第66話 違和感
二度の戦闘を終えた第5班は、第2層の奥をさらに進んでいた。
広間から続く通路の岩肌は、進むほどに色味が暗くなる。黒褐色に灰色の筋が走る壁面を、真帆の《光球》が照らしながら移動する。白い光が岩肌に反射し、周囲をぼんやりと浮かび上がらせていた。それでも通路の奥は暗く、先までは見通せない。
「紅葉、前方」
「通路がまた分岐してる。左は行き止まりっぽい。右は先に広間がある。距離、四十メートル」
蒼真は右を選んだ。第2層の探索は、広間を拠点にしながら進むのが定石だ。通路で戦うよりも広間の方が射線を確保しやすい。弓術士にとって戦場の「幅」は命に直結する。
「広間の魔物反応は」
「魔物確認。数は四体」
「四体……」
蒼真はその数を口の中で繰り返した。二戦目のハイゴブリン二体が第5班の限界に近かったわけではない。だが、四体は今日の最多数だ。
「種類は?」
「ハイゴブリンが三体、ゴブリンが一体。角は全部二本。通常種、だと思う。ただ」
紅葉の声が、そこで一拍途切れた。
蒼真は即座に足を止めた。悠斗と航も、紅葉の声色の変化を感じ取って動きを止める。
「ただ、何だ」
「一体だけ、なんか動きが違う」
紅葉は眉間にしわを寄せていた。《視力強化》の瞳の奥が淡く光り、壁越しに広間の中を「見ている」ような集中だ。
「違うって、どう違う」
「うまく言えない。ハイゴブリン三体のうち一体だけ、動きのテンポが他と違う。他の二体とゴブリンはうろうろ歩いてるのに、その一体はほとんど場所を変えてない。中央の奥に立って、ときどき短く声を出す。そうすると他の三体が動きを揃える」
蒼真の背筋に冷たいものが走った。
――統率している。
前期の実力考査で紅葉が見つけた、体色の暗いハイゴブリン。あのときも「配下への語数が多い」「全体的にまとまって行動している」という報告だった。蒼真たちは先制攻撃を考えたが、統率の違和感からやり過ごす判断を下した。
今回の個体は、動きで統率している。
外見は通常種と同じ。体色も普通の緑。角も二本。だが行動パターンだけが明確に異なる。
「先生」
蒼真は振り返った。
後藤は二歩後ろにいた。バインダーを持ったまま、視線はすでに通路の先へ向いている。蒼真の呼びかけに応じて、目だけがこちらに動いた。
「聞こえてますか?」
「聞いてる」
後藤の声は低かった。普段のだるそうなトーンではない。
「接触するか、やり過ごすか。神代、お前の判断だ」
◇
蒼真は一拍、考えた。
四体。うち一体が統率型の変異個体。戦闘に入れば、勝てるだろう。フォーメーションBが機能すれば、処理は可能だ。
だが、戦闘の目的は何だ。
今日の実習目標は、第2層での戦闘評価と第3層の偵察的到達。すでに二戦を消化し、フォーメーションBの有効性も確認した。『弐』の実戦投入も済んでいる。
変異個体と戦う理由は、戦闘データを取ること。だが変異個体のデータは、戦わなくても観察だけで取れる。前期のときもそうした。
逆に、戦うリスクは大きい。統率型の変異個体がどの程度の能力を持つか不明。四体を相手にした場合の消耗。それによって第3層偵察に影響が出る可能性。
蒼真は判断した。
「接触しない。観察だけする」
「了解した」
後藤が即答した。声に安堵はない。ただ判断を受け入れた響きだった。
「紅葉、目視できる位置まで一人で前に出られるか。壁の隙間から広間の中を見て、統率行動の詳細を取ってほしい」
「任せて」
紅葉が通路の壁沿いを、足音を殺して進んでいった。
◇
二分後、紅葉が戻ってきた。
「見えた。ハイゴブリン三体とゴブリン一体。通常種二体とゴブリンは、広間の中を巡回みたいに歩いてる。残りの一体、リーダーっぽいやつは、広間の奥に立ったまま周りを見回してる」
「見た目の違いは」
「ない。体色は普通の緑。角は二本。体格も通常種と変わらない。武装も棍棒」
「前期のときの暗色個体とは違うタイプだな」
航が呟いた。
「前期は体色が暗かった。今回は外見に差がない。動きだけが違う」
「そうだ。前期の暗色個体は『見た目で分かる』変異だった。こいつは『動きで分かる』変異だ」
蒼真は頷きながら、喉の奥が冷えるのを感じた。
――変異が、進んでいる?
一年の春に蒼真たちが遭遇した角一本の個体は、外見の異常が明確だった。角の本数という、誰が見ても分かる違い。
前期の暗色個体は、体色の違い。これも目視で判別可能。
だが今回の個体は、外見的に通常種と全く区別がつかない。行動パターンを精密に観察しなければ、「ただのハイゴブリン」として見過ごされる。
変異が、より巧妙になっている。
「先生」
蒼真が後藤に顔を向けた。
後藤はすでにバインダーを開き、紅葉の報告内容をペンで走り書きしていた。書く手に迷いはない。広間の位置。個体数。外見的特徴。「通常種と差異なし」の文字に下線。統率行動の有無。「短い唸り声で配下の動きが揃う」の一行を赤ペンで囲っていた。
「後藤先生、これは」
「五月のあれと、七月のあれと、同じ線の上にある」
後藤の声は低く、だが明確だった。
「形は違う。五月は角の数。七月は体色。今回は行動パターン。だが、どれも『通常種とは異なる個体が出現している』という事実は同じだ」
「変異のバリエーションが増えてる、ってことですか」
「そう考えるのが自然だ」
後藤はバインダーを閉じ、蒼真を見た。
「神代、お前の『接触しない』の判断は正しい。今ここで一体倒しても、変異の原因は分からん。原因はたぶん個体の側じゃなく、ダンジョンの側にある。俺たちの仕事は」
「記録を残して、上に上げること」
「そうだ」
後藤が小さく頷いた。
「お前の班は、いい判断を重ねてる。前期のときも、暗色個体に対して『やり過ごす』判断を下した。あのときの橋本教官も、お前のリーダーとしての判断を高く評価していた。今回も同じだ」
「……ありがとうございます」
「礼は要らん。事実だ」
◇
蒼真はメンテナンスノートを開き、変異個体の記録を書き加えた。
『十月一日・第2層奥、広間三。ハイゴブリン変異個体目撃。統率型』
『外見は通常種と同一。体色差なし・角二本・体格差なし。行動パターンのみ異質。中央やや奥に位置取り、短い唸り声で配下の動きを制御。配下二体+ゴブリン一体が巡回行動を取る中で、統率個体のみ移動せず』
『前期目撃の暗色個体とは別の「変異の現れ方」。外見→体色→行動パターンと、変異の検出が徐々に困難になっている傾向あり』
『接触せず。後藤先生が現場記録済み。協会への報告予定』
ペンを止めて、蒼真はノートの上で一拍考えた。
前期の暗色個体を見たときは、「なんか違うな」程度の印象だった。今回は、明確に「変異が進んでいる」という認識がある。
蒼真は、自分でも気づかないうちに、敵の“違い”を見分けていた。来る日も来る日もノートに書きつけてきた数字が、いつの間にか身体の側で働き始めている。
記録する。違いに気づく。それを次の一手に変える。弓を引くだけが、班長の仕事じゃない。蒼真は、初めてそう思えた。
◇
「気を取り直して」
蒼真はノートを閉じ、六人を見渡した。
「変異個体のことは、先生に任せる。俺たちの目標は変わってない。第3層の偵察だ。降り口を探す」
「了解」
五人が頷いた。里奈の「了解」は、以前よりも声に張りがあった。蒼真はそれを聞き逃さなかった。
後藤はバインダーをバックパックの外ポケットに挟み、最後に付け加えた。
「気をつけろ」
その一言の重みを、蒼真は正面から受け取った。
変異個体の広間を大きく迂回して、第5班は第2層の奥へと進んでいった。
紅葉が先行して通路を選び、蒼真が方向を判断し、六人と後藤が岩の通路を歩く。静けさの中に、六人分の足音だけが響いていた。
第3層への降り口は、もう近いはずだった。




