6話 斜陽
父に送る手紙はだんだん簡素になっていった。最初はなんとか便箋一枚を埋めていたが、やがて近況報告として成績と健康であることを書いて終わりにした。
成績はいつも首位を独占していた。ヘンゼルから聞いた故郷の話や彼との会話で文系の科目は得意だったし、彼が父の仕事を手伝っていた関係で見せてくれた火薬の化学式などに慣れ親しんでいたおかげで、理系の科目も得意だった。
母はヘンゼルを字が読めない野蛮人と思っていて、シャルロッテが彼に読み書きを教えたが、今思えば彼は「この国の」言葉が読めないだけで、それなりの教養階級にいたのではないかと思うことがある。
アイゼン男爵領は国境に面していることから、異国の人間の往来も多い。ヘンゼルの故郷は外国なのではないだろうか。
廊下に張り出されている試験の順位と点数をメモに書きつけて、これで今回も父に送る手紙の内容に「特に変わりなし」と書くことができると安堵していた。
「失礼、シャルロッテ嬢」
青年に話しかけられて、シャルロッテは緊張したように体が固まった。ヘンゼル以外の同年代の男の子と話すのはほぼ初めてだった。
シャルロッテの周りにいたのは使用人の大人たちばかりで、彼らのほとんどは通いで屋敷に勤めてくれているから、彼らの子供と幼馴染同然の関係にはなれなかった。
祝祭などがあると、領地の子供たちと会うこともあったが皆が領主のお嬢様としてシャルロッテと距離をとって接する。だからこそ父がヘンゼルを「シャルロッテの友達にしてやればいいだろう」と言ったことに疑問を持たなかった。
母はその違和感に気づいていたのにシャルロッテは学校に通い本格的に人付き合いが始まる前に、友達を作るのに慣れていた方がいいだろうという父の気遣いだと思っていたのだ。
「わたしはハインリヒ。君のおかげでわたしは万年次席だ」
ハインリヒはおどけたように自己紹介をした。
「王太子殿下…!」
シャルロッテは慌てて、カーテシーをした。エルフリーデとハインリヒ、その他有力貴族の子女たちが今年は入学しており「大豊作の期」と呼ばれているのは知っていたが、シャルロッテが会うことはないだろうと思っていた。
「あ…あの、申し訳ありません」
シャルロッテが首席を奪ってしまったことを責められているのかと思った。
「謝らなくていい。わたしを負かした人は初めてなんだ。いつも首位を独占している才女はどんな人かと気になっていた」
ダークブラウンの髪に海のような青い瞳はどこか父を思わせた。いや、整った男の顔立ちなんて比率などがどことなく似るものなのだろうか。父に似ていて、シャルロッテはこの人は苦手かもしれないと思った。
「…まぐれですわ」
「まぐれで毎回、首位を取り続けられるものか。実は学友たちと学問について話す集まりがあるんだ。ぜひ、あなたを招待したい」
男性たちだけの社交場に行く勇気はなかったが、王太子直々の誘いを断れるほどの勇気はもっと無かった。どうしてハインリヒが苦手なのかわかった気がした。ハインリヒはヘンゼルほど優しくない。
ヘンゼルは良くも悪くも中性的で、体格もあまり大きくないので雄々しさとは無縁だった。だからこそシャルロッテはあまり威圧されることはなかった。
しかし、ハインリヒは背が高く肩幅もしっかりしていて彼から見下ろされると威圧されているように感じる。それは王太子という地位から来る風格と自信なのだろうか。
「ええっと、その集まりは殿方ばかりなのですよね。私にはちょっとお邪魔なのでは…」
シャルロッテが眉を下げながら苦笑する。
「わたしの連れに場違いなどあるものか。あなたはわたしを負かした才女だ。皆、あなたと話したがっている」
強引に約束を取り付けられ、シャルロッテはその週の安息日に談話室で学問に関する談義に参加することになった。行って失礼のないように少しだけ喋ってすぐ帰ろうと決めていた。
「こちらが首席のシャルロッテ嬢だ」
ハインリヒにエスコートされて入った談話室にはソファに座りコーヒーを飲んでいる青年たちがいた。皆、ハインリヒの側近や幼馴染や乳兄弟など大貴族だったり、ハインリヒと近しい国の中枢の子息たちだった。
「これがハインリヒを負かした噂の才女殿か」
「入学してから首位を取り続けるなんて、凄いな」
思ったより彼らは歓迎してくれたが、居心地の悪さが改善されるわけではなかった。
「失礼だが、女性でありながら男どもを負かすほどの知識は一体どこで手に入れたんだ?」
「我が校も、女子の入学を許可した先進的な機関だが、まだまだ女性が男性と同等の教育の機会を手に入れているとは言い難いだろう」
彼らは女であるシャルロッテが自分たちより成績では上だということを信じられないようだった。薄らと女性蔑視の意識が透けて見えたが、それでも彼らは先進的なんだろう。
あからさまに馬鹿にしてこないし、一定の敬意を払っている。クズ鉄だのみっともな赤毛だの言ってくる陰湿な女たちよりよっぽどいい人なのだろう。
「父が先進的な考えをしていて、私が学ぶことを止めなかったんです」
それに関してだけは父に感謝しているかもしれない。両親は料理や裁縫など女子の必須科目より、本を読むことを優先させてくれた。
「父の仕事を手伝っている小姓がいるんですけど、彼から故郷の話や火薬の研究の話をしてくれて、とても刺激になりました」
ヘンゼルの話はいつも面白かった。シャルロッテをどこか遠い世界に連れて行ってくれた。今はその時の思い出がほろ苦い痛みを伴って思い出される。
「シャルロッテ嬢の実家は鉄鋼業が盛んだったな」
ハインリヒが火薬の話に食いついて興味深そうに頷いた。かつては国王の覚えもめでたい鉄の産地だったが、今では「盛んだった」と過去形で語られている。
今でも鉄は採れるが全盛期に比べれば落ち目で、アイゼン家は一番栄えた祖父の代で蓄えた資産を切り崩しながら、生活しているようなものだ。
ハインリヒとその友人たちの話は有意義なものだった。やはり王宮に蓄えられた蔵書に目を通せるハインリヒの知識は深く、シャルロッテも女性目線の意見を言うことで討論は白熱した。
すぐに帰ろうと思っていたシャルロッテだったが結局最後まで談話室にいて、議論を交わし合った。彼らと話しているうちにシャルロッテは、実家から逃げるには結婚するしかないと思っていたが、険しい道だが一人でも生きていけるように就職するという道もあるのだと知った。
ハインリヒからは「また誘ってもいいか」と問われ、権力に逆らえなったシャルロッテは頷くしかなかった。何度かそういった集まりに顔を出す間に彼らはシャルロッテを女性としてではなく、仲間、同志のように感じてくれるようになった。
シャルロッテも集まりを楽しみにするようになった。自分の知識が認められるのは嬉しい。女性は男性に劣らず、勉強できるのだと証明したかった。ハインリヒへの苦手意識だけは完全に拭い切ることはできなかったが、悪い人ではないのだ。
父に似ているから苦手というのはシャルロッテ側の認識の問題で、ハインリヒに悪いところや改善すべきところがあるわけではない。
シャルロッテの才能を見出してくれて、有意義な集まりに誘ってくれた人だ。その人間性は好ましいと感じるが、やはり彼が目の前に立つと体が強張るのは止められなかった。
「シャルロッテさん」
女子寮でエルフリーデに話しかけられた。
「エルフリーデ様、何かご用でしょうか」
女子たちの間には明確なグループがあり、高位貴族は学校に来る前から家同士付き合いがあった高位貴族の令嬢と、下位貴族たちは価値観の合う下位貴族の令嬢同士で群ていた。
エルフリーデがシャルロッテに話しかけるのは歓迎会で庇ってくれた時以来であった。
「何かご用…ですって。本当に何もわからないの?」
エルフリーデの眉が顰められた。その声には怒りが満ちている。シャルロッテは何かエルフリーデを怒らせるようなことをしてしまったかと頭を巡らせた。しかし、エルフリーデと喋るのはこれで二回目だし、前回会話した時には金髪を褒め、和やかな雰囲気で別れたはずだ。
「最近、ハインリヒ殿下らとお話ししているそうですね。男性には男性のお付き合いというものがありますの。そこに、女性のあなたが割り込むなんて…」
ハインリヒが誘ってくれた集まりについてエルフリーデが苦言を呈したいのだとわかった。
「王太子殿下からお誘いいただいたんです」
まるでシャルロッテが無理矢理割って入ったかのようにエルフリーデは誤解しているのだろう。エルフリーデこそが女という古い呪いに一番縛られているように見えた。
「ハインリヒ殿下がお誘いになったとしても、あなたは立場をわきまえてお断りするべきでしたの」
諌めることも王妃になる自分の務めだと考えているエルフリーデにはきっとシャルロッテの気持ちはわからない。守ってもらえる太い実家の後ろ盾などない、弱小貴族の娘であるシャルロッテが王太子の誘いを断れるわけない。
「お断りだなんて…そんなこと、私にできるわけないじゃないですか」
「…あなたの振る舞いは少々、目に余りますわ。婚約者のいる殿方に近づくなんて。もっと節度を持ったお付き合いというものをなさい」
別にシャルロッテから誘惑するために近づいたわけではないのに。それに、ハインリヒやその学友たちをシャルロッテは友人のように感じていたから、周りから見ると婚約者持ちの相手をたぶらかすために近づいたように見られるのは嫌だった。
「エルフリーデ様、何か誤解をなさっています。私はそんなつもりでは…。そうだ、エルフリーデ様も次回の集まりに参加されませんか。とても楽しく有意義な時間ですよ」
シャルロッテはわずかな希望に縋るようにそう言葉にしていた。きっとエルフリーデは婚約者であるハインリヒがシャルロッテと親しくしているのに不安を抱いたのだろう。
ならばエルフリーデも集まりに参加すれば、不安は解消されるのではないか。シャルロッテが参加していいのなら、同じく女性であり婚約者でもあるエルフリーデが参加しても何の問題もないだろう。
「そうやって、男性の真似ばかりするあなたがはしたないと言っているのですよ。この薄汚い赤毛!」
エルフリーデはもう我慢ならないというように手にしていた扇子でシャルロッテの頬を思いっきり打った。シャルロッテは口の中に血の味を感じながら、頬を抑えた。
エルフリーデはシャルロッテの赤毛をチャーミングだなんてこれっぽっちも思っていなかったのだ。




