5話 転校、ありえなかった未来
「転校? どこに?」
職員室の机で、担任は少し表情をこわばらせた。
「県内です。△△市」
「そうか」
担任はそう言って考え込んでしまった。
職員室の朝は深いコーヒーの匂いがする。懐かしい香りだ。
「いつまでいるんだ?」
「二か月くらい先、それぐらいになりそうだって、父が言ってました」
担任は天井を見上げた。
「そうか。寂しくなるな」
「俺もです」
答えると担任は椅子に腰かけたまま俺を見た。
「秋良。お前ちょっと変わったか?」
「はい?」
「前はもっとこう、俺も避けてたろ? 照れてたのか、あれ」
確かに俺はずっと引っ込み思案だ。
だから、人目に触れるところから逃げてばかりだった。自分から動くことをしない生き方ばかり選んできた。
「ちゃんとそういう風に言えるんだな。見直したぞ」
担任は少し嬉しそうだった。
歳も若く、こわもてだけど誰よりも俺達の事を思ってくれている熱血タイプの担任。
転校してからやり取りすることもないまま、大人になったあとどうなったかは俺は知らない。
その担任と今こうやって再び対峙している。
「もう少しちゃんとやらないとって、自分でも思うんで」
俺は心に決めたことを決意表明するようにそんなことを口にしていた。
しかし、担任からすれば教え子が、なにか頑張ろうとしているくらいの微笑ましい気持ちで見ているんだろう。
「転校を機に? まあいいきっかけになるな」
古びた椅子がきぃと音を立てて回った。
「みんなにはまだ言わないでおくか?」
「できれば。はっきりした日もまだ決まってないみたいなんで……」
確か、前回は俺が言うより早く親がこの担任に告げていたんだ。
それで、担任からみんなに言うか?と聞かれて反射的に断ってしまった。
みんなに打ち明ける機会はなかなか訪れず、隠しきれなくなって数日前にHRで明かしたんだ。
そこから最後の転校の当日までバタバタした記憶がある。
それを何故か今も強く覚えていた。だから、こうやって言えた。
「後悔したくないんで。その時が来たら自分からみんなに言います」
「そうか。覚悟できたら教えろよ」
そう告げると担任は満足したような顔で頷き、優しく肩を二回、ぽんぽんと叩いてくれた。
「失礼しました」
どこか懐かしいこの職員室を俺は後にする。
この世界にいるうち、ここをあと何度訪れるのか。
この言いようのないコーヒーの重厚な香りを嗅ぐことができるのは人生であと何回だろう。
そう思いながら外に出る。
朝の廊下はひんやりと冷たかった。
――転校するまであと二か月。この事実は変わらない。
「宿泊研修どうする?」
一時間目が終わった休み時間に、遠くの席からやってきた数人がそんな事を聞いてきた。
俺や八雲紘一郎とよくツルんでいた顔ぶれだ。
「市街地自主見学だっけ?」
「あの辺って何あるんだ?」
「研修?」
俺が尋ねると友人数人が訝しがる。
「聞いてないの? もう来週だぞ」
県内の離れた市にある宿泊施設。少年の家とかそんな風に呼ばれてるそこで1泊2日かけて行われるのがこの行事だ。
二年の秋に行われるこの行事、一日目は市街地での自主見学。班ごとに独自のルートを決めて行う。
バスや電車に乗って見知らぬ街を巡るそれは、一年後に控えた修学旅行の予行演習らしい。
そして、その研修が行われる街は父から告げられた引っ越し先の街でもあった。
「自主見学よりさ、俺その後のキャンプファイアー楽しみなんだよな」
「そんなのやるの」
「お前、なに聞いてたんだよ」
その友人たちは笑い合う。
「夕方まで街周って、あとは自然の家だろ?」
「それって話し合いとかすんの? どこまわるのかとか」
「午後にやるだろ。つかお前朝聞いてなかった?」
その時思い出した。あの職員室を訪れたあとの朝のHR。
午後はこの話し合いをやることを担任は間違いなく言っていた。
完全に他の事を考えて聞いていなかった。
「普通に聞き逃してた!」
「アキだよなあ! ほんと」
「うんうん。アキらしくて笑うわ」
二人はそんな俺を見ておかしそうに笑う。
呆れ半分、友達からの俺はいつもこんな扱いだった気がする。
でも、別に悪意を持っていじる風でもなくて、俺の方もまあいいかとか思えたんだ。
こういうのも悪くないなってそれなりに受け入れられてたんだ。
午後の授業一発目は聞いていた通り、宿泊研修の打ち合わせだった。
開始のチャイムから少し遅れて担任がやってくると、歩きまわっていた数人が一目散に席に戻る。
「学級委員」
その一言で騒がしかった教室内はあっという間に落ち着いた。あとはお決まりの起立、礼の号令だ。
お辞儀をしながら、みんなよく言う通りやるものだ。
そんな事をふと思った。
「さて――」
担任は一瞬だけこちらを見たような気がした。
「来週の宿泊研修だが」
しかし、俺からの口止めもあって、まだここで転校の事実を告げることはない。ほっと胸をなでおろしながら俺は続きを待つ。
「班はこの前の席替えで決まった新しい席の班、そういう予定だったが、」
その語尾に何かを感じ取ったのか、ちらちらと顔を見合わせるクラスメートの姿が見えた。窓側の後方からは教室の雰囲気が手に取るようにわかる。
「何人かの要望で自分たちで班を決めたいという話があった。なので、今回うちのクラスはそれで行こうと思う」
強面にスマイルを貼り付けながら担任が宣言すると教室内で明暗が分かれた。
元々友達が多くて陽気な連中は諸手をあげて喝采する。その一方で、そういう班作りが苦手な生徒は露骨に不満そうな顔をしていた。
「席順でよくなーい?」
声を上げたのはこのクラスでもかなり気の強い女子だった。脱色された赤茶けた髪をしているのはクラスでは彼女くらいで何となく苦手だった記憶がある。
「まあまあ大沼、逆に考えろ。気の合う仲間同士組めるんだぞ。こんな事そうそうないから、な?」
担任はなだめるように苦笑いをしてみせる。
教室は俄かに騒がしくなっていく。席から離れ元々仲のいい友人のところに交渉に行く者。近い席同士仲良しの女子たちはそのまま固まるつもりらしい。
徐々に班のメンバーが決まっていく。俺はちらりと河野や紘一郎の方を見た。
あいつらも同じようで俺と組みたいようだった。
「せんせー!」
不意に大きな声と共に女子が手を上げる。豊川だった。
「なんだあさひ」
「さっきも聞いたけどさー。男子と女子の班はどうやって組み合わせんの?」
「くじとか? いやなんだけど」
豊川に女子数人が呼応する。特にさっきのギャル系の女子、大沼の発言が怖い。
「きもい男子と組みたくないし―」
うわ、本当にきつい事を言う。この時期の女子ってこういうの容赦ないよな。
「ちゃんと話し合いで決めようかと思ってる。あと、俺から一つ言わせればだな。気の合いそうな相手もいいけど、見学の予定をちゃんと組んで実行できるようなメンバーで組むんだぞ。必要があったら話し合って入れ替えたり調整してくれ」
「め ん ど く さ !」
竜野が叫ぶと大笑いが起きた。
この一時間は殆どその班決めで終わりそうだ。
「アキは俺らと組むよな?」
俺の席の周りに数人がやってきた。八雲紘一郎と河野、それからいつも遊んでいた馴染みの顔だ。
「でも俺ら五人だけど……どうやって分けるの?」
揃いかけた所で河野が発言する。
各班三人まで。二人じゃ嫌な奴もいるんだろう。
しばらくどうするか俺達は考え込む。そうしていたら一人の男子がこちらにやってきた。
「そっちどんな感じ? 俺もいい?」
「桑園春紀かお前」
俺が声を掛けるとその男子は爽やかな笑みを浮かべ返す。
「ん? あー? 二見秋良だっけ?」
きゅっと閉じた口角を上げ、まるで俺の事を忘れていたような物言いをする。俺に合わせて冗談を返してきたのだ。
どこか飄々としたこの男子は、俺と同じゲームに一時期熱中していてクラスで一番最初に仲良くなったやつだった。
「いいなそれ。桑園いたら綺麗に三人ずつになるし」
紘一郎は気分が上がったような声を出す。俺達の中でリーダー格のこの大男は誰もやりたがらないメンバー分けに一人苦心していた。助かった思いだろう。
「じゃあ、桑園。俺と組む?」
俺は桑園にそう持ち掛けた。
イケメンで文武両道、それなのにどこかインドア気質。河野たちと打ち解ける前、クラス替え始めの時期にツルんでいた何人かと離れた後も桑園とは学校でよく話した。
結局、紘一郎も俺達二人に加わることになり、河野たち三人と綺麗にグループ分けできた。
元々あいつら三人は昔から仲がいい。これならこれで綺麗に収まる。
「俺、敬遠されてるなー」
紘一郎が河野達とやり取りしている隙を見て、桑園が耳打ちする。
桑園はそれなりにモテる。それにノリも軽い。河野たちはそういうタイプを敬遠する、桑園が言いたいのはつまりそういう事だった。
「俺はいいけどな。桑園とこうやってまた組めて楽しみなんだけど」
「お?」
「確か、四月の遠足のとき以来だよな?」
「懐かしそうに言うなあ、秋良」
桑園は優しい目をして言った。
他のやつとは違って俺の事いじったりしなかったもんな、こいつ。
「でさ。秋良はどの女子のグループと組みたい?」
「は?」
桑園は思わせぶりに笑みを作る。そして俺に問いかけた。
「秋良って好きな子とか教えてくんないよな」
「いないだけだって――遠足の時もそんな話したよな」
遠い記憶を呼び起こしながらこの会話に応じる。何か不思議な気分だった。
一つ一つ離れていた過去を寄り戻すパズルを組んでいるような。
「俺、美原と組みたいんだよね」
「美原?」
「うん。美原灯子」
そう言って向ける視線の先には美原という女子と数人が見えた。
教室ではいつも女子同士固まっているグループのリーダー。明るい性格だが豊川たちとはまた違うタイプの女子だ。
「美原と桑園って同じクラスだったんだっけ?」
「うん。一年の時ね」
桑園はにこにこした笑みを浮かべて続ける。
いつか遠足の時、桑園は美原が気になると言っていた気がする。それは一年の頃からだったことも。
美原の方を気にしながら、桑園は柔和な笑みを浮かべる。
「もう俺ら来年は受験だし、こういう機会ってないじゃん? ならいっちゃおうかなって」
言うが早いか、美原と目が合った機会を見逃さず桑園が手を挙げる。
「美原、組まない?」
本当に軽いノリだ。美原灯子はしばらく少し警戒したような顔をしていたがこちらにやってきた。
「桑園君と……二見君?」
「ああ。あとは紘一郎もいる」
「ああ、八雲君ね」
俺達を値踏みするように美原は見た後で、
「ちょっと聞いてくるから」
それだけ言うと自分たちのグループに戻っていった。
そして、すぐに向こうで両手で丸印を作って返してきた。
「よっしゃ」
桑園は気取られないように声だけでガッツポーズをとる。
こいつはそういう恋愛事情とかに対してはかなり進んでいて、同世代の中でいつも女子の話ばかりしていた。
だから、その軽さを他の女子たちに『絶対ないから』と面と向かってよくいじられたりもしていた。
でも、そういういじりを桑園は自ら面白がってる節があった。
――その桑園のおかげで俺は久瀬と同じ班になった。
そう。美原のグループの中には久瀬もいた。
美原は久瀬と元々仲が良い。だからそのままグループを組んでいたとの事だったが、計らずして関わることがないと思っていた彼女と同じ班になったんだ。
「秋良、嬉しいのか?」
桑園は茶化すように尋ねてくる。
「別に。どこでも良かったよ俺は」
言葉とは裏腹に内心でかなり動揺していた。
あまり関わりの無かった久瀬がどんな女子なのか、それを知れる絶好の機会だった。
それなのにがちがちに緊張してしまっている。
何でこんなに子供みたいなメンタルになってる。ここでの暮らしに慣れ過ぎたせいだろうか。
この感情がばれないように、桑園相手に必死に強がっている自分がいた。
――絶対に、記憶にはない。ありえなかった過去を俺は辿っている。




