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7話 転落

 それからシャルロッテには壮絶ないじめが待っていた。仲良くしていた友人たちはエルフリーデに逆らえない下位貴族の娘たちばかりなので、誰も庇ってはくれなかった。


 「…ヘンゼル。助けて…」


 教科書や服はずたずたに引き裂かれたし、ベッドにはねずみなどの動物の死骸を置かれた。これは同室の人間の協力が必要なのでルームメイトにエルフリーデの手先がいるのだろう。


 自分から拒絶しておいたくせに、心が挫けそうになるとヘンゼルに助けを求めるのは情けなかった。シャルロッテは現実のヘンゼルに助けを求めたのではない。辛くも美しい思い出の中の優しいヘンゼルに助けを求めたのだ。

 

 「シャルロッテ、次の集まりのことなんだが」


 シャルロッテが無くなった私物を数えながら、エルフリーデに「みっともない」とざっくり切られた髪をどうにか誤魔化すように手で撫で付けてながら廊下を歩いていると、そんなことを知らないハインリヒが笑顔で話しかけてきた。


 いつのまにかハインリヒはシャルロッテのことを「シャルロッテ嬢」ではなく「シャルロッテ」と名前で呼ぶようになっていた。


 「あの、王太子殿下。集まりは遠慮させてもらえないでしょうか」


 最初からこうしていればよかった。初めて行った時に流されず失礼がない程度に喋って早く帰ればよかった。ハインリヒたちと討論する時間は楽しかったが、エルフリーデら女の嫉妬を一身に受けてまで大事にするものじゃない。


 「欠席するのか? 皆、君の話や意見を楽しみにしている。君は新しい視点をくれるからな」


 ハインリヒの言葉はシャルロッテがヘンゼルの話を楽しみにしていたそのままの感情だった。


 「実は、殿方と集まるなんてふしだらだとエルフリーデ様をはじめ他の方にもご指摘いただきまして、集まりは遠慮したいです」


 本当はハインリヒと話しているだけでもエルフリーデから壮絶な罰を受けそうだったが王太子を前に逃げ出すのも不審に思われるだろう。


 「エルフリーデが…?」


 ハインリヒはエルフリーデの名前を聞くと顔を顰めた。シャルロッテとエルフリーデに面識があることに驚いているのかもしれない。


 「シャルロッテ…その髪」


 ハインリヒの手が伸びてくる。父がハグをしようと腕を広げた時のような不快感が湧き上がり、シャルロッテは体をこわばらせた。ハインリヒの関節の太い指は、ざっくり切られたシャルロッテの髪を一房掴んだ。


 ヘンゼルの細い指とは感触が違うように感じる。ヘンゼルからはお日様のようなほのかに甘い匂いがするのに、ハインリヒからは爽やかな柑橘のような匂いがした。顔を顰めそうになる。


 「どうしたんだ、こんなにざっくり切られて…!」


 ハインリヒが驚いたようにシャルロッテを見つめる。


 「枝毛を切ろうとしたら、失敗しまして」


 シャルロッテは近づいたハインリヒの顔がやはり父を思い出せるので視線を逸らした。


 「この位置は自分で切るのは難しいだろう。誰にやられたんだ」


 ハインリヒの瞳には自分たちの仲間であり友人である、無害で弱いシャルロッテという可哀想な少女を守るための義憤にも似た強硬な正義が燃えていた。シャルロッテに仲間意識を感じている彼は、シャルロッテが害されることは自分への反逆と受け取ったのだろう。


 どうして彼の正義や善意をシャルロッテに押し付けてくるのだろう。シャルロッテはまるで首を絞められているような気がする。あの夜に父がヘンゼルに対して行ったように。


 「まさか、エルフリーデか」


 実際に髪を切ったのはエルフリーデたちの取り巻きでエルフリーデはその様子を止めるでもなくにやにやと笑って見ていた。彼女たち側の正義が暴走した結果だとわかっている。彼女たちにとってエルフリーデはハインリヒの婚約者で彼を一途に慕っている可哀想な女で、シャルロッテはハインリヒを誘惑しようとするあばずれ女だ。


 ハインリヒはエルフリーデの裏の顔にショックを受けているようだった。


 「シャルロッテ、君は何も悪くない。わたしたちは何も恥じる関係ではないし、エルフリーデがわたしの交友関係に口を出す権利はない」


 ハインリヒの交友関係にエルフリーデが口を出す権利がないというのは正論かもしれないが、正論が時に人を追い詰めることがある。感情に振り回されるのが人間というものだ。


 ハインリヒがどれだけシャルロッテとやましいことはないと言おうともエルフリーデは割り切れないだろう。だって彼女は恋をしているのだから。シャルロッテもヘンゼルに恋をしているからわかる。


 「エルフリーデにやめさせるようにわたしから言おう。どんな理由があろうとも、人を害していい理由にはならない」


 「本当に、もうやめてください」

 

 女の諍いに男が介入したら余計に拗れるのではないか。シャルロッテは泣きそうな声を絞り出すしかなかった。

 



***




 その日、シャルロッテはエルフリーデから人気のない大階段がある廊下に呼び出されていた。もう授業の時間は終わり、生徒たちは寮に帰る時間なので校舎に人は少ない。


 「あなた、私の忠告を聞かなかったようね。ハインリヒ殿下に泣きついたのでしょう。殿下の温情に縋るなんて、いやしいこと」


 器物破損や傷害がエルフリーデなりの忠告だったのだろうか。あれはシャルロッテの心を折って退学に追い込もうとしていた。


 「泣きついてなどいません。あの方に縋った覚えなどありません」


 毅然としていなければと思った。そうしなければエルフリーデの迫力や権力に飲まれて、ありもしない罪を認めることになりそうだったから。


 「どうして…こんなにも原作にないことが起きるの。おかしいじゃない。あなたも転生者なんでしょう」


 エルフリーデは怒りからかそれとも怯えからか、両方が混じったように青ざめたり赤くなったりを繰り返していた。


 「原作? 転生者? エルフリーデ様が何をおっしゃっているのかよくわかりません。転生とは哲学や宗教の考えですよね」


 「白々しい。誤魔化しなんてしなくて結構よ。原作に、シャルロッテなんて人いなかった。あなたはモブに転生したのに、ヒロインに成り代わろうとした図々しい転生者でしょ」


 エルフリーデの表情には憎悪が塗れていた。シャルロッテはヘンゼルに自分はこんな表情を向けてしまっていたのではないかと不安になった。


 「頑張って好感度を上げて、フラグを折って、せっかく救済した私の世界を壊さないでよ!」


 エルフリーデが叫んだ次の瞬間、シャルロッテは宙に浮いていた。エルフリーデの手はこちらに突き出されていて、シャルロッテは階段から転がり落ちた。母が最後に見た光景もこんな風だったのだろうか。


 鈍い音が響き、シャルロッテの体には全身を打ち付けた強烈な痛みが押し寄せていた。視界はぼんやりしているし、あまりの痛みに意識が飛びそうだ。


 「やっぱり、ヒロインをゲーム開始前に排除しても、ヒロインポジが現れる。私は、悪役令嬢という運命の強制力には敵わないんだ…」


 シャルロッテは朦朧としながら階段上のエルフリーデを見る。エルフリーデはこちらを見下ろしながら、混乱しているようだった。頭を抱え、怯えたように瞳を彷徨わせる。


 シャルロッテにはエルフリーデの言っていることがわからなかった。悪役令嬢という言葉は聞いたことがないが、悪役とついているくらいだから何か劇や三文小説に出てくる役目なのかもしれない。


 そうであれば、エルフリーデはこの世界を創作物か何かだと思っているのではないか。以前、エルフリーデに「男の真似ばかりするなんてはしたない」と言われた時、シャルロッテはエルフリーデこそが女という性別に呪いのように縛られていると感じていた。


 そういった側面もあるだろうが、エルフリーデが本当に縛られていたのは「悪役令嬢」という役柄だったのかもしれない。


 悶え苦しむような痛みに襲われたが、シャルロッテはうまく体が動かせなかった。そして視界は闇に包まれたのだった。

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