曰く、祖父母が長年続けてきた店に穴を開けたくない、とのことだ。冷徹教師にしては人情的な理由である。何か裏があるのではなかろうか。
「焼きそば、二人前!」
俺の現実逃避気味の回顧を打ち破るように、せっちゃんの声が俺へと届く。その眼は明らかにボーっとすんな、訴えかけていた。
「はい! 少々お待ちを!」
気温のせいか、鉄板の熱気か、はたまたその両方が要因なのか、目の前の空気が揺れている。店内のテーブルはすでにすべてが埋まり、テイクアウトの窓口にも長蛇の列ができていた。
俺は再度気合を入れなおすために首にかけていたタオルを頭に巻く。爺臭い方法だとは思うが、気合を入れるには最適な方法であるのだから仕方がない。
行列に並ぶお客さんの大半は男性客、つまりはせっせと働くウエイトレス三人を見ているわけだから、時間がかかっても文句は言われない。それだけが唯一の救いだが、調理場にいる人間が男である俺一人だと気づくと、一様に舌打ちをしていく。もちろん、その尽くを味で黙らせてやったが。
かき氷を作らせればシロップでびちょびちょのモノを出し、フランクフルトを焼かせれば、バーベキューで使う木炭のようなものを出す。こんな奴らに厨房を任せられる訳がない。
「志島君! かき氷、いちご、メロン、レモン、一つずつお願い!」
「克人さん! フランクフルト三本っす!」
もともと、元気の良い悠陽はともかく、半ば強制的に連れてこられた美樹でさえビーチの熱気にやられテンションを上げていた。二人ともアルバイトは初めての経験らしく、実に楽しげだ。いつか、痛い目を見ればいいのに。
せっちゃんも含めた三人とも、額には玉のような汗を浮かべているが、太陽の光を浴びて何というか艶めかしい印象を抱かせる。
そんな三人に親し気に名前を呼ばれる俺も体中に汗をかいているが、誰も得しない。かいている汗が周りの男性陣からの殺気のこもった視線による冷や汗であることは関係ないだろう。
アルバイト初日の午後二時。昼食の時間は過ぎているはずだが、海で遊ぶ彼らはご飯を食べることも忘れていたのだろう、この時間になっても客足が衰えることはない。このビーチには他にも一軒の海の家があるのだが、明らかに混雑に差が出ている。
経営者ならともかく、アルバイトの身にとってはもう一軒がうらやましい限りだ。
せっちゃんにたんまりとバイト代を頂戴することにしよう。




