17話 渡り廊下を歩いて、古い校舎の階段を四階まで上って。
翌日。
おかしな昨日の出来事の詳細を竜野が追及してくることはなかった。
変な噂を広められなかっただけでも良かったと思う。手紙も紛失して有耶無耶になってしまったが、俺は少しほっとしていた。
何とか無事に、市街地見学のレポートも完成して担任に提出した。
俺達の紀行文は冬に発行される学校の文集でまとめられるらしい。
やるべき事も終えた。
この放課後は完全に自由な時間として過ごそうと決めていた、その矢先の事だった。
「秋良、ちょっといい?」
帰ろうとしていた俺を呼び止めたのは豊川だった。
所属しているテニス部にまだ行かないのか、机の上にはラケットバッグと鞄を置いたままだ。
「豊川? どうしたの?」
「あれ、見た?」
「なに」
「何で来なかったの?」
豊川は問い詰めるように俺を見ていた。
何のことを言っているのか、俺にはすぐに分かった。
あの机の中に入っていたラブレターのことだ。
「来なかったって、どこに?」
「読んでくれたよね? あの手紙」
「⋯⋯うん」
そこまで言われるともう言い逃れはできない。
観念して俺は答えた。
「じゃあ来て」
そう言って、豊川は教室を出ていく。
周りには数人しか残っていない。俺達のやり取りが一体何なのか気にしている様子はなかった。
俺は黙って豊川の後を少し離れてついていった。
渡り廊下を歩いて、古い校舎の階段を四階まで上って。
ようやく辿り着いたのは、人が誰もいない空き教室ばかり並ぶ廊下だった。
「なんで来てくれなかったの?」
豊川は突き当りの白い壁まで行き着いてからようやく振り返った。
「ごめん。あれ豊川だったんだ?」
「そうだよ。私が入れたの。びっくりした?」
豊川はどこか急いだような口調で言葉をぶつけてくる。
多分、悪戯じゃないんだと思った。
「悪戯だと思ったんだ。今もそう思ってる」
それでも俺はそう答えていた。
「違うよ。悪戯なんかじゃないよ?」
豊川は困ったような顔をしている。
その表情にいつも俺をおちょくる時の元気さは無い。
「ここで俺がOKを出したら、どっきり成功とかそういうやつだろ?」
「違うよ」
豊川はスカートの裾を触りながら、俺の方を見る。
「嘘だ。それで安心して今度こそOKしたら、豊川はきっと笑ってやっぱり悪戯だよって言うんだ」
「違うよ!!」
豊川のキンキン声が誰もいない廊下に反響する。
「本当だよ。嘘じゃないよ。秋良、わかんない?」
俺は答えられない。
その代わり、自分でも思っていないことを口にしていた。
「俺、転校するんだよ」
「……なに?」
「転校」
その言葉を二度口にしても豊川はまだ分かっていない。
「えっ。なに? 転校って」
「親の仕事で引っ越す。あと一ヶ月半くらい先の話だけど」
豊川からは何も返ってこなかった。
何もこのタイミングで言う事じゃないんじゃないか、そんな表情が困惑の中に入り混じっている。
「そんな、なんで……」
「俺も同じ気持ちだよ。転校なんてしたくない」
それは強く思っている本心のはずなのに。
自分で言っておきながら他人事みたいな言葉を吐いていると思った。
「ほんとなの?」
「ほんとだよ。豊川みたいに悪戯じゃない、ほんとの話」
「ねえ秋良。私悪戯なんて言ってないよ?」
確かめるような口調の豊川。
「ごめん。悪戯じゃないよな。豊川がこんな事するわけないもんな」
寂しげな鳶色の瞳に俺はたまらず言い返した。
ぐっと何かを飲み込むように豊川が下を見る。
「変なこと言ったのは俺だ。もっと後で、ちゃんとしたタイミングでみんなに言わなきゃって思ってたのに」
転校する事実を口から滑らせてしまったのは、完全にこの流れから逃げたかったからだ。
俺は自分の行動を激しく後悔した。
しかし、豊川はそれを責めることはしない。
じっと俺に、縋るような眼差しだけ向けてくる。
「結月は知ってるの?」
思いもしない一言が飛んでくる。
豊川の声音は落ち着いていて、先程までの取り乱した様子は消えていた。
「知らないよ。まだ男子の数人にしか打ち明けてない」
「じゃあ、絶対言ったほういいよ」
「なんで?」
豊川はきゅっと口元を締めながら俺を見てはっきり言った。
「だって、結月って。秋良のこと好きでしょ?」




