十八話 繰り返される過去
気付けば、マール王国にいた。
それは、溶岩流に呑みこまれる前の平和な王国だった。
自分の家の前で立っていたレイは、遠くを歩く町人の冷めた視線を感じながらも、少しだけ喜びを感じていた。
久しぶりに帰って来たのだ。
だが、いつまでもそれに浸かっている場合ではない。
レイの直感ではあるが、今は国王リットンが剣を取りに行く前の時間で、大男がそこにレイを送り込んだのだろう。
(早く奴を止めないと――)
策が思いつかないレイは、その足を城へと向けることにした。
逢瀬さえ拒まれるだろうと思ったが、直接会って話さなければ、リットンには伝わらない。
何年も会っていないが、彼が昔のままの性格なら、なおさらそうだ。
城下町の街並みから外れた場所にある家から、大通りを通り、まず城門へ向かう。
拒まれれば、仕方ないが、抜け道を使うしかあるまい。
「……様、ご病気みたいよ」
「回復なさるといいわね」
ふと、そんな声が聞こえた。
レイが歩けば、誰もが避けるように通りの端へと移動するが、前から歩いてくる二人の中年の女性は、世間話に夢中の様で、彼に気付くことはない。
不思議なこともあったもんだと、でも、久しぶりに、普通に歩いてくる二人に安堵している自分を知ると、嬉しく思い、ふと、笑みを浮かべた。
大きな声で話しているため、聞きたくなくても聞こえてしまうが、どうか病気が治りますように。
そう、心から願った。
太陽が真頂点に昇った頃、レイは立ち塞がる兵士に、面会を頼んでいた。
だが、取り次いでくれない。
レイが嫌われ者という立場であり、国王が最も嫌う男であることを知っているからこそ、断固として断る態勢を崩さない。
「何度も言うが、無理だ。 早く退けろ!」
「……そうか、わかった」
以前の態度とは正反対で、明らかに怒りのこもった罵声を浴びせられ、この心はいつかのように、また傷つく。
だが、どうして罵声を浴びせられるのか、その理由をわかっていたからこそ、反抗できない。
リットンが嫌う理由も、町人に嫌われる理由も、すべてはあの事件のせいだ。
あの事件さえなければ、自傷するほど追いつめられることもなく、今もきっと、幸せに過ごしていただろう。
昔を思い返すように、踵を返すレイは、抜け道へと歩みを進める。
そして、何度も入った応接間に出る。
幸い、この部屋には人がいなかった。
だが、ここから王の間へと行ける気がしなかった。
一階では兵士が見回っており、もちろん二階にも配置されている。
皆がレイの顔を知っているのだ、見つからずに行けるとは思わない。
どうしようか考えていたとき、ギギィと音を鳴り、扉が開く。
その瞬間に、レイは縦に長いテーブルの下に隠れ、息を潜める。
もしクレールなら、取り次いでくれるだろう。
どうか、あのときのように、彼女であってほしいと祈りながら、入ってきた人の正体を探る。
だが、入って来たのは貴族の男性二人だった。
「私は反対したが、やはり行くようだな」
「仕方ないだろう。本当に、我が国にパルテノン帝国が侵攻してきたら、ひとたまりもないからな」
レイの直感が当たったことを知る。
この二人がひそひそと、壁に背を預けながら話しているのは、おそらく剣の話だろう。
「だが、他にも手立てはあるだろう。いくらご乱心とはいえ、何も考えずにあの危険と謳われる破滅の剣を取りに行くなんてどうかしている」
「ま、我らが取りに行くわけではないから、いいじゃないか。兵士の一人、二人が死んであの剣を持って帰れるなら、死んだ兵士も喜ぶだろうさ」
貴族がどんな考えを持っているかを知り、レイはただただ驚いた。
自分が安全なら誰が死んだって構わない、そんな意味に受け取れた言葉に、悲しく思う。
少なくとも、レイが知っている貴族は、そんな人ではなかった。
国のことを、民のことを考え、何事も責任を持って行動する人だった。
命を軽視するような人ではなかった。
だから、裏切られた気分だった。
これから国王の行動を止めなくてはいけないレイは、自分が何をすべきか考える。
直接会って話せたら、それが一番いいだろう。
だが、他に方法を考える必要がありそうだ。
この二人を気絶させて、服を奪い、貴族に成りすまして王に近づこうか。
「それに、国王は民を騙してまで真実を隠すんだ。可哀そうに――」
「あっ」
二人の愚痴話が、応接室に入ってきた一人の女性によって中断される。
「な、なんだ、君は」
「私はこの部屋を掃除しに参りました、スフィアと申します」
「ちっ。出るとするか」
これから盛り上がりそうな愚痴話を聞かずに済み、レイは安堵した。
けれど、このままでは見つかってしまうだろう。
貴族たちが出て行き、扉を閉める女性は、「……誰ですか」と問いかけるように呟いた。
焦ったレイは、すぐに顔を出すわけにもいかず、そのまま、息を潜めていた。
よく考えれば、見つかったときのことを考えていなかった。
このままでは、牢屋に送りこまれてしまい、この国を助けられなくなる。
「そこね」
女性は、全てを見透かしているかのように、テーブルの下を覗き込む。
もちろん、ばっちりと目が合ってしまう。
「……レイ・ウルコフ?」
覗き込んできたのは、メイドの姿をしたスフィアだった。
初対面なのに、名前を呼ばれることに慣れてしまったレイは、仕方ないと思い、女性に手を上げるわけにもいかず、のこのこと出てくる。
もし扉を出たり、叫ぼうとしたときは、速やかに黙らせるため、静かに警戒態勢に入りつつ、彼女に近づいていく。
「どうして、ここに?」
「……嫌わないのか」
「何で? だって、カッコいいじゃん」
ニッと笑うスフィアは可愛らしく、透き通るような白い肌をしている。
頬紅をつける程度の化粧であるが、見とれてしまうほど、充分に綺麗だった。
そんな彼女から、カッコいいと言われ、照れないわけがなかった。
「でも、片目しか見えないでしょ。その前髪、切った方がいいと思うんだけどな」
持っていた箒の柄の端に顎を乗せ、上目遣いで見つめてくる。
だが、それを振り払うようにふいと視線を背け、無理やり話題を変える。
「俺は、国王に会いたい」
「あなた、国王に嫌われていることは知ってるでしょ? 無理だと思わないの?」
「どうしても、止めなくちゃいけない。あの剣を取りに行ったら、この国は滅ぶからな」
話しているうちにとっくに、警戒を解いていたレイは、彼女にすべてを話していた。
もちろん、信じられないと疑うような目でレイを見上げるスフィアは、同時に、「うーん」と口にした。
顎を外して、箒をぱたぱたと横に動かし、床のゴミを掃く振りをしているが、何かを考えているらしい。
そして、小さなゴミがあちこちに飛び散らかり、逆に汚していた。
「……信じるよ。会わせるのは無理だけど、良い方法がある」
「良い方法とは?」
「兵士たちより先に剣を取りに行って、破壊しちゃえばいい……なんて、無理かな」
思いつかなかったレイは、その方法があったかと、納得するように頷く。
それならば、なにも自ら国王に会わなくてもいいのだ。
だが、本当にそれでいいのだろうか。それで、この国を救えるのだろうか。
正解は一つではないだろうが、選択を誤れば、マール王国の皆が死ぬ。
命の重さを知っているレイだからこそ、慎重になって考える。
「良い方法だと思うが……クレール王妃に会わせてくれないか?」
「えっ」
本当なら、彼女には会ってはいけないのだと、思っていた。
彼女に助けを請うてはいけないとも、思っていた。
だが、この国の一大事だ。クレールを助けるためにも、後悔はしたくない。
クレールにも事実を話し、助言を貰おうと、そう考えた。
だが、スフィアの動きが止まるのを見て、三人の脱獄を手伝った罪で何らかの罪を被ったのかもしれないと、悪い考えが過ぎった。
現実は、それ以上に酷かった。
イズナ岩窟に入れるのは、地の護神であるレイと、戦神子の柚葉だけである。
そのことを考えると、破滅の剣は岩窟外であることが考えられる。
『この剣を奪おうとした』と言っていた大男のセリフを思い出し、リットンたちが剣の近くまで来たことがわかると、どう考えてもやはりイズナ岩窟にあるとは考えられないのだ。
そこで、スフィアが教えてくれた『炎に近し深淵』が候補としてあがる。
それはロセリアのリウム洞窟のように、マール王国城の地下に存在するらしい。
スフィアが調達してくれたメイド服を嫌々ながらも着せられ、今は炎に近し深淵への入り口を探していた。
そんなレイの頭の中は、クレール王妃のことでいっぱいだった。
(――自ら死を望んだのも、俺のせいなのか?)
スフィアは王妃専属メイド(=メイド長)と仲が良く、王妃の死について詳細を聞けたのだという。
彼女が言うには、先日、病気が原因で亡くなったとのこと。
だが、その病は早い段階で気付いたため、治療が可能だったという。
けれど、王妃は治療を拒んだ。
メイド長いわく、王妃が「生きているのはつらい」と、一人呟いていたらしい。
(――あのときの行動は、間違っていたのか)
レイの悩みが増えた。
しかも、解決できそうにない悩みだから、たちが悪い。
「おい、そこのメイド、お茶を二階まで運んでくれ」
すれ違いざまに、横を通った貴族の男性が、メイドに変装したレイに頼む。
男が騙されるほど、女装が似合っているレイは振り返り、できる限りの笑みを浮かべて「かしこまりました」と伝えた。
そして、前に向き直ったときには、お茶のことなどすっかり忘れていた。
だが、クレールのことを思う時間は、今はない。
一刻も早く、炎に近し深淵に行かなければ、あの剣を破壊しなければならない。
――あの大剣をこの手で破壊なんて、できるのだろうか。
不安が過ぎる中、レイは階下へと続く道を探し当てる。
広間の奥にある小部屋のそのまた奥に、下へと続く階段が大棚によって隠されていた。
隠し部屋ならぬ、隠し階段である。
(進むしかない。行こう)
壁に掛けられた、火の灯ったランプを手に取り、延々にも思える暗闇の中を下りていく。
階段の段差の高さがばらついており、足元に気を配って歩かなければならなかった。
思ったより時間をとられたが、下りきると、目の前には洞穴が現れた。
それなりに整備されていた石畳の床と、黒っぽい地面の境を跨ぎ、レイは一人で中へと入って行く。
(剣はどこにあるんだ)
洞窟内は、やけに静かだった。
そして、気温が上昇していくのを感じ、レイは汗をかいていた。
同時に、焦りを感じてもいた。
(早く探さないと……)
最初は一本道だったが、やがて分岐点に辿り着く。
右か、左か、どちらに進むべきか悩んでいたレイの目の前に、どこからともなく一人の女性がやってきた。
両手を前に添え、ゆっくりと歩み、右の道の前に止まる。
「クレール!」
レイはその女性の名を叫び、クレールに近寄ろうと足を前に出したとき、左の道の前にも、一人の女性が立っているのが視界に入る。
それは、心配しているような柚葉だった。
「ダメだよ、レイ! こっちに来て!」
「私は、あなたなしには、幸せになれません。どんなにつらかろうが、あのとき、レイが私を受け入れてくれたなら、生きる望みを捨てたりしなかったわ」
悲しげな瞳を向けてくるクレールが、痛みを抑えるように胸に手を当て、その場に座り込む。
そのとき、レイは冷静さを失っていた。
どうしてこの場で二人が出てきたのかなんて、考えられなかった。
死んだはずのクレールが目の前に居るのだ。
「クレール、俺は――」
「たとえ傷つこうが、つらかろうが、レイはクレールさんの死を受け止めなくちゃいけないの! 現実から目を背けないで!」
柚葉の精一杯の声が、波紋が広がる様に、その脆く弱い心に響く。
我に返り、冷静さを取り戻していくレイの目の前には、すでにクレールはいなかった。
やっと、現実を受け止められた。
「レイならできるって、信じてたよ」
柚葉が笑うと、レイも口角を上げた。
そして、煙のように消えていく柚葉に心の中で、『ありがとう』と言った。
左の道に進めば、そこからは緩やかな下り坂にさしかかった。
破滅の剣から人を遠ざけるように、様々なトラップが仕掛けられていた。
大きな岩が背後から、徐々にスピードを上げながら転がってきたり、リウム洞窟程複雑ではないが、迷路があり、やっとのことで抜けれれば、何十種類もの見たことがない虫が襲いかかって来たりした。
奥へと進むにつれ、徐々に上がっていた気温が急上昇し、暑苦しいなんてものでは表現できない熱が、レイから水分を奪い取る。呼吸するのさえ苦しい。
だが、確信していた。
破滅の剣は、もう近いと。
そして、最奥までやってきたレイは、岩の台座に横たわっている大剣を見つける。
やはり、黒くくすんだ色をしていて、何もかもを呑み込んでしまうような闇を連想させる。
(どうやって破壊しようか)
とりあえず、台座に近づいてみる。
ランプを近づけ、ひび割れている箇所があれば、何とかして割ることができるかもしれない。
けれど、どこにも入っておらず、試しに転がっていた手の平サイズの石を持ち、剣に思い切り叩きつけてみる。
次の瞬間、ジュ―ッと音を立てたあと、すぐに石が熱くなり、思わず手を離した。
剣は傷ついていないが、石が半分溶けている。
この大剣には、直に触れてはならないことがわかった。
(どうすればいいんだ)
見るからに、これは両手で持っても、持ち上げられそうにないほどの重量感がある。
でもそれは外見だけであって、実際はわからない。
もしかしたら、手が焼けただれるかもしれないが、今は試さなければならない。
持てるなら、これを壁に突き刺すなり、体重を思い切りかけるなり、破壊できる手段が増える。
幸いに、とは思いたくないが、メイド服を着ていたレイは、フリルのついた白いエプロンを外し、それを手に巻き、できるだけ直に触れないようにして大剣の柄を掴む。
すると、不思議なことに、思ったより熱くなかった。
この温度なら、直に触っても充分に触れられるだろう。
エプロンを手に巻いては持ちにくいため、これを外し、そっと大剣を掴む。
大丈夫であることを確認すると、両手で思いっきり上にあげようと力んだ瞬間、レイは後ろにそのまま倒れた。
何が起こったのかわからず、一瞬だけ呆然としていたレイは、何かを握っていることに気付く。
それに目をやると、黒くくすんでいた大剣はなく、姿形を変えた双剣が両手に握られていた。
燃え盛る炎のように、紅に染まった細身の剣は、剣筋に黄色い線が入っている。
柄は金色に輝き、レイの腕に現れた紋章と同じ形が、描かれている。
炎を模った、赤い紋章が。
「……クズが。なぜここにいる?」
聞き覚えのある声に振り向けば、そこにはマール王国の国王、リットンがいた。
銀で造られた鎧を身につけ、剣の柄に手を添え、地面に座っていたレイを凝視する。
そして、レイが握っている剣に目をつけると、それが破滅の剣であることを察知し、剣を抜き、戦闘態勢に入る。
「リットン、この剣は使ってはならない!」
「クズが、国の事情も知らないでよくもぬけぬけと……!」
説得なんて、到底無理らしい。
以前より痩せ、目の下にクマが出来ているリットンは、百人ほど連れてきた兵士たちとはぐれ、亡くし、それだけでなく愛するクレール王妃を亡くしたことで、精神的にかなりのダメージを受けていた。
皆の為に、マール王国のために、唯一の目的だけは達成しなければならないと、責任を感じている。
剣を構えながら、レイに近づいていく。
「ダメだ、リットン!」
「……貴様は、本当にこの上なく邪魔だった。今日で、終わりにしてやる!」




