第65話 左右展開
第2層の奥へ。
一戦目の広間を後にした第5班は、北東方向の通路を三十分ほど進んでいた。紅葉の索敵が一定間隔で前方の状況を読み上げる。通路は途中で一度分岐し、蒼真は紅葉の報告をもとに右側のルートを選んだ。壁の岩肌が黒褐色から、ところどころ灰色が混じる帯状の模様に変わり始める。第2層の奥に近づいている証拠だった。
「班長」
紅葉は声量を落とした。
「前方、広間。魔物確認。ハイゴブリン二体」
蒼真の歩みが止まった。
「ゴブリンは」
「なし。ハイゴブリンだけ。二体とも通常種。角二本。広間の中央寄り、三メートルくらい離れて立ってる」
ハイゴブリン二体の同時交戦。前期の実力考査では、この構成が蒼真にとって最も苦しかった。通路で二体に塞がれ、前衛の身体が射線に入り続け、六射放って致命打はわずか一本。
撃てない。
あのときの焦りを、蒼真はまだ覚えている。
だが、今日の蒼真には、あの日にはなかったものがある。
フォーメーションB。
「紅葉、広間の地形は」
「楕円形。長径二十メートル、短径十五メートルくらい。天井高い。出入り口は私たちがいるこの通路と、向かい側の通路の二つ。ハイゴブリン二体は中央にいる。退路は向かい側の通路」
「了解」
蒼真は六人に向き直った。
「フォーメーションB、行く」
五人の表情が、すぐに実習用のものへ切り替わった。
「手順を確認する。突入と同時に里奈が向かい側の通路口へ《氷壁》を展開。退路遮断。真帆は右側のハイゴブリンに《光矢》を一発。意識を後衛側へ引きつける」
「はい」
「はい」
「悠斗は左のハイゴブリンに突っ込む。航は右。二体を左右に引き離して、中央に射線のトンネルを作ってくれ」
「了解!」
「了解」
「俺は広間の左壁沿いに回り込む。二体の間を通る射線から側面射。通常射で削って、ここぞで。いや、今回は通常射だけで行ってみる」
「『弐』は温存?」
航が確認した。
「さっき一発使った。消耗がある。二戦目は通常射の精度で勝負する。俺の射線が通るかどうか、フォーメーションBの本質はそこにあるからな」
「なるほど。『弐』に頼らずに連携で仕留める。本来のテストだ」
航が頷いた。
「紅葉は全体監視。背後からの増援や想定外の動きがあったら、即声を出してくれ」
「任せて」
六人が配置についた。
蒼真は弓に矢をつがえ、通常射の構え。呼吸を整え、広間を見据える。
「突入」
◇
広間に踏み込んだ瞬間、六人が同時に動いた。
里奈が杖を掲げる。
「《氷壁》!」
広間の向かい側、北東の通路出口に、氷の壁が立ち上がった。幅三・五メートル、高さ二メートル強。退路が完全に塞がれる。
氷壁が立ち上がる音に、ハイゴブリン二体が即座に反応した。左の個体が棍棒を振り上げ、右の個体が吠え声を上げる。
「《光矢》!」
真帆の白い光の矢が、右のハイゴブリンの肩口を掠めた。致命傷ではない。だが、白い光が目の前で炸裂したことで、右の個体の視線が一瞬だけ後衛側に引き寄せられた。
その一瞬を、悠斗と航が叩いた。
悠斗が《脚力強化》で床を蹴り、左のハイゴブリンに向かって真っ直ぐ突進する。槍の穂先が、敵の右脇腹に突き刺さった。
「うらあっ!」
悠斗の気合い声とともに、槍が食い込んだ。ハイゴブリンが悶えて棍棒を振り上げる。悠斗が槍を引き戻しながら左に跳んで回避。棍棒が空を切り、床の岩が砕けた。
航は右側のハイゴブリンに距離を詰めていた。《斬撃強化》の八割出力で、横一閃。首元の皮膚を裂き、緑色の体液が飛び散る。ハイゴブリンがよろめいて航の方に振り向いた。
――射線が、開いた。
悠斗が左、航が右。二人のハイゴブリンを挟んで、広間の中央に何もない空間が一本通った。
蒼真は広間の左壁沿いを二歩走って、射角を調整していた。左のハイゴブリンの右こめかみが、悠斗と乱戦している体勢の関係で、ちょうどこちらの角度から見えている。
通常射。弦を引き、呼吸の底で放った。
蒼い軌跡。
左のハイゴブリンの右こめかみに命中。
粒子化。
「よっしゃ!」
蒼真の声が漏れた。拳を握り込む。心臓が跳ねる。通常射一本で仕留められたのは、前期の三体目のハイゴブリンと同じ。だが今回は、射線を味方が計画的に作ってくれた状況での命中だ。
残り一体。
「航、距離を取れ!」
蒼真が声を張った。航が一歩下がり、右のハイゴブリンが棍棒を振り下ろした一撃が空を切る。
「里奈!」
「《氷矢》!」
里奈の氷の矢が、右のハイゴブリンの右足に命中。足首を起点に冷気が広がり、右足が一瞬、凍りつく。ハイゴブリンの動きが鈍った。
その鈍りの一瞬を、蒼真は逃さなかった。
二射目。通常射。今度は射角を僅かに変えて、右のハイゴブリンの左こめかみ。
命中。粒子化。
広間が、二度目に静まった。
◇
「……終わった」
蒼真は弓を下ろし、大きく息を吐いた。
「時間」
航が腕時計を確認する。
「一分十秒」
「一分十秒?」
悠斗が声を裏返した。
「前の試験のとき、同じ構成で何分かかったっけ」
「四分弱」
「三倍以上、速えじゃん!」
悠斗が槍を肩に担いで笑った。
「速い理由は分かってる」
蒼真が息を整えながら言った。
「前期のときは通路での乱戦で射線が取れなかった。六射放って致命打が一本だけ。俺が六回撃つ間、前衛はその時間を耐えなきゃいけなかった。今日は二射で二体を仕留めた。前衛が耐える時間は三分の一以下になってる」
「つまり、連携の組み方で、班長の矢の効率が変わる」
紅葉が横から整理した。
「班長が一発で仕留められる位置に射線を作れれば、前衛の消耗も減る」
「そういうことだ」
蒼真は頷いた。
「『弐』を温存しても、このフォーメーションなら通常射で戦える。これが俺の理想の形だ」
悠斗が「おっ」と声を上げた。
「蒼真、今の顔、いい顔してるぞ」
「うるさい」
「いい顔してるって言ってんだろ!」
「だからうるさいんだよ」
蒼真は声を上げて笑った。腹の底から、これまでの実戦では味わえなかった充実感が突き上げてくる。
前期は「弓術士の壁」にぶつかった。弓の構造的な限界に正面衝突して、悔しさを噛み締めた。
今日は、その壁を、連携の形で越えた。
「弓術士は、一人では仕留められない」
蒼真は声に出して言った。
五人が、蒼真の方を見た。
「仲間の力で撃つ。六人の手札が揃って、射線が開いて、そこを俺の矢が通る。それが、第5班の戦い方だ」
五人の反応は、それぞれだった。
悠斗が「なんかいいこと言ってる……」と鼻の下をこすった。
航が「理屈に合ってる」と頷いた。
紅葉が「班長、演説始まった」とにやにや笑った。
里奈は杖を握り直し、小さく肩を揺らした。嬉しそうに。
真帆が「私も、役に立てて、よかったです」と栗色のポニーテールを揺らした。
後藤は少し離れた位置でバインダーに何かを書き込んでいた。その後藤が、ペンを止めずに告げた。
「連携、確認した」
その確認が、蒼真には何より嬉しかった。
◇
戦闘後の小休止。
メンテナンスノートに記録する。
『十月一日・第2層広間二戦目。ハイゴブリン通常種×二。所要一分十秒』
『フォーメーションB初実戦。前衛左右展開+氷壁退路遮断+光矢牽制+側面射。成功』
『「弐」は温存。通常射で二体を仕留めた。所要矢数、二本。致命打率百パーセント』
矢残、十九本。通常射二本は、どちらもハイゴブリンの粒子化に巻き込まれて消失。
蒼真はノートの端に、もう一行だけ書き加えた。
『前期のとき、同じ構成で四分かかった。今日は一分十秒。違いは、俺の腕じゃなく、六人の連携だ』
ペンを置いて、蒼真は顔を上げた。
第2層の広間の天井は高く暗い。だがその暗さの中で、六人の存在だけは確かな明るさを持っていた。
「次、行くぞ」
蒼真はノートを閉じて立ち上がった。
「もう少し奥に進んで、第3層への降り口を探す」
「了解」
六人が再び歩き出した。後藤がその最後尾を、静かについてきた。




