↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蒼弓の軌跡 ~探索者学院唯一の弓術士は静かに頂を狙う~  作者: 七夜灯
第三章 イレギュラー編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
78/135

第78話 もう一度

 挟撃を凌いだ地点から三十メートルほど進み、第5班は第3層の安全地帯に辿り着いた。

 通路の行き止まり近くに、岩壁が凹んで小さな洞のようになっている場所がある。紅葉の索敵で半径四十メートル以内に魔物の気配がないことを確認してから、六人はそこに腰を下ろした。

 真帆が悠斗の左腕を再度確認した。


「腫れは悪化してません。むしろ戦闘中に動いたわりに、ひどくなっていません」

「ほっとするわ」


 悠斗が肩で息を吐いた。左腕を膝の上に置き、右手で包帯の上を軽く撫でる。


「痛みは?」

「鎮痛剤が効いてきた。じんじんはまだあるけど、さっきより全然マシ」

「よかった」


 真帆がほっと肩を下ろした。

 里奈は少し離れたところで、杖を両手で抱えながら地面を見ていた。紅葉がすっと里奈の横に座り、背中を軽く叩く。


「里奈、お疲れ」

「……」

「すごかったよ、さっき。私、斥候の情報しか出せないけど、里奈が《氷床(フロストバインド)》を出した瞬間、班の空気が変わったのが分かった」


 里奈は首を小さく横に振った。


「私ができたのは、班長のおかげで……」

「班長は、自分では引けなかったって言ってる」


 紅葉が静かに言った。


「でも、班長が飛んでくれたから、里奈が出せたのも本当。それなら、どっちも本当だよ」

「……はい」


 里奈の「はい」は細かったが、今日一番の芯があった。


   ◇


 蒼真は岩壁の凹みの奥に背中を預け、息を整えていた。

 メンテナンスノートを開き、書くべきことを書こうとした。だがペンはなかなか進まなかった。


『第3層、挟撃戦闘。前方三体、後方三体、全排除』

『小転移、二度目の投入。転移成功、しかし射撃不可(躊躇)』

『里奈、《氷床(フロストバインド)》を新規習得・発動。班の救援に直結』


 そこまで書いて、ペンを止める。

 さらに一行だけ付け加えた。


『道具を持っていても、心が伴わなければ使えない』


 蒼真はその一行をしばらく見つめた。

 里奈のおかげで生き延びた。

 そして里奈のおかげで、自分の限界をひとつ言語化できた。

 ノートを閉じた。


   ◇


 蒼真は立ち上がり、五人の方へ向き直った。


「――みんな、ちょっといいか」


 五人が同時に蒼真を見る。

 蒼真は一度深く息を吸い、吐いた。それからまっすぐ班員の前に立つ。


「さっきの挟撃戦闘、俺の失敗だった」


 五人の目が蒼真に集中する。


「《小転移》で後方に飛んだのはいい。そこは判断できた。でも飛んだ後、俺は敵に矢を引けなかった。一拍止まった。里奈の《氷床(フロストバインド)》がなかったら、俺は敵の一体に襲われてた」

「……」

「原因は、前の戦闘の判断ミスを引きずったことだ。悠斗を怪我させた後で、同じ判断の形に入るのが怖くなった。『また、俺のせいで誰かが』って思った瞬間、指が動かなくなった」


 蒼真は五人の顔を順に見た。

 悠斗。航。紅葉。里奈。真帆。

 誰も蒼真を否定しない。ただ蒼真の言葉を聞いている。


「――だから、もう一度頼む」


 蒼真は頭を下げた。深く、はっきりと。


「また班長として判断する。そのとき、指示通りに動いてくれ。俺、今度は焦らない」


 岩壁の凹みの中に、短い沈黙が落ちた。


   ◇


 最初に口を開いたのは悠斗だった。


「蒼真、顔上げろ」

「……」

「お前のミスだ。それは間違いない」


 悠斗は蒼真の肩を右手で軽く叩いた。


「でも、次があるだろ」

「……悠斗」

「俺の左腕のせいで、俺たちが全滅するなんてありえねえ。次うまくやれば、俺の怪我はただの経験談で終わる。駄目なら俺も浮かばれねえ」


 悠斗の声には痛みを堪えている感触が残っていた。それでも、声の底にある明るさは変わっていない。

 蒼真は顔を上げた。


「……悠斗、ありがとう」

「礼はいい。あとさ、蒼真」

「ん?」

「今度、地上戻ったら、から揚げで返せ」

「え?」

「俺が庇った分の借り。鷹丸のから揚げ定食、一回分、奢り」

「……」

「え、お前、安い……」


 紅葉が横からツッコんだ。


「から揚げ一回分で、命救った借りをチャラにすんの?」

「チャラになんかしてねえよ。俺、ただ、から揚げ食いたいだけ」


 悠斗が真面目な顔で言った。


「蒼真の奢りで食う鷹丸のから揚げ、絶対うめえから」


 蒼真は思わず吹き出した。

 笑った。今日初めて、ちゃんと笑えた。頬の筋肉が自然に動いた。


「……分かった、悠斗。から揚げ、奢る」

「よっしゃ」


 悠斗が右手で拳を握った。


   ◇


 航が静かに口を開いた。


「蒼真」

「ん?」

「俺、入学してからお前と何度も戦場に出たが、お前が焦るのを見たのは今日が初めてだ」

「……航」

「初めて焦ったんだ。次は焦らないだろ」


 航の言葉は短かったが重かった。

 お前は初めて焦った。それは、これまでの蒼真が焦らなかったことの記録でもある。航は蒼真の一年分の戦いを見ていた。その上で、今日が初めてだったと言っている。


「……ありがとう、航」

「礼はいい。事実だ」


 航はそれだけ言い、剣の柄を軽く撫でた。


   ◇


 紅葉が、蒼真の弓を指で軽く撫でた。


「班長」

「うん」

「その弓、まだ引けるよ」

「……」

「班長、私、班長の矢、好きだよ。蒼い軌跡って綺麗だし」


 紅葉がにっと笑った。

 蒼真はその笑顔を見て、呼吸がひとつ整った。


「……紅葉」

「好きな矢、今日もう一本見たい」

「ああ」


 蒼真は頷いた。

 紅葉の言葉は励ましというより、期待だった。蒼真の矢への、純粋な期待。


   ◇


 真帆が杖を両手で抱えながら、静かに言った。


「神代さん」

「ん?」

「怪我人が一人出ても、みんなで帰ります」

「……真帆」

「それが私の役目です。白魔法使いとして、誰かが怪我しても治します。地上に戻れば全員を完治させます。だから神代さんは、判断に集中してください」


 真帆の声は柔らかく、でもはっきりしていた。


「神代さんが自分を責めても、悠斗さんの怪我は治ります。私が治すから。自分を責める時間があったら、次の判断に使ってください」


 蒼真は真帆の目を見た。

 真帆の目には、穏やかさと医療職としての覚悟が混ざっていた。


「……真帆、ありがとう」

「いえ」


 真帆が少し恥ずかしそうに微笑んだ。


   ◇


 そして里奈。

 里奈は杖を両手で握ったまま、蒼真の目をしっかりと見た。


「班長」


 里奈の声は細い。でも芯がある。

 春、第2層で逃げ出した里奈。あの震える声とは、完全に別の声。


「私、五月の探索実習で、逃げました」

「……」

「あのとき、班長たちが助けに来てくれました」


 里奈はぐっと言葉を探すように止まった。それから、まっすぐに続ける。


「今日、私、逃げませんでした。班長を、助けられました」


 蒼真は里奈の声を、深いところで聞いていた。


「……だから、」


 里奈は一度息を吸った。


「次は、逃げない、班長は。私が、一緒に戦うから」


   ◇


 里奈の言葉の順番は、やや逆だった。

 次は逃げない、班長は。班長は、が文末。

 だが、里奈が言いたかったことは、はっきり伝わった。

 次は班長も逃げないで。私が一緒に戦うから。

 蒼真の目頭が熱くなった。

 春、第2層で泣きじゃくっていた里奈。あの里奈が今、班長の自分に「一緒に戦うから」と言っている。

 仲間の力で撃つ。

 頭で理解していた命題が、今、腹の底に落ちた。

 仲間は、蒼真を助ける道具ではない。

 仲間は蒼真と一緒に戦う、同じ班の人間だ。

 蒼真が挫折したとき、仲間が蒼真を引き上げる。

 それが、六人の班ということ。


「……里奈」


 蒼真の声が掠れた。


「ありがとう。俺、逃げない」

「はい」


 里奈の「はい」は短かった。

 でもその「はい」の中には、一年春からの半年以上の時間と、今日の覚醒の瞬間が全部詰まっていた。


   ◇


 腰の通信機が鳴った。


『第5班、神代。状況は』


 後藤の声だった。


「はい、第5班、神代です」


 蒼真は通信機に声を入れた。


「第3層の安全地帯で小休止中です。全員、軽症。挟撃戦闘後の戦線を維持しています。班員との確認、終わりました」


 一拍、沈黙。

 蒼真には、通信機の向こうの後藤が何を考えているか分からなかった。


『神代』

「はい」

『焦るな。だが、止まるな』


 その一言が、通信機越しにもう一度届いた。

 今日、二度目。

 広間での小休止のとき、後藤は蒼真に同じ一言を返した。

 今も同じ一言。

 だが、今度は重みが違っていた。

 一度目は、蒼真が判断ミスの後で進むと決めたときの励まし。

 二度目は、蒼真が引けず里奈に救われた後で、再び立ち直ろうとしている今の励まし。

 同じ言葉が、違う意味で届いた。


「はい」


 蒼真は通信機に向かってはっきりと返事をした。


『進め』


 後藤の一言。

 通信が切れた。

 蒼真は通信機を腰に戻した。

 進め。

 後藤の一言が、重く響いた。

 撤退しろ、ではない。

 進め、だった。

 後藤は蒼真の「進みます」を信頼している。

 応えなければいけない。


   ◇


 蒼真は弓をもう一度握り直した。

 震えは引いていた。

 完全ではない。まだ奥の方に微かな揺れが残っている。でも、弓を構える動作はもうできる。

 次の一矢を引く覚悟は、今、腹の底で固まりつつあった。

 蒼真は立ち上がった。

「よし、進む」


 五人も順に立ち上がる。


 悠斗が右手で槍を持ち直す。

「やる。俺、まだ動けるから」


 航が長剣の鞘を軽く叩く。

「やろう」


 紅葉がショートソードを腰に戻す。

「やるよ」


 真帆が杖を握り直す。

「私も、治療魔法の魔力、まだ余裕あります」


 里奈が杖をまっすぐ立てる。

「……班長と、一緒に」


 里奈の声は細かったが、はっきりしていた。

 蒼真は六人の顔を見渡し、静かに頷いた。


「――もう一度、頼む」


 六人分の頷きが、少しだけタイミングをずらして返ってきた。

 里奈の頷きだけは、他の誰より遅く深かった。


   ◇


 蒼真は通信機のチャンネルを通常に戻し、班員に向き直った。


「紅葉、前方索敵、頼む」

「了解。通路の先、八十メートルで分岐。分岐の先の片方に、広間の気配あり。魔物反応は……あ」


 紅葉の声が一拍止まった。


「どうした」

「広間の反応、重い」


 紅葉の眉間に皺が寄った。


「強い反応は一体だけ。でも、周囲の細かい反応はまだ拾い切れない。それに、気配の圧が、これまでの変異個体の倍、いや、三倍くらいある」


 蒼真の背筋に冷たい感触が走った。

 主反応が一体。しかも、これまでの変異個体とは桁が違う。

 第3層の、核となる個体か。


「……来たな」


 蒼真は呟いた。

 先程の広間の大型変異個体は、単体出現で変異個体の倍の気配だった。

 今度はそれのさらに上。

 紅葉の索敵が間違っていなければ、これは第3層の最奥に存在する何かだ。第3層全体の異常を統べる、核のような存在。

 蒼真は深く息を吸った。

 震えはまだある。

 でも、今度は引ける。

 里奈が、一緒に戦うからと言ってくれた。

 悠斗が、次があるだろと流してくれた。

 航が、次は焦らないだろと見てくれた。

 紅葉が、好きな矢を今日もう一本見たいと期待してくれた。

 真帆が、判断に集中してくださいと役割を明示してくれた。

 そして後藤が、通信機越しに進めと言ってくれた。

 六人と、通信の向こうの一人。

 全員の声が、蒼真の中で支えになっていた。


「六人で、行く」


 蒼真は五人に告げた。


「――第3層の、核だ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。