第70話 全層動員
後藤のホームルームで「探索中止」が告げられてから二日が経った。
十月の第三週、水曜日の朝。
一年生から三年生までの全員が講堂に集められていた。
Sクラスと一〜五組。計六クラスが三学年。約五百四十名の学院生が椅子に腰かけている。ステージの上には学院長、各学年のクラス担任に学年主任、そしてスーツを着た男が立っていた。後藤はその少し後ろで、バインダーを片手に前を見据えている。
蒼真は後列に近い席で、悠斗と航の間に座っていた。紅葉は同じ列の左端。里奈と真帆は前の列だ。
スピーカーから学院長の短い前置きが流れた。それが終わると、マイクがスーツの男に渡る。
「探索省より、通達いたします」
男の声は平板だったが、芯があった。講堂のざわめきが消える。
「立川ダンジョンにおいて、全層的に異常個体の発生が確認されました。これを受け、探索省および探索者協会は、ダンジョン全層における異常個体の制圧・排除を目的とした大規模討伐作戦を発令いたします」
蒼真の背筋が伸びた。
大規模討伐。
二日前のホームルームで後藤が「覚悟しておけ」と匂わせた言葉。その具体的な中身が、今、公式に提示されている。
「動員体制は、以下の通りです」
スクリーンに階層分担の図が映し出された。
プロ探索者、第11層以降。
学院、第1層から第10層まで。
一年生、第1層から第3層。Sクラスと一〜五組、計六クラス。各クラス5班ずつで合計約三十班。
二年生、第4層から第6層。
三年生、第7層から第10層。
「一年生は、第1層から第3層の掃討を担当。全三十班が一斉投入されます。物量で第1〜3層の異常個体を制圧し、上年度生への露払いを務めていただきます」
一斉投入、の言葉に講堂がざわついた。
一年生約三十班が、第1〜3層に同時に降りる。
これまでの実習では、一つの班が一つの階層を歩く形だった。同じ階層に他の班がいたとしても、ルートを調整して鉢合わせないようにしていた。試験ですら教員側がルート被りを避けていた。
今回は違う。三十班が同じ階層区域に、同時に散らばる。
「二年生は第4層から第6層。三年生は第7層から第10層の異常個体排除確認が責務となります。一年生の掃討完了を待って、順次、二年生・三年生が突入いたします」
派遣官は一拍置いて続けた。
「プロ探索者は、第11層及び第21層行きのゲートを使用し、地上から直接、中層・下層に投入されます。中層・下層の制圧はプロ側の担当です。探索後は同じく第11層以降のゲートから、地上へ転移帰還いたします」
蒼真は頭の中で、ダンジョンの構造を思い浮かべた。
十層ごとに区切られたゲート。プロ探索者は第11層及び第21層のゲートから、中層や下層に直接入る。学生が第1〜10層を歩いて掃討する間、プロは中層と下層を制圧する。探索終了後はゲートで地上に戻り、学生が戻るより早く状況共有を始められる。
効率的な役割分担だ。
蒼真はそう分析しながら、自分の手が膝の上で固くなっていることにも気づいていた。
「なお、今回の動員における重要事項を、一点、付け加えます」
派遣官が声のトーンを一段変えた。講堂の空気が引き締まる。
「教員は、各班に随行いたしません」
ざわめきが講堂全体に広がった。
――随行、しない。
試験では、一年生の各班には必ず随行教官がついていた。前期実力考査で第5班についたのは橋本教官。秋の実習では後藤自身が第5班に随行した。そのルールが、今回はない。
「教員は、全員、地上の管理棟に待機します。魔導通信機を通じて各班の状況を常時把握し、必要に応じて指揮・指示を出します。緊急時には最速ルートで救援班を派遣する体制を取ります」
派遣官が、もう一度続けた。
「各班は、班員六名と班長一名。すなわち、六人でダンジョンに入ります。各班長の判断の下、与えられた担当区域を掃討してください」
講堂のざわめきは、なかなか収まらなかった。
訓練は兎も角、試験で「随行教官がいる」前提で動いてきた一年生たちにとって、「教員なし」は明確な変更だった。危険の質が一段上がる。危機的状況で助けてくれる大人が、視界の中にいない。
だが蒼真は、派遣官の説明を別の形でも受け取っていた。
――俺たちは、六人で、立つんだ。
教官は管理棟で通信機越しに指揮を出す。ダンジョンの中で戦う責任と判断は班長にある。班員の安全を守るのも、救援の判断を下すのも班長の仕事。
それは一年生にとって重い。だが蒼真には、その重さがただの恐怖ではなく、自分たちが任される側に立った証のようにも思えた。
「想定日程は、この通達から二日後。つまり、明後日の朝を出撃予定とします。具体的な時刻・編成は、各担任教員より別途通知されます」
講堂の空気がさらに締まった。
明後日、金曜日の朝。
準備の時間は二日しかない。
「これは、訓練ではありません」
派遣官が最後に告げた。声のトーンが、ここだけ一段低かった。
「実戦です」
その一言が講堂に重く響いた。
「以上、探索省からの通達です」
◇
講堂からの退出後、一年生たちは各クラスの教室へと戻った。
一年一組の教室に後藤が入ってきたとき、三十人の生徒は既に席についていた。後藤は教卓に立ち、ゆっくりと黒板に向き直る。
「聞いたな」
三十人が無言で頷いた。
「金曜日、朝八時、立川ダンジョン入口に集合。編成は通常の班編成と同じだ」
後藤はチョークを置いた。
「各班は、第1層から第3層までを担当区域として歩く。異常個体を見つけたら排除する。通常個体でも、見つけたら排除する。つまり、第1〜3層の生き物は全部、今回の討伐対象だ」
悠斗が手を挙げた。
「先生、本当に一人も教官は入らないんですか?」
「そうだ」
後藤が率直に頷いた。
「これまでの試験では、教員が随行してきた。今回は違う」
「なんでっすか」
「二つ理由がある」
後藤がバインダーを開いた。
「一つ。一年生だけで三十班を動かす。各班に教員をつけたら、それだけで三十人の教員が必要になる。二年生・三年生の動員も同時進行で、教員は全学年の指揮に関わらなきゃならん。緊急時対応の待機人員も別に揃える必要がある。単純に、人員が回らない」
「もう一つは」
「班長を、班長として扱うためだ」
後藤の声色が変わった。
「随行教官がついている間は、どれだけ班長が判断しても最後には教員が背負う。『大人が見てる』前提がある。今回はない。お前たち班長は、六人の命を自分の判断で預かる。それが実戦だ」
教室が静まり返った。
蒼真は、自分の席で両手を膝の上で握っていた。
班長の仕事が、一段重くなる。
だが蒼真には、不思議と恐怖は少なかった。むしろ、そういう扱いを受ける段階に自分たちが来たのだという実感があった。
「先生たちは、どうするんすか? 完全に離れるんですか?」
悠斗がもう一度手を挙げた。
「離れない」
後藤が即答した。
「俺たち教員は、管理棟に待機する。一年生担任六人全員、それに担当教官数名。各班の魔導通信機から入る報告を常時モニターする。重要な判断の相談があれば、通信で応じる。緊急事態が発生すれば救援班を派遣する」
「救援班?」
「教員の中で戦闘経験豊富な数名で編成した緊急対応部隊だ。各層に即応配置。通信で呼べば、最速ルートで駆けつける」
悠斗が少しだけ息を吐いた。
「じゃあ、完全に放置されるわけじゃない」
「そりゃそうだ。お前たちを死なせに行かせるわけじゃない」
後藤が珍しく、はっきりと言い切った。
「だが、救援班が届くまでには時間がかかる。第3層なら、呼んでから到着まで最速でも十分は掛かるだろう。その十分を、班長の判断で生き延びてくれ」
「十分……」
悠斗の声が沈んだ。
「だから班長の判断が全てだ。撤退するか。戦うか。救援を呼ぶか。仲間を守るか。全部、班長が決める」
後藤の目が、教卓から三十人の生徒を順に撫でた。
蒼真の席でも視線が止まった。一瞬、それだけ。だが蒼真には、後藤の目が「お前ならできる」と言っているように感じられた。
そう見えた。
根拠はなくてもいい。蒼真はその視線を受け止めた。
◇
「もう一点」
後藤がバインダーを次のページに捲った。
「他班との連携の話をする」
教室の生徒がペンを握った。
「事前の班間連携は、ない。戦場で他班と出会ったら、その場で班番号を名乗り合って情報交換する。それ以上の事前連携はなし」
「プロっぽいっすね」
悠斗が苦笑した。
「プロじゃない。だが、実戦の動き方はプロと同じだ」
後藤が一拍置いて続けた。
「もう一つ。同じ階層に三十班が散らばる。つまり、他班の戦闘音が、お前たちの耳に届く。助けを求める声が通路の先から聞こえてくる可能性もある」
「その時は、どうするんすか」
悠斗が重ねて訊いた。
「判断しろ」
後藤の答えは短かった。
「自分たちの担当区域を優先するか、他班の救援に入るか。現場の班長の判断だ。正解はない」
教室に重い沈黙が下りた。
自分たちの担当区域を優先するのが「間違い」ではない。だが救援に入れるなら入ってやりたい。それが人情だ。実戦では、その判断そのものが「班長の仕事」として降ってくる。
「通信機で管理棟に相談するのは、もちろんありだ」
後藤が付け加えた。
「ただし、通信機での相談はリアルタイムじゃない場合もある。管理棟は三十班分のモニターを同時進行するから、即応できないこともある。その場合も、最後は班長の判断だ」
「……」
蒼真は、その一言を反芻した。
通信機は、あくまで情報伝達のツール。判断を代行してくれるわけじゃない。地上の管理棟で複数の班の状況を同時に見ている教員が、全ての班の全ての判断を即時に出すのは物理的に不可能だ。
班長は、班長だ。
◇
「動員体制の全体像を、もう一度整理しておく」
後藤は黒板に階層ごとの担当を書いていった。
第1〜3層、一年生・三十班・一斉投入。
第4〜6層、二年生。
第7〜10層、三年生。
第11層以降、プロ探索者。ゲート直接投入、ゲート帰還。
別枠、救援班。教官による即応配置。
「見ての通り、一年生が先陣を切る。お前たちの役目は『第1〜3層を綺麗にすること』だ」
「プロ探索者は11層ゲートから直接中層に入る。学院の担当範囲に、プロ探索者は原則として入ってこない。つまり、お前たちが踏ん張らないと、二年生・三年生が消耗して先に進めないわけだ」
「……責任重大ってやつか」
悠斗がぽつりと呟いた。
「そうだ。だが重要なのは、これだけの動員体制だからこそ『速く対応できる』ということだ。プロ探索者がわざわざ上層に降りてくる必要がない。学生は学生の担当範囲で役目を果たす。イレギュラーが確認された以上、この分業体制で一日で一気に制圧するのが探索省の想定だ」
「一日で」
蒼真は反芻した。
「そのつもりで動く。もちろん想定より時間がかかる可能性もあるが、長引けば長引くほど変異個体の増殖リスクが増す。一日で片付けるのが最善のシナリオだ」
蒼真はメンテナンスノートを開き、後藤の説明を短く記録した。
一年生三十班・一斉投入・第1〜3層。
教員は管理棟待機・通信機で指揮・緊急時は救援班を派遣。
他班との合流・交錯前提。
救援判断は現場の班長。
一日で制圧のスケジュール。
◇
後藤が教卓から教室全体を見渡した。
「最後に、これだけ言っておく」
後藤の声色がわずかに変わった。
「試験じゃない。実戦だ」
教室の空気が張り詰めた。
「試験は、失敗しても次がある。減点されて、順位が下がるだけだ。実戦は、違う」
後藤の目が三十人を順に撫でた。
「やるべきことを、やれ。できないことを、無理するな。『六人で帰ってくる』。これが最優先だ。魔物の数を稼ぐことじゃない、格好いいところを見せることじゃない。六人で帰ってくることだ」
一拍、静寂。
「そして班長。お前たち六組それぞれの班長、Sクラス含めて三十人の班長。お前たちは六人分の命を背負う。通信機の向こうには俺たちがいる。だが、ダンジョンの中で最初に判断するのはお前たちだ」
後藤の視線が、教室後列の蒼真にまた一瞬止まった。
「以上だ。一限、始めろ」
後藤が教卓から降り、教室を出ていった。
蒼真は窓際の自分の席で、ノートにもう一行を書き足した。
『六人で、帰ってくる。これが最優先』
書いた後、蒼真はペンを止めた。
秋の実習前日のノートを思い出した。あのとき蒼真は「五、全員で無事に帰る」に太い下線を引いた。
今回も同じだ。違うのは、状況の重みだけ。
そして今回は、隣に後藤がいない。
◇
一限目の授業が始まっても、教室全体の集中力は低かった。数学の教員が黒板に問題を書いても、生徒たちの視線はどこか上の空だった。
蒼真は悠斗と航に目配せして、休み時間になった瞬間、三人で廊下に出た。
「……マジで、やるんだな」
悠斗がぽつりと言った。
珍しく声に力がなかった。普段ならこういう場面でも「やっちまおうぜ!」と拳を突き上げる悠斗が、今は壁に背を預けて静かに天井を見ている。
「やるしかねえよな」
蒼真が答えた。
「ああ」
「悠斗」
「うん」
「鷹丸で言ったろ。六人で、やる」
「ああ」
悠斗が蒼真を見た。目にいつもの光が戻っていた。
「……やる。うん、やるに決まってる。俺、ちょっと緊張しちゃって、さっき変な感じだった」
「緊張するのは、普通だ」
航が冷静に言った。
「緊張しない奴の方が、危ない」
「航、お前、緊張してねえの?」
「してる。腹のあたりが落ち着かない」
航の正直な返事に、悠斗が笑った。蒼真もつられて笑った。
「蒼真、お前は?」
悠斗が訊いてきた。
「俺も、してる」
蒼真は正直に答えた。
「でも、教官が一緒に入らないって聞いて、なんていうか、納得した」
「納得?」
「俺たちが自分で判断して、自分で戦う。それが今日、始まるってことだ。緊張はするけど、腹は決まった」
「蒼真らしいな、それ」
悠斗がほっと息を吐いて、笑った。
「蒼真が腹決まってるなら、俺も決まったことにする」
「お前それ、蒼真頼みじゃねえか」
航が呆れる。
「班長頼みでいいんだよ班員は」
「論点ずらすな」
三人が笑った。廊下の冷たい空気の中で、笑い声が束の間、緊張をほどいた。
◇
「じゃ、今日の放課後、作戦会議だ」
蒼真が三人の予定を決めた。
「全員、訓練場に集合。動員の詳細をもう一度整理して、フォーメーションの再確認。もう一つ、俺から、話すべきことがある」
「話すべきこと?」
悠斗が首を傾げた。
蒼真は一瞬、答えを迷った。だが結局、頷くだけに留めた。
「放課後に、まとめて話す」
悠斗が「了解」と短く返した。航も頷いた。
蒼真は胸のポケットに手を当てた。そこにはメンテナンスノートが入っている。ノートにはフォーメーションBの配置図が描かれている。そして。
配置図に、まだ描き込んでいない一つのピースがずっと残っている。
教官が随行しない今回、班長として背負う判断の重みが一段深くなる。その重さを六人で分け合うためには、全員が持てる全ての手札を共有しておく必要がある。
放課後、そのピースを六人の前で置く。
――もう、「話すべき時は、まだ来ていない」とは言えなくなった。
話すべき時は、今日だ。




