4話 二人の尊い時間には限りがある
昼休み。
俺が図書室に足を運んだのは本当に思いつきからだった。
いつ、元に戻るからもしれないこの世界での生活。
できるだけ懐かしい景色をもう一度目に焼き付けておきたかった。
この図書室には思い出がある。
一年の頃、仲の良かった数人で一時期ここに入り浸った。
あの時はそうだ、オカルトを集めた古びた怪しげな科学読本を探して読んでたんだ。
なんで中学校の図書室にこんな本があるんだというような、UMAとか古代文明を扱った青少年向けの読本、そんな昭和の化石みたいな本を見つけては何人かで読みふけっていた。
そんな記憶を思い出し、また読んでみたくなった。
しかし、探してもなかなか見つからない。あいつらがいたら多分分かってるんだろうけど、生憎この二年のクラスでは離れ離れになってしまっている。
俺は一人で思い当たる場所を探すがやっぱり見当たらなかった。
もしかしたら誰かに借りられているのかもしれない。それだと本来置かれている場所を見ても本だけ無いことになる。
――違う本にするか。
俺は諦めて足を運ぶことの無かった奥へ向かった。
人の少ない図書室の中でも、そのエリアは更に人がいない場所だった。
文学系の本がずらりと並んでいて、埃っぽい臭いがする。
通路で途切れた書架の向こう、曲がった先の次の区画へ曲がる。
「あ」
その書架の前には久瀬がいた。
小柄な久瀬はその本を取りたいらしく精一杯に背を伸ばしていた。
そして、久瀬が手を伸ばしている先の本こそが俺が一度読んでみたかった海外小説だったのだ。
「これ読むの?」
「あ、二見君。ありがと」
本を取ってやると久瀬はにっこりと微笑んだ。
久瀬が昼休みに図書室に足を運んでいることは知らなかった。
「いつも来てるの?」
「灯子たちが部活の昼練やる日は暇だから、二見君は?」
「たまたま、普段は来ないかも」
今までしたことのない行動をしてみた。それがこういう展開を導いたんだろうか。
俺は書架を見上げてそのシリーズの別巻を取った。
ずしりと重いハードカバーを見ながら、むずがゆさを覚えた。
それにしたってベタ過ぎる。
なんだよ。気になる女子と本を取り合うってラブコメか。
でも、これは現実だ――鼓動は何故か強く高鳴っていた。聞かれるんじゃないかと焦ってくる。
「二見君、ほんとはこっち読みたかったんじゃない?」
久瀬は俺に本を渡そうとしてきた。
「いいよ、私今度読むから」
「別にそういうわけじゃ」
「ほんといいから。読みたかったんでしょ? 二見君」
こんなに押し強いのかこの女子。遠慮すると思っていたがこうも自分の意志を通したがるタイプだとは思わなかった。
「じゃあ、読もうかな」
素直に受け取ると久瀬は嬉しそうな顔をした。
別に、本当に他の本でもよかったんだけどな。
俺は手近な席を見つけてから表紙のページを開いた。
実写映画化された海外の文学作品だった。この頃はこういう海外文学を映像化したファンタジー映画がやたらと作られていた。
「でも、二見君も本読むんだ」
座って読んでいたら斜め向かいに久瀬が来た。
殆ど生徒もいない。この図書室はこんなに過疎っているんだなと今更のように知った。
「映画になったしな。原作も読んでみたいって前から思ってた」
「え? この映画もうやってるの?」
久瀬は不思議そうな顔をする。
「このへん田舎だけどもうやってるのかな」
「さ、さあ?」
久瀬が不思議そうな顔をしていた。
まだ公開が決まっただけの映画のことを知っている風に俺が言うもんだから気になったらしい。
俺は適当に誤魔化したが、彼女の不思議そうな顔はしばらく俺を見ていた。
丸っこい瞳を輝かせ、小さく口を開いて俺を見上げている。
「ごめん。確かにまだやってなかったかも」
「だよね、ちょっとびっくりしたよ」
そう言いながら久瀬も読書に入る。
しばらくの間、穏やかな時間が流れた。まだ昼休みもたっぷり残っている。窓辺からはスズメの囀りが聞こえてきて、本当に地方都市の静かな昼の音だ。
こういう風に、時間を潰すのもいいもんだな。
会社で働き続けてずっと忘れていたような気を抜いていられるひとときだ。
会社――? 俺どんな仕事をしていたんだっけ?
「二見君」
ふと、本来の俺の記憶も徐々に薄れ始めていることに気づいていた。
この世界での生活に日々慣れていく感じはしていたけど……
「二見君」
小声だったその音が大きくなったことで久瀬が俺を呼んでいることに気づいた。
「え、ごめん。なに?」
「すごい集中して読んでない?」
久瀬はそんな俺を見ていたようだ。楽しそうに頬が緩んでいる。
「成績だけじゃなくてこういう本も好きなんだね。私たち結構かぶってるね」
「え?」
俺は釈然としない気持ちだった。そもそも俺は久瀬がどんな女子なのかよく知らなかったのだ。
いつも女子同士では朗らかで、楽しそうにしている。成績もいい優等生タイプ。
それしか知らない。
「この前テストの点数聞いてたじゃない? 私たちって成績も同じくらいでしょ?」
「そうかな? 久瀬さんは数学も結構良かった気がしたけど」
「でも80くらいだよ」
「いやそれ、高い高い高い」
「普段どれくらい?」
「俺? 50点台うろうろ……」
実際数学苦手なんだよな。そんな俺が言うと説得力があるのか、久瀬はにこっと笑みを作る。
記憶のまま。ただ俺は久瀬がそこそこの頭がいい女子という印象だけはあったのでそう答えただけだ。
それなのに。
「二見君、数学は苦手なんだ」
以前の世界ではこんなに近くで会話をしたことが無かった。久瀬がこれほどまでに表情豊かな女子だってこと知らなかった。
「ここ、いつも来るのか?」
「たまにだよ。本当こういう時くらい」
そうは言うものの、ここは慣れているような感があった。落ち着いてページをめくっていく。
その姿を見ながら俺は思った。
久瀬が読書を好きだってこと、ずっと知らなかった。
「何か最近はいろんな事を改めて知らされてる気分になる」
「えっ」
思わずそんな事を口にしたら久瀬が驚いた顔をしていた。
「大袈裟すぎじゃない?」
くすくすと笑っている。久瀬のつぶらな瞳がこれでもかというくらい細まっていた。
「久瀬さん、図書室では静かにしたほういいよ」
「あ、そうだった。ごめんね」
周囲の上級生がさっきからちらちら見てくるのを感じていた俺は今更のように指摘する。
――図書室はそういうおしゃべりする場所じゃないのに。
「やっぱり、全てがいろいろ違いすぎる」
「ぷっ」
久瀬が今度こそたまらないと言いたげに噴き出した。
そのあと、やってきた図書委員にこっぴどく注意されたのは言うまでもない。
珍しくその日は父親が夕飯の食卓にいた。
「父さん」
普段寡黙で近寄り難く、いつも怖かった、
しかし、そんな父に俺は話しかけていた。
「父さん、競馬やるよね?」
なぜか声が軽い。昼間の久瀬とのやり取りで浮かれていたのかもしれない。
「ああ。それがどうした?」
「今度やるG1だけど、めちゃくちゃ荒れると思う――」
過去一荒れて後世まで語り継がれる配当となったレース。もしこんな風に過去に戻れるなら大儲けするなら絶好のチャンスだ。
「なんだ、秋良も競馬をやるのか」
「見るだけ! 馬走ってるのかっこいいし」
俺は焦ってそう答える。おっさんになった俺の楽しみが土日の競馬くらいだなんて口が裂けても言えなかった。
「父さん、いい? 今から言う通りの馬券、買ってみてほしい」
そして、俺は携帯を取り出す。スマートフォンなんてこの時代にはなく、ネットに繋ぐのにも待たされる。
程なくして競馬サイトの出馬表が出てくる。もどかしいほどに画面表示が遅い。
ようやく全容が表示された画面を見ながら、俺は記憶にある大穴を開けた馬の名前を挙げようとする。
「あれ?」
しかし、まるでそこだけかき消されてしまったかのように、勝ち馬を思い出せない。
「荒れるのか?」
「うん。実は俺、未来でそのレース見てきたんだよね」
「ほう……」
「だから三連単、100円でもいいから買ってみてほしくって……」
しかし、やっぱりだめだ。
何度考えてもどの馬が勝つか確信を持てない。
タイムリープする前には暗記するほどに言えた歴史的レースの着順が言葉にできなくなっている。
「未来な。そりゃ未来を見て来たら大金持ちになれるが――」
父はビールを注ぎながら苦笑いをしている。
「本当なんだって。この馬券を当てるだけで家が建つレベルとか言われてたし――」
しかし、それ以上俺は父に何も言えなかった。
俺の中では冗談ではないが、あまりこういうふざけた冗談を笑って聞き流せるほど父は気の長い人ではない。
「ごめん、なんでもない……やっぱわかんなくなっちゃった」
しゅんとしながら俺は食事に戻った。
せっかく父に万馬券を買わせることが出来たのに。
大金持ちになるなんて簡単な事じゃないんだな。
記憶が消えるというよりも、どこか遠いところに色あせてしまっているような感覚だった。
久瀬と話した時もそうだ。まるで、自分の魂が過去のこの頃の魂と同化していくようだった。
だから記憶も薄れてしまっているんだろうか。
俺が三十そこそこまで生きた知識が全く役に立たない、そういうこの世界のルールみたいなのを何となく突きつけられた気分になる。
ふと、そんな恐怖を覚えた。
「そう言えば、秋良」
不意に箸を止めながら父が声を発する。
さっきまでとは違うどこか硬質さを帯びた言い方だった。
「それから美波も」
改まったように俺たち兄妹を見渡す父。母はその横で静かに食事を続けていた。
「急に決まったことなんだが、引っ越すことになった」
俺は今更のようにこの事実を思い出した。
せっかく久瀬と一言交わせたのに、この未来は変えられないらしい。
「まだ先だけど、同じ県内の△△市に多分二か月くらい後になると思う――」
テレビからは好きだったバンドのどこか懐かしさを覚える新曲が流れ始めていた。




