12話 暗転
シャルロッテは王太子妃のための部屋が与えられ、シャルロッテの風呂や着替えの介助はメイドたちがするようになっていた。ヘンゼルは役割を奪われたようで、落ち込んでいたが、シャルロッテの車椅子を押したり抱えて歩くのはヘンゼルの役割だった。
シャルロッテは鳥籠に閉じ込められた鳥のような心地だった。ハインリヒは忙しい時でも時間を作って会いに来てくれるが、それが煩わしくて仕方がない。ヘンゼルとの時間を邪魔されているように感じる。
「シャルロッテ、王宮での暮らしは慣れたかい?」
「まだ慣れないことばかりです」
露台でお茶をしていた。頻繁に会いにきてくれるのは理想の恋人なのかもしれない。しかし、シャルロッテにとっては父が手紙を書いたら寄付金を納めると善意を装って支配したように、ハインリヒも頻繁に会いにきてはシャルロッテを監視しているように思えてしまう。
シャルロッテは視線こそ向けなかったが、メイドたちと一緒に隅で控えているヘンゼルのことが気になって仕方がなかった。ハインリヒという存在が彼の身体的なコンプレックスを刺激することを知っていたから。
ハインリヒは善意と権力でシャルロッテを囲ってしまう。シャルロッテの心がどれだけヘンゼルにあろうともヘンゼルは不安を感じずにはいられないだろう。
ハインリヒは濁流のようにシャルロッテを押し流し、シャルロッテは流される中で離れないようにヘンゼルの手をしっかり握っているしかない。ヘンゼルとともに入水しているようだった。
「実は、ベルク公爵がエルフリーデと一度だけ会う機会を設けてくれないかと言っているんだ。わたしに彼女に対する恋情はないが、元婚約者だし君も複雑だろうと思って…」
シャルロッテに会っていいか確認するのはハインリヒの誠実さの表れなのかもしれない。しかし、なぜ彼はシャルロッテもハインリヒを好いていて、過去の女に会うことを複雑に思っていると考えるのだろう。
シャルロッテはハインリヒの愛に応えたことはないし、好きだと告げたこともない。きっぱり言ったとしてもハインリヒは諦めないだろうが。
「殿下がお決めになったらよろしいかと」
シャルロッテは興味がなかったからそう答えたが、ハインリヒはかつてエルフリーデが人間関係に口を出しハインリヒの周囲に嫉妬したことからシャルロッテがそれを反面教師にしたと考えたのだろう。
「ちょっとは嫉妬してもらえないと寂しいものだな」
ハインリヒは寂しげに笑った。嫉妬なんてあるわけない。シャルロッテはハインリヒを友人とは思うことができても、恋人のように嫉妬するほどの熱量を向けられないのだから。
「エルフリーデに会う時、君も同席してくれないか。彼女に謝罪の機会を与えてもいいと思うんだ。もちろん、怖いなら無理にとは言わない。謝罪されたからって許さなくていい」
王家とベルク家の関係を悪化させないための政治的な配慮であることが透けて見えていた。
「私はもともと事故のようなものだと思っております。エルフリーデ様を恨んでなどおりません」
「シャルロッテ…君は優し過ぎるよ」
ハインリヒは優しさに胸を打たれたというよりは、悔しそうな表情を見せた。シャルロッテ本人が恨んでいないと言っているなら、彼は代わりには怒れないのだろう。
シャルロッテはエルフリーデが言っていた「原作」「好感度」「ヒロイン」「悪役令嬢」などの言葉が引っかかっていた。エルフリーデは現実を現実として見ていないように見えた。「ゲーム」だとも言っていた。
だからこそエルフリーデは犯罪のようないじめを指示することができたのだろう。ゲーム感覚だったのなら。
ハインリヒが部屋から去った後、シャルロッテはメイドたちを退室させヘンゼルだけを部屋に残した。ヘンゼルがずっと何か言いたそうに視線を投げかけていたから。
「シャルロッテ、本当にエルフリーデとかいう女に会うんですか」
「あの人に酷いことされたけど、謝りたいっていうなら聞くだけ聞いてあげようかと思って」
ヘンゼルは車椅子に座るシャルロッテに合わせるようにかがみ込んで髪を撫でた。ざっくり切られた髪は少し伸びてきたが、まだそこが切られたとはっきりわかるくらいには違和感があった。
「あなたの髪を切るように指示したんですよ。一歩間違えれば、肌が切られていたかも。それに、あなたを…あなたを…!」
階段から突き落として足を不自由にしたというのはあまりにも酷い現実だったからか、ヘンゼルは口にできなかった。
「あなたを酷い目に遭わせたエルフリーデをわたしは許せない」
ヘンゼルはシャルロッテを車椅子ごと抱きしめた。シャルロッテは嬉しさを感じながら、ヘンゼルの背に腕を回す。
「ありがとう、ヘンゼル。怒ってくれて」
ハインリヒには感じなかった感謝がヘンゼルには湧き上がった。
***
エルフリーデと会う日、シャルロッテは緊張していた。頬の内側から血の味が滲んでいるような気がする。彼女に頬を打たれた思い出が強く残っていた。
王宮の貴賓室の一つにエルフリーデとその父ベルク公爵が待っていた。シャルロッテはヘンゼルに車椅子を押してもらいながらハインリヒと部屋に入った。
久しぶりに見たエルフリーデは少しやつれているように見えた。豪奢なドレスは着ておらず質素な修道服を着ていた。厳しい修道院に入れられたというのは本当らしい。
シャルロッテたちが入ってくると、ベルク公爵は立ち上がり頭を下げた。それに倣うようにエルフリーデも、ベルク公爵の影に隠れてはいたが小さく頭を下げた。
「王太子殿下、シャルロッテ嬢、本日はお時間をいただきありがとうございます」
ベルク公爵は金髪という以外はエルフリーデと似ていないと思った。しかし、目元はよく見れば面影があるかもしれない。
エルフリーデはシャルロッテを見て大きく目を見開いた。車椅子姿に衝撃を受けたのかと思ったが、エルフリーデはシャルロッテを見たというより車椅子を押しているヘンゼルに目を向けていた。
「どうして…。隠し攻略キャラは一周目では出てこないはずなのに…」
エルフリーデはヘンゼルを見た途端に青ざめて震えていた。
「エルフリーデ、何を言っているんだ! 謝罪するんだろう。この度は娘が申し訳ありません」
ベルク公爵は深々と頭を下げた。最初は娘可愛さに握り潰す気満々だったのだとは思えない。
「……やっぱり、やってもいないことを謝罪するなんてできませんわ」
エルフリーデは手を祈るように組み、唇を噛み締めた。憎悪に燃える瞳がシャルロッテを睨みつけている。エルフリーデが謝る気もない激しい瞳を向けていることに気づきハインリヒが口を開いた。
「エルフリーデ、まだ反省していないのか。そちらが謝罪したいというから、場を設けたというのに」
ハインリヒは必死に感情を抑えているようだった。シャルロッテがいなければ怒鳴っていたかもしれない。
「ハインリヒ殿下! 私は無実です。彼女が勝手に落ちて、私を陥れようとしたんです。私はむしろ、飛び降りる彼女を助けようと手を伸ばしましわ!」
「エルフリーデ!」
ベルク公爵が叱責するようにエルフリーデの名前を叫ぶ。
「エルフリーデ、罪を認めたくないからといって見苦しいぞ。彼女の母君は階段からの転落事故で亡くなっているんだ。そんなことがあって、わざと階段から飛び降りるなんてあるわけないだろう。シャルロッテを侮辱するのはやめてくれ!」
「王太子殿下」
シャルロッテがそう呼びかけると、ハインリヒは申し訳なさそうに眉を下げ「すまない」と謝った。シャルロッテのまだ癒えていない傷を思い出させるような話だった。
「君の友人たちがシャルロッテに嫌がらせするよう指示されたと証言しているぞ」
「それは…! 友人たちが私のために暴走してしまっただけで、私は指示していません。多少、シャルロッテさんの気に入らないところの愚痴を言ったりはしましたが。でも、誓って本当に嫌がらせなどしてません」
エルフリーデは泣きそうになっていた。感情が昂れば昂るほど涙が出てくるのだろう。それはシャルロッテにも覚えのあることだったが、こういう場では「感情的」と思われて不利に働く。
「ハインリヒ殿下、生まれた時からの婚約者だった私よりどうしてシャルロッテさんの言うことを信じるのですか!?」
「エルフリーデ、やめなさい」
もう謝罪などできないと悟ったベルク公爵がエルフリーデを止めた。そして娘の代わりだというように深々と頭を下げた。
部屋を出る時、エルフリーデは恨めしそうにシャルロッテを見つめていた。
「やっぱり転生者なんだ。チートを使って隠しを攻略して…逆ハーレムルートを狙ってるんだ…」
エルフリーデが呟いた言葉の意味はわからないままだった。




