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23/25

23話 約束

 今日の美術は二時間続けて行われる。

 美術教師の提案で、俺たちのクラスは学校にほど近い城山公園に来ていた。

 入学時に支給されて以来、何回かしか使ったことのない画板(カルトン)を携え公園内を散策、いい題材を見つけて風景画を描きましょう。

 それがこの授業の目的だった。


 俺は城門のすぐ近くにあるお堀を描くことにした。単純に入り口から近いこと、水面が多いので簡単そうだと言うのが理由だ。

 あちこちにあるベンチは徐々に埋まっていく。みんな題材を見つけるのが早いなと思った。

 この授業はここから数度に渡って行われるらしい。

 しかし、俺が転校するまでもう三週間切っている。どんなに急いでも絶対に完成しないのは分かりきっていた。

 折りたたみ式の画板を開き、画用紙を挟む。

 数度しか使っていないが板の縁はすり減り、砂をかぶって汚れていた。


「一緒に描いていいか?」

 やってきたのは紘一郎だった。

 いつも一緒にいる河野たちの姿は見えない。


「紘一郎もこれ描くの?」

「だって城とか門より簡単そうじゃん」

 らしいなと思った。

 どうやら河野たちは城の天守閣を描くつもりらしく、絶好のポジションに向かったらしい。

 あんなもの上手く描けないし第一、めんどくせえだろ。紘一郎はそう一蹴すると隣に座る。

 つまり、そういう考え方らしかった。


「楽に済ませて早くメシ食いてえ」

「確かに」

 笑いをこらえながら俺はスケッチに取り掛かろうとした。


「ここで描いてるの?」

 澄んだ声が聞こえたかと思ったら結月がやってきた。彼女の隣には白石もいる。

 目が合うとぱたぱたと白石だけが冗談気味に手を振ってくる。


「美原は?」

「お、アキ。気になるんだ?」

 いじくるような言い方の白石。結月はその横でずっと苦笑していた。

 白石の俺へのいじりがそんなに笑えるんだろうか。


「いつも三人だからどうしたんだろって」

 もしかして、桑園のやつ。美原と二人で……?

 そんな想像をする。


「斎藤さんと竹井さんと橋描くんだって」

 全然違った。

 俺は肩透かしを食らった気分になる。


「白石さんとゆ、久瀬さんは?」

 一瞬結月と言いそうになる。

 しかし、白石は俺の動揺に気づく素振りも見せず、遠くに視線を移した。


「うちらも早く決めないとねっては思ってるんだけどさ。なかなかいいなってとこがなくて」

「ちょっと悩んでたんだよね」

 そう言って結月と顔を見合わせて笑う。


「二見くんは美術はあと何回やるの?」

「一回。多分完成しないよ、これ」

「あはは」

 そう答えると白石はどこか反応に困ったようなぎこちない笑顔を返してくる。

 まるで、俺が転校することに触れたしまった事で彼女に罪悪感を負わせてしまったようだ。

 俺自身はもう、何も気にしていないのに。


「消化試合みたいなものだから、雑談しながら紘一郎とやる」

「男二人の友情ってやつ? 邪魔しちゃったね」

 そう言って、白石は別の場所に移ろうと視線を遠くに巡らせた。

 俺はしまった、と思った。

 本当ならここで結月も交えてだらだら雑談しながらお(・)絵(・)か(・)き(・)ご(・)っ(・)こ(・)をしていたかった。

 でも、白石は授業を真面目に取り組むつもりだ。

 だから、いずれいなくなる俺の目論見なんて計算すらしていない。


「おう、じゃあ」

 二人の女子の方針を察した紘一郎がそう言って会話を終わらせようとする。

 しかし、次の瞬間だった。


「私も、ここで描こうかな」

 どこか茫洋とした口調で結月が言った。

 思わずそれを白石が見返していた。食い入るような目だった。

 もしかしたら、なにか悟られたかもしれないと俺は思った。

 しかし、結月はそんな駆け引きなど気にもしない。


「ベンチ空いてるよね?」

「うん」

 二人掛けのベンチに俺と紘一郎が座っていた。

 結月はその更に隣のベンチに腰掛ける。

 少しだけ距離はあるが、俺と離れた場所を結月が陣取る形だった。


「千歳もここで描かない?」

「え、私?」

 白石は一瞬俺を見た、そんな気がしたのも束の間、


「いいよ。私は他に行こうかなって」

 そう言って視線をなぜか彷徨わせる。


「あ、ナオが向こうにいるからあっちいくね。なんか城門いいなって思うんだよね」

「え、行っちゃうの?」

 少しだけ不安げの結月。白石や美原と結月はいつも一緒にいる。こうやって男子二人と相対するのはなかなかないから緊張しているのかもしれなかった。


「ふー」

 しかし、結月はどこか意を決したように息を吐くと、浮きかけた腰をベンチにしっかりと下ろしてみせた。

 そして、俺に頷きかけるように小首を揺らして見せたのだ。


「じゃあ、また後でね」

「うん。結月もね」

 白石は俺と紘一郎を順に見る。そして、そのまま行ってしまった。

 あとには体格の大きな紘一郎と、男子の中じゃ普通すぎる背丈の俺と、女子の中でも小柄な結月がまるで長さの異なる木琴の鍵盤みたいに並んで座ったまま、その場に残された。


「じゃあ描くか!」

 二時間のうちの一時間目、それも時間はまだ半分近く残っていた。

 俺達は普段絶対に使わないような濃い色の鉛筆でスケッチを始めた。

  すいすいとキャンバスにぶっとい線が引かれていく。直線に波線は水面だ。

 出来上がっていくスケッチを見ながら、


「この前の放課後、みんなでバスケしてたの?」

 ふと、結月がそんなことを口にした。


「久瀬、俺らがバスケやってるの知ってんの?」

「うん。帰り道だから」

 俺の代わりに紘一郎が会話を進める。

 俺はその横で『へえ』と間の抜けた声を漏らすだけだった。

 結月の帰る方向は確かにあの公園の方だったと思うけど眼の前を通り過ぎて行っているとは分からなかった。


「よく見かけてたんだよね。ああいうの良いなって灯子たちと話してた」

 ちらと、結月は俺の方を見る。


「なんか、少年っぽいなって」

「少年! おい、アキ聞いたか!? 少年だってよ」

 紘一郎は嬉しそうだった。

 そういう風に女子に見られてるとは俺たちは多分誰も思っていなかった。

 でも、結月や美原たちがよく、俺のことを少年と揶揄する意味がなんとなくわかった気がした。


「いつも見てたんだ?」

「うん……」

  結月は少しだけ気恥ずかしそうに頷く。

 実はずっと見られていた。その事実を知るだけで俺は褒められた犬みたいに嬉しさが隠せなくなる。

 真っ先にそれに気づいた紘一郎がそんな俺を指さして揶揄する。


「なんだよ、アキのやつ嬉しそうだな。なあ、久瀬?」

「ふふ」

  結月も含み笑いだ。

 その雰囲気になにかを感じたのだろうか。紘一郎は一瞬、青空を見上げる。なにか考えているようだった。

 勘付かれたかな。そんな不安を覚えた。

 紘一郎は親友といえる存在だけど、やっぱり知られるのは気まずかった。結月と付き合い始めましたなんて、俺の口からはとてもじゃないが言えなかった。

 じっと日に焼けた紘一郎の横顔を窺う。

 そうしていたら、


「私たち、付き合ってるんだよね? アキ君?」

 は?


「ね? アキ君?」

 そう言って、結月は俺に発言を求めるようなあざとい笑みを向ける。

 俺も、その隣の紘一郎も思わず呆気にとられていたと思う。

 公園のお掘りを白鳥が一羽、すいすい横切っていった。

 深緑色の水面を一筋の航跡がゆっくりと引かれていく。波が立つことはなく、穏やかに。

 そんな時間が流れたあとに、


「お前らが……マジか」

 紘一郎の反応は意外にも静かなものだった。ここで大声出されて大事になるかと思っていたけど、滲み出た背汗が急速に冷えていくのがわかった。


「紘一郎、お前反応普通すぎない?」

「いや、久瀬がそんな事言うとは思わなかったから」

「俺も」

 顔を見合わせながら、ぷっと紘一郎の顔が崩れる。


「へーっ。アキがなあ……!」

「驚いた?」

「うーん。アキがそういう風になるっていうのは確かに意外だよなって」

 どこか面白そうに紘一郎は言う。

 その表情はしかし、冷やかしもからかいも感じられなかった。

 じっとそのやり取りを見ている結月が視界に入った。

 紘一郎はそちらの方も気にしながら、


「いいじゃん。前に言ってたアキの気になる子って久瀬のことだったの?」

「え? 前って?」

「ほら、宿泊研修。夜に俺ら同じ部屋だったんだけどさ。好きなやついるのかとかそんな話したんだよ。な、アキ?」

「紘一郎……!」

 顔が熱くなる気分だった。

 紘一郎にこれ以上言うなと無言で主張した。

 しかし、


「……そうなんだ」

 反対側の結月は俺以上に顔を真っ赤にしている。

 俺達のやり取りを結月に知られるのがなんとなく。今付き合ってる状況なのに恥ずかしい。


「ま、良いじゃん。俺らはアキが引っ越しても遊び行くつもりだけど久瀬も行くんだろ? そういうときは邪魔しないようにしなきゃな」

 紘一郎は俺達のぎこちない恋愛も勝手知ったるかのように、配慮に溢れた言葉を掛けてくれた。


「じゃあ描こうぜ。てか、アキ。お前ほんとに絵ヘッタクソだなあ」

 描きかけのスケッチを覗き込みながらそんなことを言ってくる。

 そのあとはもう、この件に触れることはなかった。

 クラスの噂話とか、紘一郎は普段話をしない結月への質問も投げかけたり、そういう話題で時間がすぎていく。


「久瀬、白鳥描くのうめえな」

 長く首を伸ばすようにして結月のスケッチを見て褒めている。

 そんな風に美術の時間は過ぎていった。

 空気はすっかり冷たくなったけどまだぎりぎり耐えられる寒さだった。

 時折照りつける日差しがぽかぽかと暖かい。

 弛緩するような正午前の時間を俺達は緩やかに過ごす。


「つーか、二人ともすごい進んでる」

「アキ君が遅いだけだよね」

「そうそう。お前細かいとこに時間かけすぎなんだって。もっとばーっと描けや」

 紘一郎も結月もそれなりに絵は進んでいる。

 でも、俺は全然だった。

 元々模写は苦手だ。でも、それ以上に今交わされる会話の一つ一つが楽しくて、少しでも多くを話していたかったんだ。






「そろそろ学校に帰るから、片付けして」

 美術教師が声を張りながら俺達の方にも回ってくる。二時間に渡る校外授業も終わりだ。

 筆記用具をしまい込み、画板を畳む。

 帰り際、俺はもう一度城のお掘りを見た。

 結月が描いていた白鳥はもう影の方に行ってしまって見ることはできなくなっていた。


「紘一郎」

 ふと、紘一郎に声を掛けていた。

 大柄な学ラン姿がぬっとこちらを振り返る。


「俺は多分最後まで描けないから、お前は完成させろ。頼むぞ」

「ああ、任せとけ」

 紘一郎はどんと胸を叩きながら、約束をしてくれた。

 殆ど同じ構図の城のお掘りの絵。

 きっと紘一郎は最後まで完成させるんだろう。

 その時には俺は多分もういない。

 親友に託した約束は、他から見たらどうでもいいようなことだ。

 でも、俺たちにとってはかけがえのない大切な約束なんだ。


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