第96話 対戦相手リサーチ
一月第二週の金曜日最後の授業が終わって五分も経たないうちに教壇の方からスマートフォンの通知音がいくつも重なって鳴った。蒼真のポケットの中の端末も同じ瞬間に短く振動した。
学院公式アプリからの通知。「予選リーグ・グループ抽選結果」の文字。
教室の空気が一拍だけ止まった。
机の上のノートを片付ける手が、あちこちで止まった。椅子を引く音も途切れる。誰かの「来た」の一言を合図に、教室の三分の二が同時にスマートフォンへ視線を落とした。
蒼真も自分の端末を取り出して通知を開いた。
第Eグループ。
1組第5班。蒼真の班。
2組第1班。
3組第4班。
4組第2班。
5組第3班。
各クラスから一班ずつ。実施要項通りの編成。蒼真は画面を二度見て自分の指で各班の名前を一つずつ追ってからゆっくり画面を伏せた。
前の席の航が振り返って目だけで合図してきた。蒼真は頷いた。
「訓練場押さえてあるからね」
紅葉が横から顔を寄せて抑えた声で言ってきた。スマートフォンの画面を見せてくる。ミーティングスペースの予約画面。十六時から十八時紅葉の名前で確保済み。
「早いな相変わらず」
「金曜の通知時刻ずっと前から告知出てたし。一週間前には押さえとくでしょ普通」
紅葉は得意げに鼻先を上げてスマートフォンの画面を消して立ち上がりながらリュックを肩にかけた。
「先行ってる。鍵だけ取りに行くから」
「うん頼む」
蒼真は教室の入口の方を見た。悠斗がドア枠に肘をついて廊下の壁にもたれかかった航と短く言葉を交わしている。蒼真と目が合うと悠斗は片手を上げて訓練場の方を指で指した。蒼真も頷きを返した。
里奈と真帆は机を並べて画面を二人で覗き込んでいた。真帆が顔を上げて
「神代さん私たちもすぐ向かいますね」
「ああ頼む」
里奈もこくりと頷いてノートをリュックに仕舞う手が少し早足になっていた。
教室を出る前に蒼真は窓の方をちらりと見た。一月の午後の陽はもう校庭の向こうの欅の梢の高さまで下がっている。冬休み明け二日目の月曜の朝に後藤がチョークの粉を残していった教壇の上を視界の端で確認した。今日は何も残っていない。綺麗な板の色だった。
弽と矢筒は朝のうちに部室の鍵付きロッカーに置いてある。蒼真は教室から訓練棟への渡り廊下をいつもの足取りで歩いた。
◇
屋内訓練場は金曜の夕方にしては人の入りが少なかった。冬休み明け一週目の金曜各班とも抽選の通知を受けて自分たちの班の方へ動いている時間帯ということだろう。
ミーティングスペースは訓練場の北東の隅にある。木製のパーテーションで仕切られた一画で長机がコの字に組まれていてホワイトボードと電源コンセントとプロジェクター用の白い壁が一面ある。蒼真が入った時には紅葉がすでに長机の一辺の真ん中に座ってノートパソコンを開いていた。
「電源生きてる。あとプロジェクターも一回試した。映る」
「お前入った瞬間から仕事してたな」
「だって金曜の夕方の訓練場ヒーターの効きが弱いの知ってるから。早めに入って機材温めとかないと」
紅葉は隣の椅子の背を片手で叩いた。蒼真は弽の入った弓袋と矢筒をパーテーションの隅に置いて紅葉の隣に座った。
入口の方から悠斗の声が聞こえてきた。
「うっわ寒いここも寒い。なんだよ訓練場外より寒くないか?」
「お前が薄着なだけだろう。十二月にカーディガン一枚で来てた奴が言うな」
「カーディガンだって防寒の意思はあったろ」
「意思の問題じゃない生地の厚みの問題だ」
悠斗と航がミーティングスペースに入ってきた。悠斗はジャケットの襟を一度直しながら長机の向かいの真ん中にどかりと座って
「で蒼真画面見たか? 四班揃ったか」
「揃った。各クラス一つずつだ」
「マジか。Eグループフルメンバー集合じゃん」
悠斗は両手を後頭部の後ろで組んで椅子を後ろへ傾けた。航がその隣に座ってノートパソコンの電源を確認しながら
「フルメンバーじゃない。各クラスから一班ずつ抽選で振り分けただけだ。当たり前の話だぞ」
「分かってる分かってる。テンション上がっただけだって」
里奈と真帆が入ってきて蒼真と紅葉の側の長机の端に並んで座った。里奈は黒いノートとペン真帆は淡い緑の布表紙のノートを机に置いた。真帆はリュックから小さなタンブラーを取り出して紅葉の前にも一つ置いた。
「紅葉ちゃんこれ私の家の麦茶だけど。冷えるから」
「やったありがと真帆。あなたほんと気が利くわね」
「それくらいしかできないので」
「いーやそれが一番大事なやつだから」
六人。揃った。
「じゃあ始めるか」
蒼真が言うと航が向かいの席で姿勢を直した。机の上にA4のクリアファイルを置いて中から数枚の紙を抜き出してホワイトボードの方を一度指してから立ち上がった。
「ちょっといいか。スライドにする」
「お前もう作ってあるのか?」
悠斗が目を丸くした。
「抽選結果が出てから三十分で全部出せるようにフォーマットだけは事前に組んでおいた。データを差し替えるだけだ」
「三十分ってお前……」
悠斗が天井を仰いだ。紅葉が口の端で少し笑った。
「航相変わらず仕事が早すぎ」
「役割だ」
「出たー。航の口癖」
航は一瞬だけ紅葉の方を見て何も言わずにノートパソコンをプロジェクターに繋いだ。プロジェクターのファンが回って白い壁にスライドが映し出された。一枚目には「予選E組・対戦相手リサーチ・宮瀬航・一月第二週金曜」の文字。ファイル名まで几帳面な航の几帳面さがここでも出ていた。
「四班分まとめてある。順番は戦う順番じゃなくて警戒度の順だ。最初に一番厄介な相手から行く」
「一番厄介な相手からか。心臓に悪いな」
「悠斗楽な順から行きたいなら他の班に異動しろ」
「行かねえよ。冗談だっての」
蒼真は手元のメンテナンスノートを開いて新しいページの一番上に「予選E組・対戦相手」とだけ書いた。日付を脇に添えた。
紅葉が小さくペンを構える音を立てた。
二枚目のスライドが映った。
「4組第2班。班長西島慎也。剣士」
正面に赤字の見出し。班員構成が下に並ぶ。
「構成は剣士4・魔法使い1・ヒーラー1」
「は?」
悠斗が眉を寄せた。
「剣士四? 四人?」
「四人だ。読み間違いじゃない」
航は淡々とそう言ってボードに小さなマグネットを四つ並べてみせた。
「俺たちの班は前衛が悠斗と俺の二枚。それに対して四枚の剣士が来る。普通に正面でぶつかったら押し負ける。ただ向こうも全員が前衛で突っ込んでくるわけじゃないだろう。たぶん二・二で組む」
「二・二ね」
「二枚で前衛を抑えてもう二枚は」
航がマグネットを横にずらした。
「後衛を潰しに来る」
会議スペースの空気が一段だけ静かになった。悠斗が小さく口笛を吹いた。
「分かりやすい嫌がらせだな」
「想定の範囲内だ」
蒼真が言うと航は頷いた。
「遠距離潰しの定石だ。剣士四の構成はそれを真正面から実現できる編成だと俺は読む。協会データベースを当たった限り西島のスキルは『身体強化』。全体的にバランスよく上がるが出力は控えめ。だから一人で突破してくるタイプじゃない。四人で囲んで囲み崩しをやってくる」
里奈が手元のノートに何かを書きつけた。
「茂野亘」
航がマグネットの一つを指で押した。
「同じく剣士。ただしこいつは大盾持ちだ。騎士職ってわけじゃないが大盾を構える剣士。たぶんこいつが前衛盾になる。うちの直射をこいつが正面で受ける」
「曲弦射は?」
蒼真が訊いた。
「使える。ただ向こうも当然春の須藤戦で見せた“横へ曲がる射”は想定してくる。曲弦射は左右から回り込ませる射線が本命だ。茂野が盾を傾けて射線を見ながら側面にも対応する立ち回りをしてくる可能性が高い。直射と曲弦射の両方をこいつ一人で対応してくるかもしれない」
「そこまで仕込んでくるかな」
「仕込んでくると思え。弓術士の戦闘記録は協会にもほとんどない。だから茂野が何を研究してくるかは読めない」航はそこで一度、画面を指で叩いた。「ただ、西島が剣士四を組んだ以上、狙いは遠距離潰しだ。お前と中村、小林をまとめて抑える前衛盾として茂野を置いてくる」
蒼真は唇の内側を一度だけ噛んだ。
研究してきてると航が言った時の言い方がいつもより低かった。
「分かった」
蒼真は航の方に頷いた。
「全部本気で行く。研究してきてるならこっちもそれ込みで動く。願ったり叶ったりだろ」
「それでいい」
航はマグネットを元の位置に戻して次のスライドへ進んだ。
「ヒーラーは藤野。白魔法使いだな。スキル詳細は協会データベースで《光球》《小回復》登録済み。攻撃魔法は登録なし。完全な後衛役だが《光球》には注意した方がいい」
「目潰しか」
「目潰しだ。本来は照明用の魔法だが魔力を過剰に込めれば閃光として使える。直射の射手にとっては一瞬でも視界を飛ばされたら致命的だ。後衛の中央で戦闘中盤一発を狙ってくる可能性は十分ある」
「了解。射線の中に光源は置かないってことだな」
「ああ。お前が引いた瞬間に光らせるパターンが一番厄介だ」
「真帆」
蒼真が呼ぶと真帆が顔を上げた。
「はい」
「相手のヒーラー護衛されると思うか?」
真帆は目を伏せてペンの先で自分のノートをこつと一度叩いた。
「されると思います。剣士四枚の編成で前衛押し型の班だとヒーラーを後ろに置いて必ず一枚は護衛に回すのが白魔法使い側の感覚として定石なんです」
「されない可能性は?」
「低いと思います。教科書通りに動いてくる班というのが神代さんたぶん一番素直に怖い班でもあるんですけど」
「素直に怖い?」
「教科書通りに動かれるとこちらが裏をかきにくいんです。逆に教科書を外してきたら」
真帆は首を傾げて
「それが一番怖いと思います。たぶん」
真帆はそこまで言ってまた目を伏せた。
蒼真は自分のノートに「ヒーラー護衛アリ前提・例外想定も併走」と書いた。
紅葉が向かいの席から声を上げた。
「藤野って私見たことある」
全員が紅葉の方を向いた。紅葉はノートパソコンの画面を覗き込みながら思い出すように天井を一度見た。
「あ思い出した。秋の月例実習。立川ダンジョンの第2層。広間の手前ですれ違った」
「相手が先に通過したのか?」
「そう。私たちが一旦待機して向こうの帰還を見送った時。藤野後衛の真ん中。両側に剣士二人ずつついてた」
「四角形の真ん中か」
「そう。前衛二側衛二の四角の中にヒーラーと魔法使いが収まる隊列。あの時隊列がほどけずにそのまま広間の出口まで歩いていった。だからよく覚えてるの。隊列がほどけないのはたぶん班全体の規律が高い」
「ありがたい情報だな」
蒼真が言うと紅葉は片手を首の後ろに当てて
「うちの斥候有能でしょ?」
「有能有能」
悠斗が向かいから親指を立てた。航がスライドを指で示した。
「相手の魔法使いは赤羽。火魔法だ。スキルは《火球》《火炎》登録済み。《火炎》は火炎放射型の範囲魔法だな。射程は中距離扇状の広範囲を一度に薙ぎ払える。威力自体は《炎槍》や《炎爆》より低いが複数の対象を同時に押さえたい時に効く」
「ぶわっってやつか」
悠斗が両手を扇状に広げてみせた。
「ぶわっで合ってる。ただし撃ちっぱなしも可能ではあるが放射時間に比例して魔力を持っていかれる。だから現実的には〇.五秒から一秒程度の短い放射をここぞって場面に合わせてくると読む。狙いはうちの後衛。里奈と真帆とお前の塊を一度に焼く形だ」
航は淡々と続けた。
「ただこの班の主役は剣士四だ。魔法使いはあくまで補佐。《火炎》を撃ってくる瞬間は剣士の前衛圧の合間でしかも長くは引っ張れない。撃たせる前にこちらが射線を切らせるか中村の《氷壁》で防ぐか二択になる」
「うん分かった」
里奈が短く返事をした。声に前のめりが乗っていた。
蒼真は自分のノートに4組第2班の所に短く書いた。
蒼真はノートに二行だけ書いた。
『茂野の大盾=遠距離潰しの起点』
『前衛二枚で押し負けず、曲弦射で盾の横を取る』
細かい魔法名は、航の資料を後で読み直せばいい。
書きながら蒼真は心臓の鼓動が一段僅かに大きくなっているのを感じた。
不安ではない。
不安ではなく楽しい方の手応えだった。
スライドが切り替わった。
「3組第4班。班長影山律。剣士。スキル《脚力強化》。前衛火力にして班全体の指揮役だ。風魔法2斥候2剣士1ヒーラー1」
「うわ嫌な編成」
悠斗が眉を上げた。
「風と斥候それぞれ二ってこれ視線切りだろ」
「視線切りだ」
航が頷いた。
「この班は視線切り戦術が主軸だ。風魔法で塵か霧か。協会データベース上は《風刃》《風塵》の登録だから《風塵》で視界を遮ってくる。斥候二人は影山の指揮で前後左右に動いて相手の射線から自分たちを外しながらこちらの後衛に潜り込む」
「弓術士泣かせの編成だな」
蒼真が苦笑した。本当に苦笑だった。
航は申し訳なさそうな顔ではなく淡々とした顔のまま
「視線が通らない以上直射の精度は落ちる。曲弦射で相手の動きを読んで塵の薄い側面から左右に回り込ませる射線が中心になる。ただ塵の濃淡が変わると曲げた先の視界もすぐ潰される。影山の指揮の精度が厄介なんだ」
「指揮?」
悠斗が訊いた。
「指揮だ。スキルじゃない地のものだ。秋の合同講習で同じ組だった奴の証言を当たった。班員の動きを声と手の合図でほぼリアルタイムに切り替える。風魔法二枚と斥候二枚それぞれの役割を秒単位で組み替えてくる。塵の濃さ斥候の動線影山自身の踏み込みの間合い。全部影山の頭の中で同時に走ってる」
紅葉がペンを止めて航の方を見た。
「斥候の方は誰?」
「岡田栞と伊藤修一。両方スキルは《軽業》系。岡田は身軽さに振った《軽業》伊藤は隠密寄りの《気配遮断》」
「岡田は知ってる」
紅葉が即座に反応した。
「秋の合同講習で組分け一緒だった。動きが速い。短剣使い。あの子足音ほぼ消す」
「伊藤は?」
「会ったことない」
紅葉は顎を引いた。
「《気配遮断》のほう初見ってことか」
「初見だ。仕様欄では『短時間自身の気配を周囲から認識しにくくする』とだけある。発動時間と効果範囲は登録時点で本人が申告した数値しか公開されてない。実戦でそれを上回るかは相手次第だ」
「足音は?」
「仕様外だ。気配は遮断されるが物理的な音は消えない。岡田が囮で動いて伊藤が無音で側面に回るってのがたぶん基本パターンだろうな」
蒼真は紅葉の方を見た。
「紅葉、伊藤の方頼める?」
「うん私が捕まえる」
紅葉は迷わなかった。
「気配遮断系の相手は視覚と聴覚の両方で追う。《視力強化》で輪郭を取って足音を耳で拾う。同時に追うのは難しいけど二択でどっちかは捕まえる。岡田が囮で派手に動いてくれるならこっちも本命を絞りやすいし」
「捕まえてくれればそこからは射線が立つ」
「うん任せて」
紅葉はノートに伊藤と書いた。
その下に小さく岡田と書いた。
岡田の方には丸を伊藤の方には三角の印をつけた。岡田が囮で伊藤が本命という紅葉の整理だった。
里奈が手を挙げた。
「あの《風塵》来たらどうしよう」
里奈の声は二ヶ月前の対策会議の時よりもはっきりしていた。問いかけ方も自分の中で一度考えてから出している声だった。
「《氷壁》で受け止められるか?」
蒼真が訊くと里奈は間を置いてから首を横に振った。
「《氷壁》はたぶん無理。塵は壁の上を越えてくる。塵を完全に止めるのは壁の高さじゃ追いつかないと思う」
「《氷床》なら?」
「《氷床》は足元の塵を巻き上げない方向に空気を冷やす運用なら効くかも。冷やした空気は下に沈むから塵を地面に押さえつける効果がたぶん出るけど」
「けど?」
「やったことない」
里奈はすっと正直に言ってそれから肩をすくめた。
「秋の月例実習で氷の床を帯状に伸ばす運用は何度かやったの。でも塵を抑え込むために空気を冷やすって運用はまだ試したことがない」
蒼真は頷いた。
「試そう」
「試す?」
「来週からの訓練で《風塵》想定の課題を組む。試したことがないなら試す時間を作って実際にやってみよう」
「うんやる」
里奈は短く返事をしてノートに「《風塵》対策・空気冷却の試行」と書き加えた。声の調子がさっきよりさらに前のめりになっていた。
航がマグネットを動かした。
「3組第4班もう一つ注意点がある」
「ん?」
「影山自身が正面火力でもある。スキル《脚力強化》。この班の中で唯一の前衛剣士で班全体を指揮しながら自分が正面から突っ込んでくる役割も担う。前衛同士の正面戦闘で影山一人を悠斗と俺で見ることになる」
「指揮しながら自分も突っ込んでくるって二つ仕事してるじゃん」
「それができるから班長やってるってことだろうな。塵の中斥候二枚と風魔法二枚を動かしながら自分は前衛で踏み込んでくる。指揮と前衛火力を一人で兼ねる」
「悠斗行けるか?」
蒼真が訊くと悠斗は片手を首の後ろに当ててにやりと笑った。
「《脚力強化》同士か。胸熱だな」
「胸熱は分かるが勝てるとまでは言ってないな」
航が冷たく訂正した。悠斗は鼻で笑った。
「分かってる分かってるって。ただ相手が真っ直ぐ来るならこっちは槍だ。リーチで負ける条件はない。突きで足を止めてお前が横から斬撃強化を入れる。いつもの形だろ」
「いつもの形だ。ただし影山は突っ込むだけじゃなくて塵の中で斥候を動かしながら踏み込んでくる。読みの軸が二つ要る」
「分かった。動きの読みは俺が前衛で塵の中の影山以外の動きは紅葉と航が後ろから捌く形か」
「そうなる」
航は頷いた。
「ヒーラーの護衛《気配遮断》対策《風塵》対策それと影山の正面突破と指揮の二重圧。全部同時に処理することになる。視線切り戦術の班相手だとこっちの索敵負荷が一番高い」
蒼真は頷いた。ノートに3組第4班の見出しの下に書いた。
『視線切り。直射不利・曲弦射主軸。《気配遮断》は紅葉が捕まえる。《風塵》は里奈の試行課題。影山は前衛二で正面処理+指揮の捌きは紅葉と航』
書きながら蒼真は思った。
四班分全部本気で行く。
その「本気」の中身が班ごとに違う。4組第2班には四枚の剣士の囲み崩しを越えるための前衛二の踏ん張り。3組第4班には視線が通らない条件下での索敵と曲弦射の精度。それぞれ違うことを同時にやらなきゃならない。
楽しいと心臓のもう一段奥の方で思った。
スライドがまた切り替わった。
「2組第1班。班長芹沢健司」
紙の上の写真は椅子に座っているのに肩幅が分かるくらいの体格だった。
「大盾持ちの剣士2槍術士1魔法使い2ヒーラー1」
「うわっ堅っ」
悠斗が顔をしかめた。
「堅い。班全体の方針が相手の手数を削ってから自分たちの一発を通すって形だ。芹沢のスキルは《盾防御》。アクティブ系の防御強化で発動中盾で防いだ攻撃のダメージを大幅に軽減して衝撃を体勢に伝えにくくする」
「ただ盾で防ぐよりもっと硬くなるってこと?」
「硬い。直射を真正面から受けて姿勢を崩さずに撃ち返してくると思っていい。発動中は瞳に薄い橙色の魔力光が出る。常時発動じゃなくて決定打が来る瞬間に合わせてくるのが標準運用だろう。こいつともう一人の大盾持ちの田島で前衛二枚の壁を作る。槍術士の小早川がその後ろから穂先を出す」
「弓入るかな?」
蒼真が訊いた。
「入る。直射は《盾防御》中の盾で受けられる可能性が高い。上から越す射線と曲弦射で横から回り込ませる射線その二つが鍵になる。あと大盾は重い。横から回り込んで側面を取れば盾は追いついてこない」
「左から右からってことか」
「そうだ。曲弦射で盾の端を外し斜めから後衛へ回り込ませる射線ならこいつ相手にも効く」
「魔法使いは?」
「青木と野村両方とも地魔法だ。青木は《土壁》《土礫》登録。野村は《泥沼》《土礫》登録。前衛の壁を地魔法で補強しつつこっちの足元を泥沼化させて移動を縛りその上で両方が《土礫》で削ってくる。長丁場でこっちが疲弊するのを待つ戦い方だ」
「持久戦狙いってわけか」
「そうだ。ヒーラーは中島、白魔法使い。《小回復》《光球》登録。班員のダメージを継続的に回しながら長期戦に持ち込む形」
「お前の天敵だな悠斗」
紅葉が向かいからぽつりと言った。悠斗は片手で胸を押さえて
「やめろよ長丁場って単語俺の身体が反応するから」
「お前月例実習の時いっつも最後の方バテてるよね」
「バテてはない。テンポを落としてるだけだ」
「同じ意味でしょそれ」
航がボードのマグネットを軽く叩いて二人の脱線を区切った。蒼真は2組第1班の所にメモを書いた。
『大盾二枚で前衛壁。槍術士で穂先。地魔法二枚で動線縛り。上越しの射線+曲弦射で大盾の側面から後衛抜き。長丁場想定こっちの体力配分も考慮』
航は次のスライドへ進んだ。
「5組第3班。バランス型。剣士2魔法使い2斥候1ヒーラー1」
「あ教科書みたいな編成」
「教科書通りだ。班長は森谷有紗。スキル《指揮》。アクティブ系の指示補正。パーティに意思が伝わりやすくなったり、班員のスキル発動タイミングを僅かにずらして連携を効かせるタイプだ」
「やりにくい相手か?」
「正直四班の中では一番読みやすい。教科書通りの編成と教科書通りの動き。ただし教科書通りってのは穴が少ないって意味でもある」
「穴がない相手は」
「うちの六人でこっちが教科書を外す動きをして相手の判断を一拍遅らせる方が早い。フォーメーションCの本領が出る相手はたぶんここだ」
「そっか」
蒼真はノートに5組第3班の所を書いた。
『教科書通り。穴が少ない。フォーメーションC本領の試金石』
書き終えてから蒼真は顔を上げた。
「四班揃ったな」
「揃った」
航は頷いた。
そして最後のスライドに切り替えた。
「ここからは決勝トーナメント想定の話だ」
スライドの見出しに「決勝T本命候補」とだけある。空気がほんのふっと引き締まった。
「予選四戦に勝てば決勝トーナメントに進む。1回戦で五試合勝った五班のうち四班が2回戦そこから一班。優勝候補と判断された班が2回戦不戦勝枠で準決勝直接進出。残り三班から準決勝を一試合そして決勝って構造になってる」
「それ月曜のホームルームで聞いたな」
「聞いた。今日の話はその先だ」
航は次のスライドを出した。
「1組第1班。竹井班」
蒼真は思わず一度息を吸った。
竹井創。同じクラス同じ1組の首席格。剣士片手直剣+盾スキル《身体強化》。穏やかな性格で蒼真と悠斗・航で三人組でつるんでない時には普通に話す相手だった。
「竹井班の構成は剣士・本村涼の槍術士・佐藤進の斥候・斎藤花帆の火魔法使い・藤島美香の氷魔法使い・進藤あかりの白魔法使い。完全バランス型でしかも各メンバーのスキル安定率が現在の一年生で最も高い水準にある」
「斎藤って確か教室で隣の列にいるよな」
悠斗が言った。
「いる。藤島も。進藤も同じ班だ。各メンバーのスキル安定率が現在の一年生で最も高い水準にある」
「俺たち決勝で当たる可能性高いのか?」
「予選を四戦勝ち抜いた場合決勝トーナメントの組み合わせ次第だが同クラス対決は決勝戦まで起きない構造だ。だから決勝に行ければ最後に当たる可能性が高い」
「最後にか」
蒼真は静かに繰り返した。
竹井とは教室で何度も話している。普通に普通の会話を。「神代今日寒いな」「うん寒い」「そっちの班月例実習どうだった?」「順調」「うちもだ」みたいな特に何でもない会話を。
その竹井と決勝戦で。
蒼真はノートに最後の行に書いた。
『決勝T本命・1組第1班・竹井班・全員のスキル安定率最高水準』
書き終えてからペンを置いた。
「航」
「ん?」
「ありがとな」
蒼真は航の方を見た。
「ここまで一日でまとめてくれた。助かった」
航は一拍の間を置いてから肩を僅かに動かした。
「俺の役割だ」
「役割だけじゃないだろ」
「役割だけだ」
航は淡々と返した。淡々としていながらわずかに口角の片側が上がっているのを蒼真は見た。
悠斗が長机の向かいで足を組み替えた。
「で班長。整理は終わった。次何やる?」
蒼真は六人の顔を順番に見た。
紅葉の岡田の丸印と伊藤の三角印を書き終えた手元のノート。
里奈の塵対策・空気冷却の試行と書かれた一行。
真帆のヒーラー護衛と例外想定を併走で書いた淡い緑の表紙のノート。
航の几帳面に並んだクリアファイルの中の予備プリント。
悠斗の片手で首の後ろを揉みながらもう片手で槍の握りを思い出すように指を曲げ伸ばししている動作。
「明日の土曜午後一時訓練場。フォーメーションCの組み直しの初日にする」
「了解。あ待った土曜の午前中寮の自治会の月一掃除当番なんだけど」
悠斗が片手を上げた。航がすかさず
「掃除当番今月お前と俺で交換しただろ。お前九時から。俺は来月」
「あーそうだったわ。サンキュー」
「ちゃんと記憶しとけよ」
紅葉が向かいから
「悠斗また航に世話されてる」
「いいだろ別に。お互い様だっての」
蒼真は小さく笑って続けた。
「予選一戦目の相手4組第2班を想定した動きから入る。剣士四の囲み崩しに対する前衛二の踏ん張りと俺の射線確保それとヒーラー護衛崩しのパターン」
「具体的な役割分担明日その場で詰めるか?」
航が訊いた。
「詰める。今日は相手の情報を頭に入れる日。明日はそれを身体で動かす日」
「了解」
「土曜午後一時空けときます」
里奈と真帆がほぼ同時に返事をした。
紅葉も頷いた。
「私先に訓練場の鍵取りに行っとくね」
「うん頼む」
蒼真はノートを閉じた。
外はもうすっかり暗くなっていた。
会議スペースを出る時蒼真は航の隣で歩いた。
「航」
「ん?」
「お前抽選の通知が出る前からフォーマット組んでたって言ってたな」
「言った」
「いつから?」
航は間を置いてから答えた。
「月曜の昼休みお前が『来週から訓練場で組み直す』って言った直後だ。班員の机でそれぞれノートに書き写してた時に俺は四班分の情報整理のフォーマットだけ頭の中で作り始めた」
「四班分五日で揃えるつもりで?」
「四班分の情報整理を抽選の通知から三十分で出力できる状態に五日で持っていくつもりで」
「なんで」
蒼真は訊いた。
訊きながら答えは半分自分の中で見当がついていた。
航は廊下の途中で立ち止まらず歩きながら答えた。
「お前が月曜のホームルームの後教壇を一度だけ見てから教室を出て行ったのを俺は後ろから見てた」
「見てたのか」
「見てた。後藤先生の『勝てばSクラス昇格審査の対象になる』『勝つ気で挑め』の言葉をお前がどう受け止めるか後ろから見てた」
「俺何か顔に出てたか?」
「出てなかった」
航は淡々と言った。
「出てなかった。ただ教壇を一度だけ見てから出て行った時お前の歩幅がいつもより半歩広かった」
「半歩」
「半歩だ。歩幅が広い時のお前は頭の中でもう次の手を組んでる時のお前だ。一年間前の席で見てきたから分かる」
蒼真は廊下の途中で立ち止まりかけて止まらずにもう一歩踏み出した。
「でお前はその日のうちに四班分のフォーマットを組み始めた」
「組み始めた。お前が次の手を組むならその手の材料を俺が揃える側でいいだろと思った」
「俺が頼む前にか」
「頼まれてからじゃ間に合わない場面もある」
航は前を見たままそれだけ言った。
廊下の窓から訓練棟の外の冷えた空気がすっと頬に触れた。
蒼真は航の隣で半歩歩幅を狭めた。航と並ぶ歩幅に戻した。
「ありがとう」
蒼真は言った。
「役割だ」
航はまた淡々と返した。
そして口角の片側をもう一度だけ僅かに上げた。
訓練棟の外に出ると悠斗と紅葉と里奈と真帆が訓練場の入口の脇に固まって立っていた。
「あ来た来た」
「集まれって言わなくても集まったなまた」
悠斗が笑った。
「言わなくていいタイミング覚えてきたんだろ」
蒼真も笑った。紅葉が
「私たちもう半年もこれやってるからね」
「半年か。早いな」
「早いし濃い」
「うん濃い」
里奈と真帆が小さく笑った。
冬の夕方の空が訓練棟の屋根の向こうで藍色から濃い藍色へとゆっくり沈んでいた。月がまだ薄く東の空の低い位置に出ている。
「明日午後一時」
蒼真は六人の方に向き直ってもう一度言った。
「フォーメーションCの組み直しの初日」
「了解」
「了解」
「うん空けてある」
「了解です」
「了解行くわ」
六人で揃ってそれぞれの口調とそれぞれの間合いで応答が返ってきた。
「じゃまた明日」
「お疲れ」
「お疲れさま」
蒼真が言うと紅葉が手を上げて悠斗と航が並んで寮の方へ歩き出した。里奈と真帆は立川駅の改札の方へ歩き出して紅葉は途中まで二人と並んでから改札の手前で寮の方角へ別れた。
蒼真は訓練棟の入口の前でしばらく立ち止まった。
弽の入った布袋を肩に掛け直して矢筒を抱え直した。
頭の中で四班分の情報をもう一度なぞった。
4組第2班。剣士四の囲み崩し茂野の大盾赤羽の《火炎》一発ヒーラー藤野の護衛アリ。
3組第4班。影山の指揮力岡田と伊藤の斥候二枚《風塵》影山自身の正面突破。
2組第1班。大盾二枚の前衛壁槍術士の穂先地魔法二枚の動線縛り長丁場想定。
5組第3班。教科書通り穴が少ないフォーメーションCの試金石。
そして決勝トーナメントの本命。1組第1班・竹井班。
四班全部本気で行く。
蒼真はそう頭の中で繰り返した。
繰り返してから東の空の薄い月を一度だけ見上げて訓練棟の脇を通って錦町の方へ歩き出した。
◇
錦町のマンションに帰り着いた時には午後七時を過ぎていた。
六階の自室。和室の机の前に座ってメンテナンスノートを開いた。
月曜の夜に書いた『一月第二週・月曜。実施要項正式版確定』『6vs6・15分・教官介入なし・協会公開スキル閲覧可・予選2〜3勝・決勝トーナメント・本戦2月中旬』『勝つ』の三行。
その下のページを開いて新しい見出しを書いた。
『予選E組・対戦相手・四班』
下に四班分の班名とそれぞれの主要キーワードを一行ずつ。
『4組第2班・剣士四・遠距離潰し・大盾の茂野』
『3組第4班・視線切り・気配遮断・影山指揮+正面』
『2組第1班・大盾二枚の壁・地魔法動線縛り・長丁場』
『5組第3班・教科書通り・穴少・C試金石』
その下に一行だけ空けて書いた。
『決勝T本命・1組第1班・竹井班』
竹井と苗字を書いてから蒼真は一度だけペンを止めた。
教室で明日もたぶん普通に挨拶を交わすのだろう。「神代明日寒いらしいな」「ああ寒いな」みたいな特に何でもない会話を。
その上で二月中旬の決勝戦もし二人とも勝ち上がったら演武場の床の上で向き合うことになる。
蒼真はペンを動かして竹井の名前の下にもう一行書き足した。
『全部本気で行く』
書き終えてからノートをそっと閉じた。
机の上に置いた弓懸けの布袋に軽く右手を当てた。布越しに革の馴染んだ手触りが指の腹に伝わってくる。地元の弓道場で十二歳の頃から使い込んできた神代家伝来の独自仕様の弽。親指の弦枕にだけ革を当てた指を覆わない型。冬の薄手の手の甲側の手袋の感触ももうすっかり手に馴染んでいる。
明日午後一時。
訓練場で六人で組み直しの初日。
蒼真は窓の外を見た。立川の冬の夜の空が雲ひとつなく広がっていて薄い月が東の空からもう少し高い位置まで上がっていた。
「対戦相手の輪郭見えた」
蒼真は声に出さずに口の中だけで呟いた。
「ここから組み直す」




