第8話 試合前夜
四月十四日。日曜日の夜。
蒼真は机の上にスローイングナイフを五本並べた。
刃渡り十五センチほどの投擲用ナイフ。柄の部分に細い溝が彫ってあり、そこに触媒を括り付けられるようになっている。柄尻には通し穴も開けてあり、髪を括り付けたり触媒入りの小袋を結びつけることも可能だ。
引き出しから小さなジップ袋を取り出す。中には爪切りで丁寧に切り揃えた自分の爪が入っている。両手両足の指から少しずつ切り出したもの。触媒としては髪でもいいが、今のところ爪の方が扱いやすく、戦闘中に外れにくい。精神的になんとなく髪を消したくない気持ちもある。少し。
一本目のナイフを手に取り、溝に爪の欠片を嵌め込む。その上から細い糸で巻き留める。きつく、しかし刃の重心を崩さない程度に。
「……よし」
一本完了。指で弾いて固定を確認する。問題ない。
二本目。同じ手順。嵌め込んで、巻いて、結ぶ。
須藤大河。Sクラス。剣士。スキル《看破》。
三本目に取りかかりながら、思考が自然とそこに向かう。
須藤のスキル《看破》については、裏掲示板とやらで断片的な情報が出回っていたそうだ。航が教えてくれたのだ。「相手の予備動作から次に起こる事象を予測するアクティブスキル」。つまり、矢を放つ前の動作を読まれる。弓を引く、狙いを定める、弦を離す。その一連の動作のどこかで、須藤は次の手を察知する。
厄介だな。
蒼真は四本目のナイフに手を伸ばした。
いや、厄介とかのレベルじゃない。最悪だ。射手にとって「射つ前に読まれる」って、それもう天敵じゃないか。
だが、怖さより先に作戦の続きを考えていた。天敵を相手に、弓でどう勝つか。
――だから面白いんだろうが。
天敵を相手に、弓でどう勝つか。それを考えるのが、正直に言えば、この二日間ずっとワクワクしていた。
ノートを開いた。この数日間で書き込んだ須藤対策のページ。何度も書いては消し、消しては書いた跡がある。最終的に残った箇条書きは五つ。
一、直射は初手の不意打ちでのみ有効。二射目以降は読まれる前提で組み立てる。
これは仕方ない。《看破》が本物なら、正面から同じ手は通らない。
二、煙幕で視界を奪う。《看破》が視覚依存なら、見えなければ予備動作も読めない。ただし煙幕で撹乱するのも一度が限界だろう。使い所を間違えたら終わる。
一発勝負。度胸試しだ。
三、投げナイフで距離を削る。剣士の須藤は間合いを詰めてくる。ナイフで牽制しながら距離を保つ。
四、曲弦射。矢を高く上げるのではなく、弓の軸をずらして射線を曲げる射だ。直射とは軌道が異なる。読まれにくい、かもしれない。確証はない。
「かもしれない」か。弱気だな、俺。
蒼真はペンを取って、「かもしれない」を二重線で消した。代わりに書き足す。「やってみなきゃ分からない。だからやる」。
五、《小転移》。
――ここだ。
蒼真は五本目のナイフに触媒を括り付ける手を止めた。
《小転移》の仕様は自分だけが知っている。悠斗にも航にも明かしていない。触媒を括り付けたナイフが着弾した地点へ、自分の体を転移させる。最大十メートル。視界内限定。触媒は消えてなくなる。
須藤は《小転移》の存在を知らない。つまり、初見で対応することはできない。
問題は、いつ使うか。
《看破》は予備動作の察知。なら、「予備動作が存在しない攻撃」を叩き込めばいい。
転移の瞬間には予備動作がない。消えて、現れる。その間にラグはない。転移した直後――須藤が状況を把握する前に、矢を放つ。
至近距離。うなじ、もしくは背後。須藤が振り返るより早く。
つまり、全ての手札を順番に切って、最後の一枚で仕留める。
先制の直射で出方を見る。ナイフと煙幕で攪乱する。曲弦射で射線をずらす。そしてナイフが尽きた瞬間――須藤が「手札が尽きた」と判断した、その隙に。
最後の一本を投げる。須藤の背後へ。そこに転移し、矢を放つ。
蒼真はノートにペンを走らせた。戦術の流れを矢印で繋いでいく。書き終えて、眺めた。
いける。
心臓が速くなった。指先が熱い。
いや、「いける」じゃなくて「いかせる」んだ。俺が。
五本目のナイフの用意を終え、五本を机に並べて確認した。重心のブレはない。触媒の固定も問題ない。五本の刃が蛍光灯の光を反射して、鈍く光っている。
次に和弓を手に取った。弦に指を添え、軽く引いてみる。張りは良好。弦の状態も問題ない。矢筒から矢を一本抜き、鏃の先端を指で確認する。訓練用の鈍い先端。実戦用ではないが、魔力を纏わせれば十分に衝撃が伝わる。
準備はできた。あとは、やるだけだ。
スマートフォンが震えた。悠斗からのメッセージ。
『明日、応援行くからな。航も一緒。放課後すぐ演武場な』
その下に航からも一言。
『寝ろ』
蒼真は声を出して笑った。こいつら最高だな。
返信を打つ。
『了解。明日よろしく。航の言う通り寝る!』
悠斗から即座に返事が来た。
『お前が「!」使うの珍しいな。テンション上がってんだろ』
図星だった。蒼真はにやりとして返す。
『うるさいわ。お前こそ寝ろ』
ナイフを革のケースに収め、弓を壁に立てかける。ノートを閉じる。
最後に、祖父にメッセージを送った。
『明日の試合、頑張るよ』
返事はすぐに来た。
『そうか』
三文字。いつも通りだ。
今夜の『そうか』は、いつもより重かった。何も言わず弓を引き続けてきた祖父の背中まで、一緒に届いた気がした。
「……ありがとう、爺ちゃん」
声に出して言ってみた。画面には三文字しか映っていないけれど。
◇
布団に入っても、身体が火照っていてなかなか寝付けなかった。
目を閉じると、暗闇の中に演武場の風景が浮かぶ。入学式の日に見た、スタジアム型の巨大な施設。観客席。芝のフィールド。
そこに須藤が立っている。
あいつは強い。
それは確信に近かった。Sクラスに選ばれるだけの実力。両親が有名探索者というサラブレッドの血。そして《看破》という、射手にとっては最悪に近い相性のスキル。
でも、俺にも五枚のカードがある。
弓。ナイフ。煙幕。曲弦射。そして――《小転移》。
手にしたカードで戦う。それは中学二年の冬、弓術適性だと知ったあの日に決めたことだ。
蒼真は布団の中で右手を握った。弦を引くときの形。三千本。いや、もっと多い。祖父の弓道場で放った矢の数が、全部この手に宿っている。
――明日。
ぎゅっと握って、ゆっくり開いた。
「勝つ」
口の中で転がした言葉は、消灯後もしばらく天井に貼りついて消えなかった。




