第68話 帰還と報告
地上に戻った第5班は、管理棟前の広場で装備を下ろした。
秋の午後三時過ぎ。空は高く澄んでいて、ダンジョンの中にいた六時間が嘘のように太陽の光が眩しかった。
「矢の残りは」
蒼真は矢筒を開けて本数を数えた。十九本。今日使った五本は、どれも魔物の粒子化に巻き込まれて消えていた。それでも前期の試験に比べれば消耗は少ない。魔力残量はまだ『弐』を撃てる余裕がある。
ナイフ六本、消費ゼロ。煙幕粉末、未使用。
「燃費がいいな、今日は」
「フォーメーションBが効いてる。前期の試験だと、矢を十本以上使ってたからな」
「前衛の俺たちの消耗も少ない」
悠斗が槍の穂先を布で拭き、航が続けた。
「二体戦で一分十秒なら、前衛が全力を出し切らずに済む。三戦やっても体力に余裕がある」
「真帆の《小回復》の出番がなかったのもでかいな」
蒼真が真帆を見た。
「はい、今日は戦闘中の回復は一度も使いませんでした。念のため全員に軽くかけておきますね」
真帆が杖を構え、六人に順に白い光をかけていった。蒼真の右手の指に残っていた『弐』の消耗感が引いていく。ダンジョン探索終了後、残り魔力で全員のケアをする。真帆の定型運用が今日も機能していた。
◇
後藤は管理棟の中に入り、報告書の提出に向かっていた。
二十分ほどして、管理棟の裏口から後藤が出てきた。バインダーは閉じられていたが、珍しく何か言いたげな顔をしている。
「神代」
「はい」
「飯、行くか。鷹丸でいいか」
後藤が定食屋の名前を口にした。実習帰りに鷹丸へ寄るのは第5班の恒例だが、後藤が同席を求めてくるのは珍しい。
「俺たちは全然構いません。みんな、鷹丸行くよな?」
「行く行く!」
悠斗が即答した。紅葉も航も里奈も真帆も頷いた。
◇
めしや鷹丸。
サンサンロード沿いの定食屋は、夕方の時間帯で席が半分ほど埋まっていた。他の学院生らしい顔ぶれが数組。カウンターでは顔馴染みの探索者が瓶ビールを傾けている。
暖簾をくぐると、店主がいつも通りの無愛想な顔で「おう」と一声かけた。蒼真が「こんばんは」と返す。店主は人数を数えて「七人か。奥、空いてる」と顎で座敷を示した。
奥の座敷に七人で座る。注文はいつもの定番だった。悠斗はから揚げ定食大盛り。航は焼き魚定食。蒼真は生姜焼き定食ご飯大盛り。紅葉と里奈は日替わり、真帆はカツ定食。
後藤はアジフライ定食と瓶ビール。
ビールが運ばれてくると、後藤はグラスに注いで半分を一気に飲んだ。喉が鳴る音が座敷に響く。
「……うまい」
後藤がぽつりと呟いた。それだけで、六人はなんとなくほっとした。酒を飲む後藤には昼行灯のゆるさが戻っていて、ダンジョン内で見せた鋭さとは別人のようだった。
「で」
後藤はグラスを置いた。
「お前たちに、共有しておきたい話がある」
六人の箸が止まった。
「探索者協会に報告を入れてきた。今日の実習内容だ。第2層での戦闘評価、第3層偵察の結果、それと変異個体の件。全部まとめて提出した」
「変異個体の報告、今度は受け取ってもらえるんですか」
蒼真が訊いた。七月の前期実力考査のあと、後藤が探索者協会経由で探索省に上げた報告は「個体差の範囲」で棚上げされた。今回も同じ扱いにされる可能性はある。
「報告自体は受理された。優先対応扱いで受け付けた、と協会の担当者は言ってた」
「優先対応」
「ああ。前回と扱いが違う。理由がある」
後藤はビールをもう一口飲んでから続けた。
「ちょうど今日、管理棟に入ったとき、協会の担当者から別の情報が入った」
六人の目が後藤に集中した。
「プロ探索者のパーティから、ここ一、二週間で報告が上がっている。中層、第11層から第20層で、通常より動きが違う魔物が出ているらしい」
「中層……」
蒼真が反芻した。中層。プロ探索者のメイン活動階層。学院の一年生が潜る第1層から第3層とは深さが全然違う。
「報告の数はまだ多くない。だが複数のパーティから独立に上がっている。互いに連絡を取り合ったわけでもないのに、同じ時期に似た内容の報告が出ている。これは偶然じゃない」
「つまり、上層だけじゃなく、中層でも何か起きてる……ってことですね」
航の声が静かだった。
「そういうことだ」
後藤は箸を置いた。
「今まで俺が報告してきた変異個体は、学院生が見た上層の話だけだった。五月の角一本。七月の暗色個体。今日の統率型。全部、第2層だ。プロの側からすれば浅い階層の個体差なんぞ、いちいち気にしてられない」
「でも、プロの側からも同じ話が出始めた」
「そうだ。学院からの報告とプロからの報告が、今は別々に積み上がっている。これを並べれば、『個体差の範囲』では済まなくなる」
後藤の声に力が乗った。
「今度は――もみ消されない」
その一言が、座敷の空気を引き締めた。
◇
しばらく、六人は黙って食事を続けた。
悠斗がから揚げを口に放り込み、咀嚼しながら言った。
「……つまり、この先、俺たちはどうなるんすか」
率直な質問。蒼真も同じことを考えていた。
「分からない」
後藤が正直に答えた。
「探索省がどう動くかは、上の判断だ。ただ、一時的な探索中止が出る可能性はある。場合によっては調査のための大規模な動員がかかるかもしれない」
「動員って、学院の生徒も?」
「可能性の話だ。決まったわけじゃない。だが、俺がお前たちにこの話を今してるのは、もしそうなったときに寝耳に水にしたくないからだ」
後藤はビールの残りをゆっくり飲んだ。
「お前たちは、一年生にしては仕上がっている。フォーメーションBとやらも、今日見た限り機能していた。第3層の偵察もこなした。だから、覚悟しておけ。何が来ても対応できるように」
「先生」
蒼真が口を開いた。
「ダンジョンの変異が、上層から中層まで広がっている。先生は、それを五月から追いかけてきた。忘れないために付箋を貼って、バインダーに記録して。今日、三件目の報告を出した」
「ああ」
「先生が動いてくれているなら、俺たちは自分たちにできることをやる。そう思ってます」
後藤がグラスを置いて、蒼真を見た。普段の眠そうな目が、この瞬間だけ鋭くなる。
「……まあ、そういうことだ」
後藤はぼそっと言って、アジフライに箸を伸ばした。
◇
食事が終わりかけた頃、蒼真は座敷の六人を見渡した。
「里奈」
「はい」
「大丈夫か」
蒼真の問いかけは短かった。だが里奈にはその意味が伝わったようだった。一年の春、第2層で変異個体に遭遇した恐怖。あのときの里奈は逃げ出した。今の里奈は。
「……大丈夫、です」
里奈の声は細いが、震えていなかった。
「夏休み、訓練しました。《氷壁》も覚えました。何が起きても、私は、今度は、逃げません」
蒼真はその言葉を正面から受け止めた。
「真帆は」
「大丈夫です。回復の魔力は温存してあります。いつでも対応できます」
「紅葉」
「任せて。索敵なら、誰にも負けない」
「航」
「連携を維持する」
「悠斗」
「やるしかねえよな」
悠斗がから揚げの最後の一個を口に放り込んで、右手を突き上げた。
「六人で、やる。それだけだ」
蒼真は頷いた。
――六人で、やる。
何が起きるか、まだ分からない。探索省がどう動くか。動員がかかるのか、それとも調査で済むのか。
分からないことだらけだ。
だが、六人でやる。その一点だけは、蒼真の中で揺れなかった。
◇
後藤が先に帰っていった。瓶ビールの空き瓶を店主に返し、「ごちそうさん」と一言だけ残して暖簾をくぐった。
六人は残って、追加の味噌汁を啜った。
店主が「おかわり」と無愛想に六杯分を持ってきてくれたので、全員で「ありがとうございます」と頭を下げた。煮干しと昆布のだしが、ダンジョン探索の後の身体に染み渡った。
「蒼真」
悠斗が味噌汁を啜りながら言った。
「お前さ、先生に『先生が動いてくれているなら、俺たちは自分たちにできることをやる』って言っただろ」
「ああ」
「あれ、かっけえこと言うなって思ったけど」
「……そうか?」
「うん。俺にはあんなの思いつかねえ」
「悠斗、お前は思いつく前に動くタイプだからな」
航が冷静に返した。
「褒めてんのかけなしてんのか分かんねえんだよなお前は」
「褒めてる」
「……マジで?」
「マジだ。考える前に動ける人間は、それはそれで強い」
悠斗が照れたように鼻の下をこすった。蒼真はその横顔を見て、口元を緩めた。
こういう他愛もないやりとりが、ダンジョンの後には一番心地よかった。
店を出て、駅の方へ歩き出す。秋の夕方は短くて、空はすでにオレンジから紫に変わり始めていた。
「明日、普通に授業かな」
「たぶん。実習の翌日だから、午後は自主訓練の時間があるはず」
「じゃ、訓練場で待ち合わせな」
「了解」
寮組と錦町の蒼真で別れる。蒼真は一人、駅からの帰路を歩いた。
夕暮れの住宅街を歩きながら、蒼真はメンテナンスノートの今日の最後のページを頭の中で反芻した。
秋の実習、完了。
『弐』の初実戦投入、成功。
フォーメーションBの実戦試行、成功。
第3層偵察、完了。
変異個体の目撃と記録、完了。
全員、無事に帰還。
――次に来るものが何であれ、今日の六人なら、やれる。
蒼真はそう思いながら、錦町の自宅マンションへと歩き続けた。




