離したくない心地良さ
いつもの行きつけの居酒屋で、ビールジョッキを掲げる。
「乾杯!」
カンッとグラスのぶつかる音が鳴る。
二人して半分くらいまで一気に飲んで喉を潤してから、グラスを置いた。
「ぷはぁー!」
「あー、まじでこの為だけに生きとるわ〜」
「ほんと生き返る……」
疲れた身体にビールが染み渡っていく。
今日は朝からバタバタと忙しい時間が多かったから、余計に染みる感じがする。
今日は酒が回るの早いかもな。
「お待たせしましたー!」
店員が次々と、注文した品をテーブルに並べていく。
ここのチキン南蛮、甘酢とタルタルソースのバランスが最高でめちゃくちゃ美味いから好きなんだよな。
「先輩、皿取ってー」
「ん」
他に誰か居たなら取り分けたりもするけど、二人だけだとそんな気遣いは無用だ。
お互い好きなように箸を伸ばす。
「うまっ」
「それ一個寄越せ」
高坂さんとだと食べ物をシェアするのが当たり前だから、各々が頼んだものでも自分のものと言う境界線はない。
好きなものを頼んで、相手のものが気になったら貰うか交換するのがお決まり。
こうやって一緒に同じものを味わって、笑って、飲むのが俺は結構好きだったりする。
今回は仕事の話はそこそこに、雑談ばかりで笑いながら適当に手を伸ばしていると、テーブルの上の食べ物がみるみる内に無くなっていった。
ビールの減りも早い気がする。
高坂さん、今何杯目?
腹いっぱいになるまで食べて、飲んで、店を出る頃には俺は良い感じに酔っていた。
少し、眠たい。
高坂さんは、途中から飲むスピード遅くなってたけど、腹いっぱいだったのかな?
まぁ、俺より食べないしな高坂さん。
でも、俺より酒強いし、割と延々と飲める人だから珍しいな。
「しっかり立て」
「立ってるよ。そこまで回ってないから」
「ありがとうございましたー!」
火照った肌に、外の空気が気持ち良い。
ここからだと、歩いたら軽く三十分くらいか。
高坂さんはどうするのかとチラリと視線を動かすと、少し眉尻を下げながら微笑んでる高坂さんと目が合った。
「タクシー、呼ぶか?」
「んー……歩いて帰ろ。散歩したい」
外の空気が気持ち良いし。
と言うか、タクシー乗ったら速攻で寝てしまいそう。
「ちゃんと歩けよ?」
「歩けるよ」
少し無言の時間が流れる。
でもそれは別に気にならないし、苦じゃない。
たぶん、高坂さんも夜風が気持ち良いんだと思う。
「……なぁ、」
暫く歩いて、高坂さんが口を開いた。
「んー? なに?」
「お前、恋人欲しい言うてたやん?」
ん……?
あー、昼間に社食で話してたことか?
「そんな事も言ってたなぁ。何? 先輩気になってたの?」
「別に。ただ、お前の好み聞いた事なかったなって思っただけや」
好み、か。
改めてどんな人が好きかとか言われても、すぐにはパッと思い浮かばないけど……。
「そうだな……俺が甘えても許してくれて、美味しいコーヒー淹れてくれて、一緒にゲーム出来る人がいいな。あ! あと、寝落ちしたらベッドまで運んでくれたり、風呂上がりに髪乾かしてくれたりしたら最高。言う事ないね」
ふわつく頭で甘えたがりな理想を並べていくと、それを聞いていた高坂さんが盛大に吹き出した。
「ふはっお前それ、ほぼ俺がやってるやつやないか」
「うわ、ほんとだ! え、先輩って俺の彼氏だったの?」
「……んなわけあるか!」
俺の冗談に間髪入れずに即答したけど、街灯の下で見えた高坂さん耳は、アルコールのせいなのか少し赤い気がした。
高坂さん、珍しく酔ってんのかな?
「まぁ、またお前が理由で振られんのだけは、勘弁やけどな」
「それは俺も同じだよ」
ケラケラと笑いながら、夜の街を歩いていく。
まだ少し肌寒さは残るけど、アルコールのお陰で涼しいくらいだ。
やっぱり高坂さんと居るのは楽しい。
仕事で肩を並べられて。
こうやって飲みに行けて。
週末は、お互いのやりたい事や好きなことに付き合って。
そうやってこれからも過ごして行きたい。
高坂さんと過ごすこの時間が好きだから、そうだったら良いなと、心の底から思う。
俺の、唯一甘えられる人だし。
もしお互いに恋人が出来たとしても、この距離はずっと保っていたいな、なんて。
「なぁ高坂さん、今日泊まっていい?」
「お前、ハナからそのつもりやったやろ」
じと、と少し下の位置から睨まれる。
この店に飲みに行くって分かった時から、泊めてもらおうと思ってたんだよな。
「……バレてたか」
「当たり前や。お前の考えとる事なんざお見通しなんじゃ」
そう言いながら、高坂さんの声はどこか楽しげだった。
明日の朝は、いつも通り起こしてもらおうと決め、隣を歩く。
きっと、この考えも読まれてるんだろうな。
――――――――――
ほどなくして、高坂さんのマンションに到着した。
ガチャリとドアが開き、高坂さんは無言でスリッパを出した。
「ただいまー」
「ボケ。お邪魔します、やろ」
何度も繰り返しているこのやり取り。
だって、高坂さんが出してきたスリッパ、俺のだし。
「俺のスリッパがあるんだから、ただいまで間違ってないじゃん」
それに、お互いの家に頻繁に行き来するから、スリッパ置いておこうって言いだしたの高坂さんだしな。
「それに、ほぼ俺の家みたいなもんじゃん?」
「なら、お前の家もほぼ俺の家やないか」
「あはは、ほんとだ」
じゃあ、どっちの家に帰っても「ただいま」「おかえり」になるわけだ。
そうなると、どっちの家に住んでるのか分からなくなりそう。
なんて考えていたら、後輩がルームシェア始めたって言っていたのを思い出した。
一瞬その手もあるか? なんて考えが脳裏を過ぎるけれど、流石にそれは甘えすぎかと鼻で笑い飛ばす。
今でも十分甘えてる自覚はあるけど、これ以上は恋人の域だろ。
俺たちには、この距離感が一番良い。
リビングの明かりを付けて、上着を脱ぎながら高坂さんが振り向く。
少し酔っているのか、表情が柔らかい。
「克己、風呂入るか?」
「うん、入りたい」
ソファに身体を沈めながら、返事をする。
酔いが覚めたのか、高坂さんはテキパキと動き回っている。
それを、視線だけで追いかけていた。
恋人が居なくたって、俺たちはこれで良い。
この距離感が心地良いし、きっとそれは高坂さんも同じように思っているはずだ。
「着替え、ここ出しとくで?」
「ありがと先輩」
高坂さんがソファの端に着替えを置いて、ついでのようにポンと俺の頭を撫でて行った。
高坂さん、俺の頭撫でるの癖だよな。
まぁ、撫でられるの好きだから良いけど。
頭に残る高坂さんの手の温もりを感じながら、ふと思う。
この距離が、この時間が変わることなんて、この先きっと無いんだろうな。
今までと同じ、楽しい時間をこれからも過ごして行くのを、何の疑いもなく俺は確信していた。
いつも通りの、穏やかな夜。
この「いつも通り」が静かに崩れる日が来るなんて、この時の俺は微塵も思っていなかった。




