1話 話したことのないクラスの女子に改めて惹かれる
実家の押し入れから出てきたのは、古い寄せ書きの色紙だった。
『あきら君へ。引っ越しても、ずっとずっと忘れないでいてください。ゆづきより』
目立つ色彩のピンク色のペンでそう書かれていた。
他の女子はキラキラしたラメの色ペンだったり、特徴的なギャル文字みたいな寄せ書きも多かった。
しかし、大きくスペースを取って丁寧に書かれたその寄せ書きに目がいった。
「ゆづき……誰だっけ? 」
十数年前の記憶を遡る。
偶然出てきたこの色紙は中学時代、転校する俺に当時のクラスメートが贈ったものだ。
両親に見つけられるのも嫌で奥に隠していたのをこの歳になるまで忘れていた。
すっかり埃とカビの湿った匂いがする色紙。俺はそれを片付けていたことも忘れて読んでいく。
『次の学校でもがんばれよ』
『今度遊びに行くからな』
引っ越した後も会って遊んだ友人は別れの挨拶もそっけない、また会えるのを知っているからだ。
『話したことなかったけど、がんばってください!』
『話しかけた時、時々面白い反応してくれて楽しかった』
俺、女子に話しかけられてそんなに変な反応してたのか。
こうやってみると、女子からのメッセージはほとんど社交辞令的な物や話したことのあるごく少数の女子からの激励くらいだ。ありふれた似たようなメッセージ。
「俺そんなに女子と話してなかったのか」
男子同士ならふざけ合ってバカやってたけど、確かに女子は苦手だった。
俺の青春に恋愛フラグみたいな要素は一切なかった。
それなのに……
――忘れないでいてください。ゆづきより。
他のメッセージと明らかに異なる感傷的な一文。俺は今更のようにそれに惹かれている。
当時は恐らく気にも留めていなかった、あまり話さなかった女子の一人。
そんな彼女からの寄せ書きのことばかり考えてしまうのは最近疲れているから、俺自身が歳を取ってしまったせいだろうか。
ゆづきって……ああ、久瀬結月か。
そうだ。たしか苗字は久瀬だった。
久瀬はいつも仲のいい女子同士で固まっていたイメージがある。
同じように異性と話さない俺とは全く関わる機会のない女子だった。
久瀬の成績は結構よかった。それだけは何となく覚えている。
当時の俺は得意科目ならそこそこにやれていたが、久瀬も同じくらいの成績だったと思う。
クラスで同じくらいのそこそこいい成績同士、対抗意識はあったかもしれない。
接点は無かったはずなのに、記憶を探るといろいろ浮かんでくる。
久瀬は同年代の女子の中では少し小柄な方で、可愛らしいお団子みたいなツインテールを結っていた記憶がある。
それで、俺が絶対に話しかけることのない女子グループの中でひっそりと、主張することもなく穏やかに花のように優しく微笑んでいる。
そんな女子だったな。
「なんで……」
実家の古い布団は綿も潰れていて寝心地が最悪だ。
その夜、俺はなかなか寝付けなかった。
数日もすればまた東京に戻るが、この数日間の実家での片付けの日々が頭の中で廻った。
その中で、何度も浮かんでくるのはあの一文。
『忘れないでいてください』
記憶から薄れかけていた久瀬結月という女子生徒からの寄せ書き。
そんな彼女からのメッセージが今更のように胸にささる。
「何考えてんだか」
俺は寝返りを打つ。
でももし、もう一度あの頃に戻れたら。
いろいろやり残したり、言えなかったことはたくさんあるかもな。
そんな事を思った。
気付けばカーテンが明るくなっていた。
「朝か」
俺は布団から身を起こした。
しかし、そこで気付く。
「なんか変だ⋯⋯」
そこは里帰りした実家の自室ではなかった。
出張先のホテルなどでも目が覚めていつもと違う違和感を覚える時はある。
でも、すぐにそれまでの経緯を思い出してここが違う部屋だという理解が追い付く。
――しかし、これはなんだ。
俺が寝ていたのは布団ではなくベッドの上、古びた実家の和室の部屋はフローリングの洋室になっている。
そして、すぐ近くに置いてある懐かしい勉強机に気づいた瞬間、ピリピリと目覚まし時計が鳴り出した。
「ああ……」
もうだいぶ前に処分した筈の、見覚えのあるデジタル時計だ。
そして、何よりも机の上に積んであったのは参考書だった――中学校の。
「これって、もしかして……」
そこまで確認したところで俺はようやく理解する。
――俺、タイムリープしてるのか?
「痛え……」
俺は今、かつて通ったあの中学への道を歩いている。
頬を触るとまだひりひりする。
起きてから間もなく、頬をつねったせいだ。思いきりやったせいで普通に痛かった。
こんな事ってあるわけないだろ。しかし、間違いなく夢ではなく現実の意識だった。
「なんでだ……」
うろ覚えの通学路の道のりを歩くうちに見覚えのある制服姿の生徒が目に見えて増えてきた。
あとはその人の流れについていくだけで中学校の正門があるんだろう。
大丈夫だろうか。
学ランの襟周りを確かめながら自分自身に問いかける。
あの家は中学時代住んでいた家そのものだった。母も明らかに若返っていたし、妹は生意気な口調こそ現在と変わらないものの椅子の横にランドセルを置きトーストを美味しそうにかじる小学生の姿をしていた。
これは十数年前の中学時代の世界だ。
それでも、不安だった。
実はこの光景は幻覚か思い違いで、あの母校の校門を越えたとき、大騒ぎになってしまうんじゃないか、そんな恐怖だった。
登校前に何度も鏡を見て自分の顔つきも背丈も昨日と違うのは確認したつもりだけど、それでもまだ疑っていた。
「よう、アキ!」
ぱしっと肩を叩かれた。
何事かと思って振り返ると、そこにはよく遊んだ八雲紘一郎の姿があった。
「こういちろう……」
「なにお前、すっげえ泣きそうだけど、どした?」
俺がどれだけ今感嘆しているか紘一郎は知らない、知る由もない。
「いこうぜ」
そう言って上機嫌の紘一郎は隣に並ぶ。見上げるほどの恵まれた体格も、聞き取りやすい明朗快活な声とも記憶の中と同じままだった。
「てか、テストの結果って今日だよな? お前日本史は点数いいんだろ?」
「テスト……? 今って何月だっけ?」
「はあ? 何言ってんの。九月だろ。九月二日。頭大丈夫かよ?」
「そうか、九月か……」
俺が転校する二ヶ月ほど前の時期だ。
「それよりお前、何でほっぺた赤いの?」
「え?」
「もしかして、それで泣きそうなってたのか?」
紘一郎は俺の頬を指さして笑った。
「なんとなくつねっただけ!」
「なんとなくってなんだよ!」
懐かしいいじりを受けながら、紘一郎と共に教室に向かった。
「二見秋良、94点」
日本史の授業は先日行われたらしい答案の返却だった。
名前を呼ばれて席を立つ。
「秋良、お前ほんと日本史つええな」
「丸暗記が得意なだけだよ」
途中の席の男子にそんな声を掛けられながら、先生から答案用紙を受け取る。
こうやってクラスのみんなの前に出るのは今となっても緊張する。
全教科で高得点を取れるトップ層にはかなわないけど、得意教科だけなら当時の俺はそこそこにやれていた。
俺は自分の席のある窓側へ向かった。
こうやって歩いてみるとみんな、あの頃のままだ。
この世界にいるせいか、それとも紘一郎たちと話したせいか記憶も芋づる式に蘇ってくる。
席に座り窓を眺めると、田舎町の寂れた風景があった。あれほど嫌だった何もない田園風景なのに……
そんな俺の感情は、続いて告げられた名前によって一気に上書きされる。
「久瀬結月、90点」
「はい」
静かだがはっきりとした返事だった。
教卓に向かう女子生徒。あの寄せ書きを残した女子だ。
小柄な久瀬はしかし、同世代の中ではかなり落ち着いていて振る舞いはかなり大人びて見える。
いつも女子だけで構成されたグループで聞き役になって穏やかな笑みを浮かべている女子。記憶の中にあった姿のままだ。
「ありがとうございます」
そう言って答案を受け取る。
背を向けていた久瀬が振り返ると淡い栗色の髪が翻り、左右で結わえた小さなツインテールが軽く弾んだ。
普段、女同士で物静かに談笑していた表情は、今はこらえきれない嬉しさがにじみ出ている。
「さすが結月」
途中の席の女子に褒められると、それまで我慢していた口元が一気に緩む。
その花が咲いたような可愛らしい笑顔に俺は目を奪われた。
「そんなことないから」
照れ臭そうにその女子とアイコンタクトを交わすとそのまま通り過ぎていった。
久瀬のあの柔らかな雰囲気。
普段女子に自分から話しかけもしない俺からしたら全く接点のない相手。
遠くから見ているだけ、 班も同じになった記憶もないし関わるきっかけ自体が無かった女子だ。
それでも、
――ずっとずっと、忘れないでいてください。
十数年経て胸に届いたあの温かな言葉。それが今まで久瀬という女子を意識してこなかった俺を惹きつける。
当時から好きだったのか、気になっていた女子だったのかと聞かれれば多分違う。
でも、彼女が別れの挨拶に選んだ言葉は俺の心に深く刺さったんだ。
せめてこれが夢の世界の出来事だったとしても、ここにいるうちに久瀬と話してみたい。
俺はそう思った。




