6、日常に混ざる、不穏な牙
本格的に夏が始まり、蝉の声が耳にこびり付く日々。
ある日の午後、月一で行われる二課との合同会議が終わった後、部下の一人が言った。
「一課と二課で、飲みに行きませんか?」
外は茹だるような暑さ。
たぶん、ほぼ全員が頭に思い浮かべたと思う。
キンキンに冷えたビールを。
「いいね!」
「早速、今週の金曜とかどうですか?」
「行きましょう!」
「俺その後彼氏の家に泊まるから、少ししか居れないけどいい?」
「あたし、彼女と約束あるから今回はパスで」
使っていた会議室の空調の調子が悪かったせいで、みんな暑いなと思いつつ仕事してたんだな。
部下の「飲みに行こう」発言の後から、会議室を出てオフィスに戻るまで、みんな口々に飲み会の話をしていた。
「一ノ瀬さんと高坂さんも、来ますよね?」
部下の一人が後方を歩いていた俺たちを振り返りながら言った。
その言葉に並んで歩いていた高坂さんと、顔を見合わせる。
「無理に誘わんでええぞ?」
「上司がいたら、飲みにくくないか?」
そう言ったが、有難いことに部下たちは笑顔で「一緒に飲みたいです」と言ってくれた。
それならお言葉に甘えて、と一課と二課の飲み会に参加することにした。
もちろん、飲みの費用は俺と高坂さん持ちで。
「そうと決まれば、仕事を全力で終わらせるぞ!」
「おーー!!」
楽しそうな部下達を見て、思わず口元が緩む。
隣に視線をやれば、高坂さんも少し口角が上がっていた。
――――――――――
『かんぱーい!』
一課と二課、併せて十人程が集まった。
乾杯の音頭は、高坂さんが担当。
一課も二課も、みんなこの飲み会が楽しみだったのか、彼らの仕事ぶりには目を見張るものがあった。
お陰でかなりスムーズに業務が片付き、全員が定時上がりを決めることができた。
今日はこの一週間頑張った分、日頃の暑さやストレスを存分に吹き飛ばして欲しいと思う。
「一ノ瀬さんって、お酒強いですか?」
「んーどうだろ? でも、そんなに弱くはないな」
普段仕事の話以外あまりしないから、部下や同僚と他愛無い話をするのは結構楽しいな。
あまりこう言う飲み会もしないし、会社以外でプライベートの話とか滅多にしないからかなり新鮮だ。
飲みに行くとしたら、専ら高坂さんとだからな。
「私、一ノ瀬さんともっと話したいって思ってたんです」
「あ、俺もです!」
可愛がってる部下にこんな事を言われたら、酒が進まないわけがない。
「そうなのか? 良いよ、なんでも聞いてくれ」
嬉しさであんまり顔がニヤケすぎないように注意しながら、ビールジョッキを傾ける。
この居酒屋、意外と飯も美味しいからまた高坂さん誘って来ても良いかもな。
――そして最初の乾杯をしてから、ニ時間程が経った。
テーブルの上には、空になった皿が並んでいる。
みんなある程度腹が膨れたのか、ほぼ酒とつまみしか口にしていない。
「……あの、こういう席だから聞くんですけど」
時間が経ち場が温まってきた頃、二課の林が何故か正座して、改まった表情で向き直った。
何か相談事かと聞く体勢を整えると……。
「一ノ瀬さんって、恋人いるんですか?」
と言う質問だった。
大事な相談事か何かだと思って、身構えてしまった。
そんな拍子抜けした俺を他所に、近くで飲んでいた女性社員も目を輝かせながら参加してきた。
「それ、私も別の部署の子と話してたんです!」
「え、なんで?」
「知らないんですか? 一ノ瀬さんと高坂さんって他部署にも人気なんで狙ってる人、結構いるんですよ?」
「俺、狙われてたんだ?」
と言うか、高坂さんもなんだ。
そう思いながら高坂さんに視線を向けると、こちらの話が聞こえていたみたいで、どこか無表情にも見える高坂さんと目が合った。
「高坂さん、他部署の子に狙われてるんだって」
「他人事ちゃうやろ。お前も狙われとるんやろが」
そんなムスッとしなくても良いのに。
と言うかチャンスじゃん。
「高坂さん、もっと愛想良くしないとモテねーよ?」
「うっさいわ」
俺たちの会話で、一人の女性部下の顔がパッと明るくなったのを、視界の端に捉えてしまった。
……ああいうのは、あんまり見ちゃいけないというか、気付いちゃいけないやつだよな。
「と言うことは、高坂さん、今フリーですか?」
「そうだよ」
「なんでお前が答えてんねん」
「え? いいじゃん」
高坂さんは短く溜め息を吐くと、俺の周りで高坂さんフリーを喜ぶ部下たちに向かってビシッと人差し指を指した。
あ、これ俺も含まれてるな?
「ええか、よぉ聞け。俺はフリーやけど、今は恋人より仕事したいだけや。モテへんわけちゃうねん」
ほら、モテないわけじゃないって、アレ完全に俺に向かって言ってるじゃん。
この前のも含め、モテないの? って聞いたの根に持ってるな。
「それで、一ノ瀬さんは?」
「ん? あぁ、俺もフリーだよ」
「そうなんですか⁉︎」
視界の端に、俺の返事を聞いて即座にスマホで何やら打ち込んでるやつ居るけど、なんなんだ?
まぁ別に、秘密にしてたわけじゃ無いから良いんだけど。
「恋人、作らないんですか?」
「一ノ瀬さんが告白したら、誰でも即OKしますよ?」
「そんなわけ無いだろ」
そう言ってくれるのは、素直に嬉しいけど。
だが、真っ直ぐな目でそう言われると少し恥ずかしくなって、俺は照れ隠しにビールを呷った。
「一ノ瀬はやめとけ」
その一言で、林たちの視線が一気に高坂さんに向いた。
近くにいた違う話題で盛り上がっていた何人かまで、高坂さんに視線を向けている。
「なんだよ、やめとけって」
『今までの元カノを全員泣かせてきた冷酷人間だ』とでも言いたげな高坂さんの言い草に少しムッとしながら軽く睨むと、高坂さんは俺の視線に気付いてニヤリと笑った。
うわ、なんか嫌な予感。
「高坂さん、どう言う事なんですか?」
「教えてください!」
前のめりな部下たちに「なんでみんなそんな前のめりなんだよ」と呆れながら、不適な笑みを浮かべたままの高坂さんに口パクで「なに」と伝える。
高坂さんは、何故か自慢気に鼻を鳴らした。
「お前らが想像付かんくらい、普段はだらしなくて、自分の事なーんも出来ひん手ぇ掛かる奴やぞ」
「おい! 一人暮らししてんだからそんなわけ無いだろ」
そうなんだ……と言わんばかりのみんなの視線が刺さる。
会社でそんな素振りは出してないつもりだし、と言うかオンとオフでイメージが変わる人なんていくらでも居るだろ。
そもそも、普段のだらし無さとか高坂さん以外には見せてないんだからバラすなよな。
「え、一ノ瀬さんって家事苦手、とかですか?」
「んー苦手と言うか、好きではないな」
「ええように言うな」
くそっモテないって言ったのそんなに根に持つか⁉︎
意地悪な小学生みたいな顔をして、楽しそうに笑っている高坂さんを横目にビールを呷る。
すると、横に座っていた女性社員がおずおずと小声で話しかけてきた。
「あの、今まで恋人に振られた事とか、ありますか?」
「あるよ」
「えー⁉︎」
「一ノ瀬さん振るとか、見る目ないですね」
近くにいた林が大袈裟な反応を見せるが、あながち間違ってはいないんだよな。
まぁ、理由が理由だし。
「なんて言って振られたか、とか聞いても良いですか?」
「振られた理由? 高坂さん」
と言いながら高坂さんを指を差すと、視線が一斉に高坂さんに向いた。
俺と目が合った高坂さんは、あの話か、と苦笑いした。
「俺かて、一ノ瀬が理由で振られた事あるで?」
何故か少し自慢気に言うと、今度は一斉に俺に視線が向いた。
そんなに勢いよく振り向くと、首痛めるぞ?
「あー、学生の頃な? その時付き合ってた彼女に高坂さんと遊びすぎって怒られて『私より高坂さんの方が大事なんだね』って言われて。それで振られたんだよ」
真相を確かめるように、また視線が一気に高坂さんに向いた。
首を痛めないか心配になるけど、なんか見てて面白くなってきたな。
「ちなみに、俺も当時の彼女に一ノ瀬と同じ理由で振られたで」
全員の驚いた声が重なる。
この話は今でも二人で飲んでる時に、たまに話題に上がっては笑い話になっている。
あの頃は彼女よりも、友達が優先だったんだよな。
「どんだけ仲良いんですか!」
「お二人は長い付き合いなんですね」
「幼馴染だよ」
その後は飲み会恒例なのかあちこちで、恋バナに花が咲いていた。
みんな好きだな、人の恋愛話。
「なぁ、一ノ瀬ってどんな子がタイプ?」
同僚の佐伯が、物凄く楽しそうな顔で近付いてきた。
そういえばコイツ恋バナとか好きだったな。
「タイプなー。優しい子」
「無難すぎだろ、もっと無いの? 胸がデカいのが良いとか、ガタイが良いのが良いとか」
コイツ、結構酔ってるな?
そうは言われても、本当にそんなタイプって無いんだよなぁ。
甘えさせてくれるとか、コーヒー淹れるの上手いとか、こういうのはタイプとは違う気がするし。
「まぁ、確かに。胸がデカかったりガタイが良いと、抱き心地良さそうだよなぁとは思うな」
「抱き心地ってお前ぇ!」
「ハグの話な? 抱きしめた時の話だから!」
「はいはい」
高坂さんにも俺の声が届いていたみたいで、ニヤニヤしながらこちらを見ていた。
なんだよ、高坂さんだって抱き心地いい人好きなクセに。
そこからどんな人がタイプかって話で盛り上がったけど、高坂さんの答えはズルかった。
「好きになった人がタイプ」って。
どんな人が好きかって話をしているのに、そんな逃げ方はズルすぎる。
でも他人の恋愛話聞くのも、結構楽しいかも。
色んな考え方があると言うか、相手に求めるものって千差万別なんだな。
いつもは話さないような事を色々話して、酒がかなり進んでいたのか、酔ってきたのかもしれない。
少し、瞼が重くなってきた。
「あの、一ノ瀬さん」
「ん? どうかしたか?」
「……っ」
二課の林が、何か言いたげに覗き込んできた。
「よ、酔ってます?」
「ちょっとな。俺、酔うと眠くなるんだよ」
そう言いながら、欠伸をした。
「……一ノ瀬さんって、可愛いんですね」
ん? 今なんか言ったか?
欠伸してて聞き取れなかった。
「なに――」
聞き返そうとした直後、脳天に鋭い衝撃が走った。
「いたー! 何すんだよ!」
見上げると、高坂さんが俺の脳天にチョップを落としたポーズのまま、見下ろしていた。
なに急に⁉︎
めちゃくちゃ痛ぇんだけど⁉︎
「起こしたったんやろうが。お開きやぞ、出る準備しろ」
にしても暴力的すぎるし、一瞬林を睨んだようにも見えた。
睨んでやるなよ、と言うか……心なしか機嫌が悪い気がする。
高坂さんの不機嫌に驚いたのか、俺と話していた林は、口をポカンと開けたまま固まっている。
肩をポンと叩いて、声を掛けた。
「ほら、店出る準備」
「あ、はい」
みんなを外に出させて、会計を済ませて高坂さんと外に出ると、二軒目に行く組と帰る組に分かれていた。
「一ノ瀬さん、二軒目行きますよね!」
「高坂さん、二軒目行きましょう!」
俺は行ってもいいんだけど……。
隣に立ってる人の機嫌が気になる。
なんでさっき、あんなに機嫌悪かったんだ?
酔った? いやでも高坂さん、酔って機嫌悪くなるとか無いしな。
「俺鍛えてるんで、肩貸してあげられますよ!」
二軒目の誘いの返答に悩んでいると、林が頼もしい顔で言ってきた。
「ありが――」
「いや、どーせすぐ寝るし。コイツは俺が連れて帰るわ」
俺の言葉を遮って、高坂さんが言い放った。
声のトーンはいつもと同じ、口元には笑顔。
でも、貼り付けた笑顔の奥の目が笑ってない。
確かに実際眠いし、二軒目行ってもすぐ寝そうとは思ったけど、部下にそんな威圧的な態度はどうかと思うぞ?
それに、流石に部下にそこまで世話してもらう訳にはいかないし、そんなダサい姿見せたくないから帰るつもりではいたんだけど……。
「お前らも、あんま羽目外しすぎんなや?」
「はいっお疲れ様です!」
片手を上げて挨拶した高坂さんは、そのまま俺の背中をポンと叩き「行くぞ」と有無を言わさぬ合図をして、歩き出した。
「じゃあまた来週、お疲れ」
「お疲れ様です……」
先に歩き出していた高坂さんを、少し追いかけて隣を歩く。
……やっぱり、少し機嫌が悪い。
「高坂さん、大丈夫?」
「何がや」
「機嫌悪いから、しんどい?」
「……悪ないし、しんどない」
いつもより、歩くスピードが速い。
歩幅はほとんど変わらないから、置いて行かれる事はないけど。
明らかに、いつもと違う。
機嫌が悪くなる所が思い当たらず少し心配に思いながら、横目に高坂さんの様子を伺いつつ静かに隣を歩いた。
「…………」
「……悪い」
やがて小さく溜め息をついて、高坂さんは短く謝ってきた。
歩くスピードが、いつも通りに戻る。
少しの間、沈黙が続いた。
謝ってきたって事は、たぶん機嫌が悪いことを認めたからだ。
この間は、きっとどうやって切り出すか考えてる間だろうな。
ちゃんと説明しようとしてくれているのが伝わるから、俺は高坂さんが話してくれるまで黙って隣を歩いた。
夜とは言え、やっぱり夏だから少し暑い。
じわじわと汗が滲んでくるのが分かる。
「……暑いな」
「そうだな」
「……タクるか」
「そうしよ」
短い会話。
高坂さんは、それだけ言うと車道に視線を向け、手を挙げてタクシーを停めた。
「どっちや?」
「んー、俺のが近いな」
「ん」
それだけで話して、高坂さんはタクシーの運転手に俺の家の住所を伝えた。
空調の効いた涼しいタクシーの中、街灯が高坂さんの横顔を照らしていくのを横目に見ながら、俺は静かに高坂さんからの言葉を待った。
だが、俺たちは目的地に着くまで一言も話さなかった。




