2話 距離感近い女子に久しぶりにいじられる。
「お前何でそんなに日本史得意なの?」
授業後の休み時間、前の席に座る男子生徒にそんな声を掛けられた。
確か名字は竜野だ。クラスでは男子女子関係なく誰とでも話すタイプの男子。
「日本史普通に好きなんだ。教科書読んでたら勝手に覚える」
「はーっ。そんなんで?」
「読んでると自然に分かってくるんだよ。日本史面白くない?」
「全っ然!」
割と素で竜野は言った。本当に日本史興味ないって感じだった。
そんな風に自分の好き嫌いを遠慮なく言う竜野が俺はなんとなく苦手だった。
それでも最後の寄せ書きには胸が熱くなるようなメッセージを残してくれたんだよな。
「なに、どうした?」
「いや……」
そんな事を考えていたらじっと見ていたんだろうか。俺に気づいた竜野は拍子抜けしたような顔をする。
「秋良、94点って言われてなかった? すごくない!?」
そんな竜野と長く話していたからだろうか、見るからに騒がしそうな女子が俺達のところへとやってくる。
「昨日の国語もそれくらいじゃなかった? ほんとなんでそんな点とれるの」
距離感が近いこの女子、豊川あさひは女子が苦手な俺でもよく会話をしていた数少ない相手だ。
もっとも自分から話しかけることはなく、豊川の方からよく構ってくるだけだったが。こんな風に。
「すごいかな? でも、他の科目全然だめだし。ほんと国語と日本史だけだから」
「90超える時点ですごいんだけど」
少し呆れたように豊川は言った。いちいちリアクションが大きい。
こんな風に向こうからいろいろ突っ込んできて俺が返す、そんな感じだった。
「いやー、ほんと秋良って頭いいわ」
まだ感心しているよう。
確かに、豊川の成績からしたら俺の点数は結構凄いのかもしれない。でも、それだって高校でほとんど同じ偏差値連中の中に放り込まれたら埋もれたけれど。
中学の頃って自分の得意科目で無双できる楽しさはあったんだな、今になって実感した。
そんな風に豊川とやり取りしながら俺はふと思った。
こんな会話をした記憶がない。
膨大な人生の中で消えただけなのか、それとも過去に戻ってはいるものの細かい部分で少し変わっているのだろうか。
世界線だとか、そういうSF知識に俺は疎いからよくわからなかった。
「なあ、豊川」
「え!?」
綺麗に分けられた前髪の体育会系全開のおでこはこんがり焼けていて、窓際の日差しで健康的に艶めいていた。
「久瀬さんって日本史の点数いつもあんなもん? 俺の次くらいに呼ばれてたみたいだったけど」
「久瀬? ああ、結月?」
豊川はちらっと廊下側で女子同士でだべっている久瀬の方を見た。
「あんなもんじゃない? どの科目も結構頭いいからね、結月は」
「そうだったっけ」
記憶の中でもクラスの中堅から上位の間くらいにいた気はする。俺自身、それくらいの位置にいたから似たような成績のやつらは数人覚えていて、その中に久瀬もいた。本当にその程度の印象だった。
「え、なに。結月気になるの?」
俺が久瀬の事を尋ねるのがそんなに珍しかったのか、豊川は興味津々に顔を近づけてくる。
「は?」
「いや、だってさ。秋良が女子に興味もつとか珍しくない?」
やば。うっかり変な事聞いたんだと俺は焦った。
「珍しいよな。こいつ女子の話しねえし」
「ね。苦手だと思ってた!」
その場にいた竜野もそれに乗ってくる。黙ってろよと言いたくなるのを必死にこらえつつ、俺はそれっぽい理由を探した。
「に、日本史は俺の牙城だし。あいつに競りかけられたから。日本史でいつもあんなだったかなって」
「が、がじょう? ってなに?」
豊川は頭の上にクエスチョンマークが浮かんだような顔をしていた。
やばい。少し『ムキになった中学生感』を出すつもりの返答をしたら言葉選びを間違えたっぽい。
「秋良、国語も得意だからってさあ。難しい言葉知ってるね」
「ちょっと気になっただけだって。それに結構使わない? がじょう」
「がじょー。がじょー! ウケる。ほんともう面白い反応するね秋良!」
豊川はふざけ気味に言うと、俺の背中をばちんと叩いた。
「いてえ……」
こいつほんとこんな距離感だったよな。思い出しながら、俺はもう一度遠くの久瀬たちの方を見た。
女子同士集まって何か話をしている。
「てか前のテストまで覚えてなーい。ま、結月と仲良くなりたいならいろいろ聞いとこっか?」
「そんなんじゃないから。ほんと」
少しだけの言葉を拾ってこの女子は話を進展しすぎだと思う。
俺はそもそもあの寄せ書きで関心を持っただけだ。当時から久瀬のこと好きだとかそういう恋愛感情は持ったことはない。
「えーそうなの? でもなんか意外。そっか結月かあ」
「マジで違うから。変な話広めんな」
否定してもなお、豊川はしばらく俺をいじり続けた。
放課後になった。
多くの生徒たちが次々に教室から出ていく。
運動部の連中は特に動きが早い。前席の竜野は野球道具をHR前から席の横に置いていて、終わった途端に背負ったかと思うと猛ダッシュだった。
一方の俺はゆっくり支度する。鞄に入れる教科書を確認しながらも意識は遠くの席の久瀬にあった。
少なくとも、この世界にいる間に何か話だけはしてみたかったからどうしても意識してしまっている。
しかし、
「絶対無理だろこれ」
いざ話しかけようと思ってもハードルが高すぎることに気づいた。
周囲にはまだクラスメートが普通に残っているし、久瀬とまともに話した機会なんて記憶の中でそもそも一度もなかったと思う。
自分から話しかけに行くなんて無理すぎる。
俺は口を開けた鞄を机の上に出したまま、呆けたように席に座り続けていた。
「……」
不意にこれから帰ろうとした久瀬が立ち上がり俺を見た。
久瀬からしたら普通に席を発って振り返っただけだ。しかしこちらがガン見していたせいでその拍子に目が合ってしまう。
「お前、帰んねえの?」
その視線を遮るように一人の男子が声をかけてくる。
彼は昔の記憶でも一緒に帰ることのあった友人だった。
「帰るけど」
「じゃあ早くしろよ」
鞄を出したままの俺を見て何してるんだとでも思ったんだろうか。不可解そうな顔をしている。
俺はたまらず視線を机に戻した。その先にいた久瀬の存在を悟られたくなかった。
「ところで河野、まだ帰りに紘一郎とバスケしてんの?」
「え?」
その友人、河野は小さく口を開けた。
当時の俺たちは放課後になると、近くの公園でバスケをするのが日課みたいになっていた。
ゴールは一つだけの小さな公園、それに俺達の中にバスケ部のやつは一人もいない。それでも、みんなで集まって遊ぶシュート合戦は面白くてその頃は明け暮れていたのだ。
「何かした? お前」
改まってそれを確認した俺が余程変に見えたんだろうか。河野はしばらく小首をかしげていた。
ちょうどその背後では久瀬が教室を出るところだった。
「いやなんでも。じゃあ久々にやるか」
「久々ってお前、変なやつだな。まあ、いつもこんな感じか」
結局、俺は紘一郎たちと合流して日が暮れるまで公園でバスケをして遊んでから帰った。
せっかくここまで来たんだ。
今更気にしなくてもいいし、恥も外聞も捨てて久瀬にちゃんと話してみよう。そう決めた筈なのに。
いざとなるとこうなってしまう自分がもどかしかった。




