18話 彼女の勇気、彼の決意
「なんで、何で豊川がわかるんだよ」
俺は投げやりになって言い返した。
久瀬が俺の事を好きだって?
あの久瀬が?
確かに俺と話すときは笑ってくれるけど、同じ班で関わるようになっただけだ。元々久瀬はみんなに優しいし、そんなの俺にだけ向けたものじゃない。
豊川の言っていることは飛躍し過ぎだと思った。
「女子だし見てて分かるよ。結月、秋良と話してるとき本当に楽しそうだもん」
「あいつ何か言ってたのか? 久瀬さんとたまに話すよな?」
「別に」
「じゃあなんで分かるんだよ」
俺は躍起になって豊川を追及する。この女子の決めつけにも近い発言の矛盾を問い詰めたくなった。
しかし、思いもしなかった一言が返ってくる。
「だって……だって! 私が秋良の事好きだから!」
夕暮れの廊下で豊川は声を大にして叫んだ。
「いつも秋良の事見てたし、だから秋良の事を好きな女子もなんとなくわかる」
薄々感じていた。
でも、俺の考えすぎだとずっと思っていた。
「ねえ、秋良。一学期の遠足覚えてる? 楽しかったよね」
目に涙を浮かべながら豊川は言った。
一学期、四月の終わりに遠足をした。二年の新クラスからまだ慣れない顔ぶれでお互い探るようにコミュニケーションして、それで料理を作った。
飯盒を焚き出して、郷土料理の汁物を作ってみんなで食べたんだ。
豊川は俺と同じ班だった。
「あの時から……?」
豊川はすすり泣きながら頷く。
ポニーテールでまとめられた彼女のうなじはうっすらと汗で濡れていた。
そして、俺の方へと一歩踏み出す。
「二見秋良君。ずっと好きでした。私と付き合ってください」
涙を腕で拭って、太陽みたいな笑顔で。
いつも俺に絡みに来るときみたいな声音だったがその言葉は誠実さに溢れていて、差し出された彼女の手は細かく震えていた。
――豊川あさひ。
彼女は俺のことをずっと好きで、好きでいてくれたんだ。
「ごめん」
俺はそう言って頭を下げた。
差し出された彼女の手のひらの温度がすぐ間近に感じられる。
「俺、今とても気になる人がいるんだ。だから豊川の気持ちには答えられない」
まさか、愛の告白だなんて。こんな事記憶の中でも初めてだ。
だから、ドラマや漫画で見たことのあるそれっぽいセリフをひねり出して答えた。
でも、豊川に伝えた気持ちだけは本物のつもりだった。
俺のことをずっと好きだった女の子に本音で告白されて、今までだったら一人で焦り散らかして変なことを言ってたかもしれない。
でも、こんな風に今向き合っている。こうも滔々と答えられる自分が自分じゃないみたいでおかしかった。
「ごめん豊川。俺、お前の彼氏になれない」
豊川は何も言わない。
差し出した手はそっと引かれていく。それは床しか見ていない視界でも分かった。
「そっか。私の方こそごめんね」
「豊川」
「もっと早く言ってればなあ。ねえ、聞いていい?」
遠い目で窓を見ながら豊川はふと俺に尋ねる。
俺はできるだけ、彼女の気持ちだけはけして突き放さないように、心を落ち着けて問い返す。
「なに?」
「私が秋良を好きなの、何となくでも分からなかった?」
それは俺の気持ちを完全に見透かしている女の子の言葉だった。
他の男子がいるときも妙に俺にだけ距離感が近いなと思う時もあった。それが恥ずかしくて避けたりもした。でも、そんな風に振る舞っていても俺のそういう心の底を豊川はきっと知っている、そう思った。
他の女子は俺の反応を単に『女子が苦手だ』『嫌われている』と思っていても、豊川はそんな俺の反応を見て楽しんでたんだ。
そんな彼女の気持ちにいつでも答えられるようにするべきだった。
「いつも、豊川の方から俺に話しかけてくれたよな。席が離れた後も。だから、何となくこの子は俺の事好きなのかなって意識はしたことはある」
――でも。
「でも、俺。自分に自信ないんだ。この弱気な性格も嫌いだしいつも心の中でビビってて。だから竜野たちも俺をよくいじるし。そんな俺のこと、好きになってくれる女子がいるわけない。豊川が良くしてくれるのも俺の思い上がりか妄想だって、ずっと思ってた」
「違うよ」
豊川がそれを静かに否定する。
「秋良、変に自慢したりしないし、自分を見せびらかそうともしないし。それに優しいじゃん。私が構っても嫌そうにするけど笑ってくれるじゃん」
「恥ずかしくて照れてるだけだよ」
「それでもよかった。だから、私も楽しかったんだ。秋良みたいな男子いいなって思ったの、好きになったの」
最後は消え入りそうな声だった。
正直に言ってくれた豊川にありがとうと言いたかった。
でも、今の俺はもうそんな事言えないんだ。
言ったら豊川をもっと傷つける。
「ごめんな」
「ううん、いいよ」
豊川がゆっくり首を横に振る。高い位置で括られた彼女の象徴みたいなポニーテールが、それこそ馬の尻尾みたいに揺れた。
「そっか……そっかあ」
胸を反らして豊川が大きく息を吐く。
晴れ晴れとした表情の豊川が俺を見る。美しい夕日が彼女の髪を金色に煌めかせていた。
「もっと早く言っていれば、私の事好きになってくれた?」
「……」
「ごめんね。そういう事聞くの意地悪だよね」
豊川はそっと俺の横を通り過ぎていく。
俺はそんな彼女の背中に声を掛ける。
「俺の方こそ悪かった」
「いいよ。でも、もしまた戻れるなら――」
豊川は諦めたように笑いながら、
「って、そんな事できるわけないんだけどさ」
こちらを振り返り、そんなもしもを口にする。
「もっと早く秋良に告白するから。秋良を好きになったその瞬間に好きって言うから。だから、きっとその時は良い答え聞かせてね」
「ああ、絶対そうする」
答えると豊川は駆けだしていった。
えらく軽い上履きの音だ。響いていたそれは、ぱったり聞こえなくなる。
俺の心にはぽっかり空いて何も無いはずなのに体が重かった。
思わず俺は廊下の壁にへたり込むように身を落としていた。
「ごめん、豊川……ごめん」
俺は馬鹿だ。本当にいつもいつも後悔ばかりしている。
この時間も、俺も、豊川も、今この場所には一つしかいないのに、そういうものを蔑ろにして。
しゃがみながら見上げた先の廊下の窓。壁になって遮られたそこからは夕陽が差し込んでいるのが見えた。
今度は絶対、何一つ後悔はしたくなかった。これ以上の間違いはもう犯したくなかった。
そんな風に、俺は強く思った。




