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4、箱庭の中の二人




 今週の仕事を全て片付けて、俺の気持ちは既に週末に向いていた。

 自動販売機でコーヒーを買い、壁に凭れながら明日の予定をスマホに打ち込む。


 ――高坂さんが、十時に来る、と。


 それまでに起きて身支度を整えてないと、また文句言われるからなぁ。

 流石に一回くらいはちゃんと起きて出迎えたい、と思わなくもない。


 SNSを開いてゲームの情報を検索すると、梅雨も明けたからか夏のイベントの予告が目に入る。 

 スクロールして目的のイベントを見つけた。

 明日の土曜、十一時からイベント開始、か。

 

 それまでには起きないとなぁ。

 いい加減、高坂さんに怒られそうだし。


「んなとこで、何しとんねん」

「あ、高坂さん。お疲れーなんか飲む?」


 ビビったー! ちゃんと起きないと怒られるな、って思ったら出てくるんだもんな。

 何? センサーでも付いてんの?

 

「仕事、片付いたか?」


 カフェオレを手に取りながら、視線を合わせずに聞いてくる。


「バッチリ。もう明日の事しか考えてない」

「アホか、どんだけ楽しみにしとんねん」

「いや週末限定クエとか、楽しみでしかないだろ!」

 

 最近やり込んでる、オンラインゲーム内での特別クエスト。

 ドロップアイテムも結構多岐に渡るし、やらない手は無い。

 なんなら、この情報が出た時からずっと気になってた。


「明日は十時でええんか?」

「うん」

「……ちゃんと、起きとけよ? お前この前、インターホンで起きたやろ?」


 じと、と少し下から覗き込まれる。


「……分かってる、よ」


 視線をゆっくり逸らしながら自信無さげな尻窄(すぼ)みの返事に、高坂さんはハッと鼻で笑った。

「どうせ起きてへんやろうな」って顔してる。

 悔しい。


「ほな、また明日な!」

「はーい、お疲れー」


 今日は早めに寝る努力でもするか。



 ――――――――――



 翌日、土曜日の朝。

 カーテンの隙間から差し込む光と、枕元に置いているスマホの振動で目が覚める。


「……ん、ん〜……?」

 

 唸りながらスマホに手を伸ばし、重い瞼を開けて画面を見ると、表示された時間は午前九時五十五分。


 画面には、高坂さんからの「どーせ寝とるやろ」というメッセージ。

 約束の時間まで、あと五分。

 はい……怒られ確定。


 確定と分かっていても、ベッドから出られない。

 でも、辛うじて起き上がることは出来た。

 目が覚めてすぐに起き上がれたんだから、褒めて欲しいくらいだ。

 

 そして、玄関からガチャリと鍵が開く音がした。

 怒られるまでのカウントダウンが、始まった。


 開かれたドアが閉まったあと、玄関から鍵を掛ける音と大きな溜め息が聞こえた。

 

 ……怒ってるなぁ。

 わざと大きく溜め息をついたように聞こえる。


 ガサガサ鳴るビニール袋と、ドスドス歩く足音がリビングに向かった。

 

 なんだろ? 朝飯か?

 そうだと嬉しいな。


 足音はすぐにリビングから離れ、寝室の前で止まった。

 

 ……はぁ、怒られる。


 律儀にコンコンとノックの音がしてから、ガチャリと寝室のドアが開いた。

 低血圧な俺は、ぼーっと入って来た高坂さんを見つめる事しか出来ない。


「……起き上がってるだけ偉い、か」


 ……あれ? 怒られない?

 やった。

 と言うか、褒められた? 今。


 片方の眉毛を下げながら、やれやれと言った表情でふっと笑った高坂さんが、俺の頭を撫でた。


「おはよーさん。朝飯買って来たから、早よ起きて来い」

「んー……」


 ………頭、撫でられた……?

 高坂さん、それはダメだ。

 せっかく起きたのに、眠くなるじゃん。

 あ、今日の香水ウッド系の落ち着く香りだ。


「せんぱい、」

「ん? なんや?」


 寝呆けてるせいか、高坂さんが柔らかい笑顔で振り向いてくれたように見える。

 何度か瞬きをして、眠い目を擦った。


「そこのふく、とってぇ」

「しゃーないなぁ、お前は」


 どことなく、声が柔らかい気がする。

 今日、機嫌良いのか。


 高坂さんは取ってくれた服をベッド脇に置いて、もう一度俺の頭をポンと撫でて寝室を出た。


 まだ眠いし、ぼーっとするけど、起きないと。


 ほぼ目を閉じたまま、服を着替える。

 いつも朝はこんな感じだから、慣れたものだ。 

 ベッドの横のチェストから、メガネを取る。

 普段はコンタクトだけど、休みの日は基本メガネで過ごしている。

 

 そして、お気に入りの肌触りの良い薄手のカーディガンを羽織って寝室のドアを開けると、コーヒーのいい匂いがしてきた。


「先輩、おはよー」

「まだ頭寝とるやろ。さっさと顔洗って来い」


 まだ少し眠気が残ったまま、俺は言われるままに洗面所に向かった。

 顔を洗って目を覚ます。


「ふぅ」


 今何時だろ?

 あ、スマホリビングだ。


 やっと頭も起きてきた俺は、リビングに戻り壁掛け時計に目をやると、時刻は十時四十分。

 まだ、時間あるな。


「いただきまーす」


 高坂さんは、コンビニで買って来てくれたいくつかのパンを、トースターで温めてくれていた。

 しかも、コーヒーまで淹れてくれている。

 毎度の事ながら、ありがたさしかない。


「先輩は、いい彼氏になるね」

「なんや急に。当たり前やろが」

「ふふっ」


 面倒見がいいし、世話焼きだし。

 料理も出来るし、綺麗好きだし。

 顔も良いし、体格も良いし。

 頼り甲斐あるし、仕事も出来るし。

 恋人くらいすぐに出来そうなのに。


「……もしかして、先輩ってモテないの?」

「あ? しばくぞボケ」


 高坂さんに恋人が居ないのは、きっとこの口の悪さが原因だな。

 でもそんな事言ったら、せっかく朝怒られなかったのに怒られそうだから黙っておこう。


 リビングに置いてあるデスクトップのゲーミングPCの電源を入れる。

 高坂さんもノートPCの電源を入れ、立ち上がるのを待っている。


 立ち上がったPCの画面にあるゲームのアイコンをクリックして、ゲームを始める。


「先輩、まずどこ行く?」

「好きなとこ行ってええで」

「やった、じゃあココにしよ。結構良いの落ちるみたい」

「ん、わかった。ちょい待て、装備変えるわ」

「オッケー」


 カチカチとマウスのクリック音やキーボードを叩く音が響く。

 会社でも聞いてる音だけど、二人しかいない静かな部屋だからなのか、どこか心地良い気がする。


「あ、先輩。この前帰りに新しい居酒屋できてるの見つけたから、今度行こう?」

「ええな。 どの辺?」


「うわ、このモンスター怠い」

「お前相性悪いやつやんけ」


「せやこの間、後輩に惚気られて地獄やったわ」

「あー、何回も告白してやっと付き合えたって言ってた子?」


「克己、そこ」

「任せてー」


 話題はあっちこっちに行くけど、視線は画面に真っ直ぐ向けたまま。

 言葉だけが向かい合ってる感じ。

  

「部長ってさ、社長にケツ揉まれた事あんのかな?」

「……無いんちゃうか? あの人の気配察知能力、尋常やないからな」

「だからいつも怖い顔してるのか」

 

 そんな他愛無い会話をしていたら気付けば時計の針は、午後一時三十分を過ぎていた。


 ふぅ。と一息ついた高坂さんがグッと伸びをしたあと、俺を見上げた。

 

「そろそろ、飯にするか?」

「先輩、何作ってくれるの?」


 軽く微笑みながらそう言った俺を、ジトと少し睨んだあと「仕方ないな」って顔で小さく溜め息をついた。

 

 高坂さんは立ち上がると一直線に冷蔵庫に向かい、無遠慮に冷蔵庫を開けて中を物色し始めた。

 

「克己何食いたい?」

「んー、オムライス」


 多分、今の冷蔵庫の中身ならオムライスは作れるはず。

 あんまり中身覚えてないけど。


「……分かった」

 

 高坂さんは材料があるのを確認して、返事をしながら次々と食材を取り出していく。

 

 俺は邪魔しないように、テーブルの上でも片付けるかな。

 と言っても、朝食の時に出していた皿もいつの間にか高坂さんが片付けてくれていたみたいで、テーブルの上にはコーヒーカップくらいしか片付ける物はなかった。

  

 ……暇だな。

 飯できるまで、モンスター討伐でもするか。


 テレビの横に置いてあるゲーム機を手に取り、電源を入れる。


「人が飯作ったってんのに、お前は」

「それはめちゃくちゃ感謝してる。あと、テーブル片付けた」

「子供か! まぁええわ。なら出来上がる前に、高難易度モンスター狩ってこい」

「楽勝だな」


 勝手に自分に縛りを追加して、いざ討伐に出発。

 モンスターの動きを把握してれば、そんなに難しいことは無いんだよなーコイツは。


 カチカチと鳴る操作音と、食材を炒めている音だけが部屋に響く。

 あ、良い匂いしてきた!


「先輩、腹減ってきた」

「もうすぐ出来るでー」


 よし、じゃあこっちも仕上げだ。

 タイミングを合わせてモンスターの攻撃を避けて、一撃を喰らわせる。


「終わった!」

「丁度出来たわ。お待ちどうさん」


 ゲーム機をソファに置いて、湯気が立ち昇る高坂さんお手製オムライスの前に座る。


「いただきます」

「ん」


 出来立ての熱々のオムライスをスプーンで掬って、息を吹きかける。

 一口、頬張る。


「ん、美味い!」

「そりゃ、良かったわ」


 前に作ってくれた時より美味しくなってない?

 先輩、腕を上げたな。

 しかも、俺の好きなケチャップライスじゃん。

 旨みが口いっぱいに広がって、幸せすぎる。


「どうしよ。俺、先輩に胃袋掴まれちゃってるかも」


 今は恋人はいらないとか言ったけど、もし将来恋人に飯作ってもらった時に「先輩の飯の方が美味い」とかなったら大変だな。

 ……え、普通に困るじゃん⁉︎


 そんな俺の心配を他所に、高坂さんは少し嬉しそうに微笑んだ。


「お前に飯作るの多いし、しゃーないんちゃうか」

「先輩、俺の専属シェフになってよ」

「俺を雇う気か? 高いぞ」


 まぁ、今そんな心配しても意味ないし、とりあえずこの美味い飯を堪能しよう。

 黙々と食べ進めて、気が付けば残りは三分の一も残っていない。


 もう少し、食べたい。

 

「……先輩、おかわりとか、ある?」


 おずおずと聞く俺に、一瞬手を止めて視線が合う。

 小首を傾げて催促すると、高坂さんはふっと笑った。


「ほんま、克己はよう食うよな。まだあるからちょっと待っとけ」


 自分の分のオムライスをさっと食べてしまった高坂さんは、どことなく機嫌が良さそうにキッチンへと向かった。

 今日は腹も心も幸せな日だな。


 手際良くおかわりのオムライスを作りあげた高坂さんは、俺が食べている間に食器洗いなどの片付けを終えてしまい、今はコーヒーを作っている。

 キッチンに視線を向けると高坂さんの手元がチラリと見えた。


 カップが二つ。

 俺の食後のコーヒーまで淹れてくれてる?

 まさに至れり尽くせりとは、この事か。


「ごちそうさまでした」

「足りたか?」

「うん」


 食べ終わった食器をキッチンへ持って行く。

 ……なんてのは、普通のことなのに。


「偉いな」


 ……別に褒められることじゃなくない?

 高坂さんって、たまに俺の事すごい子供扱いしてくるんだよなぁ。


「……いつくだと思ってんの、俺の事」

「ははっ」


 怒っては無いけど、少し唇を尖らせてむっとしながらソファに座る。

 高坂さんはそんな俺を見ながら、柔らかな笑顔でポンとまた俺の頭を撫でて隣に腰を下ろした。


 頭撫でられるのって、なんか、心がくすぐったいな。

 

 そんな事を思っていたら、高坂さんはおもむろに鞄からゲーム機を取り出した。


「やるやろ?」

「! さすが先輩」


 部屋にはまた、カチカチとゲーム機のボタンを押す音と、俺たちの話し声と笑い声だけが響いた。



 ――――――――――



「もうこんな時間か」


 二人してわいわいモンスターを討伐して、一息ついた高坂さんが時計を見て呟いた。


 視線を時計に向けると、針は午後十八時を少し過ぎていた。


「ちょっと目が疲れた」

「なら、散歩にでも行くか?」

「んぇー」


 確かに今日は仕事の時より、ずっと座りっぱなしではあったけど。

 正直、少し面倒臭い。


「少しくらい身体動かさんと、飯も入らんぞ」


 ……それもそうか。

 観念して、スマホと財布をポケットに入れて俺たちは家を出た。


 少し歩いた所に森林公園があって、高坂さんはここを散歩するのが割と好きみたいで、何度か付き合って歩いてるけど確かに気持ちの良い場所だ。


 ゲームの話をしつつ、並んで歩く。

 夕方だけど、結構歩いてる人いるんだな。


 向かいから歩いてくる何人かと、目が合う。

 いかにも運動しなさそうな奴が歩いてるから、目立つんだろうな。


 軽く会釈しながら散歩を続けていると、ふと隣から視線を感じる。

 振り向くと、肩が触れる距離に並びながら歩く高坂さんと目が合った。


 あ、この顔。

 中学生くらいから、時々見るようになった顔だ。

 

 どういう感情なのか、何を考えているのか全く分からない表情。

 真顔にも見えるけど、でもどこか怒ってるようにも見えるんだよな。


「……怒ってる?」

「ん? なんでや?」


 前からそう。

 怒ってる?って聞いても、いつも怒ってないって言う。

 しかも、本当に怒ってないし。

 これだけ長い時間一緒に居るけど、高坂さんの唯一分からないところなんだよなぁ。


 視線を合わせたまま、誤魔化すように微笑んだ。

 

「なんか、顔が怖い気がしたから」

「気のせいやろ。何もしてへんのに、怒ったりせんわ」


 気のせい、か。

 高坂さんがそう言うなら、そういう事にしておく。


「先輩、晩ご飯どうする? 何処か食べに行く?」

「……なんか作ったろか?」


 まただ。

 時折見せるあの鋭い視線の先に、何があるんだろう。

 

 というか、今日ほんとに優しいな。


「いいの?」

「外食多いし、たまには節約も大事やろ」


 あ、笑った。

 機嫌が悪いとは違ったのかもしれないけど、優しい高坂さんの顔に戻って、俺は少しほっとした。


「克己、帰りにスーパー行くぞ」

「今度は、何作ってくれるの?」


 せやなぁと空を見上げて少し考えたあと、俺を見た高坂さんが少し目を細めて微笑んだ。


「パスタ、とかどうや?」

「洋食食べたい気分なの伝わった?」

「顔に書いてあったわ」


 肩が触れ合う距離、笑い合いながら俺たちは近所のスーパーへと歩き出した。



 

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